第23話 エピローグ
闘神の消滅から一ヶ月、異国に繋がる門で、旅支度を済ませた俺は国を発とうとしていた。
見送るのは天照院の三人に、禁酒を始めたフォボス。
「本当にトラキア復興を手伝わなくていいのか?」
「うん。貨幣価値も知らなかったレイキは必要ないし」
「がはっ」
フォボスの言葉が胸を抉った。
この一カ月で、外の常識は大方フォボスに叩き込まれた。勉強経験皆無の身にはきつかったが、笑顔で次々と問題を出してくるフォボスに逆らえなかった。
「それに、君をトラキアに縛ったらプテロンとイコルに怒られちゃうよ」
「……そうだな」
ひと段落つけば世界を旅してまわりたいと考えていた。
先生が話してくれた旅路、英雄の物語をなぞりたかった故の考えだったが、こんなにも早く実現するとは思わなかった。
「諸国を周るだけじゃなく、君に託した使命、忘れてないよね?」
本当に旅に出るだけだったら、意地でもトラキアに残って復興を手伝った。
しかし、俺はフォボスから重大な任務を任されていたのだ。
「君に託すことは二つ。一つは名を挙げること。アレス様はオリュンポスの中で序列十位、その上『格落ち』だった。はっきり言って、トラキアは舐められているのです」
眩暈がしそうな事実だが、アレスは神々の中でも下から数えた方が早い。
外の世界は神々への叛逆で忙しなく動いてる最中、俺たちはアレスに支配されてた。その事実はトラキアを見下すに足る理由であり、実際フォボスも外交の際に侮蔑の視線を感じ取ったらしい。
「だから、偉業を成して、その度に言うんだよ。我こそはトラキアの英雄、レイキである! ってね」
俺は、他国の神々への叛逆に助力するつもりでいる。賢者に英雄となれと言われたからじゃない、俺自身が【八叛雄】の意思を継ぎたいんだ。
その際に功績を立て、トラキアに関して言及することでトラキアの格を上げる。
そんな上手くいくかは疑問だが、しないよりはマシだろう。フォボス達は中から、俺は外からトラキアを復興するのだ。
「君が活躍してくれれば、私達も嬉しいし」
ふふ、と唇に指を当てて笑うフォボスは清々とした表情だった。
彼女は決戦を経て変わった。お酒をやめ、やつれた口調も直し、文字通り麗人に相応しい女性となっている。今やトラキアの女子の憧れらしい。
「二つ目は、ついでで良いんだけど、清冽の魔女について。レイキの褒美を受け入れた理由は、彼女の予言だから」
気を引き締める。
清冽の魔女。アレスに助言をし、俺の褒美を受け入れやすくした者。彼女の助言がなければ、俺はイコル戦の後に消し炭にされていただろう。
「敵ではないと思うんだけど、ちょっときな臭い。その魔女はトラキアの叛逆を裏で操っていた可能性がある……あくまで予想に過ぎないんだけどね」
予想の範疇を超えない故に、ついでの使命。
第一の使命は名を上げることである。それは再三言われており、耳が腐るほど聞き及んでいる。
では、なぜこんなにも出国前に長話をしているのか。
単に交友の深まったフォボスとの別れを惜しむという意味もある。
しかし、一番の理由は、天照院からずぅっと腰に抱きついている双子だ。
「「行っちゃやだー!」」
「うぅ、決意が鈍る」
何度説得しても泣くのを止めないフィロスとアガロスである。出国決定時から話し合いを重ねたが、二人が意見を変えることはなかった。
無理もないとは思う。決戦でプテロンとイコルは死んでしまい、残った俺は国を出ていく。
うん、俺が二人の立場だったら号泣している。
「やっぱ残ろうかな……」
「簡単に意見を覆すんじゃないよ」
「いたい」
ヘリオスの
慣れたように養母は二人を引き剥がし、見送り側として立たせた。
「ほら、レイキが行くんだ。笑顔で見送るのが筋だろう?」
俺が行かなきゃいけないことは、二人は理解している。
だから、この一ヶ月とことん俺に甘えた。三人でお風呂に入ったり、ヘリオスも巻き込んで一緒に寝たり、別れの時間が迫るに連れて、甘える頻度は多くなっていた。
「「ぅぅ……」」
未だ俯いてる二人の前に立ち、大きく手を広げ――精一杯抱き締めた。
抱き締める力が強いという抗議を無視して、耳元で二人に言葉を贈る。
「フィロス、アガロス。俺はトラキアを出る。俺の留守の間はヘリオスを頼んだぞ」
「え……?」
「お母さんを……?」
トラキアは変わったとはいえ、まだ火種は残っている。
フォボスの案で格闘技に昇華させたりと、闘争から離れられない者達に配慮はしているが、完全に治安が良いとはいえない。
「イコルもプテロンも俺もいない。だから、二人がヘリオスを守ってあげてくれ」
二人の肩に手を置いた。
俺の言葉を聞いた二人は目を丸くし、強く頷く。
フィロスは鼻を鳴らして、アガロスは涙を拭った。
「絶対、お母さんを守る!」
「だから、レイキ兄さんは安心して行ってきてください!」
「よし、それでこそ俺の自慢の妹と弟だ」
俺は立ち上がり、ヘリオスに身体を向けた。
何だい、と目線が送られてくるが、無視して地を蹴り――大きくヘリオスを抱き締めた。
「アンタ、何を」
「今まで育ててくれて、ありがとう、母さん」
「ッ……」
俺は知ってた。
俺たち三人を決戦に送り出す時も、今二人を諭してる時も、僅かにヘリオスの声が震えてた。
「俺にはいっぱい誇りがあるんだ。プテロンとイコルの弟なこと、先生に師事したこと……他にも沢山あるけど、一番最初の誇りは母さんに育てられたこと」
「……やめて、おくれ」
「やだね。母さんが言ったんだよ、言葉にして伝わることがあるって」
イコルとの距離感を掴み兼ねていた際、言ってくれた助言は忘れない。
育ててくれた恩義を口に出す、そのことを憚る理由もない。
「今生の別れってわけでもないんだ。必ず帰ってくるよ」
そう言って、震える身体を離した。
ヘリオスは何かを堪えるように空を見上げて、俺の頭を無造作に撫でる。
「アンタは、外の世界で名を上げなきゃいけない。それなら、"レイキ"だけじゃ物足りないと思わないかい?」
顔を上げると、ニカッと勝気な笑みを浮かべる養母。
名字は親がいる者のみ与えられ、孤児は貰えない。その証拠に、トラキアでは名字持ちはほぼ居なかった。
「レイキ・テンショウ、そう名乗りな」
「てん、しょう……」
戦意や勇気とは違う、熱いものが胸を焦がした。
双子が決意を示して見送るのなら、養母は名字を送って見送る。
それが、彼女なりの別れの儀だった。
「私は、フィロス・テンショウ」
「僕は、アガロス・テンショウ」
双子も気に入ったようで、何度も自分の名前を連呼している。
「じゃあ、母さんもヘリオス・テンショウだな」
「ッ!」
「どうした?」
そう言うと、養母は目を見開いた。
まるで、自分には受け取る資格がない、そんな表情をしていた。
「……あぁ、そうだね。私も、家族で居られるんだね」
「当たり前だろ」
笑いかけると、彼女は笑い返してくれた。
家族との別れは充分だ。これ以上長居すれば、瞼から何かが溢れてしまう。
「行ってくる」
四人に背を向ける。
「頼んだよ、トラキアの英雄」
フォボスは
「さようなら、レイにぃ!」
フィロスは最後まで別れを惜しんで。
「こっちは任せてください!」
アガロスは胸を張って安心させるように。
「アンタの未来に、太陽の祝福がありますように」
ヘリオスは一心に息子の無事を願った。
「さようなら、忌まわしき
歩みを進める。
目指す先は美神アフロディーテが統治せし国。
これより自分は、叛逆の道を疾駆するのだ。
これが、最後の転換点の
かくして異端者は揃い、人類の叛逆は再び針を進める。
因果は巡り、想いは繋がれる。
二百年越しの能力は継がれ、賽は既に投げられた。
世界の命運を握るは――――十三番目の
十三番目のエレティコス レイジ @rongominiado
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