逆襲
事の始まりを語る前に前後関係を明らかにする必要がある。
いつも通り、俺と陽菜乃は登校していた。その間、森山和奏の姿は無い。これは安堵もあり、同時に予兆のような気味悪いものも感じていた。
校門前まで辿り着くと、百合が挨拶運動に勤しんでいる。百合と陽菜乃は相変わらずの犬猿の仲だった。
「――あら、おはよう。黒猫クン」
「ども」
「あと、えっーと……、付添の方かしら?」
百合は可愛らしく――確信を持って断言する。わざとだ――首を傾げた。
陽菜乃は青筋を立てながらも努めて平静を保ちながら答える。
「今日もご苦労様です。
「あれ? 少し違うニュアンスに聞こえたのだけれど気のせいかしら?」
「ええ、もちろん。気のせいですよ」
おほほ。うふふ――……。
女のバカ試合――ではなく、化かし合いを俺は遠くから眺めている。既に仲裁するという愚かな選択肢は消え失せている。冷や冷やと二人の様子を見守っていた。
やがて、彼女らの争いは一時休息する。俺はさっさと教室に行こうとしたが、ぐいっと袖を引っ張られた。そのゴリラとも呼べる力に慄く。
「誰がゴリラかしら?」
心でも読めるんかい。
百合は俺の耳元まで口を近づかせる。見せつけるような密談だ。吐息が耳に当たり、ゾワリとする。だから、変な性癖をつけないでもらいたい。
「な、なんすか。橋口先輩」
「あの子とは、……どうなったのかしら?」
「あの子?」
「森山和奏さん」
「ああ……」
俺は納得したように頷く。一人納得する俺に百合は不満そうな表情を浮かべた。この人は何が何でも自分が有利でなければ気が済まないタチなのだ。
どうもこうもない。何も問題はない。
俺はそう答えた。そうとしか答えようがない。この保留関係は誰かを干渉させるのは非常に不利益を被る。聡い百合であっても、誤魔化すしかなかった。
「ふぅん……」
百合は含むような視線を俺に向けていたが解放してくれた。そそくさと俺は教室に向かった。
教室には森山和奏がいた。
俺は内心、この時間がとても緊張する。森山和奏が何らかのアクションを取ってくるのではないか。そう思えるからだ。
しかし、それらは杞憂に過ぎなかった。学校での時間はひたすら流れていく。森山和奏はただぽつんとそこにいた。そこから、変化しなかった。
「――森山さんって、一人よね」
陽菜乃はそう言った。昼食中のことだった。俺は森山和奏がいる席に目を向けた。そこに森山和奏はいない。不在となったその場所は寂しげに見えた。
前世の〈俺〉の記憶が蘇る。クラスに一人は居た。ぽつんと、いるのかいないのかわからないようなクラスメイト。そこだけぽっかりと空いてしまっている空虚の穴。空白。
「誰かと一緒にいるところ、見ないのか?」
「うん」
俺の質問に陽菜乃は即答した。
森山和奏には友人がいない。この点に関しては俺も知識不足だった。実際、『ヤンデレラ』の森山和奏は爆発する、という設定以外、どこか浮ついているのだ。現実の森山和奏は、孤独であった。
独りが、自然だった。
「だから、不思議なんだよね」
「ほう、なにが?」
「どうして、クロと森山さんが親友なのか?
俺は言葉を詰まらせた。
え、とか。いやぁ、とか。下手な誤魔化しすらできず、苦笑いを浮かべていた。幼馴染みの顔には最大級の疑念が沸々と煮え滾っていたことだろう。
保留関係に、ピキッ、と音が鳴る。
♡
森山和奏には友達がいない。
そのことに俺はどこか引っ掛かりのようなものを覚えていた。
何故か――?
「何故、か――……」
答えは見つからないままだ。学校から帰り、一人部屋の中で考え続けている。
そこで俺は気付く。なんだかんだ、俺は森山和奏のことを考え続けている。それこそ四六時中だ。その事実に直面すると困惑が先立つ。俺は特別森山和奏に対して好意の感情を抱いていない。抱けるはずがない。それなのに、何故ここまで執着してしまうのか。
どうして。俺は。
刹那、部屋の扉が開いた。
その勢いに俺は飛び跳ねた。コメディ顔負けのリアクションだった。反射的に扉の方に振り向く。
そこには陽菜乃がいた。――ノックぐらいしろ、と言いかけた言葉は止まる。陽菜乃の様子がおかしかった。
彼女は泣きそうなほどに、表情を強張らせていた。
「――ねえ、クロ。わたしをこの家に住ませて。お願いッ!」
――事の発端は陽菜乃の父親の長期出張にあった。その場所はどうやら海外らしい。
春川家の夫婦関係は円満である。母親は父親に付いていきたい。しかし、そうすると陽菜乃が残されてしまう。ならばいっそのこと、全員で引っ越してしまおう。
これに陽菜乃は猛反発した。
海外に行きたくない彼女は、〈黒猫〉を頼った。……そういう次第である。
俺はその時、ようやくメインイベントという単語を思い出した。それまで思い出せないのが不思議だった。そう、これは幼馴染みとのイベントである。『ヤンデレラ』のストーリーだ。
「ねえ、お願い。クロ」
涙を溜める陽菜乃に俺はぐっと息を呑んだ。
「そりゃあ、可能ならいいけど」
「ほんとうっ? ありがとうっ」
今にも抱きつかんばかりの勢いで彼女は飛び込もうとした、その瞬間。
インターホンが鳴る。この空気を消し飛ばすように。俺と陽菜乃は固まった。俺の頭の中では新しい単語が横切っていた。
これは、『ヤンデレラ』のイベントである。
「――こんにちは。遊びに来たよ。黒猫くん」
森山和奏が現れた。
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