あなたの夫は大きな秘密を抱えています

仲瀬 充

あなたの夫は大きな秘密を抱えています

そのうち見てろババア、ヤンママをなめるなヨ。

ヤンキーが警官と結婚しちゃいけないの?

何で官舎のみんなに言い触らすの?

みーんなアタシを白い目で見るようになったじゃんか。

こっちもあんたらとつるむ気は1ミリもないけどネ。


家賃が安いからって引っ越して来るんじゃなかった。

警察官舎だから旦那の階級がまんま奥さんの立ち位置とリンク。

104号室の沢地さんが家を建てて出てったから現在15所帯。

警部補が一人、後は巡査部長と巡査が半々くらい。

アタシのダーリンは官舎の最年少で巡査。

一番偉いのが警部補の馬場さん。

ってことは奥さん連中が集まればボスは馬場さんの奥さん。

そんな官舎内の井戸端会議、アタシはスルー。

それが気に入らないらしくて馬場さんはアタシたち夫婦を目のかたきにしてる。

負けるもんか、アタシも心の中で馬場さんのことをババアと毒づいてる。

このババア、あることないこと言い触らす。

アタシがヤンキーだったとか高校中退だとか…ま、たいていあることあることなんだけど。

ダーリンのことまで握り飯を壁に投げつけたような顔だなんて言うから腹が立つ。

のっぺりした三角顔だから当たらずといえどもドンピシャリだけど。


だてにヤンキーやってたんじゃないから分かる、男の価値はみてくれじゃない。

ダーリンと一緒になったのは補導されたのがきっかけ。

ふてくされたアタシを怒りもせずに親身になって話を聞いてくれた。

背も低く足も短いけどダーリンは誰よりも優しくてオシャレ。

バラの香りの香水を毎日首筋にスプレーして出勤する。

銘柄はイヴリンローズ、一瓶6千円。

ダイアナ妃も愛用してたんだって何度も自慢げに言う。

そんなキモカワイイところもあるんだゾ。

それなのにババアのやつ、ことあるごとにダーリンをバカにしやがって。


復讐のチャンスはすぐに訪れた。

車で1時間、泊りがけで実家の母を訪ねた日のことだ。

母と街で夕食を食べ終えてレストランを出た。

目抜き通りの裏手は歓楽街になっている。

ファッションホテルに二人連れが入って行くのが見えた。

女の方は水商売ふうで中年オヤジは…ババアの旦那だ!

ラッキー!と小さくガッツポーズ。

「どうしたんだい?」

「官舎の人がいたの、出張なのかな」

翌日実家から戻るとすぐにノートパソコンを開いた。

「あなたの夫は大きな秘密を抱えています」

よし、これでいい、思わせぶりな表現だからどう揉めるか楽しみだ。

筆跡鑑定されないよう封筒の表書きもプリンターで「奥様へ」とだけ印字。

4階建て官舎の入口に全16戸分の集合ポストが設置されている。

人目がないのを確認して404号室のババアのポストに投函!


その夜夕食の最中にインターホンが鳴った。

「秋田ですけど」

「引っ越しの挨拶だろう」とダーリンが立ち上がった。

ドアを開けると小学生の女の子を連れた夫婦連れが立っている。

「今度404号室に越してきた秋田です、よろしく」

「これ、つまらないものですけど」

奥さんが差し出す洗濯用洗剤を受け取るアタシは頭が真っ白になっていた。

秋田一家が引き揚げると我に返った。

「404は馬場さんよ、間違いじゃない? 沢地さんの後に入ったんだから秋田さんは104号室のはずよ」

「4階は上り下りが大変だからって馬場さんが沢地さんのところに移ったんだ」

「いつ?」

「君が実家に出かけた一昨日おととい

すると例の手紙は秋田さんの手に? マズい…

けど、それくらいの手違いでめげるアタシじゃない。

翌日また密告文をプリントアウトし、今度はきっちりネームプレートも確認して104号室のポストに入れた。


1週間ほどして夫にさぐりを入れた。

「近頃馬場さんの奥さん、元気ないんだけど旦那さんは変わりない?」

「大ありだよ。俺たち部下をジロジロ見たりにらみつけたりして落ち着きがないんだ。近々監察官の聴取があるらしい」

封筒に切手を貼らなかったから差出人は官舎内の人間じゃないかと疑心暗鬼になってるのかも。

いい気味だけどなんか変、不倫の密告でそんなに動揺する?

結局、馬場夫婦は挨拶もなしに官舎からいなくなった。

ダーリンの話によれば馬場警部補は公金横領の疑いで取り調べを受けた後、依願退職したとのこと。

ひえー! 瓢箪から駒、驚き桃の木山椒の木だ。

驚きは続きがあった。

入居したばかりの秋田さん一家も官舎を出たのだ。

こっちは離婚による退去ということだ。

妻帯者専用の官舎なので独り身になったら居続けることはできない。


ともあれアタシを目の敵にしてたババアはいなくなった。

だけれどホッとしたのもつかの間、後継者が現れた。

403号室の岡安さん、官舎の最年長で旦那は巡査部長。

この人はババアと違って人は悪くないけど社交性が異常に高い。

さっそく新たに入居した2所帯の奥さんの歓迎会ときた。

居酒屋の和室を借り切って昼間に実施するという。

情報収集のために今回はアタシも参加しよう。

「秋田さんにはびっくりしたわねえ」

「ほんとよ、あんなラブラブの夫婦はいないって署内でも評判だったらしいわよ」

「なのにどうしてかしら?」

ここで新ボスの岡安さんの出番。

「問い詰められて旦那さんが不倫を白状しちゃったらしいの。奥さんが妊娠で実家にいる時に1回だけって」

「男ってどうしようもないわね。でも岡安さん、何年も前のことなのに秋田さんの奥さんはどうして今頃になって疑いを抱いたんですか?」

それがね、と岡安さんは声を落とす。

「私、秋田さんの隣だったから現物を見せてもらったんだけど、引っ越し早々密告の手紙がポストに入ってたんだって」

ええ!と奥さんたちは異口同音に驚いた。

岡安さんはみんなの驚きに気をよくしてさらに続けた。

「確かめてないけど、馬場さんも密告があったみたいよ」


仲居さんが追加のビールを持ってきた。

「怖いわね」「犯人は誰かしら」などと座が賑やかになった。

アタシは話の輪に入らずに残った料理をせっせと口に運ぶ。

すると岡安さんがビールを注ぎに来た。

「平野さん、あなた何か知らない?」

ビールが一瞬喉につかえた。

「何をですか?」

「秋田さんのところに来た手紙、切手が貼ってなかったの。ということは自分で官舎のポストに入れたってことよ」

「そうなりますかね」ととぼけた。

「馬場さんとこも同じなら二度ポストに入れに来たのよ。投函した人を見なかった? 集合ポストは平野さん、101号室のあなたの部屋の真ん前よね」

岡安さんはアタシの顔をじっと見る。

タイマンは目をそらしたら負けだ。

「さあ、気づきませんでした。近頃はちょくちょく実家に帰ったりもしてるんで」

「そう。今後不審な人を見かけたら教えてね、密告が二人で終わりとは限らないから」


帰宅してからが胸の動悸は激しくなった。

岡安さんはアタシが犯人だと勘づいた?

密告の話を岡安さんが切り出した時、他の奥さんたちと一緒にアタシも驚かなきゃいけなかった!

後悔して頭を抱えた瞬間、凄い荒わざを思いついた。

さすがヤンママ!と自分を褒めたいけどちょっぴり寂しい。

ヤンキーだったのは確かでもママじゃない。

結婚してすぐにダーリン似の子供が生まれた。

子供好きのダーリンはむちゃくちゃ喜んで溺愛した。

けど、健男って名付けたのにその子は3か月で死んじゃった。

先天性白血病……それから2年、新たな子供は授からない。

いやいや、今はそんなことを思い出して落ち込んでる場合じゃない。

思いついた起死回生の名案の準備をしなくっちゃ。


「ちょっとちょっと、これ見てよ!」

封を切った手紙をダーリンの目の前に差し出した。

封筒には「奥様へ」と印字されている。

これと同じ手紙を馬場警部補も秋田巡査も奥さんから見せられたことだろう。

アタシは不倫を告発したつもりだったのに馬場警部補はもっと大きな秘密を抱えてた。

秋田巡査の方はラブラブの奥さんに許してもらえると思ったのか、正直に告白して墓穴を掘った。

二人とも気の毒だったけど元はと言えば身から出た錆。

アタシのダーリンは大丈夫だ。

ダーリンはナフタリンみたいに虫も女も寄せ付けない。

「大きな秘密? 俺には小さな秘密もないぞ」と笑い飛ばすだろう。

アタシの予想は外れた。

「誰のしわざだろう」と呟いてたった1行の文面から目を離さない。

ダーリンの手から手紙を取り返してアタシは403号室に行った。

「岡安さん、うちにも来ました! これ、秋田さんとこのと同じですか?」


岡安さんの反応も予想外だった。

あまり驚かず、「この手紙に関係があるかも」と言って家族を気にするように後ろを振り返った。

そしてサンダルをつっかけてアタシを階下の駐車場に誘った。

「さっき主人に聞かされたばかりなんだけど、主人が今日仕事を終えて署を出たらアジア人の女に呼び止められたって言うの」

「アジア人?」

「若い女だったらしいわ。その女に『コノ人知リマセンカ?』ってスマホで自撮りした写真を見せられたんだって」

「?」

「女が指さしたのは平野さん、あなたの旦那さんだったそうよ」

「えッ?」

「キャバクラのソファーでその女の子の両側に男の人が4、5人写ってて、主人が言うにはみんな警察官だそうだから何かの2次会だったんじゃないかしら」

「でもどうして何人かいる中で主人のことを知りたがるんでしょう?」

「さあそこまでは。でもね男の人は真面目な人ほど危ないのよ、家庭や職場で締め付けられたら外で羽を伸ばすしかないもの。あ、心配しないでね、ウチの主人、さっきの話は誰にも言ってないって」


岡安さんと別れて自宅に戻ると心なしかダーリンが元気なさそうに見える。

アタシの方も自分が犯人じゃないと印象付けるために密告の手紙を自分で自分に投函した後ろめたさがある。

気分が悪くなってベッドに入った。

岡安さんの言葉が頭をよぎる。

「男の人は真面目な人ほど危ないのよ、家庭や職場で締め付けられたら外で羽を伸ばすしかないもの」

思い当たることがある。

実家に遊びに行っていた時ダーリンから電話がかかってきたことがあった。

重大な事件でも発生したのかと緊張した。

「冷蔵庫のミックスジュース飲んでいい?」

拍子抜けして受話器を置いたが今にして思えばあれは重大事件だったとも言える。

缶ジュースを飲むのに旦那がいちいち妻に伺いを立てる…アタシはそこまでダーリンを追い込んでしまってたんだ。


もう一つ思い出した。

結婚して3年たつけどダーリンは2年ほど前からは判で押したように毎日まっすぐ家に帰ってくる。

いつだったか飲み会の誘いの電話もダーリンは断っていた。

「付き合いは大事にした方がいいヨ」ってアタシは飲み会に行くように勧めた。

そしたらダーリンは「そんなお金ないよ」って言ったけどおかしい。

お小遣いは毎月2万5千円渡してる。

お金をつかうのはアタシがお弁当をさぼった時の昼食代くらいのはず。

あ、今月は香水を買う臨時出費があったかも。

何日か前、ダーリンが香水の瓶を落として割って部屋じゅうがイヴリンローズの匂いに包まれたことがあった。

それはともかく、煙草も吸わないから飲みに出るお金がないはずはない。

お小遣いを何につかってるんだろう。

まさか非番の日に女と逢ってる?

それともパチンコ? へそくり?

あれこれ考えていたら吐き気まで催してきた。


翌日の土曜日、アタシは気分転換に一人で実家に出かけた。

それでもキャバ嬢のことが気になって気持ちは晴れない。

一晩泊まって日曜日の午後に官舎に戻ると駐車場で岡安さんに捕まった。

夕食の買い物に行くところだと言うくせに世間話を始めた、最悪!

適当に相槌を打ちながらそろそろ切り上げようと思った時だった。

アジア人らしい若い女が官舎の敷地内に入って来た。

アタシと岡安さんは話をやめて女を目で追った。

女は官舎の集合ポストに顔を近づけて見ている。

次にクルリと回ってポストの真向かいの101号室のインターホンを押した。

アタシの部屋だ!

ダーリンがドアを開けた。

女がいきなりダーリンに抱きついた!

マズい、二重にマズい!

ダーリンが若い女と抱き合った、そしてそれを岡安さんに見られた!

アタシは脱兎のごとく駆けてダーリンと女を中に押し入れてドアを閉めた。


ダイニングテーブルの椅子に二人を並んで座らせて尋問開始。

アタシと向き合っても女は悪びれたそぶりを見せない。

それが余計に癪に障る。

「どーゆーこと?!」

岡安さんから聞いた話をダーリンにぶちまけた。

すると女の方が返事をした。

「ソレ私デス」

多分そうだろうとは思ってた。

女はスマホを操作してアタシに画面を向けた。

岡安さんが言ってた自撮り写真のようだ。

ダーリンも覗き込んだ。

「3年前の同期会だよ。その店には3回くらい行ったかな」

女は頷いて言った。

「ホカノ警官エッチ、タンソックさんマジメ。イツモ相談乗ッテクレタ」

「このランちゃんはベトナムからの留学生で、キャバクラでバイトしてもお金に困っていたんだ。薬学部で勉強が忙しくてバイトのかけもちもできないし」

「私ノ名前、グエン・ティ・ラン。大学卒業シタカラ国ニ帰リマス。ソノ前ニタンソックさんニ会ッテドウシテモオ礼言イタカッタデス」

「お礼?」

ダーリンが申し訳なさそうにアタシを見る。

「学費や生活費の足しに毎月2万円、封筒にお金だけ入れてランちゃんに送ってたんだ」

「さっきからこのランちゃんが言ってるタンソックさんてあなたのこと?」

「うん。差出人が俺だとバレないようにベトナム人ぽい偽名にしたんだ。俺、足が短いし」

短足だからタンソック? ちょっと笑える。


「タンソックさんガココニ住ンデル平野サンッテ分カッテ今日ヤットオ礼言エマス。オカゲデ卒業デキマシタ。2年間ズットオ金アリガトウ…」

ランちゃんは涙声になって椅子に座ったままダーリンの首に手を回して抱きついた。

アタシ、複雑な気分。

ダーリンはランちゃんの腕をほどいて聞いた。

「帰国する間際になってどうして俺だってことが分かったの?」

ランちゃんは涙を指でぬぐってバッグから封筒を取り出し、ダーリンの鼻先に持っていった。

「あっ! この前香水の瓶を割った時、この送金用封筒を入れてたポーチにも香水が沁みたのか」

ランちゃんは頷いて微笑んだ。

「タンソックさん、昔オ店ニ来テタ時、コノ匂イシテタ」

香水の香りから足が付くとは、悪いことはできないものだ。

ん? 困ってる子を助けてたんだから違うか。


それにしてもアタシの胸のモヤモヤ、ムカムカはずっと晴れないままだ。

同情は分かるけど何でそこまで援助する? やっぱ下心?

アタシがにらむとダーリンは自分のスマホを取り出した。

画面に表示された男の子の写真を見てビックリ!

「似てるだろ? 3年前にランちゃんのスマホの写真を取り込んでおいたんだ」

似てる、ダーリンにそっくりだ。

ということはランちゃんとダーリンの子供?!

いや、それにしては大きい、小学校低学年くらいか。

「国ニイル弟デス。ダウン症デ命ガ危ナイノデス。私、弟ノ病気ヲ治ス薬作リタイ」

「治ればいいね」と優しくランちゃんに言ったかと思うとダーリンはいきなりテーブルに突っ伏した。

そして顔を伏せたまま、手に握っているスマホをアタシに突き付けて号泣した。

「俺、毎日この写真を見てるんだ。生きてれば健男もこんなふうに育ってたんだろなって…」

アタシは頭をぶん殴られた気がした。

似てるだろ?ってダーリンは死んだ健男のことを言ってたんだ!

自分が産んでおきながらアタシはそれが分からなかった……


翌日岡安さんを訪ねると日曜なのでご主人もいた。

「なるほど、あの女性はそういう事情があったのか。平野君は感心だな」

「ほんと、変な邪推をしなくてよかったわ。旦那さんがそんなに子供好きならあなた、また産めばいいのに」

「そのつもりなんですけど授からないんです」

岡安さんに言われて改めてアタシは思う。

他人であるランちゃんの弟でも我が子のように見守るダーリンはどんなに自分の子が欲しいだろうと。

それなのに、健男が死んだ後子供が欲しいと口に出したことは一度もなかった。

言えばアタシの重荷になると思って黙っていてくれたんだろう。

どこまで優しいのダーリン、アタシなんかにはもったいない。

そう思った時、急にムカムカしてきた。

吐きそうになって慌てて両手で口を押さえた。

「平野さん、あなた、もしかして?」

岡安さんが驚きながらも声を弾ませた。

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あなたの夫は大きな秘密を抱えています 仲瀬 充 @imutake73

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