フランス パティスリー販売員の思い出

巴里の黒猫

第1話 Janvier (1月)

 フランスは日本のような、一斉に企業や店が閉まる年末年始休暇(正月休み)がないんです。

 もちろん個人で休みを取ることはあるけれど、会社や店が閉まるのは、カレンダー通りなら、週末以外には祝祭日である12月25日と1月1日だけ。

 そして、パティスリー(菓子店)はとても休みが取れるような時期ではないのです。


 パティスリーの12月といったら、クリスマス(Noël/ノエル)という大きな山、年一番の書き入れ時、「もうスタッフ全員、病気や怪我しないでよ、お願いね」ってなる大イベントがあるわけです。

 24日のクリスマスイヴ(le réveillon/ル・レヴェイヨン)をゴールにして、パティシェさんたちは「身体、大丈夫か」ってぐらい働いています。

 フランスのパティスリーの場合、この24日の大山を越えても、31日の大晦日(la Saint Sylvestre/ラ・サン・シルヴェストル*)という小山があるんですけどね。

 

 この12月についてはまた後で書くとして、1月です。


 12月に山を二つ越え、「うぇーい、終わったぞー。乗り越えたぞー」って感じにボロボロな状態で1月1日を祝い(もしくは心身を休め)、2日からまた仕事ってことも多いです。


 そして、1月といったらフランスの伝統菓子、ガレット・デ・ロワ(Galette des Rois)の出番です。


 日本でも親しまれるようになってきましたし、人気ですね。

 6日のキリスト教の公現祭(L'Épiphanie/レピファニー)に食べる、円盤型のパイ菓子です。

 フランジパンヌ(アーモンドクリームとカスタードクリームを合わせたもの)とバターがたっぷりと使用され、フェーヴと呼ばれる陶器でできた小さなフィギュアがパイの中に隠されています。

 切り分けて、このフェーブが当たった人が一日王様、王妃様となり、紙でできたクロンヌと呼ばれる王冠を被るのです。

 なのでパティスリーでガレットを販売するときは、ガレット、フェーブ、紙の王冠が三点セットです。(フェーブはすでにに仕込まれていますが)


 1月6日が本番だけれど、年明けすぐから1月末まで販売されることが多いです。

 パティスリーを回っての食べ比べも楽しいですし、1月中に何回も食べることもあります。


 クリスマスに薪型ケーキ、ブッシュ・ド・ノエルを食べ、1月にガレット・デ・ロワを食べるのがフランスの伝統なので、クリスマスが終わった途端に、時にはクリスマスよりずっと前に「ガレットはいつから?」「予約したいのよ」と問い合わせが入りはじめます。

 販売員の私は、日本人のにっこりおもてなし笑顔で「X日からですよ」「もちろんです」と言いますが、心では「1月のことなど、まだ何も考えられませぬ」と思っていたりしました。


 このガレット・デ・ロワ用に、販売員としての準備は実は11月ぐらいから始まります。12月に向けての準備でくそ忙しい(あら、思いだすと口が悪く……)時に、隙間時間を見つけて用意しないとなりません。

 ガレット・デ・ロワは、大きいサイズ以外はケーキ箱は使わず、持ち手のついた専用の紙袋に滑りこませるのですが、この袋の準備をするのです。

 絶対忘れちゃならない金や銀の王冠を、半分に折って予め袋にセットしておきます。

 折り紙で育った日本人には簡単なお仕事です。

 なにを大げさな、と思うかもしれませんが、実際これが素早くできなかったり、紙箱を組み立てるのも一から教えてもらわないとできないフランス人は多いんです。

 ガレット・デ・ロワの販売が始まると、この折り紙さえできないぐらい忙しくなるので。


 では、実際に販売が始まるとどうなるのでしょう。


 伝統的なガレット・デ・ロワはフランジパンヌ入りのものだけど、最近では他のフレーバーも出てきたし、南仏の方で食べられるブリオッシュ生地にフルーツコンフィが載ったガトー・デ・ロワ(Gâteau des rois)も焼かれます。

 いつも店にあるケーキとヴィエノワズリー以外に、ガレットとガトーが増えるわけです。

 私のいた店では、ガレットは3種類5サイズ。ガトーが2サイズありました。

 

 ガレット・デ・ロワで大変だったのは、すべての予約分が一度に揃わないこと。

 ケーキの場合は一日の予約分のほとんどが、朝には準備されています。なのであとは、間違えのないようにお客様に渡せばいいだけです。

 でも、ガレットは違うのです。

 オーブンの大きさには限りがあります。ガレットはもちろん、クロワッサンなどのヴィエノワズリーも間に挟み込み、オーブンはフル回転です。焼き上がりが予約時間ギリギリになってしまう時もあります。


 予約が重なり特に混雑する週末には、ガレットだけの予約一覧が作られ、壁に貼られます。

 焼き上がるたびに一覧を睨み、その時間帯の予約用と店用のガレットをそれぞれのベーカリーラックにわけ、OKと書き込む。

 予約分はもちろん、予約なしでの店頭販売分も十分にないとなりません。なにせ、そのために店の前に長い列ができているのですから。30分も並んで、目当てのガレットがなかったら、がっかりですよね。

 並ばれると焦るのは、日本人だからでしょうか。


 ガレットのある時期、週末はもうドタバタでした。

 このサイズが足りない、予約分が足りない、誰かが間違えて渡しちゃった、一人分に切り分けたのも販売するからそれ用のも焼いてくれ、だのと、パティシェに焼き時間を考え、余裕をもって言えるようになるには慣れが必要でした。


 12月の忙しさの大山、小山を越え、1月を走り抜けた最後の週末、ガレット・デ・ロワの販売が終わる時には「やっとこれで開放される!」と思ったものです。



 大変でしたが、ガレット・デ・ロワが焼かれる時の、厨房から漂う甘い香りや、艶やかな焼き色をした表面に付けられた、太陽を表す渦巻模様や、** ひまわりを表す格子模様***の美しさは、いつも心躍るものでした。

 そして、缶に入れた私のフェーブコレクションを見るたびに、双子を連れたママンに「フェーブと王冠をあと一つずつ付けてくれないかしら」と、こっそりお願いされ、二人でフフフと笑ったことも思い出されます。


アーモンドの甘さにほんのりと香るラム酒。リッチなバター。

やっぱり1月は何度もガレット・デ・ロワを食べたくなります。



◇ ◇ ◇



* 大晦日もle réveillon/ル・レヴェイヨンといいます。

「夜通しの祝宴」といった意味があるそうなので、クリスマスの前日にも新年の前日にも使うわけです。

** 「太陽」は「生命力」を表します。

*** 「ひまわり」は「栄光」を表します。

 これ以外には「豊穣」の麦の穂、「勝利」の月桂樹などの模様があります。


 ガレットを買ったら、オーブンで温めて食べるのをお勧めします。トースターしかなければ、焦げないようにアルミ箔をふわりとかけてから温めるといいです。

 ワクワクするような甘い香りが漂います。

 パイ生地なので、買ったその日に食べるのが一番おいしいです。(翌日食べられないわけではありませんが、生地がしんなりしてしまいます)

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