Ⅲ‐11 再会
……とそのとき、ラインから離れて近づいてくる人影がある。
同じラインに別の人が入ったので入れ替えらしい。
誰だろうと思ったが、向こうもこちらと同じ割烹着姿に衛生帽子にマスク姿だ。
背の高さくらいしかわからない。
わたしよりは背が低いが、それはいつものことか。
由美子社長が咎めないところを見ると予定の行動?
その人が近づくと由美子社長もツバタさんも、わたしから少し距離を取り始める。
それで一瞬、えっ、もしかして母の画策、と思ったが真偽は不明。
でも懐かしい感じがする。
ああ……。
「お久しぶり、蕗子ちゃん」
とその人が云う。
「ああ、今はカヲルさんだったわね」
まさか、和音(わお)おばさま?
心で云って、わたしが絶句。
「どうして、ここに……」
掠れた声で、そう問いかけるのが精一杯だ。
「三年振りくらいかしら? ずいぶん女っぽくなったのね」
和音おばさまがしげしげとわたしを見ながら、そんなことを云う。
いえ、まさか、十年前のわたしと同じです。
でも言葉にはならない。
涙だけが湧き出してくる。
「おばさま。わたし……」
「また、そんな顔をする。あの子が死んだのは蕗子ちゃんのせいじゃないわ。何度わたしに云わせば気が済むのかしらね? 残念だけど、あの子はそういう運命を背負って生まれたのよ。本当は生まれてすぐに死ぬはずだったのに、わたしが羽根を折って無理矢理この世に留めたのだから……。そして蕗子ちゃんを呪いから救った」
「でも、それと引き換えに……」
「いいえ。蕗子ちゃんだって知ってるでしょ。大作が死んだのは交通事故。あなたたち二人が河原に倒れていたあの夜から半年後のことよ」
「でも、それにしたって……」
「蕗子ちゃん、あなたは背負うものが多過ぎる。自由になりなさい。死人を恋人から解放しなさい。それはあなたのお母様の願いでもあるわ」
「それは、わかっています」
「いいえ、蕗子ちゃん、あなたはちっともわかっていない。あなたにはあの子の羽根をもう一回折ることは出来なかったのよ。あれはあの子の母親のわたしが生涯一回だけ出来た奇跡。だからあなたに出来るのは将来生まれてくるかもしれないあなたの子供の背中にもし羽根が生えていたら、その羽根を折ることだけ。あるいは、そのまま折らずに天に返してあげることだけよ。子供に羽根が無ければ何もしない。ただ、それだけのことなのよ」
「おばさま……」
「あら、あなたのメイクって水で流れるのね」
「いつのも顔とは違うんです」
「わたしにとっては今の蕗子ちゃんの顔がいつもの顔よ。もう本来のあなたに戻ったらどう? ああ、でも生きて行くにはペルソナが必要かな」
「おばさまにも?」
「わたしが今被っている仮面は、もうずいぶんと前から地肌にくっついちゃってるわ」
「おばさまの素顔を知っているのは、もしかして母だけってことかしら?」
「さあてね。どうなんでしょう?」
それからしばらく沈黙が訪れる。
「わたしたちのバンドを押してくれた、ラ・パスティチェリア・イシナベの社員って、もしかして、おばさまだったんですか?」
急に気がついたようにわたしが訪ねると、
「残念ながら違うのよ。仲良くさせてもらっている若い子があなたたちの出ているビデオクリップをネットで見つけて、休憩中に『とっても変わったバンドがあるから見ませんか?』って誘われたのよ、で、PCパッドを覗き込んで仰天。メイクが凄くてまるで違う人みたいだったけど声が蕗子ちゃんだったから……」
「おばさまって何故かわたしの声がお好きですよね」
「最初のときはいろんなことを思い出して目が潤んでしまったわ」
「でも、おばさまだって、わたしたちのことを社長さんに勧めたんでしょ?」
「わたしが社長に進言したのは、このヴォーカルの娘、わたしの知り合いです、ってことだけよ」
「うそぉ?」
「ホントよ。……さて、もうラインに戻るから。社長に少しだけ無理を云ってね。……ところで今日は無理でもいずれ家に遊びに来て頂戴ね。主人も歓迎するから。ええとね、話は長くなるけど、簡単に云うと主人の転勤にわたしも付いて来て、それでここに居るってことなの」
それから慌しく新住所を記したメモをわたしに渡すと和音おばさまが去って行く。
代わりに美代子社長とツバタさんたちが近づいてくる。
「なーんか、ワケありね」
と美代子社長が意味深長な目配せをわたしにし、ついで、
「でもまあ、ビジネス、ビジネス」
と仕事一途の顔に戻る。
わたしが鋭い目付きで、
「ツバタさん、仕込んだでしょ!」
と問うと、
「悪いけど今回は知らねーよ」
とツバタさんが大仰にシラを切る。
ラインを一巡りしてからオオヤギさんが目を付けた場所で本格的な写真撮影が行われる。
その間、ラインは一時的に停止するので出来るだけ仕事に支障が出ないように、わたしたちはあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
ラ・パスティチェリア・イシナベの社員の人たちにも許可を取り、応じてくれた人たちと一緒に被写体にもなる。
もっとも格好が格好なので割烹着星人の集団みたいな写真が出来上がる。
あるいはユニークなモンスターが沢山出てきた例の映画のような……。
その際、また和音おばさまと一緒になり、そのとき丁度おばさまの前に大きな鏡があり、わたしの名札が逆さま映っているのを目にして気づく。
「ああ、なるほど、そういうことなの」
と納得したように独り首肯く。
そう、理由なんてそんなもの。
ゆったりと安らいだように見えるFが名前の真ん中にいるだけだ。
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