03・中田英寿

 日本サッカー史上最高の選手は? と問われると、一部の方は『中田英寿!』と即答することがあります。

「中田のキャリアって微妙じゃない?」

「過大評価の塊!」

 という方もいらっしゃいます。

 なんで、そんな彼が日本史上最高の選手のひとりと言われるのでしょう???


 中田さんは二十歳でA代表に選出され、すぐさまエースになります。

 この時点でいろいろとおかしいですよね?

 当時は中盤の司令塔たる司令塔がいなくて、「ラモス瑠偉を代表に復帰させろ!」という声も挙がっていたくらいでした。


 それでまあ、1997年当時というのは、日本代表はアジア予選も突破できないくらいの立ち位置で居たわけです。

 アジア第三代表決定戦で、中田英寿さんは、ゴン中山さんへのスルーパス、城さんへのクロス、そして岡野さんのVゴールの前のシュートを放つ、と日本代表の3ゴールすべてに絡んでいるわけです。

 なので、これだけは言えるのです。

『日本代表は、中田英寿が居なければ、1998年のフランスワールドカップには絶対出場出来ていなかった!』

 と。


 1998年のフランスワールドカップ。

 日本代表でまともにパスを繋げていたのは、名波さんと彼だけでした。

 そして、イタリアのペルージャに買われていくわけです。

 今現在の日本では、0円移籍も多いですよね?

 中田さんはベルマーレ平塚にちゃんと300万ドルの移籍金を置いて、イタリアへ行くのです。

 これは彼はちゃんと必要とされているということです。

 当時のJリーグでは破格でした。


 多くの日本人は懐疑的でした。

「カズも通用しなかったイタリアで中田が活躍できるわけがない!」

「実際、ペルージャからしかオファーがなかったらしいぞ」

 などですね。


 フォワードは二桁得点挙げれば優れたFW、ミッドフィルダーの場合、8ゴール挙げれば超優良MFと言われています。

 中田さんはPKが多いとはいえ、10ゴール挙げます。

 それも、デビュー戦で当時世界最強だったユヴェントスから2ゴール!!!

 これは、もんっのっすごいことですよ!


 そしてローマへと移籍します。

 

 当時のローマは、今でいうマンチェスター・シティとかみたいな立ち位置なクラブでした。

 中田さんはボランチへとコンバートされますが、やはり本職はトップ下です。

 そのトップ下が、イタリア歴代最高のナンバー10のひとりと言われるフランチェスコ・トッティでした。

 さすがに相手が悪い……


 そしてボランチでポジションを争うのが、当時のブラジル代表監督、ルイス・フェリペ・スコラーリに「セレソンのスタメンは、彼と他10人だ」とまで言わしめたエメルソンでした。

 エメルソンは2002年のワールドカップは事前合宿で、遊びでやったゴールキーパーのため負傷しており、スコラーリ監督は相当頭を悩ませたみたいです。


 中田さんは、今でいうデ・ブライネ選手や、ロドリ選手の控えのような感じでした。

 そのときのローマは外国人枠が『獅子王』ガブリエル・バティストゥータ、『機関車』カフー、『防衛庁長官』ワルター・サムエルなどで埋まっており、中田さんがそれらを押しのけられなかったのは事実ではあります。


 しかし、『EU国外労働者の取り扱いに関する法律』が変わり、イタリア・セリエAは外国人枠をシーズン途中で撤廃します。

 その結果として、対ユヴェントス戦の中田選手の伝説の試合が生まれるのでした。


 その後、彼はイタリア国内を転々としますが、パルマやフィオレンティーナでは『背番号10』を身に着けます。

 イタリアという国は『背番号10』をとても大事にする国なわけです。

 ナポリのマラドーナ、ユヴェントスのプラティニ、ウディネーゼのジーコ……

 それが日本人である中田さんが纏うというのは途轍もないわけです。

 最終的には、イングランドのボルトン・ワンダラースのサム・アラダイス監督に嫌われて、彼から「引退を歓迎する」みたいな言葉を吐かれてしまうわけですが……




 もし、中田さんの功績に疑いを持つ人がいれば、彼が開拓者・パイオニアであったことを忘れないでください。

 メジャーリーグの野茂英雄さん、イチローさん。

 もっと振り返れば、マッシー村上さんであったかもしれない。


 確かに瞬間最大風速では香川真司選手の方が上です。

 代表での実績は本田圭佑さんに劣ります。

 持続性では先日引退発表された長谷部誠選手の方が一日の長があります。


 けれども、それはすべて中田さんが土台にしたものなんです。

 これは釜本さんも、奥寺さんも出来なかったことです。


 今現在の日本サッカー選手の海外移籍は、中田さんが基です。

 Jリーグはもはや欧州から見てレッドオーシャンであり、高校サッカーすら海外のスカウトは見ています。


 昔は、ワールドカップや欧州選手権は選手の見本市でしたが、今ではそんなことをしなくとも純粋な国内リーグ戦の出来不出来で獲得が決まります。

 中華人民共和国から海外に移籍するってあまり聞いたことないですよね?

 それは、欧州のスカウト網から中国リーグがレベルの低さのためシカトされてるということでもあります。

 Jリーグもこういうこと、起きえたかもしれません。



 確かに、純粋なフットボーラーとしてのセンスや、キャリアは他の選手に劣るかもしれません。

 けれども、確かに1993年から2006年に至る流れの間に『中田英寿の時代』は確実にあったわけです。

 彼が居なければ、少なくとも日本サッカーは4年遅れていた。

 それも、『ワールドカップ初出場を開催国枠で決める』という歴史的不名誉とともに。


 中田さんは現代サッカーにあまり興味がないようですが、それも彼の生き方です。

 やっぱり、でも。

 その経験を日本サッカーに使って欲しいとは思いますけどね……

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