第2話 Février (2月)
さて、2月です。
繁忙期を駆け抜けた行列のできるパティスリーの販売員としては、一息つきたくなる時期です。
とはいえ、2月にもお客様がスペシャルなお菓子を期待するイベントが三つあります。
2日の聖燭祭・キャンドルマス(Chandeleur/シャンドルール)。
14日のヴァレンタイン・デー(Saint-Valentin/サン・ヴァランタン)。
フランス語で「肥沃な(脂の)火曜日」という意味のマルディ・グラ(Mardi gras)。この日は年によって違います。
このイベントに合わせて食べるお菓子といったら、
キャンドルマスはクレープ。
ヴァレンタイン・デーはチョコレート。
マルディ・グラはベニエ。(Beignet/ドーナツのような揚げ菓子。穴は開いていなくて、中にフィリングがあるものも)
◇
ヴァレンタイン・デーは皆さんご存じで、ほとんど説明の必要はないですよね。
愛し合う二人を祝う日なので、ちょっと素敵なレストランはどこもデートで満席。この日に一人で食事に出る勇気は私にはありません。花屋では情熱の赤い薔薇の価格がポンッと上がります。
日本のように女性から男性にプレゼントを贈るといった意味あいはなく、互いに贈り合います。* チョコ商戦や、義理チョコ、友チョコ、感謝チョコなどもありません。
ですが、フランスのパティスリーではヴァレンタインデーに向けて、やっぱりチョコレートを準備します。
モチーフはハート。色は赤。
チョコレートは『恋の媚薬』と言われますからね。甘く蕩けて、二人のトキメキやドキドキを応援します。(ええ、たぶん。きっと)
◇
キャンドルマス、マルディ・グラは(クリスチャンの方以外)日本ではほとんど知られていないのではないでしょうか。
(心の声:商戦になりにくいからですかね?)
フランスのパティスリーでの日常を書き留めようと思った時、キリスト教文化(起源はキリスト教以前の風習であるものも)に触れずには書けないな、と思いました。
「キャンドルマスはクレープを食べる日」だけだと、さっぱりわかりませんよね?
ある日、お客様に訊かれました。
「ねえ、キャンドルマス(シャンドラ―と聞こえます)に、クレープ(発音としてはクレップでしょうか)は売るの?」と。
パリのブーランジェリー・パティスリーでは定番のおやつであるクレープですが、私の勤める店では販売していませんでした。
お客様に訊かれて、初めてシャンドラーという日があることを知りました。
クレープを食べる風習があって、特別に販売するということも。
キリスト教文化の中で育っていないからとはいえ、長いこと海外にいて知ろうともしていなかったんですよね。そこが今思えば、反省点です。
それまで日系・アジア系企業で勤めてきましたが、このパティスリーが初めてのフランス企業でした。
それもフランス菓子店という、言わばこの国の食文化の中心にあるような場所じゃないですか。
その中に身を置いてみれば、フランスの日常(パティスリーでの仕事)から、キリスト教文化は外せないことがわかります。
キリスト教の儀式や行事を知らないでは、仕事にならないと思いました。
◇
さて、キャンドルマス(聖燭祭)です。
キリストが生まれて40日後に、聖母マリアと夫ヨセフによってエルサレム神殿に連れて来られた事を祝う行事です。
つまりクリスマスの40日後、2月2日がキャンドルマスです。
キリスト教以前に信仰されていた異教の、この時期にある春を祝う風習がキリスト教の祝いと習合したようで、いくつかの由来を読みました。**
どれにも共通するのがキャンドル(松明)での浄化と、旧暦の新年を迎え、冬(闇)を抜けて春(光)に向かうことを祝い、その年の豊穣を願うことでしょうか。
立春を祝うのは東西変わらないんですね。
じゃあ、何でクレープなのか。
ローマ帝国の時代、神殿に来た人に丸いビスケットを配ったからだとか、丸いクレープが太陽を表すなどと言われています。
「灰のような麦を得たくなければ、キャンドルマスにクレープを食べよ」という言い伝えもあるそうです。***
パティスリーでは、小麦と発酵バターの香りがする、砂糖をかけて4つに折りたたんだシンプルなクレープが大人気で、結局この日だけではなく、2月中何度も登場しました。
◇
マルディ・グラもキリスト教(カトリック)と密接な関わりがあります。
「復活祭の47日前」と決められているので、マルディ・グラは必ず火曜日になりますが、決まった日にはなりません。
復活祭は「春分の日の後の最初の満月直後の日曜日」なので、これも毎年変わるんです。
マルディ・グラの次の日から復活祭まで、
その断食前に豊かでボリュームたっぷりの食事を楽しむ習慣が謝肉祭(carnaval/カルナヴァル)****。その最終日が「肥沃な火曜日」という意味のマルディ・グラです。
昔は、この四旬節の断食期間は動物性たんぱく質(肉、卵、乳製品)を取らず、一日一食。性行為をせず、お祝い事も避ける、と厳しかったようです。
現代では、四旬節初日の灰の水曜日(額に灰を付けて歩いている人を見かけます)とキリストが亡くなった金曜日に肉を避け魚料理にしたり、嗜好品を絶つなど、それぞれの考えに合わせて節制するようです。
四旬節の前日、マルディ・グラにはベニエを食べます。
ベニエはドーナツのような揚げ菓子ですが、卵、バター、牛乳、砂糖など、四旬節には食べられないものを使い切るためだったのでは、と言われます。
フランスでは、地方によってベニエの形や名前が違うのです。ふかふかと膨らんだのもあれば、平べったくサクッとしているものもあります。
例えばボルドーあたりでは平べったいひし形をしていて「素晴らしい」という意味のメルヴェイユ(Les Merveilles)という名が付いています。シュー生地を揚げた一口サイズの丸いベニエもあるのですが、これは「尼さんのおなら」(Le Pet de nonne/ペ・ド・ノンヌ)という忘れられない名前です。
私の勤めるパティスリーでも、マルディ・グラにはベニエを売ります。ふんわりと膨らみ、中はしっとり。大きく頬張れば、中からフルーツジャムやチョコレートがとろり。
大人気で、クレープと共に2月いっぱい提供し、お客様が「今日はあった! ラッキー」と喜ぶお菓子でした。
◇ ◇ ◇
* 2021年のネットアンケート(18歳以上の仏人1008名が回答)で、ヴァレンタインに男性から女性に贈るギフトトップ3は、花(40 %)、ジュエリー (26 %) 、香水 (21 %)。女性から男性に贈るギフトトップ3は、衣服 (24 %)、香水 (14 %) 、チョコレート(12 %)だそうです。
逆に、相手から贈られたい物にもこの3つが上位に入っていますが、男女ともに贈られたいもののトップは、「旅、気晴らし(選べる行先 旅行カタログ)」でした。
カタログギフトは愛を表す赤薔薇ほどロマンチックじゃないので選ばれにくいんだと思いますが、なるほど、私もそれがいいなと思います。
**私が読んだキリスト教以前の風習を簡単に。
1.ローマ帝国の頃、牧人と家畜の神であるファウヌス(ギリシャ神話のパン)を称え、松明を灯した。
2.農民は灯火を持ち、農地を歩き、浄化とその年の豊穣を願った。
3.冥府の王であるハデスによって、ローマ神話の豊穣の女神ケレス(ギリシャ神話のデメテル)の娘ペルセポネが冥府へ連れ去られた。女神は絶望し、松明を手に持ち娘を捜し歩いた。ペルセポネが地上に戻る時期は、母である豊穣の女神が喜び、地上に春が来る。闇から光へ。
(おお、火の浄化か。サラマンダーがんばれと思った私です)
***言い伝えにあるクレープの焼き方
左手に金貨を持ち、右手だけで最初のクレープを焼く。片手でクレープを上手にひっくり返せたら、その一年幸せに過ごせる。
クレープの中に金貨を入れて折り畳み、そのまま部屋のタンスの上に翌年まで置いておく。翌年そのクレープを下ろし、最初に訪れた貧しい者に金貨を与える。
これらの手順がしっかりできれたら、その年お金に困らない。
(え、タンスに置いたらねずみに食べられてしまうよね)
****謝肉祭といえば、フランスではニースのカーニバルが有名です。
カーニバルでは、毎年「王様」をモチーフにしたテーマが決められ、今年2024年は「ポップカルチャーの王様」。
見どころは主に、4つのパレード。
オープニングの仮装パレード
テーマで飾られた巨大でカラフルな山車が練り歩くパレード
夜には山車が幻想的に輝くイルミネーションパレード
花合戦と呼ばれる、美しい花々によって飾り付けられた山車のパレード。
この山車にはカーニバルの女王に選ばれた女性が衣装を着て、沿道の人々に花を投げます。どの山車も3000本の生花で飾られ、毎年合計で10万本の生花、20トンのミモザが準備され、ばらまかれます。近隣のフローリストが威信をかけて花を集め、飾るそう。
この花は縁起物だそうで、皆欲しがります。つい福豆などを思い出し、何かをばらまくのは東西一緒だな、と思いました。
最後に。キリスト教徒ではないものですから、解釈や風習について書き足りていないところがあると思います。ご容赦くださいませ。あまりにも間違っている場合は、こっそりと教えてくださいませ。
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