ミラクル番外編 葵・テレジア奇譚 8
※ミラクル番外編は、雑な歴史の把握が、弘子テレジアより更に雑です。すみません。
葵・テレジアがガウンを脱ぐと、ふんだんに繊細なレースがあしらわれている純白のモスリンの薄いシュミーズドレスが現れた。寝巻用のドレスである。
下に重ねているバラ色のペチスカートの色がほんのりと浮かび、腰に結んだ幅広のサテンのリボン、 オランジュ・ルーシーと呼ばれる明るいオレンジ色で結ばれている。
彼女は、どこか、ぼ――とした様子で、白と金の綺麗でかわいいフランス風のドレッサーや、他のとてもおしゃれなフランス風の家具に囲まれていた。
実は家具は、かわいいのがなくて、オイゲン公は、わざわざ、神聖ローマ帝国皇帝カール6世の王宮の倉庫から借りていた。フランス風の物はいらないから、なんならもう返さなくていいと、皇帝は言っていた。
スペイン継承戦争も終盤にさしかかり、フランスのせいで、どうもあきらめざる終えなくなった、スペイン・ハプスブルグ家の王座に、青春のすべてをかけていた皇帝は、フランスの物など、皿一枚見たくないと、全部倉庫にぶち込んでいたのである。
そして彼女は、そのドレッサーの前に、ちょこんと座っていた。
前々世、170cmを超えていた彼女の背丈は、今回はなぜか150cmそこそこで、あれ? 欧米の人の方が背が高いはずよね? と、首を傾げながら、毎日欠かさず牛乳を飲んでいたが、どうもこのへんで諦めるしかないようだった。
ゆえに、周囲の侍女やメイドたちは、何を着てもかわいいかわいいと、毎日大はしゃぎであった。
白に金で装飾された猫足のかわいい椅子の、ふわっとしたローズパール色のベルベットのクッションに座っている姫君を取り囲んだ、侍女やメイドたちは、まるで太陽の輝きのような姫君の金色の髪に櫛を通す。
もともと綺麗にカールしている彼女の髪を、両サイドに結い上げ、朝にふさわしく、庭で積んできた色とりどりの生花を飾り、ところどころに、珍しい黄緑色の光を放つ、カラーチェンジカーネットのピンを、緑の葉のようにあしらってとめる。
ヴェール・ニルと呼ばれる落ち着いた若葉色の、植物模様が織り込まれたペチコートの上に、見えるように、綺麗にひだを作って前を持ち上げた、ジョーヌ・ムタールドと呼ばれる少しマスタードを柔らかくしたようなドレスを重ねる。
肩や袖口には、年頃の姫君にふさわしく、たっぷりと品よくレースをあしらい、髪飾りとおそろいのカルディナレ色のリボンがあちらこちらに飾られている。
メイド10人分の年収を合わせても、とても手の届かない、夢のようなちょっとした室内用の朝のドレスであったが、それを着ている肝心の、いつもはエメラルドのようにきらめいている、葵・テレジアの目はうつろだった。
「なんて、可愛らしい、いえ、もう、お年頃の姫君! どこに出しても恥ずかしくない……ちょっと難があっても大丈夫! これだけの姫君を探すのは、ヨーロッパ広しといえど、なかなかですわ!」
「……そう?」
なぜか昨日やって来た乳母は、ハンカチで目元を押さえていた。そして爆弾を落とした。
「スペイン継承戦争は、皇帝陛下にとっては、残念な結果に終わりそうですが、オイゲン公がご無事でようございました! まさか姫君にプリンツ・オイゲン、サボイの王子さまとのご縁談があるとは! ええええ、年の差なんて、あるほうがよろしいのですよ! きっとテレジアさまのいろいろと至らない部分も、若さゆえと大目にみてくださいましょうし、これだけ可愛らしい名家の姫君ですもの! 心配はございませんわ!」
「…………」
どこでどんな、いったいなんの話を聞いて来たんだろう?
平たい目をした葵・テレジアは、そんなことを考えながら、今生の乳母に目をやっていた。
彼女は侍女のひとりとして混じっていた勘違いした娘に、手紙で姫君はオイゲン公にたいそう気に入られたご様子で……、なんて手紙をもらい、テレジアの母も、「え? あ、そういえば独身だったっけ? いい! いいわよ! 彼の甥っ子からの返事はないし、この際、うちの娘の嫁ぎ先、もひとつランクアップじゃないの! 善は急げ!」なんて、乳母に追加のドレスやら、自分が相続していた、娘時代の宝石類やらを持たせて、ウィーンへ送り出したのであった。
「うわぁ……」
「お母さまが、テレジアさまの年頃に合うようにと、宝石商にアレンジを頼んでいる分は、あとで届きますが、ひとまず間に合うかと、大丈夫、オイゲン公のとなりに並んでも、なんの引けも取りませんわ!」
アダム富裕侯の妻、つまり、お母さまの娘時代のゴージャスなネックレスなんかが、乳母のそんな言葉と一緒にドンと届いていた。
『やっぱりお風呂は我慢して、奇術師のアシスタントになればよかったかなぁ……いや、でも、ここで逃げ出したら、もの凄い大問題! でも31歳年上はきついなぁ……どう考えても、お父さんと娘……』
平安時代にも、二十歳近い年の差だったけど、あの時は精神年齢がね、あれだったから……。
そんな言い訳を心の中でしていると、オイゲン公の家令が、ドアの外から「そろそろ朝食はいかがかと、主人が……」なんて、メイドに伝えてきたので、ふ――と、深呼吸をして、まだ確定じゃないから、じゃないから……なんて思いながら、紫苑ら侍女たちをつれて、メイドが開けてくれた扉に向かった。
その時、ザヴォイエン・将仁は、ベルヴェデーレ宮殿の門を通り抜け、美しい庭と噴水を横目に、乗って来た馬を、叔父の宮殿の従者に任せると、入り口から、一階の踊り場につながる大理石の階段を、足早にのぼっていた。
召使いに聞くと、叔父は一階のテラスに続く客間にいるらしい。
「叔父上、おはようございます。所用でお尋ねしたのですが……お客さまですか? また日を改めた方がよろしいでしょうか?」
客間でコーヒーを飲んでいた二人は、しごく機嫌がよさそうだった。
「いやいや、かまわんよ! ちょうど紹介しておきたかった! こちら、リヒテンシュタイン侯ヨハン・アダム・アンドレアス殿だ。リヒテンシュタイン侯、これが私の甥で、エマヌエル・トーマス・フォン・ザヴォイエン公子です」
「……おうわさは、かねがね……」
アダム富裕侯……名家な上に、富裕侯と呼ばれるほどの大金持ちである。そして一緒にコーヒーを飲んでいるところを観察していると、どうも叔父に見合い話を持ってきた雰囲気ではない。
そういえば、コーヒーが入っているマイセンに金の取っ手と金の皿は、とっておきのコーヒーセットだな。
あれ?
「こちらの姫君! 五女のマリア・テレジア姫君! 聞けば聞くほど、とっても素晴らしい姫君でね! しかもちょうど、侯と一緒に、ここに滞在中なんだよ! ウィーンにオペラを見にきていたんだって!! 超偶然だね!! それで、肖像画お見合いを、お前が怖がってとか話をしていたら、ちょうど姫君がご一緒だし、一度、顔を合わせてみてはどうかね? とか、話が弾んでね!!」
「…………」
ザヴォイエン・将仁の背中には変な汗が流れ、結局予感は当たった。どうやら墓穴を掘ったようであった。
『うそつけ……リヒテンシュタイン侯の姫君なんて、高嶺の花、不相応、話が良すぎるだろう……』
エマヌエルこと、源将仁は思ったが、この親切で人のよい叔父の顔をつぶす訳にもゆかない。リヒテンシュタイン侯の姫君だ。彼がこの話の折衝に、かなりの苦労をしたことは想像できた。
「まあまあ、そう、あせらず、いま、うちのマリア・テレジアを……」
リヒテンシュタイン侯が、そう言って、二階につながる階段を見上げると、アダム富裕侯の姫君にふさわしく、豪奢なドレスで着飾った姫君が、スロープに手をかけて……足を滑らせて、階段から降ってきた。
「マリア・テレジア!!」
「姫君!!」
『間に合うか?!』
駆け寄って、姫君を抱きとめようと、腕を伸ばしたまま、あっけにとられる。姫君は階段の上でクルリと回ると、ひらりと地面の上に着地していた。
葵・テレジアは前回の失敗(顔だけDV男)の反省で、鳥かごドレスの鳥かごを、柔らかい素材に変えていたんである。
「……葵の上」
「将仁さま……?」
外見はまったく変わってしまっていたが、自分を見つめるまっすぐな眼差しと、透き通るような声は同じだった。
そんな訳で、ふたりは再び巡りあったのだった。
「あ――、その、うちのマリア・テレジア、その、ちょ――っと、元気すぎるというか、なんというか……いや、でも、かわいいから、うちのテレジアは!! いま、ここで、縁談を決めてもらったならば、持参金もどんとつけちゃう!! オーストリアのうちの別邸もつけちゃう!!」
そんなアダム富裕侯の、言い訳めいた、うわずった声も、「ああ、それで売れ残っ……むっ!」そんな、叔父の言葉が、うしろでしていたのも、彼には聞こえていなかった。
「あの、嫁も実家から相続した宝石類とか領地をつけるって……」
条件が良すぎると、不安になったオイゲン公が、改めて大急ぎで、姫君の素行調査をすると、正義は彼女にあったとはいえ、リヒテンシュタイン公国での彼女のあだ名は『公国の鬼姫』とか『リヒテンシュタインの男の姫君』とか、見た目とギャップがあり過ぎて、にわかには信じられないものばかりであった。
「あの、いまなら――他を当たってみることも――」
甥のエマヌエルに、「なんかはずれクジだった、ごめん!!」数週間後、オイゲン公は、そんな気持ちで、再び四人で朝食をとったあと、不安そうなアダム富裕侯に隠れて、こっそり耳打ちしてみたが、天使みたいに愛らしい鬼姫の美貌に、甥はスッカリ惚れちゃっていた。
戦場を駆け回っていたエマヌエルは、鬼姫にすっかり入れ込んでしまい、忠告は、な――んにも耳に入っていない様子であった。
「できるだけ早く結婚したいと思いますので、教皇庁に結婚の特別許可証を出してもらおうと思います」
鬼姫を見つめたまま、甥はそんなことを言い出していたし、アダム富裕侯は、それなら私が今すぐにでも早馬を! そんなことを言い出していた。
「いやいやいや、私の後継ぎである甥の結婚は、それなりに格式と準備を! 姫君もリヒテンシュタイン公国の姫君、そんな簡素な結婚では申し訳ない!!」
「いやいやいや、そんな、お気になさらず! オイゲン公も、エマヌエル公子も、お忙しいのは分かっておりますから!」
話を早くまとめてしまいたいリヒテンシュタイン侯は、もうすでにペンを握っていたが、オイゲン公は、なんとかかんとか取りつくろって、とりあえず、お付き合いからはじめたら? オペラ新しいのがかかるらしいから、明日は、ふたりで見に行っておいでよ?」
そんなことを言って、その場をごまかしていた。
「ああ、どうしよう、うわさが本当で、エマヌエルが不幸になったら、死んだ兄上に申し訳が立たない……」
ウィーンに来て以来、眠れない思いをしていたのは、葵・テレジアであったが、報告書が届いた日の夜からは、今度はオイゲン公が、自分の寝室のバルコニーで苦悩していた。
数日後、新聞のゴシップ欄に、ついにオイゲン公の甥、『鉄血将校』こと、エマヌエル・トーマス・フォン・ザヴォイエン公子、ご結婚へのカウントダウンの始まり!
そんな見出しが躍り、オイゲン公は、ますます頭を抱えていたが、新聞に情報を提供したのは、もちろんアダム富裕侯の指示を受けた彼の執事であった。
「どんと、こう、一面で! 全部の新聞に大見出しでね! 高級紙からゴシップ紙まで、全部三段ぶち抜きで! もう後戻りできないくらい、どんと派手にね!!」
「はい、ご領主さま!」
自分の今度のお父さまは、手段を択ばないな……。どっちかというと、平安の御祖父君だった関白に、性格はよっているよね。
幸せな再会を果たした、葵・テレジアは、オイゲン公の悩みも知らず、お風呂に入りながら、そんなことを考えていた。
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