Ⅲ‐5 CMソング

 次の幸運はステージの向こうからやって来る。

 具体的にはコマーシャルソングの依頼があったのだ。

 地方企業のイメージソング作曲の仕事。

 いつものようにわたしはその事実に面食らう。

 が、ツバタさんはかなり乗り気だ。

「向こうからのご指名だから無碍には断れんだろ」

 大きく腕を組んで鷹揚に首肯きながらツバタさんが宣言する。

「社内にバンドのファンがいるらしいよ」

「でも、いくらファンの社員が提案したって決めるのは重役会議でしょう?」

 とわたしが問うと、

「だから、そこを通って決まったから話が来たんだよ」

 とツバタさんが答える。

「勇気ある会社って云うか、無謀ですね」

 とムラサメが云い、

「どっちかって云うとおれらは辛気臭いバンドなのに……」

 と続ける。

 おめー、そんなふうに思ってたのかよ!

「新人だし、安いからじゃん?」

 とムラサメの発言をスルーしてタオ。

「自分で云うのもなんだけどさ、メロディーは結構キャッチだからな。安くてお徳で商売繁盛」

「だってジングルじゃないんでしょう?」

 とわたし。

「もっともジングルだったら、それはそれで困るけど……」

「まあ、バンドを憶えてもらうなら、曲の方がいいだろうな。もちろん歌付きの……」

 とツバタさんが続け、

「ジングルなんて、誰も作曲者を知らないだろう。まあ、著作権はちゃんとあるけどな」

 と云う。

 ツバタさんの指摘は本当だ。

 多くはラジオ番組でコマーシャルの開始や終了あるいは楽曲の切り替わり時など番組の節目に挿入される短い音楽がジングルだ。

 ラジオ局によって異なる多くのそれらメロディーを――耳に突くので――知ってはいるが、作曲者まで知っているという人をわたしは知らない。

「企業のコマーシャルソングって云うと、長寿のものだと、石鹸とか、石鹸とか、石鹸とか、ホテルとか、チョコレートとか、チョコレートとか、テーマパークとか、線香とか、企業名を歌ったものが多いかな」

 とムラサメ。

「普通のCMだったら商品名そのものが一番多い気がするけどね」

 とタオ。

「広義の意味でのCMソングだったら一七六九年の歯磨き粉『漱石膏』のために平賀源内が作詞作曲した宣伝曲が最初らしいな」

 と、いつの間にその場に現れたのか響音レーベルのユシマPがいつも通りの博識を披露すると、

「あの有名な『フニクリ・フニクラ』も一八八〇年代のイタリア登山鉄道のための宣伝曲だったらしいし、北原白秋作詞、町田嘉章作曲の歌曲『ちゃっきり節』も昭和二年に静岡市近郊に開園した狐ヶ崎遊園地のコマーシャルソングとして当事の静岡電気鉄道の依頼で制作されたらしいよ」

 とツバタさんも日本ローレライの威信を賭けるように負けん気を見せる。

 もっともその後、

「ま、おれの知識は付け焼刃だけどな」

 と、にんまりと笑う。

「そーかあ、わたしが憶えているのは、うーん、企業のだったら引越し屋さんで、商品込みなら梅酒かな。後は外壁材の――」

「あそこは潰れたよ」

 とユシマP。

「最近聞かないだろ?」

「あ、そう云えばそうね」

 と、わたし。

「あとはウィンタースポーツ屋とか、生保もあったな、言葉にしちゃダメなヤツ……」

 とムラサメが指摘し、

「ウチのジイサンが昔良く見てた番組は、明るいか、光るだったな」

 とタオが不意に述べた意見にわたしもハッと思い出す。

 そういえば、どちらも電気屋さんだったな、と。

「今はホールディングスって云うのかもしれないけど、企業グループだったら、イメージの木もあったぞ」

 とムラサメが云うと、

「ああ、あれはハワイのオアフ島のモアナルア・ ガーデンパークにあるモンキーポットツリーというマメ科の植物なんだよ」

 とすかさずツバタさんがが答え、

「付け焼刃じゃないヒトにはかなわねーな」

 とユシマPに感心される。

「手と手を結び合わせたり、何処までも行っちゃったり、晴れた遠くの山並みからあなたを呼んでみたり、ま、いろいろですな」

「で、わたしたちを指名してきたのは、どんな企業なんですか?」

 とわたしがツバタさんに問いかける。

「お菓子やさんだよ。創業百年は越えてて地元では有名なんだが、経営は結構キツかったそうだよ」

「えっ、じゃあ、わたしは、お饅頭とか、お煎餅の歌を歌うんですか?」

 べ、別にイヤじゃないけどさ。

「ああ、和菓子じゃなくて洋菓子だな。割と最近まで地元の学校給食用にパンを供給して食い繋いでいたらしいが、開発した商品がヒットして、今勢いに乗り始めたようだ。それで契機付けにCMソングが欲しいらしい」

「あのー、それって、もしかして、とっても重要な使命じゃないんですか?」

 とわたしが問うと、

「出来れば成功して売り上げに貢献したいものだね」

 とツバタさんがあっさりとそう云ってのける。

「そんなの責任が重大過ぎますよ!」

「カヲルが歌ってコケるくらいなら、最初から大したことないんじゃね」

 と、これもあっさりとタオが指摘し、

「そうそう。それに向こうが気に入らなければ話は消えるよ。それだけのこと」

 とムラサメまでがそんなことを云う。

 おめーら自分たちから率先して仕事をする気がねーだろ!

 わたしはまだ戦ってもいないのに戦意喪失。

「イメージが沸きません。絶対ムリ、ムリ……」

「まあ、そういいなさんな。で、これがイメージ」

 そう云いながらツバタさんが持って来た大振りのスーツケースから出てきたのは、ラ・カンツォーネ・ディ・モルト・パスティチェリア・イシナベのラ・フェスタ・ディ・アンジェリだ。

「あら美味しそう」

 いかにも甘そうな焼き菓子を見て、思わずわたしが声を出す。

「ひとつ、戴いてもいいですか?」

 とツバタさんに向かって目をウルウルとさせる。

「カヲルがそんな顔すると気持ち悪いだろ」

 ツバタさんは一応そうツッ込んでから、

「どうぞ。そのために持ってきたんだからな」

 と云い、手に持った結構可愛い赤白金黒の菓子箱をわたしに差し出す。

 その中から一つを抓んで噛んでみる。

 小さくガリッと音がして砂糖とミルクの上品な香りが口の中に広がっていく。

 ゆっくりと咀嚼すると舌の上で味蕾が悦ぶのが感じられる。

 続けて残りを口内に頬張り、至福の訪れ。

 それが短いのがもったいないけれど贅沢だ。

「ちょっとツバタさん、これ、すごく美味しいじゃありませんか?」

 と、わたしが目を見開いてそう云うと、

「カヲルちゃんも女の子なんだね」

 と、つくづくとわたしを見つめててツバタさんが云う。

「籐は立ってますけどね」

 と、おどけてわたしが答えると

「おれから見れば若造だけどな。……で、食べちゃったから、もう仕事は断れないよ」

「げーっ!」

「あ、じゃ、おれたちもいただきます」

 わたしとツバタさんとの会話を尻目にタオがそう云い、菓子箱に手を伸ばし、ムラサメも太い腕をにょいにょいと菓子箱に向けたところで、

「ホラ、箱ごとやるよ。……たく、おれはおめーらの餌係じゃないんだからな」

 と半ば呆れたようにツバタさんがムラサメに菓子箱を手渡す。

「では失礼して、こちらもひとつ」

 とムラサメの手に渡った菓子箱からユシマPがクッキーというかビスケット大のラ・フェスタ・ディ・アンジェリを一ヶ抓む。

 すると――

「ああ、なるほど……」

 とタオが首肯き、

「確かにカヲルの好きそうな味だわ」

 とムラサメがコメントし、

「おお、こりゃあ、いいわ。旨いわー」

 とユシマPが舌で唇の上下をペロペロしてから云う。

「紅茶が欲しいな」

「ペットでいいんなら冷蔵庫の中にあるよ」

 ユシマPの言葉にツバタさんがさらに呆れ返りながらそう応え、事務所の隅に置いてある冷蔵庫の蓋を開け、ペットボトル入りの紅茶を手渡す。

「ああ、スマンです。ありがとうございます」

 ユシマPのその言葉と平伏したような仕種にツバタさんが声を上げて笑い、

「次、こっちです」

 とタオがユシマPにペットボトルの紅茶をねだる。

「ああ、わかった。……暖かい方が良かったけど仕方がないな」

 と文句を言いつつペットボトルをタオに渡し、

「次、おれだから……」

 とムラサメがタオの袖を引っ張る。

 それからわたしのところにまわってきたので、その無糖紅茶で口中をさっぱりさせると、

「ツバタさんは召し上がらないんですか?」

 と何となく詰まらなそうな顔をしていたツバタさんに問いかける。

 すると――

「糖尿の気があってね」

 とツバタさんが残念そうに答える。

「こないだ検診に行ったらA1cが高かったんだよ」

「へえ、そうは見えませんけどね」

 とわたし。

「お腹だって、それほど出てはいないようですし、まあ、おひとつくらいは……」

「そのひとつが万事なのよ。こう見えても甘いものが好きでね。食べ始めると止まらなくなっちゃうんだな」

「ふうん。思春期の女の子みたいですね。でも味見しないと仕事が出来ないでしょ? ……って、ツバタさんの主義なら」

 とわたしが探りを入れると、

「お店で焼き立てを戴いたよ」

 とツバタさん。

「口コミでは聞いてたけど評判以上だったな」

 それから急に真面目な顔に戻り、

「おれはこれから別の仕事があるんで、とりあえず三日やるから歌詞の案を出してくれ。それを持って先方に行く。おまえと……」

 とわたしを指差し、

「げっ、もし出来なかったらどうするんです」

 と、わたしが焦ると、

「出来なかったら別のバンドのヤツらの歌詩にするよ。いくらだって代わりはいるんだぞ。わかってると思うがな」

 と、ちょっと怖い顔でツバタさんがわたしを睨み、

「先方がオマエたちのバンドをご所望なんで歌と演奏はオマエたちになるが、楽曲がヒットしてみろ! 少なくともラ・パスティチェリア・イシナベとの仕事では歌詞はすべて、その誰かさんの担当になるんだからな。そこんとこ、よぉく考えといて……」

 ツバタさんにそんなふうに脅され、でもわたしは自分ではない別の専属作詞家がバンドにいるのもいいな、と無邪気に想像してしまう。

 考えてみれば一世を風靡した――とまではいかないか?――ある髭面のフォークシンガーは、詩人かもしくは劇作家の書いた劇中詩しか作曲しなかったし、プログレッシヴバンドの草分けでもあるカラーレス・カラー――後に多くのバンドに分裂――も初期には専属の詩人がいたからだ。

 すると、すかさずそれを察したらしいツバタさんが、

「いいか、ロクでもないことを考えてんじゃないぞ!」

 と、さっきよりもっと怖い顔でわたしを睨み、

「そう。カヲルが書かなけりゃ、おれたち、違うバンドになっちまうからな」

 とタオが素知らぬ顔で嘯く。

 ムラサメは笑いを堪えている。

「わかったわよ。書きますよ。出来はともかく書きますから、それでいいんでしょ!」

 とわたしが叫ぶと、

「ある程度の出来はないとなあ……」

 とツバタさんがまるで、おまえらもう帰れ、と云わんばかりにボソッと応える。

「二日後の夜に進捗状況を知らせてくれ。事務所じゃなくてスマホの方に……」

 とツバタさん。

「はい、わかりました」

 わたしが答え、肩を竦める。

 でも書けるんだろうか?

 わたしに……。

「じゃ、ご馳走さまでした」

 最後に部屋を出るときユシマPが真面目な顔でツバタさんに挨拶する。

「お菓子はおろか紅茶まで戴いちゃってスマンこってす」

 それを聞きながらわたしは思う。

 まあ、何とかなるだろう。

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