落日

 私は静寂の方へと向かっていた。特別に思い出という訳でも、近頃気に入りの場所という訳でもない。名だけは知っている丘に、世界を見下ろしに行きたかっただけ。ただ、それだけだった。


 黄昏の丘。山のないこの街で、何よりも空に近い場所。坂道を上った先にあったのは、透き通るような赤空と、不自然な程に白くたなびく布地だった。先着者は私を流し見て微笑みかけては、艶やかな長い黒髪をワンピースから自然に離してこちらへ歩み寄った。

「こんにちは。……いえ、こんばんは、かしら?人工衛星も焼け堕ちてしまったようだし、こんな一瞬で時計も星も、何もかも機能しなくなってしまうだなんてね。」

「朝ではないんですね、お嬢さん?」

「ええ、私、覚醒していますもの。」

 元気良く回ってしまう彼女に、私は一抹の可笑しさを覚えた。丘は徐々に赫炎に染められ、世界終末時計の秒針が合わさる時が刻一刻と迫っていることを知らせている。

「貴女は、どうしてここに?」

「質問ばかりね、貴方。……まあ、いいわ。他人の事を知りたいと思ってしまうのは、当然のことですもの……。例え、それが最期の日だとしても。____何となく、よ。神へ祈る新参の仔羊も、人肌恋しい愚か者も、貴方でさえ……。皆、そんなものでしょう?」

 彼女の視線の先には、可視化された終わりとそれを受け入れる人々。二度と会うことの無い別の生命体のディテールを詰めようと、必死に語り合う姿はあまりにも愚かで、愛おしい。吹き荒れる風が教会の鐘を揺らす中、あの日の放課後かのようにかつてのクラスメイトが手を取り合っていた。

「ねえ、人間なんていなければ良かったのよ。あんな禍々しい雄叫びと偽善を上げる醜い物体よりも、罪の果実の方が、よっぽど____。」

 その時、視界は完全に想い出の色に染まった。その色は今を生きる私達を過去へと逆行させ、やがてこの丘が、この世界が決壊したのだと脊髄で呑み込ませた。熱が高まり凍りつくほど寒く、宇宙を全身に受ける。最期の思考と覚醒を妨げるように、彼女が言葉を紡いだ自然が目線を通りすがるのが何となく分かった。物を語らぬ無機物に、酸いも甘いもないだろうに。いつも身近に居て、そうして今も……あまりにも、残酷なのだ。

「そうでしょうか、私は____。」

 手を伸ばした先で当たったコンクリートが、私の腕ごと体を突き飛ばす。きっともう、永遠に感じることの出来ない感触に微笑みを浮かべては、その美しいものと一緒に夢の世界へと旅立った。

 ____おやすみ、本日の全生物。

 そうして、二度とその対義語を聞くことはなかった。

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