短編集

千葉 蒼依

恒久、等しく夢の中

いろはにほへと ちりぬるを

わかよたれそ つねならむ

うゐのおくやま けふこえて

あさきゆめみし ゑひもせす

『いろは歌』より


 この国は冬に閉ざされた。正確には、この国の文化・建物・人は全て、永久とも呼べる眠りについたのだと言っていいだろう。元凶である我が国の最高神は、冷たい氷の中で永遠の夢を見ている最中。国民と共に、終わらない国、和平と天下統一が約束された国で、遊興に励んでいるのだろう。幸運なこちらの気も知らないで。

 私はとある御守により、この難を免れた。唐突に訪れた冷気に全てが一瞬にして凍りつく中、私の持っていたお狐様の御守が弾け飛び、私を守る熱気となったのだ。私を中心にして、救いを求めるかのように手を差し伸べるあの氷像が今は懐かしい。どこまで歩いても白と氷しか出てこないこの地では、もはや私の出発点がどこであったかもわからない。

 この国は、変わっていない。私がこの地で一人記録を始めてから何年経っただろうか。昔、絶望の中で作成したかまくらの中に氷があったので、それに傷をつけて日数を数えていたのだが、哀れなことに私が起こした火によって二日分の傷が溶けてしまったため使い物にならなくなった。元々空白だった二日間が実際に空虚になったところで、名実ともに二日間が空しく消えただけであって、何も変わりはないのだが。

 私はこの絶望の地で、雪と氷以外の味を探して歩いている。空を時々舞う飛行機があることから、私の国だけで起こっている現象であり、国を脱出すれば四季の味を手にすることができるのだろうが、残念ながら脱出方法はない。神が創り出したこの空間に立ち入った者は、たちまち冬眠に入ってしまう。船や飛行機を各地から送ってもらったとしても、この国の領土・領海・領空に入った瞬間に凍ってしまうのだ。いつか落とされたあのミサイルは上空で止まったまま。そんな風に様々なものが落とされ、時間が止まったように空中に静止するため、現在のわが国の上空はどこかルネ・マグリットの『ゴルゴンダ』のようだ。学生時代は美術の教科書に載っていたあの絵を見て「現実的でない」と笑っていたものだが、全く笑えない状況になってしまった。

 永遠に変わらぬものなんてないと言い放った昔の貴族が今の風景を見たら何というだろうか。きっと、驚きすぎて顎が外れてしまうに違いない。そして、「これは誠か」と言うのだ。そしたら私は貴族の顎を蹴鞠の鞠として蹴ってやってから、「バーカ誠だよ」と言ってやる。

 この国に四季は来ない。あるのはただ、静寂のみ。この国に色彩も無く、雅さの欠片も無くなってしまった。失われたこの地を私は生きている。氷の中に閉ざされた仮想都市。それを見るたびに、今、この氷が解け、太陽が射し、またいつも通りの生活に戻るのではないかと思うのだ。辺りを見渡せば、凍り付いたマンションがあった。一階にはお肉専門店が入っており、二階には保育園。三階から、恐らく八階まで連なるベランダの、五階の端の方に、洗濯物を干している主婦が居る。ああ、きっとあの洗濯物も氷の中に閉ざされて綺麗さが保たれているよ。良かったな、この災害が雨でなく、雪で。マンションの脇に続く道に入り、分岐点で分岐することなく道を進んでいく。すると、左手に小学校が見えてきた。門も施錠されていなかったため、私は中に入ることにした。

 門を抜け、さらに校舎を抜けると、校庭に続く道に桜並木があった。この現象が起こったのは春のこと。桜が咲きほこり、とてもきれいだったのを覚えている。しかし、今では桜も……

「……おや」

 つい声を発してしまう。それも仕方がないだろう。私の目の前にあったのは、解凍された桜の枝だったのだ。可愛らしい桃色が、茶色の繊細な枝の先にぽっとついている。幹から枝の中間までは凍っており、その枝先を除いて全てが冬眠の中に居たが、その枝だけは確かな春を生きていて、目じりから出た涙は氷となって落ちてしまったけれど、なりふり構わずその桜の枝を折る。根本から凍り付いて、あなたごと夢へ落ちないように。結局のところ、私は四季を共に生きる仲間を探していたのだ。

「君も、生きているのか」

 こくりと頷いた桜の枝は、私の暖かさを分けてほしいとでも言わんばかりにこちらへ擦り寄ってくる。ああ、可愛らしい。私も桜を手で包み込むと、桜は落ち着いた猫のようにおとなしくなった。私は桜の幹へ、桜と共に座った。

「なあ、桜。……最後に、四季を見つけさせてくれてありがとう」

 桜はこれからのことを聞くように私を見ている。私は静かに首を振り、

「私はもう疲れたよ。……執念……。永遠への拒絶……。……この地が永遠でないというのならば、構わない。私も眠ろう。……この地に春はいつか訪れる。そう、確信したんだ……」

 目を閉じる。熱を持つ桜と熱を分け与える私。お狐様、ありがとう。もし春が来たら、起こしてくれ。その時はこの桜と共に、この広大なる大地を迎えに行こう。


 子どもたちの笑い声。校庭で遊ぶ、永遠に若い子達。熱が空から降り、風が巻き起こる。この国は変わらない。

 ふと手に暖かさを感じた。そこに春巻きが乗っていたので、口に放りこんでみた。味はなかったけれど、最後まで呑み込んで、そしていつか、私にその栄養がいきわたるのだろう。その時は、いつになるだろうか。

 凍りついた彼の手元に乗っていた桜の花弁から、露結した雫が一滴流れて、土に溶けた。


香がよく、色も鮮やかに咲き誇っている花もやがては散ってしまう。

この世に生きている我々もまた、永遠に生きれるわけではない。

この無常ともいえる有為転変の深い迷いの山を越えて

儚い夢を見ることもないし、空想の世界に耽ることもない。

『いろは歌』意

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