第5話 息詰まる銃後の暮らし&敗戦へ 🎌



 隣組を使った自主監視組織が銃後の日本をがんじがらめにしていた。戦局の悪化に伴って出征する男性が増え、女性や子ども、老人、病人が目立つ住宅地で、ひそかに絶大な猛威をふるったのが、在郷軍人会という退役軍人の集まりで、なにかと言えば恫喝する元軍人たちに怯えて暮らす日々に、力のない民衆は慣れるしかなかった。


 農村でも食糧は枯渇し始め、衣料品や生活用品は切符制となり、銃の弾にするというので家庭の箪笥の取手から寺の梵鐘までの金属が強制的に供出の対象となり、毛皮を寒い戦地で戦う兵隊の防寒具にするという名目で犬の献納が強制され、農耕馬まで軍馬として供出させられた。国家の一大事に逆らうことはいっさい許されなかった。


「撃ちてし止まむ」「神州不滅」「鬼畜米英」「欲しがりません、勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」といった勇ましい標語が飛び交うまちで、千代は戦地の恋人を思って女子青年団を陣頭指揮した。義雄からは中国大陸の奥地のソ満(ソ連と満洲)国境に近い場所にいるという葉書が届いたきり、それ以上詳しい実情を知る術がなかった。


 きっと無事に生きて帰ってくれる。そのために祖国を守るわたしたちは銃後という戦争に勝たねばならない。国からはそう言われていたし、本気でそう信じてもいた。いや、信じるしかなかったのだ。その意気ごみがときに迸り過ぎて、配下の団員たちを叱咤激励のあまり表情や言葉がきびしくなっていたことに千代は気づかなかった。


 

      *



 そんな千代の願いをよそに、義雄の家から痛恨の知らせがもたらされたのは戦局が行き詰った昭和二十年春だった。折しも東京にB29からの大空襲があったあとで、その騒ぎにまぎらすように届いた兄弟の白木の箱には、いずれにも遺骨が見当たらず、小さな丸石がひとつずつ、まるで無念の声のようにカラカラと啼いていたという。


 ――なんで、なんで、なんで義雄さんなの? 戦地へ行ったからってみんなが戦死するわけじゃないのに、なんで義雄さんが死ななければならなかったの? 村の人たちがうわさしているように思想的に好ましくない人物として人間の盾にされたの? だとしたら、わたし、絶対にこの国を許さない。きっと義雄さんの仇をとってやる!!


 千代は釣瓶井戸の水を汲みながら慟哭した。カランカランと鳴る滑車に義雄の声を聴き、ざあっとバケツに開けるときに、自分の泣き声を混ぜた。いくら嗚咽しても心が晴れるときは永遠にやって来ないだろう。生還したらきっと一緒になろうねと約束してくれたのに、義雄さんのうそつき!! これからどう生きていけばいいの……。


 高等小学校を卒業して農業を手伝っていた弟の達治は自ら予科練へ入り、士気鼓舞の映画『決戦の大空へ』を観て神風特攻隊を志願していた。ほかの弟たちも満洲開拓義勇軍に志願したり、妹たちとともに勤労動員に駆り出されたり、学校農場で野菜をつくったり、年齢で応召されなかった父親以外は、なにかしか戦争に関わっていた。



      *



 一九四五(昭和二十)年八月十五日正午、ラジオの玉音放送を二十四歳の千代は拳を握りしめて聴いた。「朕󠄁深ク世界ノ大勢ト帝󠄁國ノ現狀トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ吿ク」で始まった放送の、とりわけ「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍󠄁ヒ難キヲ忍󠄁ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平󠄁ヲ開カムト欲ス」の部分を……。


 堪え難きを堪え忍びと言うが、これまでのわたしたちの努力、いや、そんな生やさしい言葉では言い尽くせない日々はずべて徒労だったというのか。義雄さんをはじめ無為な戦争にたったひとつの命を奪われた人たちに、どうやって詫びればいいのか。生き残ったわたしたちの申し訳なさをどうして伝えたらいいのか、耳のない魂魄に!!



      *



 片道燃料だけの搭載で敵機めがけて飛び立った達治は、往路の途中でエンジンに不調が出て海に墜落し、九死に一生を得て生還した。満蒙義勇軍に志願していた弟は敗戦の混乱に巻きこまれて行方知れずとなっていた。それでも千代の家はまだ犠牲者の少ないほうだったので、近所に申し訳ないと、当分は鳴りを潜める生活になった。


 あらゆる価値観が一変した。進駐軍の上陸とともに戦時中は敵性語と禁じられていた英語が解禁になってジャズとともに華々しくもてはやされ始め、学校の教科書の軍事的な記述には教師の指導で墨が塗られた。その教師にしてからが、昨日まで教えていたことと真逆を教えなければいけない現実を受け入れることは容易でなかった。


 東京裁判で東条英機を筆頭とする戦犯の罪が糾弾され、民間の戦争協力者とみなされた人たちにも一定期間の公的活動が停止されると、戦時下で押さえつけられていた国民は手の裏を返したように犯人さがしを始めた。戦地の義雄への思慕を隠して女子青年団長として旗を振っていた千代にも、辛辣な視線や言葉の刃が向けられた。




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