第3話 母と妹
「ふぅ……」
エースさんが村に入って行くのを見終えたところで、私は飲食物の入ったバッグとは別のバッグの中を改めて確認する。
サキュバスが皆を軟禁している場所は魔法で鍵がかけられているだろうということで、それを解除するためのお札が入っていた。
他にもいくつかのパターンを想定し、何種類かの道具と、それの説明書も入っている。
エースさんもクインさんも、流石はベテランの方々だけあって用意周到だし、知識も経験もある。
今の段階でこんなこと思うなんて良くないことかもしれないけど、もう大丈夫だろうという安心感が私の中には既にあった。
「……」
大丈夫、といえば。
私は男の人がそんなに得意じゃない。
恐怖を感じる、とまではいかないけれど、わざわざ自ら近寄ろうと思ったことはなかった。
教会には女性しかいないし、私の父は物心ついた時にはもういなかった。だからそのせいかもしれないね、と言われたこともあったっけ。
「でも……」
昨日のことを思い返す。
私は躓いて、エースさんに抱きかかえられてしまった。
でも大丈夫だった。嫌悪の気持ちなど湧き上がりはしなかった。
初めての経験だったから比較しようがないけれど、他の男の人でも大丈夫だったかどうかはちょっと自信がない。
自分でも理由は分からないけれど、多分、エースさんが女性に興味がないことと無関係ではないと思う。
私という女に興味がないということにむしろ、心のどこかで安心しているのかもしれない。
「あっ……!」
考えを払いのけるかのように、白い煙が空へと舞い上がる。 合図だ。
私はバッグを抱えて歩き出す。
正直かなり重いけれど、お腹を空かしている皆のことを思えばなんてことはない。
エースさんは荷物の量に申し訳なさそうだったけれど、彼が司祭の姿でこんな大量の荷物を持っていてはサキュバスに怪しまれる可能性がある。
だからこれは、私の役目だ。
村にはシスターの仲間がいる。
私の母と、妹もいる。
皆の空腹で苦しむ表情を思い浮かべる。
体に力が漲るのを、感じた。
「なんでアタシの催淫が効かないのよアンタ!!」
相対したサキュバスは、喚き散らしながら俺に攻撃魔法を放ち続ける。
魔法は魔族にしか使用できない攻撃手段だ。人間でも使えたらさぞ便利だっただろうに。
「もしかしてアレなの!? 貧乳じゃなきゃ興奮できないの!?」
「……」
豊かな胸をばるんばるん揺らしながら問いかけてくるサキュバス。どちらかと言えば大きい方が好きです。
でも別にそんなに重視はしていない。
俺が重視しているのは、俺のことを好きだと言ってくれるかどうかだ。
好きだと告白してくれるなら、その人の容姿なんて関係ない。俺も好きになっちゃう自信がある。
もうあれだ。そこそこの年齢にもなった俺は人を好きになるということが怖くなっているのだろう。
好きになっても、結局その人に好きな人がいたら……自分に興味なんてなかったら……なんて考えてしまう。
でも相手から告白してくれるならそこら辺の心配事はなにもなくなる。言い方は悪いが、楽なのだ。
だから誰でもいい。俺に告白してくれ……!!
…………あっ! そういえばリティアちゃんってもう彼氏とかいるのか聞いてな―――
「おわっ!」
魔法が大地を抉る。 いかんいかん、物思いにふけりすぎた。
今は捕獲に集中するとしよう。 そしてリティアちゃんには後で訊ねるとしよう。
ちなみに前々から捕獲だの捕らえるだのと言っている通り、ハンターだとしてもサキュバスを殺めることは禁止されている。
必ず捕まえなければならず、違反した場合はライセンスを剝奪され、二度とハンターとして活動することはできなくなる。
捕まったサキュバスは更生施設に送られる。催淫を行わないよう指導され、問題なしと判断されれば人間の女性として社会に復帰するらしいのだが……。
「叶うことなら、俺もサキュバスちゃんたちに指導してぇよ」
呟かれた願望は、魔法による騒音にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
特に何事もなく、私は閉じ込められていた人々を助け出すことに成功した。
「みんな、ゆっくり食べてね」
あんまり詳しくはないけれど、空腹時の一気食いや早食いは血糖値を急上昇させてしまうと聞いたことがあるので、そう声をかけつつ飲食物を配る。
「ありがとう、リティア……!」
「ううん、みんなケガとかしてなくて良かった」
シスターの仲間たちが食べながら話しかけてきた。普段なら行儀が悪いと怒られそうなことだけど、今は致し方ない。
「……」
私は辺りをもう一度見渡す。
この村の人数はそう多くはないから、見過ごすことなどないはずなのに、何度見渡しても結果は同じだった。
たまらず私は、仲間に声をかける。
「ね、ねぇ…………私のお母さんと妹、知らない?」
もしかして、別の場所に閉じ込められているのだろうか?
「えっ、さっきまでそこで一緒に捕まってて……」
彼女の指さす先には、誰もいない。
おかしい。
もし母と妹がここにいたというのなら、私に声をかけずにこの場所から出ていくことなんてあるだろうか。
いやそもそもとして、誰かが出ていこうとしたら分かるはずだ。しかしそんな気配はなかった。
おかしい。
どうして気付かれることなく外に出れたのだろう。
どうして私に何も言わず外に出たのだろう。
どうして。
どうかこの嫌な予感が外れますようにと願いながら、私は村中を探し始めた。
「ね……ねぇおにいさぁん。 私を逃がしてくれたら、何でも言うこと一つ聞いてあげちゃうんだけどなぁ……」
捕まえたサキュバスがそんな魅力的な……もとい、あまりにもテンプレな提案をしてくる。
しかし騙されてはいけない。どうせ網を解いた瞬間逃げるに決まっているのだ。
「……何でもって、例えば……?」
あれ?
おかしい。
頭では分かっているはずなのに、煩悩で口が勝手に言葉を発している。
……なるほど、これもサキュバスの高度な魔法に違いない。 お の れサキュバス!!
「エースさんっ!!!」
俺がサキュバスの魔法にかかりそうになっていると、声を荒げてリティアちゃんが駆け寄ってきた。
うーむ、さながら天使のようだ。 やはり時代は魔族ではなく天使なのだな、天使。
「あ……あの……っ!!」
しかしそんな天使は顔が青ざめており、息も絶え絶えだった。 ……どうやら、ふざけている場合ではないらしい。
「……どうした?」
「わ、私の母と妹がいないんです!! 村中探したのに、どこにも!!」
俺は捕らえたサキュバスを睨みつけた。 が、
「し……知らないわよっ! この状況で女二人なんかどうしようと思うわけないでしょ!?」
まぁ……だろうな。そもそもとしてサキュバスは女性を催淫することはできないし、コイツが何かしたとは考えにくい。
リティアちゃんの話を詳しく聞いてみると、どうやら彼女が助けに入る直前までは皆と一緒に閉じ込められていたらしい。
それが誰にも気づかれることなく消え去った。
自分たちの意志でそうしたのか、それとも誰かが干渉したのか。どちらにせよ、人間業ではなかった。
……人間業、という言葉が引っかかる。
あまり考えたくはないが、ある一つの可能性が俺の脳裏に浮かんでいた。
「……」
リティアちゃんが空を見た。
走り回って疲れたのか、見当たらない家族を憂いたのか。多分空を見上げたこと自体に深い意味はなかったのだろう。
「え…………」
しかし、彼女のその行動のおかげで可能性は事実へと形を変える。
彼女と同じ箇所へと視線を移す。
空には二つの人影が並んでいた。
「なんで、二人が……?」
リティアちゃんの発言からして、あの二人がそうなのだろう。
見当たらなかった彼女の家族は今――――
サキュバスとして、空を飛んでいた。
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