第6話「ハハッ、上等……」




   ◇◇◇◇◇



 ――ミレクスの森




『『グルルルッ……!!』』



 頭が2つの犬……?

 8本の蛇の尻尾……?

 な、なんなんだよ、この化け物は……。


『『グゥルルルルッ……!!!!』』


 いやいや……。

 めちゃくちゃ威嚇してないか……? 8本の蛇のヨダレはグジュウッと地面を溶かしてるし……。


 酸……いや、毒……?

 尻尾の蛇は個々に独立……。

 1匹ごとに知性がありそうだ。


 魔物と対峙すると考察する癖が染み付いている俺。


 考察したはいいが、こんな化け物は知らないぞ……?


 リペルゼンの北側に広がるミレクスの森にコイツは生息していない。この森の情報を調べ尽くしている俺が言うのだから間違いない。


「双頭蛇尾(オルトロス)……。今回の『災厄』はこの子でしたか……」


 アイリス嬢が“上から”答えを教えてくれるが、俺は顔を引き攣らせることしかできない。


「レイ様……。少しお待ち下さい。すぐに片付けますので」


「ア、アイリス様?」


「せ、せせ、せ、説明は後ほど」


 無表情のまま顔を赤くして噛み倒している公爵令嬢の整いすぎている表情は目の前……。


(て、てか、この状況なんだよ……!!)


 俺はいま、少女にお姫様抱っこをされている。


 俺より20cmは身長が低い美少女……いや、公爵令嬢に両手で抱えられているのだ。




   ※※※※※



 ――数時間前 辺境都市「リペルゼン」



「ア、イリス様!! て、手がッ!!」



 家を飛び出した俺たち。

 引きずられるように歩みを進めていた俺の声に、アイリス嬢の足がやっと止まる。


「も、もも、申し訳ありません」


 出会ってからほとんど表情がくずれない美少女は真っ赤な顔のまま頭をさげた。


「ぃ、いえ……。先程は立ち去るタイミングを作っていただき感謝します」


「……いえ。お怪我はありませんか?」


「はい。問題ありません」


「……申し訳ありませんでした」


 アイリス嬢は無表情のままだが、ホッとしたように肩を撫で下ろし、トコトコと歩き始める。俺は仕方なく後を追うが、馬鹿げた腕力を目の当たりにして俺の顔は引き攣るばかり。


 「放浪の公爵令嬢」、「破壊の公爵令嬢」、「瞬間湯沸かし器」……、数々の異名を持つディアルノ家の公爵令嬢。


 1人で世界を放浪し、逆らう者には容赦がない暴君。噂では目が合っただけで顎を砕いただとか、物騒な噂しか聞いたことのない、はちゃめちゃな公爵令嬢……。


 俺が知っているのはその程度の情報だ。


 関わってみて思うこと……。まあ、内容に関しては信憑性は薄いが……、余裕で実現可能であることは理解した。


 俺には一生縁がないと思っていたが……、なんというか……うん。凄まじいな……。


 あまりの衝撃に気持ちが安らぐ。

 非現実的な存在が目の前にいることで、今日の出来事が薄れてくれる。まあ、少し落ち着いてしまえばいやでも頭の中に色々と蘇ってくるが……。


「……それで、アイリス様。俺の罪に関してですが……」


 俺は宿屋や食事処が乱立しているメインストリートの方へと歩き続けているアイリス嬢に声をかけた。


 平民が貴族……ましてや伯爵家の令息に暴力を振るうなど死刑となってもおかしくはない。いかなる理由があれど、それは許されることではないのだ。


 先程のアイリス嬢からの提案は、哀れな俺に対する慈悲だろうし……、


 クルッ……


「……? 先程、了承してくれたのでは?」


 アイリス嬢は無表情のまま小首を傾げる。


「お、お供するだけ……でしょうか?」


 聞きたい事は山ほどあるが下手に言葉を重ねて機嫌を損ねたらどうなるかわかったものじゃない。


 とりあえず、無表情の圧力と心の中を見透かされているような真紅の瞳から逃げ出したい俺は視線を外す。


「は、はい。それで問題ないかと……」


 正直、得体がしれない。

 なにを考えてるのかわからない。


 でも、たったそれだけで「俺の罪」は消える?


 公爵家の方が伯爵家の方が高位。

 不貞の現場を見ているアイリス嬢。

 

 “問題ない”……。


 つまり、虚偽の報告をしてくれるということ……? “旅のお供”……。なんの旅……? そもそも、なぜこの令嬢は放浪してるんだ……?


 いや……そうじゃないか。

 もう俺の居場所なんてどこにもない。

 今日……全て無くなってるんだから……。


 こんな事を考えても仕方ない。

 俺には選択肢なんてないんだしな……。


「わかりました。よろしくお願いします、アイリス様」


 顔を上げると、無表情の赤面が待っている。


 怒っているのか、恥じらっているのか……一体全体、なんなのか……。


「……あ、改めまして、アイリス・フォン・ディアルノです。よろしくどうぞ……」


「はい。レイン・ラグドリアと申します。こちらこそよろしくお願い致します」


「……で、では、レイさ、」



 アイリス嬢は不自然に言葉を止めると、北門の方角を見つめて固まった。そして、俺をチラチラと見ては、その場で困ったようにオロオロとし始める。


 行動はめちゃくちゃオロオロしているのに、表情は全くそうは見えない。というより、無表情だ。


(こ、これからやっていけるかな……?)


 内心では苦笑しつつも、俺はニッコリと笑顔をつくり小首を傾げる。


「どうかされましたか?」


「……えっと、あの……」


「……?」


「し、失礼いたします……!」



 ガシッ!!



 ヒョイと持ち上げられた俺。

 


「しっかりと捕まっておいて下さいね」



 超スピードで走り始めた公爵令嬢。



 って……、


(えっ? いや、ちょっ、ちょ、待ぁああ!!)



 俺は心の中で絶叫しつつ、落ちたら死ぬほどのスピードを理解し、振り落とされないようにアイリス嬢の首に手を回したのだったが……。




   ※※※※※




『『ガウッ、ガウッ!!』』



 目の前には化け物。

 複合獣(キメラ)の……、オルトロス?


 アイリス嬢は真っ赤だし……。

 ま、ますます意味がわからん!!


「ででで、では、下ろしますね」


「……は、はい」


 俺を地面に下ろすと、アイリス嬢はトコトコと魔物の方へと歩いていく。



 しかし……、



 クルッ……



 3歩進んでは振り返りペコッと会釈をする。

 また3歩進んではクルッと振り返りペコッと会釈をして歩き始める。



「……?」



 顔を引き攣らせまくる俺にはその意図がわからない。


 明らかに討伐難度S級以上の魔物の前で、五分の一サイズの少女が“よそ見”をしているのだ。


 武器を装備しているわけでも、鎧を着ているわけでもない美少女が、1人で複合獣(キメラ)の方へとトコトコと歩いているのだ。



 クルッ……



 またも振り返り、ペコッと会釈をされる。



『『グゥルルルルルルッ……!!』』



 オルトロス(化け物)はアイリス嬢を威嚇しながらグルグルと周囲を回って様子を見ているが……、


(……ひ、1人で勝てるはずがない)


 これが率直な感想だ。


 アイリス嬢の腕力やスピードが常軌を逸していると言っても、それは“人間”の範疇。レベルが80を超えていると言った身体能力(ステータス)だろう。


 スキルはなんだ? 

 本当に武器は装備してないのか?



 クルッ……



 俺の考察を他所に、アイリス嬢はまた振り返りペコッと頭を下げて、オルトロスとの距離を詰める。



(て、“手伝え”ってか……? 無理に決まってるだろ。俺なんか足手纏いになって邪魔になるしか……)



「なんだ……。“そういう事”かよ……」



 この行動の意図を理解し、体の芯が冷たくなる。


 “どうせ死ぬ命なら有効活用する”って意味か?

 『お供』……? バカバカしい。

 俺を囮に……“餌”にするために……。


 “数秒の時間稼ぎ”要員。



「ハハッ、上等……。だが……、みすみす餌になる気はない」



 ポツリと呟き、2本のナイフを手に取り駆け出す。



 クルッ……


 また振り返るアイリス嬢を追い抜く最中、



「おそらく俺の攻撃は通りません!! ちゃんと隙は作るので、見逃さないで下さいね!」



 伝えることだけ伝えてオルトロスに突進していく。


 後ろから、「お待ち下さい!」という声が聞こえた気がしたが、目の前の魔物の考察と挙動に深く集中することに精一杯だ。



『『ガウッガウッ!!!!』』



 キンッ!!



 俺は襲いかかってきた獰猛な爪をいなしつつ、懐に潜り込んだ。








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