Ⅲ‐1 わたしでいいの?
曲によってはポアーンと甘いフレーズを弾き出すムラサメだが、普段のベース音はギシガシだ。
これがパワーや音数の割にはカンカンとイギリス風に乾いた音質のタオのドラムに超マッチする。
はっきり云って最初に彼らの音を聞かされたとき、わたしは冗談ではなく自分が『お呼びじゃない』と感じたものだ。
今でも時々、そう思うことがある。
こんな天才たちの相手が果たして自分で良かったのか、と。
それでおずおずと訊ねてみる。
もうずいぶん前の話だが……。
物腰はおずおずだったが、態度はそうでもなかったらしい。
当時は自分でも気づかなかったが、たいそう虚勢を張っていたからだ。
「ねえ、ムラサメ? あたしの音でいいの? アンタが欲しいのは本当にあたしの音なの?」
それに対してムラサメが答える。
「まだ出来上がってないから何とも云えないけどさ、悪くはないと思うよ。ギターの色もカヲルの声も……」
「ふうん。じゃ、タオはどうなの? そもそも、わたしをバンドに引っ張ってきたのはあんただし……」
するとタオはわたしの質問に、こう答える。
「オレが欲しいのはカヲルの出す音色と声で、おれたちの方がそれに合わせてバンドになるんだよ」
と、まるで当然のようにそう云うので、これもまた当然のように、わたしが面食らう。
「何、それ、本当?」
「カヲル、おまえ、バカか? そうでなかったら、何故おまえがここにいるんだよ」
すかさずタオが云い、ムラサメに同意を求める。
「なあ……」
「ま、なあ……、じゃねえけどな」
とムラサメ。
「オレがタオの音に惚れたようにタオはおまえの音に惚れたんだろ。いいじゃん、それで……」
言葉を探すように少しだけ間を開ける。
首を傾げつつ、
「おれはタオが気持ちよくドラム叩くのを感じながらベースが弾きたいだけなんだからさ。いいんだよ、それで。なあ……」
と今度はムラサメがタオに振ると、
「ま、なあ……、じゃねえけどさ」
と今度はタオがムラサメと同じフレーズを繰り返す。
「だからさ、カヲルは本気を出せよ。いくらズルしても休んでもいいけど、肝心なところで手を抜くなよ。それだけさ。お終い」
と云い、
「今日はもう上がろう」
とその日の練習セッション終了を告げる。
「明日は?」
タオの放った言葉の重みに少々たじろぎながらわたしが問うと、
「おれ、ちょっとヤボ用……」
と今思い返せばけっこう珍しいセリフをタオが口にし、
「だからおまえたちだけで音合わせしてもいいし、オフでもいいし……」
「おまえがいなけりゃ始まんねーだろ」
とムラサメ。
「けどスタジオ、キャンセルできるかな」
とタオ。
「今週分、前払いしてんだな、これが……」
「お大臣だわねぇ。ま、わたしたちの中で一番金持ってそうなのはタオだけど……」
とわたしが云う。
当事タオは引っ張りだこのアマチュア及びプロ歌手バンドの雇われドラマーで、同様な仕事をしていたムラサメの少なくとも十倍のステージやレコーディングをこなしている。
金銭的には、それ以上か。
音楽以外、タオには特に趣味もなさそうだし、服の選択は良かったけれど多くは本物の古着だったので大した出費もないはずだ。
食に対するこだわりもない。
ファンの誰かとデートをしても大抵は向こうが支払いを申し出、それを拒むような性格のタオでもない。
「じゃ、もったいないから、ムラサメがオフでもわたしは来るよ。速くて突拍子に乗ったアルペジオでも練習するわ」
とわたし。
「それなら、おれは延ばしてた用事を明日片付けるかな」
とムラサメが云い、翌日のオフが決まる。
「タオ、明後日は来るんだろ?」
とムラサメが問いかけると、
「予定では、そう」
と表情のない顔でタオが答える。
それから三人して無言で必要な片づけをし、タオのアパートから程近い、私鉄高架下の貸スタジオから出る。
時刻は午後十時半過ぎだ。
「じゃ、悪いけど、今日は送りはナシってことで……」
そう云うと、タオは近くのマーケットの駐車場に停めた軽自動車に向かう。
いつもはわたしをアパートまで送ってくれるが、その日は翌日の用事に絡んでか、独りでさっさと行動する。
「メシは?」
そのタオの後姿をボンヤリと眺めながらムラサメがわたしに訊く。
「あ、うん。アパートに帰って作って食べるよ。買い置きした食材腐らせるのもイヤだし」
ついで、ムラサメの顔色を窺い、
「何なら、ウチ来る? たくさん食べてくれれば一気に片付くし……」
と申し出ると、
「オレはダストシュートかよ」
と笑いながらムラサメが云い、
「また今度にするわ。おやすみ……」と
続ける。
「うん、じゃ、お休み」
だから、わたしもそう答える。
ムラサメなりに気を遣ってくれているんだろうと思いつつ……。
前にムラサメがわたしのアパートに来たときにはタオも一緒だったし、それ以前にムラサメは当時のわたしのタオに対する想いを見抜いていたはずだ。
「では、駅まで、ご一緒に……」
わたしがムラサメに云い、よっこいしょと結構重いギターケースを持ち上げる。
そんなわたしの横でムラサメもベースケースを持ち上げる。
わたしはそのときタオがわたしたちのバンドの売り込みに必死になっていたことに気づいていない。
それくらい自分が甘ちゃんだった、ってことだ。
ムラサメは当然知っていただろう。
それにしても当事あのタオが渉外を一手に引き受けていたとは、それを知った今でも、わたしには信じられない。
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