反則技

 この世界の仕組みが、今日一日でよく理解できた。

 俺――転生先である〈黒猫〉は成績優秀、顔立ちもそこそこ整っている、幼馴染み、先輩、後輩からも好意を寄せられる、まさに主人公である。

 しかし、このサブヒロイン枠で、もう一人、奇特な存在がいる。それが現在、昼休み後の授業を行っているである。


 国語担当の教員――霧峰きりみね菜穂なほ。今年で教員歴二年目。彼女は、実の生徒主人公に好意を寄せている。


 その背景に、主人公が菜穂が新任の先生だったとき、ずいぶんと助けられたから、というのがある。もちろん、いまの俺は知らない。


 公式設定によると、彼女の年齢は二十六歳だったはずだ。裏設定によると、彼女は教員採用試験を二度落ちた苦学生だという(なぜ、このようなシリアスな設定にしたのかはわからない)。晴れて先生になった彼女は理想と現実のギャップに苦しんだ。

 教員という職業の現実を、俺は知らない。が、想像することはできる。世間ではブラックと囁かれ続け、問題児の相手を毎日のようにしなければならない。理想の教師なんて架空の人物と相違ない。

 菜穂は現実に打ちのめされ、それでも立ち向かおうとした。それが結果として、生徒に舐められないように、できる限り、冷たく、厳しい教師像を作り出した。


「――そこ。黒猫君? よそ見しない」


 名指しされた。

 俺の身体は反射的にびくりと震えた。これは黒猫の反応ではない。俺自身の、記憶から湧き上がった反応だった。


「すません」

「すみません、でしょう?」

「すみまん」

「……黒猫君?」

「すみません」


 よろしい、と菜穂は板書に戻る。男女関係なく、そんな菜穂の姿に憧れるような視線を向けていた。これこそが菜穂が作り出した、理想の教師――という名の仮面である。

 授業が終わると、弛緩した空気が流れる。菜穂は比較的重い荷物を手にしながら教室を出ていく。俺はその背中を追いかけた。


「――菜穂先生」


 彼女の背に追いつくと、これは声をかけた。菜穂はびくりと肩を震わし、俺の方に視線を向けた。一瞬、浮かんだ期待の表情がさっと隠れる。


「……何かしら?」

「荷物、持つの手伝いますよ」

「いいわ。重くないから」

「手、震えてますよ」

「震わしてるのよ」

「足、がくがくですけど?」

「武者震いよ」

「身体、震えてますけど」

「もう冬なのね」


 夏ですよ、と思いながら、俺はすいっと菜穂の持っていた荷物を取り上げてしまった。あっ、と声を洩らす菜穂を置いて先を歩く。

 職員室ですよね? ……一応、場所の確認もする。菜穂は不満そうな顔をしながらも、俺の後ろについていった。


 無言の時間が続く。俺は隣りにいた菜穂を横目で見た。

 本来であれば。もはや俺の枕詞になりつつある言葉だ。先生と隣を歩くなんて、俺のこれまでの人生にあっただろうか。俺は、先生という生き物が嫌いだった。いまも、好きではない。この〈黒猫〉はさておき、菜穂についても生理的な苦手意識が拭えない。こうした、ゲームと現実の狭間にいる感覚が、ある のだ。


「ねえ、黒猫君」

「はい?」


 菜穂は俺に頑なに視線を向けていなかった。


「なんだか、ぼんやりしていたようだけれど、なにかあったかしら?」

「……いいえ?」

「ほんとうに?」

「はい。神に誓って」

「簡単に誓う存在ではないわね」


 そうしている間に、俺たちは職員室の前に着いた。菜穂は俺の手から荷物を受け取る。


「なにか悩みがあったら、相談しなさい」

「あ、はい」

「それと」

「……?」


 菜穂は視線を逸らし、ぼそりと言った。



「荷物、手伝ってくれてありがとう」



 頬を染めながら職員室に逃げる菜穂の姿を俺は目に焼き付けた。


 ……やめてくれ。反則級じゃないか。好きになっちゃうぞ、おい。

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