傷口に暴風を〜最弱ハズレとバカにされるスキル【隙間風】の冴えない雑用係の俺、『円満追放』とはいえ失意のまま帰ったら婚約者は伯爵令息とお楽しみ中でした〜
第3話 (この人、めちゃくちゃいい匂いがします!!)
第3話 (この人、めちゃくちゃいい匂いがします!!)
◇◇◇【side:アイリス】
「不潔です」
目の前には下着姿の男女。
勝手に決められたとはいえ男性側は私の婚約者。
成人したとお聞きし、“旅のついで”にこの街を訪れれば、婚約を破棄してもなんの問題もないような事態となっている。
私の婚約者は明らかに安堵したような表情を浮かべるとニヤリと口角を吊り上げる。
「ふっ……なんだ貴様は? 俺が誰だかわかっててそのような発言をしているのか?」
「……」
確かに実家である公爵家にはもう随分と長く帰っていない。私の写し絵は一枚も残っていないだろう。
私の顔を知らないのも無理はないです。
これが初対面ですし……。
……そうですね。噂通りの美貌ですが、まだクソガキです。先程から私の胸の辺りをチラチラと……。
先程、“果てた”のではなかったのですか?
……気持ちが悪い。
「ククッ……。貴様も抱いて欲しいのだろ? 遠慮をする事はないぞ? 服を脱ぎ、こちらに来るといい」
なんとまぁ、頭が悪いこと……。
私の隣には殺意に満ちた男性が立っていると言うのに。
ガタッ!!
この家の主人?は無駄のない動きであっという間に私の婚約者を床に押し付けた。
わざわざ背後を取り、顔を見られないように捕らえたのは、万が一でも取り逃してしまった時の事を想定しているのでしょう。
……先程まで嘔吐をして身動きが取れなかった方とは思えません。
「なっ!! だ、誰だ、貴様! こんな事をしてタダで済むと、」
「おい、クソガキ。こんな事をしてタダで済むと思ってるのか……?」
「き、貴様!! 俺が誰だか、」
カンッ!!
彼は言葉を遮るように床にナイフを突き立てた。
それも顔のギリギリに……。ちゃんと視界に入るよう突き立てられたナイフは言葉を奪うには充分なものでしょう。
「……レ、レイ君」
ポツリとつぶやいたのは下着姿でカタカタと震えている女性。おそらくは彼の妻?でしょうが随分と美しい人です。
社交の場でも、旅の道中でも、これほど美しい女性に出会ったのは数えるほどしかない。間違いなく、この辺境都市では1番の器量の持ち主でしょうが……、
ゾクゾクッ……!!
私は“レイ君”と呼ばれた男性の紫の瞳に背筋が凍る。
(なんて冷たい瞳でしょう……)
吸い込まれるような虚な瞳。
荒ぶる鬼神のような……、慈愛に満ちた聖者のような……。そんな相反する二つが……いえ、一言では言い表せないから『虚』と……。
「……無理矢理ではないよな? 権力を盾にこのガキに無理矢理……というわけでは、」
「レ、レイ君、ウチは、」
「クッハハハハッ!! 貴様、エルザの婚約者か! 後輩の冒険者にアゴで使われ、雑用をして金を恵んで貰うなんて恥ずかしくないのか!?」
「ア、アベルさ、」
「クソみたいなスキルのくせに必死に鍛錬して、寝る間も惜しんで勉強して、後輩についていくので精一杯!! あまりに可哀想で婚約だけしてやったと聞いた時は、腹がよじれる、」
「ア、アベル様!!」
「ククッ……!! クハハハッ!! 側室に迎えてやると言えば、貴様の婚約者はすぐにお前を裏切り、乱れていたぞ? “こんなの初めて!”とヨダレを垂らして!」
グザッ!!
2本目のナイフが床に突き刺さる。
……まぁ今度は間に手が挟まってますが。
「あっ、ぁあぁがあっ!!」
下品な叫び声に女性は顔を青くして、彼は床に刺していた一本目のナイフを抜く。
グザンッ!!!!
「……ゔっ! ぁあああああっ!!」
もう片方の手も串刺しにすると、彼はまだ虚な瞳で腰元のポーチから果物ナイフを取り出した。そして両手の甲を串刺しにされた“おバカさん”の頬にピトッと押し当てる。
「少し黙れ……」
低く呟かれた声に私の婚約者はジョワァっと失禁した。
二つの意味でだらしのない下半身です。
にしても……鮮やかです。
彼は2本しかナイフを装備していませんでしたが、果物ナイフをあえて見せない事で、3本目、4本目があるのかもと思考させているのでしょう。
ふふっ……愉快です。
もしかしたら、ここまで全て計算されていたのかもしれませんね。
見るからに平民である彼。
はじめは顔を見られる事を嫌ったのかと思いましたが、こうして恐怖を煽るためのもの。そして、手を使い物にならなくしたのは、“この令息”のスキル【炎纏】を使用できないようにするため……。
「ち、違うの!! ウ、ウチは無理矢理!」
目に見えて震え始めた女性は引き攣った顔で嘘を吐く。おそらく彼が確実に令息を殺すと判断し、自分だけは助かろうと画策したのでしょうがそれは逆効果では、
パチッ……
不意に彼と視線が交わる。
まるで女性の言葉は聞こえていないかのように。
ゾクッ……
……“吸い込まれる”とは我ながら良い表現でした。
少し長めの黒髪。鈍い光を放つ紫の瞳。
薄い唇の端と眉には小さな古傷があり、切れ長の鋭い目の下にはクマ。誰もが振り返るような容姿でなくてもどこか影があり、百戦錬磨の雰囲気が好ましい。
と、言うか…………。
(この人、めちゃくちゃいい匂いがします!!)
私はずっと……、必死に平静を装っている。
必死に現状を考察していないと、「ハァハァ」してしまいそうなのです!!
私の『スキルの副作用』がこれほど濃く出るのが初めてすぎて、実のところ立っているのをもやっとなのです!
「……君は? なぜウチ……この家に?」
「後をつけた」とは言えません!!
不幸中の幸いとも言えるのか、私の婚約者がいてくれて助かりましたよ! 本当にっ!!
「……お邪魔しています。私はアイリス・フォン・ディアルノ……。あなたが馬乗りになっているアベル・ルド・リペルゼンの婚約者です」
「“ディアルノ”……」
彼がポツリと呟くと、“おバカさん”はようやく事の重大さを理解したのか、「えっ、ち、違います!」と暴れ始めたが……、
グッ……
彼は私を見つめたまま首元に果物ナイフを押し当て沈黙を促す。
「……すまない。君の目の前で婚約者を」
い、いえいえ……。
そんなゴミムシどうでもいいのです!
そんな事よりあまり見つめないで下さい!
今すぐにでも襲いかかってしまいそうです!
「……ふ、ふふっ、気にしなくていいですよ? 勝手に決められていた縁談ですし、今日初めてお会いした程度なので」
「……」
はわわわわっ……!!
だ、唾液を飲み込んでも?
このままではもう溺れてしまいます。
「……ふ、不貞を働くような頭の悪い方は願い下げです。お好きに裁いていただいて構いません」
「……これから君はどうするつもりなんだ?」
「……婚約を破棄するには充分な理由でしょう。令嬢としての務めを放棄している私とはいえ、ありのままを報告すれば自然と……」
「……“そうですか”」
彼は口調を変えて返事をし、
ゴクリッ……
私はやっと唾液を飲み込んだ。
どうやら、私が公爵令嬢である事に気がついていないフリは辞めたようです。
私の家名を復唱し、“令嬢としての務めを放棄している”と聞いても驚かないのが私の正体に気づいている証拠。
そして、そのフリを辞めたという事は、激情のままに“貴族殺し”をするつもりはないという事。
……とても聡明で頭の回転が早い方です。
なぜなら、瞬時にそちらの方が苦しむと判断した結果なのでしょうから……。
「俺の罪は……?」
「……私はひどく混乱しております。婚約者であるアベル様が成人したと聞き、遠路はるばるご挨拶に赴いたのに、このような事になってしまって……」
「……は、ははっ……。うん。……“それ”については、場所を移してお話しましょうか」
力なく微笑んだ彼の痛々しい笑顔に、私は少し思考停止してしまう。
“虚偽を報告しても構わない。その代わり……”
私はそう伝えた。……伝わった?
いつもなら無駄な会話で時間を消費してしまうのに。
私の発言を正確に把握して言葉を返してくれた……? こ、この方は心が読めるのでしょうか……?
えっ……あれ? ……な、なんでしょう。
先程、胸がキュンッとしたような……。
「ち、違う! 待ってく……ださい!! 俺はそこの女に誘われて!! 違います!! ディ、ディアルノ家を裏切るつもりなどなく! ア、アイリス嬢!」
また騒ぎ始めたおバカさんに対し、彼はもう興味を無くしたように立ち上がり自分の婚約者へと歩み寄る。
「す、全てこの者共のせいなのです! 俺は騙されっ!! 我を見失っていたのです!!」
このおバカさんに、私が生まれて初めてのときめきを邪魔する権利などあるはずもない。
私は間抜けな姿でもがいているおバカさんに歩み寄り、
ドカッ!!
股間を蹴り上げた。
常人の30倍の身体能力を持つ“私”が蹴り上げたのだ。
「フニュッヴウッ!!!!」
おバカさんは奇声をあげてブクブクと泡を吹く。
その姿は容姿端麗とは言いがたい。
「……ぷっ、ハハッ。いい蹴りです。きっと潰れてますね」
キュンッ……
か、彼の笑顔に胸がトゥンクッ!!
「……そ、そうだといいですが」
私はそう呟き、彼に背を向けた。
はぁ〜……なんでしょう。このときめき。
今すぐに彼の首に噛みついてしまいたい!
顔には熱が込み上がる。
『吸血衝動』に駆られるのも初めての経験。
身体の奥が熱く火照って仕方がない……。
【監獄(タルタロス)】の代償はあったのですね。
「……ありがとうございます。見ないでくれて」
後ろから聞こえた声にゴクっと唾液を飲む。
「い、いえ……。当然です」
ち、違います! 2人に別れの時間を作ろうだとか、そんな事ではなく、ときめきを持て余して! 衝動を抑えようと必死に……って、違います!!
私は顔に熱を感じながら部屋を出た。
今日、初めて自分は『吸血鬼もどき』だと自覚した。
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