Ⅲ‐8 歌メロ

 指定の時間にローレライのツバタさんのところに出向くと、かつて同じ場所で数回見たことはあるが名前を知らない若者がいる。

 とりあえず、

「おはようございます」

 と挨拶してから目線で問い、ついで口で云う。

「ええと……」

「あれ、会ったことなかったけ?」

 と首を傾げながらツバタさん。

「いや、見かけたことならありますけど」

 と、わたし。

「そうか、正式には紹介していなかったか? こちらはカメラマンのオオヤギくん。本来は芸術家なんだけど、貧乏なんでときどきウチで使わせてもらってる」

「オオヤギです。始めまして」

「ああ、どうも、ほぼ始めまして、カヲルです」

 とわたしが云うと、

「ははは、ほぼ始めましては良かったね」

 とツバタさんが笑う。

 笑うと時折子供みたいな顔になるツバタさんだが、そのときの笑顔がまさしくそれ。

 赤ん坊にも近い。

「で、カメラマンがいるってことは写真を撮るってことですか?」

 と、わたし。

「工場を見せてもらう手筈になってるんだよ」

 とツバタさん。

「だってまだ契約も決まっていないんでしょ?」

「最悪ボツだったときは別のバンドか歌い手のプロモーション用に使うのさ」

「いい気なものですね。で、ボツになりそうなんですか?」

「まさか! 最初からそんなこと思ってたら、この仕事は請けないよ」

 ツバタさんの答はわたしを納得させるものではなかったが、まあ良しとする。

「ところで歌詞は見たけど、おれは二番目が押しだな」

 そしてすぐに話題が変わる。

「歌メロできた?」

「まあ」

「じゃ、お願いするよ。そうだな、まずはスキャットで……」

「エレピがあるから弾きますよ」

 云って、わたしが事務所の壁にいつも無造作に立てかけてあるハンマーヒルのエレピケースからエレピ本体を取り出し、コードを伸ばし、コンセントに繋ぐ。

「ギターと違って毎回チューニングしなくていいからエレピは楽です」

 と作業をしながらわたしが云うと、

「そのチューニングの間に精神をリラックスさせる方法もあるんだよ」

 とツバタさんが口を挟む。

「もっともプロは普通、担当のローディーにやらせてるけどね。ホワイトピジョンの公演なんて演奏の合間にローディーがトミー・ミューラーにチューニングし直した新しいギターを渡してるよ。それも一ステージに数回も……」

「トレモロアームが自家製なんでしたっけ?」

「それにしても弦をナットで固定するなり、いくらでも手はありそうだがね」

 準備が完了したので人差指を口に縦に当て、それから単音で演奏する。

 途中の転調のところでツバタさんが、

「ほお!」

 という顔をしたので三回繰り返してから、

「普通に和音入れます」

 と云い、言葉通りに弾く。

 これも三回繰り返して終了。

「どうですか?」

「どう歌うの?」

「どう……って今の歌メロですよ」

「ああ、そういう意味じゃなくて発声とか?」

「歌ってみましょうか?」

「頼むよ」

 それで歌う。

 エレピは伴奏のみだ。

「あ、失敬……」

 イントロでいきなり音を外したので、深呼吸してから仕切り直す。

 歌の途中でオオヤギさんがいきなりカメラを構えてわたしに向けたので、右目でウインクして許可を与える。

 今までの……というよりアマチュア時代ののわたしだったら、おそらく見せない態度だ。

 オオヤギさんの一眼レフはデジカメらしく、シャッター音が消してある。

 このような場面では当然の配慮だが、音がしないので、わたしはいつ写真を撮られているのかわからない。

「はい。お仕舞い」

 わたしが云うとツバタさんがパチパチと拍手。

「大変結構!」

 とゴーサインを出す。

 遅れてオオヤギさんの拍手も聞こえてくる。

 そのオオヤギさんに向かい、

「面白いだろ、この娘……」

 とツバタさんが話しかける。

「使ってる音は明らかにマイナーコードなのにメジャーにしか聞こえなかっただろ」

 すると――

「ええ……って、ぼくには良くわかりませんけど」

 とツバタさんの指摘にオオヤギさんが困ったふうに頭を掻く。

「でも曲が良いことはわかりましたよ」

 と続いたオオヤギさんの言葉に不意打ちを喰らい、

「そうなんですか?」

 と、わたしが問う。

 うーん、どうもすっきりしない。

「作曲者のわたしが一番わかっていないようですね。こっちが自信満々のときには、ツバタさん、呆気なくNG出すくせに……」

「ま、そう云いなさんな。クリエイターが自信満々のときは他者視点が欠けてるんだよ」

「確かにサービス業ですからね、わたしたちの仕事は……」

 と、わたし。

「だけど曲のサビとかもそうですけど、今現在売れてる歌みたいなこっぱずかしい歌詞はわたしにはムリです」

「じゃ、そこが今後の正念場だな」

 とツバタさんが応え、話題を変える。

 ……というか独りごちる。

「やっぱりキーボードはあった方がいいかな? でもそれじゃ重いし……。KTのMINI106にするか」

「云ってくれれば持って来たのに……」

 と、わたしがぼやくと、

「そういうところは気がまわらないんだよな、カヲルは……」

 とツバタさんにツッ込まれる。

 まあ、いつものことだ。

「おれがMINI持って下に降りるから先に車出しておいて……」

 ツバタさんがオオヤギさんに命令し、

「わかりました。では、すぐに……」

 とオオヤギさんが神妙な顔付きで応える。

 それからわたしに向き直り、

「カヲルさん、行きましょうか?」

 とわたしに云う。

「ハンマーヒル、このままでいいんですか?」

 とわたしが一応ツバタさんに訊ねると、

「ああ、それもおれが遣っとく」

 とツバタさん。

 気前が良い返事だ。

 もっとも実際には事務所の誰かが片すんだろうが……。

 まあ、それも給与の内だろうし……。

 そんなことを考えながら、わたしがツバタさん専用の事務室を出、オオヤギさんとエレベーターに向かう。

 ツバタさんの事務室は、かなり年季が入ったローレライ自社ビルの八階だ。

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