右手に花、左手に毒

「クロネコくん、今日も良い天気で気持ちいいね」

「ねえ、クロ。この女、ほんとうにどういう関係なわけ? ねぇ?」

 ……ひぃい。

 お助けください。俺は誰にともなく心の内に叫ぶ。いったい、俺が何をしたというのだろう。こんなに心臓が保たない状況に襲われるような罰を受ける意味を見いだせない。状況を振り返る。振り替えようとする。

 なぜ、右手には陽菜乃、左手には森山和奏がいるのか。お互いが俺の腕を組み、睨み合いを続けているのか。

 数十分前に巻き戻る。森山和奏が俺の家に襲来した瞬間に。

『迎えにきたよ』

 にこりとした、不純たっぷりの笑みを込めて、森山和奏は言った。俺はひぃっ、と声が洩れていたように思う。妙に自分の寝癖が気になった。……そんな現実逃避すら行われていたのだ。

『……えっと、森山さん?』

 陽菜乃は記憶を手繰り寄せた様子で名前を口にした。この時点では陽菜乃は困惑が何よりも勝っていたように思える。何故、森山和奏がこの場所に現れたのか。そのことに首を傾げていた。

 しかし、森山和奏が陽菜乃に視線を向けた瞬間、眼光が増した気がした。

『……なんで、春川さんがクロネコくんの家にいるんだろう?』

『いや、それは……』

 俺は弁明を試みようとするが、明確な言葉が浮かばない。代わりに、陽菜乃は何かしらの予感を察したのか、一歩前に出る。

『それは、クロとわたしが幼馴染みだからよ』

『ふぅん……。それで?』

『え? ……は?』

『幼馴染みであることと、家にいること、関係ある?』

 ――ないだろうな。咄嗟に思った考えに俺は顔をしかめそうになった。俺はどっちの味方につこうとしているのだ。陽菜乃も言い返されると思っていなかったのか、動揺している様子だった。

『じゃあさ。こうしようよ』

 森山和奏は陽菜乃の動揺に気にする素振りも見せず笑顔で言う。

『今度から、わたしがクロネコくんを起こしに来るし、一緒に登校するよ。別にいいでしょう?』

『は、はぁっ? そ、そんなの、良くないに決まってるじゃないッ!』

『どうして?』

『そ、それは……、――男女が朝から一緒にいるなんて、何かが、起こるかもしれないじゃないっ!?』

『何かって?』

『そ、それは……。それは――』

 陽菜乃は頬を赤くした。いったいどんな妄想を繰り広げているのやら――。俺は場違いにも意外にむっつりなんだなぁ、と感想を持った。

『あ、あんなことや、こんなことよッ!』

 ずいぶんとぼかした表現で叫ぶ。しかし、森山和奏は一枚――いや、三枚以上上手だ。

『それって、春川さんにも言えることでしょう? あんなことやこんなことや、そんなことだってあり得るでしょう?』

『そ、そんなことまで――!?』

 陽菜乃は蒸気しそうな勢いだった。おいおい、何を妄想しているんだよ。

『ねえ、わたしでも変わらなくない?』

『でも。でも……』

 陽菜乃は首を振った。

『だめなものはだめよッ! クロは、わたしのものよッ!』

『意味わからないなぁ。……わたしのものでしょ』

 森山和奏の、後半ぼそりと呟く言葉にも、陽菜乃の訴えにも、そこに正当性はない。いやいやいや――、とここで俺は初めて間に入った。

『俺は俺のものだっての。だからお前たち――』

『勝手に入ってこないでくれないっ? クロ、これはあなたが口出しすることじゃないのよっ!』

 いや、俺の話ですよね?

『クロネコくんはいいから黙ってて』

 ……はぃ。

 というように、俺は彼女たちの間で繰り広げられているバチバチの喧嘩に飲み込まれていた。

 それは現在、登校の間にも行われているのだ。俺はぐったりしていた。陽菜乃はしきりに俺と森山和奏の関係を気にしていた。それはこっちが知りたい。この世界で、俺と『ヤンデレラ』のメインヒロインの関係は何であるのか――? さっぱりわからない。

 不意に、左から袖を引っ張られた。視線を向けると、森山和奏が俺を見上げていた。ああ、この子は俺より背が小さいのか。そんなことを思った。

 クロネコくん、そう囁くように彼女は言う。


「――クロネコくんは、誰の味方?」


 誰の、味方。

 陽菜乃はいち早く俺と森山和奏の密談に気づいた。

「ほらっ! そこっ! 顔が近いのよっ! ソーシャルディスタンスっ!」

 森山和奏はふいっと離れる。くすくすと可笑しそうに嗤っていた。その様子からして、この状況を、陽菜乃が嫉妬に荒ぶる姿を愉しんでいるようにも見える。

 俺はどうにもできなかった。下手なことも言えない。ただし、言質も取らせたくない。一つでも選択を間違えた瞬間、ぼかんっ爆発、だ。

 この一日を、乗り越えることができるのか――? つまり、森山和奏の不機嫌をさせることなく……。

 校門が見えてきた。ようやく学校まで来ることができた。が、そこで次の山場が来ることを思い出した。

 そこに、生徒会長・橋口百合がいる。彼女との会話イベントが控えている。

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