一度言ってみたかった台詞
ツンデレガールこと、春川陽菜乃との登校はある種の日常イベントと言えよう。
陽菜乃に急かされるように、俺は学校に向かっている。時折、陽菜乃から罵倒(という名の照れ隠し)を受けながら、校門前で到着した。
この『ヤンデレラ』の舞台でもある学校の名は、私立旭ヶ丘中央学園という。ちなみに、中央と称しているが、端があるわけではない。
校門前では、生徒会が挨拶活動を行っている。その中で、ひときわ目立つ彼女が、俺に目を向けてきた。
「ああ、黒猫クン。今日も遅刻せずに来たのね。良かったわ」
生徒会長、
成績優秀、運動神経抜群、容姿端麗、モデル顔負けのスタイル、全知全能を思いのままにする絶対的存在――、そんな完璧的な存在が本来この世にいるはずがない。が、この世界であれば、いることはできる。なぜなら、下敷きにされているのが『ヤンデレラ』であるから。
彼女もまた、『ヤンデレラ』のサブヒロイン、先輩枠の一人である。
そして、そんな絶対的存在が、何故か主人公に恋慕を抱いているのだ。
しかし、俺はこの先輩キャラが、実はそれほど得意ではない。なかった、と言っていい。
「おぉーす、橋本先輩」
それを顔に出すことはなく、俺は応える。この無礼とも取れる反応に、百合の遠巻きキャラが声を上げる。
「き、貴様ッ! 百合様を前になんて無礼なッ! キー!」
「訂正しなさいッ! 今すぐ! 早く!」
ゲーム画面上では受け入れられていた台詞も、現実ではかなり
内心、失笑している。これは笑える。現実に振る舞える彼らも相当のものだ。遠巻きキャラ(名前なんて知らない)の言葉をいなし、俺はにこりと笑みを作った。困ったときは笑顔を浮かべておけばいい。
百合も目を丸くし、ふふ、と艶やかな笑みを作った。
「今日もかわいいね、黒猫クンは」
すぅ、と百合が顔を近づけていく。
耳元に、そっと息を吹きかけるように、彼女は言った。
「――あまりかわいいことばかり言ってると、食べちゃうわよ?」
――おぉ。
耳にゾワリとした悪寒が走った。俺は笑みを保ち続けていた。おそらく、顔は引き攣っていただろう。
橋本百合には、一つ、特定のユーザーにとって大好物とも言える設定がされている。彼女自身が、ドS思考であることだ。数あるルートの中では、主人公がペットになるものもある。現実には必要ない。俺はあくまでもノーマルだ。
変な性癖に目覚めさせないでほしい。
「ちょ、ちょぉっとッ!」
慌てた様子で陽菜乃が俺と百合の間に入り込んだ。強引に俺の腕を掴み、引き離す。百合に向けて、強い視線を向けていた。
「生徒会長、少し近すぎませんかっ?」
「あら、あなたのほうがずいぶん密着しているように見えますけど?」
「は、はぁ? 違いますし? これは幼馴染みの適切な距離感ですし?」
「黒猫クンの腕、壁に当たって痛そうだわ」
「だ、誰が、ひ、ひ、ひんッ……!」
ここは、百合の方が軍配が上がった。
というより、この先輩を相手に口喧嘩で勝てる見込みがない。想像すらできない。顔を真っ赤にする陽菜乃は貧相な(他意はない)ボキャブラリーで言い争っている。
「し、嫉妬ですか?」
「えぇ? 私が? そんなことないでしょ?」
「へ、へぇ。なら、こうでもいいんですよね?」
陽菜乃はぐいっと、俺の腕をさらに引き寄せた。いでぇッ。いて、ててててて――! 腕がッ。変な方向に曲がってるッ!
悲鳴は届かない。百合は頬を引き攣らせた。そう、喧嘩に買いましょう。目が据わっている。
「不純異性交遊で退学にしましょうか?」
「職権乱用! あなたのほうこそ、生徒会長じゃなくて、
あ、それは面白い。
と他人事のように判定を下していたが、そろそろひと目も気になり出してきた。俺は二人を仲介しようと声を上げる。一度、言ってみたかった台詞だ。この場面で叶うことになろうとは。
「ふたりとも、俺のために争わないでくれよ。なあ?」
即答。
「争ってなんかないわよッ! 勘違いしないでよねッ!」
「勘違いも甚だしいわね。あなたの目は節穴なの?」
……あんれぇ?
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