第5話 ◆「……ざまぁないわ」◆




  ◆◆◆◆◆




 ――辺境都市「リペルゼン」



「なんなのよ、“あの女”……」


 1人残されたエルザは爪を噛みながら、情けない姿で伸びているアベルを見下ろした。


 アベルの変わり身の早さに伯爵より高位だとすぐにわかったし、唯一の頼みの綱であった容姿さえ敵わない存在を目の当たりにして苛立ちは募るばかり。


(あんたは泣きながら懇願すべきでしょう?)


 レインの態度にもそれは飛び火し、自分の罪など忘れたかのように「チィッ……」と舌打ちをする。


 「婚約を破棄された」という事実は世間体が悪い。

 エルザの頭には“どのような言い訳を用意するか?”ばかりがグルグルと回っている。



 しかし……、


(あの女……。本当に厄介この上ない!!)


 エルザは下手に画策すると墓穴を掘ることになりかねないとわかっていた。


 少なすぎる情報では打てる手がない。


 早く目を覚まして欲しいのに、アベルはマヌケな姿で泡を吹いているだけ……。


「あんな無能のせいでウチの人生が台無しよ。……2日も早く帰ってくる方が悪いの……! 自業自得なのに、被害者ぶって……」



 エルザはギリッと歯軋りをすると、



「費やした時間を返しなさいよ、あの“詐欺師”……!」



 いついかなる時も、自分を愛してやまないだろうと思っていたレインの態度に苛立ちを募らせた。




   ※※※※※



 エルザの頭には幼い頃のレインの姿が浮かび上がっていた。街の子供たちに殴られ、蹴られ、“そよかぜレイン”と笑われている光景だ。


 亀のように丸くなりながらも、腕の隙間から紫の瞳を怪しく光らせていたレインに、エルザは授かったばかりのスキルを発動させた。



 『レイン・ラグドリア[3/999]【SSS】』


 【S鑑定】。

 レベル上限と対象者の価値を可視化するスキル。


 他の子供たちのレベル上限は40前後。

 価値も【D】や【E】ばかり。


 価値のランクアップは存在するにしても、エルザからすればゴミと同等の価値でしかなかった。


 ――そっか! あの子をウチの物にすればいいのね……!


 幼いエルザは瞳を輝かせた。


 だが、エルザはレインに初めて会った時から幾度となく女神(スキル)を疑ってきた。


 出会ってから17年……。

 満足に上がらないレベル。

 【隙間風】という“そよかぜ”を生み出すスキル。


 人当たりがよく優しいだけの性格。

 決して優れているとは言えない容姿。

 家事しかできないどこにでもいる普通の平民。

 

 エルザは“いつかは化ける”と信じ続け、好かれるよう細心の注意を払い続けてきたが、その片鱗は一切なかった。


 Aランクパーティーの一員となった時、やっとこの時が来たと婚約を結んだはいいが、レインの日々は何一つと変わらない。


 地道な努力を続けるだけ。

 家事をこなし、労わってくれるだけ。

 いつも笑顔を絶やさず目の前のことに一生懸命なだけ。


 持て余すほどの財は?

 「英雄」と呼ばれるような偉業は?

 誰もが羨む圧倒的な才は?


 エルザは「上限が高いだけじゃ意味がない」と腹を立て、レイン以外に見たことがなかった「【SSS】は“無価値の表記”なのでは?」と、嫌悪感を募らせた。


 そこに愛情など無かった。

 全ては自分が完璧な人生を送るための措置だった。


 まるで物語のヒロインのように……。

 くすぶっていた英雄をずっと支え続けた聖女のような存在となり、皆が自分を敬いひれ伏す姿を楽しみにしていたのだが、思うようにいかない。


 エルザは、(万が一のためにキープしておいて“保険”を)などと考え始め、


『アベル・ルド・リペルゼン[21/74]【C】』


 領主の息子に的を絞ったのだ。


 領主となれば価値は自ずとランクアップする。

 そばで他家の貴族を《鑑定》しながら見守れば、【A】……さらには【S】となる価値だと瞳を輝かせながら。


 生粋の悪女はニヤリとほくそ笑んでいた。

 「どう転んでも自分の幸福を約束されている」と……。


 しかし本来であれば、容姿が優れ、握った無機物に炎を纏わせるという有能なスキル【炎纏】を授り、絶大な権力を約束されている領主の息子の価値が【C】のはずがない。


 善良で優秀な領主となる器であれば、すでに【S】でもおかしくはないということにエルザは気がつかなかった。



   ※※※※※




 ピタッ……


 “あの女”について考えていたエルザは、ハッとしたように、衣服を着ていた手を止める。


(……フフッ。まさか……、あなたもレインの“可能性”を勘違いしたんじゃないの……? フフフフッ……でも、残念でしたぁ!! あれは正真正銘のポンコツなのよ……?)



 ニヤリと口角を吊り上げながら全ての衣服を纏い、「ふぅ〜……」と呼吸を整える。


 それと同時に“いつも通り”の可愛らしい笑顔を浮かべ、ポツリと呟く。



「……ざまぁないわ」



 無駄な時間を過ごすであろう“どこかの令嬢”。

 また捨てられるであろう“無能のポンコツ”


 2人に対してつぶやいたエルザは、(さて、これからどうするか考えないとね!)と、アベルの肩にそっと触れる。

 


「アベルさまっ……アベル様、起きて下さい……」



 猫撫で声で。悲壮感を演出しながら。



 きっと大丈夫。すべてが上手くいく。


 エルザはそう信じて疑わない。


 “ざまぁないわ”


 その言葉が自分にこそ相応しい物になるとは夢にも思っていなかったのだ。




   ◆◆◆



「んっ? ゔゔぅぅっ!! おっえぇっ!!」



 目を覚ましたアベルは全身の激痛に嘔吐した。

 臓器がひっくり返ったかのような激痛。

 のたうち回ったところで少しもよくならない。


 掠れる視界は赤。

 手のひらからの出血と股間からの出血は、小さな血溜まりを作るのに充分であり、鉄の匂いがより強い吐き気を煽っている。



「アベル様っ! アベル様!!」


 必死に背中をさすり、心配そうな表情を浮かべているエルザの行動にアベルは頭の中でなにかが切れる音を聞いた。



 ドガッ!!



 エルザの美しい顔に血まみれの拳がめり込む。


 殴り飛ばしたアベルも手と全身に激痛が走り、クラァッと意識を手放しそうになるがギリギリで繋ぎ止め、頬を抑えながら唖然とするエルザをギロリと睨む。



「はやっ……くっっ!! ポ、ポーションを用意しろ、このノロマ!! なにをしていた……!? 見てわからないのか……ッ!!」

 

「……」


「ゔぅっ、おぉえっ!!」


 

 ドボドボと嘔吐するアベルは激しく呼吸を乱しながらも、未だ呆然としたまま動かないエルザに嘔吐物を払うように浴びせかける。



「はやくっっしろっ!! この淫乱女っ!!」

 

 

 また嘔吐し始めたアベルに「は、はいっ!」と返事をしたエルザは寝室を後にしレインの自室へと入る。



 壁一面にさまざまな魔物の情報やマップが張り出されている古紙の匂いが充満するレインの“勉強部屋”。



 ――怪我をした時……。そうだな……階段から落ちたり、料理中に指を切ったりしたら、これを使いな? 


 ――えぇっ!? こんな高級ポーション使えないよ!!


 ――いいんだ。俺は遠征で長く家をあけることもあるし、“エルザに万が一のことがあれば”って考えたら街を出れなくなるだろ? ハハッ!



 何気ないレインとの一幕がエルザの頭に蘇る。


 嘔吐物と血にまみれた身体。

 古紙の匂いと刺激臭が入り混じる不快な香り。

 ジンジンと痛む頬。



「…………あんたが早く帰ってくるからっ!!」



 エルザはギリギリと歯を食いしばりながらポーションを手に取り走る。


 嘔吐を繰り返してばかりのアベルに「こちらをっ!」と差し出し、ポワァアッと傷が癒えていくのをぼんやりと眺める。



「ハァ、ハァ、ハァ……」



 少しずつ呼吸が戻ってきたアベルは、



 パチンッ!!



 手の甲でエルザの頬を打った。


「起こす前に癒そうとは考えなかったのか! この顔だけの売女めっ! 所詮、平民のゴミだな!!」


「……申し訳、ありません、アベル様……」


「クソッ!! くそ、くそクソッ!! 全部、貴様のせいだ!! 貴様に関わったせいでこの俺があんなザコに……! クソがッ!!」


「……申し訳ありません」


「少し黙ってろ!! 死にたくなければなぁ!」


「……」


「クソッ……絶対に許さん……。許さんぞ、あの男!! 生きる価値のない平民のクズのくせにッ! 背後から卑怯な真似をっ……。あ、あの女もだ!! なぜ、あの女がここにいる……!? なぜこうなった!? 所在不明ではなかったのか……!!」


「……」


「話が大きくなる前に“処理”しなければ!」



 ブツブツと独り言を呟きながら頭を抱えるアベルを見つめながら、エルザはスキルを発動させていた。


『アベル・ルド・リペルゼン[21/100]【C】』

『アベル・ルド・リペルゼン[21/100]【D】』

『アベル・ルド・リペルゼン[21/100]【E】』

『アベル・ルド・リペルゼン[21/100]【F】』



 ザザッと入れ替わっていくアベルの価値が、最低ランクになるのをただ黙って見つめていた。



「とりあえず、絶対に家を出るな!! ここで逃げ出せばお前には死が待っている。わかるな!?」


「……はぃ」


「おとなしくしていろ!!」


 走り去っていく後姿をエルザが目で追う事はない。


 これから始まる地獄の入り口に立っているという事に2人ともまだ気がついていなかった。




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