Ⅱ‐13 お忍び

 初日の演奏は無難にこなしたので、次の緊張は千秋楽まで持ち越される。

 その間、舞台では初日の録音が使用される。

 暇というわけではないが、独りお忍びでタオとムラサメにも告げず、ひっそりと箱庭トラヴェラーズの出し物を見に行く。

 だぶだぶのエスニックを着て、もちろんすっぴんではないが、すっぴん風メイクで変装眼鏡をかけたら、誰一人にも気づかれない。

 考えてみれば、それも淋しい。

 閑話休題。

 観客になりきって舞台を観ていると、演者としては見えない部分が見えてくる。

 お客さんの大半は、この劇団が好きでやって来るので純粋に芝居を楽しんでいるようだが、一部にはファンならではの拘りもある。

 前作、あるいは過去作との比較。

 演出のマンネリ度と変革性……というか改変性?

 ああ面白い、と納得する者がいれば、酷いな今回は、とダメ出しをする客もいる。

 実際に声として聞こえなくても、それは雰囲気で伝わってくる。

 もちろん、ぎゅう詰めに座布団が敷き詰められた、ごく狭い自分の周りの反応だけしか聞き取れなかったが……。

 演劇空間という生の――云うなれば――共同幻想で成り立つ嘘の場で進行するお芝居におけるお客さんと劇団員及びその演技を支えるスタッフたちの一体感は、わたしたちのステージとも通じている。

 けれども、やはり同じではなく、アレンジやインプロビゼーションもしくはアドリブや単純に人数の違いだけではない異なる質をわたしは感じる。

 でもまだ、わたしはそれを言葉に出来ない。

 いや、言葉にする必要はないかもしれないが、その雰囲気を伝えるのは――伝えられるのは――、やはり言葉や身体の動きや奏でられる音楽や、とにかく心の内にあるだけではない何かであることだけはわかっている。

 かつてわたしは元カレと一緒にごく短い期間だが死者の――より正確に云えば自縛霊の――想いを弔っていたことがある。

 あのときのわたしはきっと軽度の精神障害者で、実際にこの目で見たり聞いたりしていたモノ及び声は、おそらくわたし自身の脳内からの反映物だったのだろう。

 胸の奥からそうだとは賛成しかねるが、それが社会通念上、正しい解釈であることを、わたしは知っているし、わかっている。

 あのときの純粋な心が生んだ、とにかく楽しんで欲しいと云う感覚が、わたしがわたしたちのバンドに求める感覚により近いであろうと云うことも……。

 そしてその感覚が、少なくとも今回に限れば、箱庭トラヴェラーズの演目が醸し出す雰囲気との違いなのだろうと感じている。

 もちろんそれは良し悪しではない。

 自分たちのパフォーマンスを味わいに来てくれたお客さんたち、すべてのファンの人たちに対する想いの方は、まったく同じなのだから……。


堕天使/Our Angel was Rising


 つまらぬ喧嘩で妹は死んだ

 錆びたナイフで胸を刺されて死んだ

 駆け寄った姉は「どうしてわたしじゃなかったんだ!」と咽び泣いた

 その声がいつまでもストリートに響き渡った

 底辺だったから仕方がないが、この国はかつてこんな風じゃなかった

 けれども姉妹はそのことを知らない

 生まれてからの日常しか知らない

 汚れを普通と感じることしか知らない

 そして胸をナイフで深く刺されれば人が死ぬと云うことは

 幼い頃から知っている


 界隈に舞い降りた天使は見た

 沈んだ瞳でその光景を見た

 揺らいだ空気は「わおおおん、うわおん、わおうおん!」と伝わりつつ

 無関心な傍観者たちの心を揺さ振った

 神が見放したから当然だが、天使は残って堕天使と揶揄された

 けれども天使にはどうでも良いのだ

 天使には人の心がわからない

 せいぜい、その振幅が感じられるだけだ

 けれど涙の出ない構造である天使の目は何故か濡れる

 神と離れてからのことだ


 涙の枯れた姉は感じていた

 涙の枯れる前から感じていた

 頬を打つ風は「おまえは妹ではないのだ!」と語りかけて

 けれどもその声は姉の耳には届かなかった

 天使と人には同じ光景が、まるで違ったものに感じられるのだ

 けれども同調するところはあった

 深く深い宇宙の最果ての地で

 人の心と天使の夢が交わるのだ

 だから姉はその瞬間、胸の奥に微かな救いを感じ

 生きる希望も生まれるのだ

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