Ⅲ‐14 物語の終結
ムラサメの出身地でもある遠い西の街でのコンサートにムラサメ彼女が姿を現さない。
演奏を終え、楽屋に戻ってきてからわたしはそれに気づき、リサイタルの間ずっと感じていた小さな空虚の理由を知る。
いつものように配慮が足りないわたしが、
「今日、彼女どうしたの? 仕事が忙しいの?」
と訊ねると、わずかな躊躇いの後、
「別れたよ」
とムラサメが応える。
「えっ、嘘?」
とわたし。
「だからさ、こんなに好き過ぎるのにいつも一緒にいられないなら、そっちから振って!……だってさ。わっかんねーよな。女って」
「ああ、ああ、ああ、そうだったの、ごめん、ごめん、ごめん」
「カヲルに謝ってもらったって仕方ないだろ」
そんなことをわたしに云ったムラサメがシオリお姉さんと付き合っているらしいと、ずいぶん後に、わたしが知る。
風の噂だ。
そのときの風は、わたしたちバンドのファン。
噂を聞き、わたしの脳裡に、いくつものガテンするシーンが浮かぶ。
そうか、シオリお姉さんはタオを諦めたんだ。
わたしの中には、そんな感慨しか浮かばない。
でも却って辛いよ。
思わずそう思い、慌てて否定。
世にある幸福の数と不幸の数が同じだと、わたしはまったく思っていない。
幸福になろうと真剣に願ったものすべてが幸福になると信じている。
不幸に落ちたものたちは自ら己の不幸を掴み取ったのだと……。
ムラカノとわたしたちに呼ばれ続けた莉緒ちゃんも、シオリお姉さんも、そしてもちろんムラサメも、みんな幸せになれば良いとわたしは心から願う。
ラ・パスティチェリア・イシナベのテーマ/CMソングがじわじわと話題になり、わたしたちのバンドに関する世間の興味が湧き上がる。
まだテレビコマーシャルには手が届かないが、拡張されたデパートの店舗で煩くならない程度に流され、子供や親たちが口ずさむ。
自分たちの楽曲が知らない大勢の他人に歌われているのを耳にするのは妙な感じだ。
が、決して悪い感じではない。
バンドの知名度を挙げるという意味ではラ・パスティチェリア・イシナベとの仕事はわたしたちにとって大変美味しかったようだ。
いや、まだ全然途中ではあるが、おそらくそう結論付けられるだろう。
もっとも、それなりに有名になればなったで中傷もある。
まったくもって何処で調べてきたのか、わたしに関する黒い噂がネットで流れる。
曰く、ビッチ。曰く、人殺し。曰く、堕胎者。
中学生の最後の歳に避妊に失敗して子供を身篭り、その相手が何を思ったか学校の屋上から身を投げた時、すぐ近くに居たにも関わらずわたしは彼を助けることが出来ず、そのショックで数時間後に子供を流してしまったのだから、噂の元は嘘ではない。
さらに云えば、わたしには未だにあのときの記憶が戻らない。
あのとき、あの場に居合わせた学友たちの明晰な証言があったから、間接的ながらわたしは事件のあらましを知れたのだ。
が、警察が認めた事実が本当に真実だったかのかどうか、わたしにはどうしてもわからない。
けれども、わたしはわたしに纏わり付く噂が本当のことだとは思っていない。
……というより信じていない。
不幸な事故が重なってしまったのは事実だが、それはただそれだけのこと。
また、そうでなくてはその後出会ってわたしを死体(DEAD BODY)から甦らせてくれた元彼のエフに会わせる顔がない。
エフであるところの草間大作はずっと以前に死んでしまい、そして現在に至るも死に続けている。
あの日、ウメコさんがわたしに伝えた内容もそれだ。
まだ生まれたばかりの黒い噂だが、その胚芽はあのとき既にあったのだ。
「どうして人は人を妬むんでしょうね?」
と、あの日久しぶりの手料理を拵えながらウメコさんが云い、溜息を吐く。
「それに耐えられない人だってたくさんいるっていうのに……」
ウメ子さんのその問いかけに、わたしはなんと答えたのだろう。
「他人(ひと)は他人ですし、わたしは大丈夫ですから……」
おそらく、そんなふうに答えたに違いない。
あるいは――
「わたしはもう一生分他人を呪いましたから、もう十分なんです」
まさか、そんなことは云わなかっただろう。
「本当に、わたしのことは憎くないの? あなたの好きな人を取っちゃったのよ」
だから、そんな架空の会話が宙を流れたのか?
「だってウメコさんの方がわたしよりずっといっぱいたくさんタオのことが好きじゃないですか! そんな人には勝てませんよ」
とわたしが主張すると、
「あら、怖いわね。じゃ、わたしの気持ちがわずかでも減ったら、カヲルさんが夫を奪いに来るのね。気をつけなくちゃ!」
実際に口に出してそんな会話をしたわけではない。
が、まあ、そんな内容の呼吸の交換はあったと思う。
そういうものだ。
わたしはわたしに祝福を送る。
この十年間には様々なことがあったが……。
大震災も経験したし、それで大切な恩師を失っている。
けれども今わたしは生きている。
正々堂々とと生き残っている。
だから、わたしは改めて自分にこう語りかけるのだ。
「自分を生きろ! まったくウダウダしながらでもいいから、大切に!」(第三章・終)(了)
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