定義の話

 火花が散る。

 俺を挟む形で陽菜乃と森山和奏は向き合っていた。俺は固唾を呑みながら、カレーのルーを回していた。何故か。それは俺にもわからない。

 陽菜乃のお泊り。森山和奏の襲来。そして一緒に夕食を囲うことになる。この『そして』の間には漫画二話分を飛んでしまったかのような勢いの良さがある。が、事実なのだ。

 陽菜乃は森山和奏の襲来を受け入れ、あまつさえ二人が同時にお泊りになるという異常事態まで発展した。

 そうして、俺は密かにカレーを作る。ひたすらにルーを回す。頼むから神様。この地獄から解放させてください。


「――森山さんって、クロの親友なんだってね」


 キッチン先から、陽菜乃と森山和奏の会話が聴こえた。俺は内心呻いた。やはり悪い予感は当たった。

 陽菜乃が何の打算もなく森山和奏を受け入れるとは到底思えなかった。その意図が今わかった。陽菜乃は俺と森山和奏の関係を探ろうとしているのだ。

 森山和奏は陽菜乃の言葉に目を丸くし、クスッと笑みを浮かべた。背筋が凍るような、嫌な笑みだった。


「うーん、それはね……」


 勿体つけるような余韻をつける。

 森山和奏の視線が一度、キッチンにいる俺に向いた。まるで俺を試しているかのようだった。ようにも見えた。


「――そうね。親友だよ。

「今は?」

「――はいはいはい、カレーが出来ましたぜッ!」


 俺は会話を断ち切るために声を上げた。その声は自分でも思っている以上に大きく、二人の身体がビクリと揺れた。陽菜乃は露骨に非難の目を向けてきた。


「もう、急に大声出さないでよ」

「いやいや、悪い悪い。――まあ、さておき。カレーを装おうぜ。なに、大盛りがいい?」

「なんで大盛り確定なのさ……」


 陽菜乃は呆れたようにため息をつき、キッチンの方に歩いていく。俺は静かに安堵した。これで一時的にせよ危機から流れることができた。

 そっと森山和奏を見た。彼女は俺の表情を見て笑っていた。……ああ、確信犯だ。心臓を掴まれたように、俺は足掻くしか無い。

 森山和奏の口が動く。何かを口パクで伝えようとしているようだ。どうにか読み取ろうとする。――なに?


 か し ひ と つ だ ね


 ふざけんな。


  ♡


 俺たちは夕食を終えて、一人ずつ風呂に入ることになった。ここでも一悶着はあった。


「一緒に入る?」


 森山和奏の言葉に陽菜乃は激怒した。


「な、なに言ってんのよッ!」

「なにって? 親友なんだから、別にいいでしょ?」

「良くねーよ」


 俺はすかさず突っ込んだ。

 というような次第で陽菜乃はお冠だった。一番に俺が入り――その間、森山和奏と陽菜乃が二人っきりになるのは末恐ろしいと言えたが――、次に陽菜乃、最後に森山和奏だった。

 俺は烏の行水のごどく、風呂を終えると陽菜乃と変わる。陽菜乃の表情はどこか憂いているように見えた。それが俺に嫌な予感を膨らませる。

 陽菜乃が風呂に入っている間、森山和奏と二人になる。森山和奏は我が家に住んでいるかのように寛いでいた。


「お前、陽菜乃に何か言ったのか?」

「うーん? 何が?」

「……言ったんだな」


 俺はため息をついた。

 一体何を口にしたのか。森山和奏は心外そうに唇を尖らせた。


話をしただけだよ。春川さんと話したこと、殆ど無かったし」

「その内容を俺は知りたいわけだが」

「うーん、そうだね……。黒猫くんが理解できる内容かどうか……」

「は?」

「いわゆる、定義の話だよ」

「はい?」


 森山和奏は愉しそうにしていた。言葉遊びのように語る。


「『あなたと黒猫くんは幼馴染みというけれど、それって具体的にどういう関係なの?』――そう聞いたんだよ」

「……それは、幼馴染みだろう?」

「ほら、そこで止まる。幼馴染みって、ようはずっと昔からの知り合いでしょう? それだけじゃない。特別性もありはしない。ねえ、仮にわたしと黒猫くんが親友であるのなら、春川さんはそれ以下の関係ってことにならない?」

「それは――……」


 俺はつい否定しそうになった。

 だが、幼馴染みとはなんだ――?

 その関係は、何を持って証明する? 長い関係。古くからの知り合い。ただそれだけ? 本当に? ――そうではない。そうではないが、説明できない。

 なぜなら。

〈俺〉は、それを知らないから。


 ――■■って、幼馴染み、いたよな?。

 ――あ、うん。まあー、けど別に、


 固まる俺に森山和奏はにんまりと笑顔を見せている。何か言おうとした。特に意味は無かったのかもしれない。しかし、言わずにはいられなかった。

 だが、陽菜乃が風呂から上がってきたことによりそれは霧散する。森山和奏は勢いよく立ち上がると、風呂場の方へ行ってしまった。

 陽菜乃とともに取り残される。

 陽菜乃はどこか気不味そうにしていた。


  ♡


 就寝の部屋は俺がリビング、ということになった。二人は俺の部屋。――妥当な判断だ。森山和奏は俺と二人きりになることを露骨に望んでいるポーズを見せたが、陽菜乃が拒絶した。

 俺は今、リビングのソファで横になっている。いつもと異なる感覚に睡眠欲が沸かない。何度か寝返りを打つ。


「――さて、なぁ……」


 この状況、森山和奏の台詞、陽菜乃との関係性。〈俺〉のこと。考えることが多すぎてパンクしそうだった。こういうときは寝るに限る。が、眠れない。悪循環だ。

 目を瞑り、脳内はぐるぐると考え続けている。あるいは、考えるフリをしている。答えから遠ざかろうとしている。

 そのとき、足音が響いた。

 リビングに入ってきた足音。俺は身体を震わせた。まさか森山和奏だろうか。


「――――――――――クロ、」


 その声に目を見開いた。

 声の方に振り向いた。

 そこに、陽菜乃はいた。

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