そこら中地雷だらけ

 教室は戦々恐々としていた。

 というより、嫌な空気が充満しているのだ。その原因は察しがついている。教室にいる俺と、もうひとりの少女の存在が、教室の空気を変えてしまっているのだ。まさに、支配者である。

 この空気はとても息がしづらく、水中を潜っているような感覚だった。下手に動いてしまったら、溺れてしまう。危険がそこら中にある。踏み込んだ瞬間、地雷は爆発する。

 森山和奏の爆弾宣言は一瞬にして学校中に広まった。この広がり具合にはやや違和感を覚えることもあるが、森山和奏が校門で告げたことが大きいのかもしれない。

 授業合間の隙間時間に野次馬が俺に尋ねてくる。

「なあ、森山さんと付き合ってるってまじ?」

「……さあ」

「さあってどういうことだ?」

「……さあ」

 俺の焦れた回答にも野次馬は気にしていない様子だった。――というか、この男は誰だ? おそらく、『ヤンデレラ』がゲームだった頃も名前を与えられたキャラクターではなかったはずだ。傍観者の一人として、脇役にもなれないキャラクターとして、そこに存在していた男。名前を思い出せないのではない。俺は彼のことを知らないのだ。

 話をしている最中に、彼の名前が国岡くにおか、ということがわかった。名前はわかりそうにない。

 国岡は渋る俺の様子に気づくこともなく、あるいは気づいていてあえて質問攻めをしているのか、続ける。

「てっきりオレ、黒猫は春川さんと付き合ってると思ってたけど」

「それは……」

「あ、もしかしてあの噂は本当だったのか?」

「……噂って?」

「四人全員と付き合ってる」

「はぁ?」

「春川陽菜乃、生徒会長の橋口先輩、守りたくなるような可愛い後輩の宇佐見美夕ちゃん。そんで――」

 まだいるのか。

「霧峰先生」

「あほか」

「ほう、図星か」

「いや、違うけど」

 噂の出所はともかく、四人全員と付き合っている主人公は外から見れば、かなり体裁が悪い。浮気性、女癖が悪い――。いくらでも悪い言葉が浮かぶ。ゲームの画面上では見えてこなかったものだった。

 国岡は、じゃあさぁ、とまだ質問を終わらせない。

「森山さんは?」

「それは――……」

「怪しいなぁ、おぉい」

 ニヤニヤと笑う国岡が恨めしい。今すぐにでもその顔に拳を突き刺してやりたい。が、事情を知らぬ国岡をいくら殴ろうとも意味がない。次の授業が始まったことで、ようやく質問攻めは終わる。

 大きく、長いため息を吐いた。

 くそっ、と内心毒づく。最悪の心情だった。前方左寄りにいる森山和奏に視線を向けた。あの、自分をこんな状況に陥らせた張本人を。

 俺が森山和奏との関係を完全に否定できないのは、まさに森山和奏の特性が密接に関わっていると言えた。

 彼女は、爆発する。

 その事実はどうやら、認識されているらしい。爆弾発言をした後の陽菜乃と百合は目を見開き固まっていた。森山和奏だけが勝ち誇った表情を浮かべている。

 ――ねえ、どういうことかしら?

 百合は後に尋ねてきた。尋問、という方が正しいか。俺は引き攣っていたと思う。が、堪えた。正直に答えていた。

 ――森山和奏は、爆発するんです。機嫌を損ねる真似なんて、できるはずがない

 ここで、俺は初めて人が爆発する事実を教えた。が、百合は失望を込めた視線を向けていた。

 ――黒猫クン、ふざけてるのかしら?

 ふざけてなんか、もちろんない。

 が、百合には伝わない。これが、世界の常識であるからだ。俺のほうが、おかしいと思われる。当たり前だった。

 これは非常に厄介な壁として立ちはだかった。俺だけが、その事実を知っている。つまり、俺にしか見えない障害であり、誰にも共感されることはないのだ。協力者が作れない、ということだ。

 森山和奏の機嫌を損ねるわけにはいかない。爆発するからだ。

 それは同時に、彼女の爆弾発言を否定できないことに繋がる。――最悪な状況と言えた。

 そのとき、森山和奏が振り向いた。視線が交錯する。彼女と目が合ってしまった。森山和奏は目を丸くし、小さく笑みを浮かべる。

 その嗤い。俺は硬直し、彼女が再び視線を逸らすまで、逃れることができなかった。

 逃げられない、と悟らせるような時間だった。


  ♡


 これでは精神的に具合が良くない。

 俺は癒やしを求めていた。森山和奏から逃げるように。実際、逃げていき。癒やしの場所へ向かった。彼女の笑顔を見るために。安らぎを得るために。

 足は自然と図書室へ向かっていた。

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