第21話 破綻者





 記憶の中の姉は、いつも泣いていた。

 誰にも見えないところで泣き喚いてた。

 深夜に枕を口に当てて、嗚咽を殺してた。


『デイくんは将来何になりたいの〜?』


 そのくせ、自分には朗らかな顔しか見せない。


『デイくん! 美味しいお店フォボスに紹介してもらったんだ! 一緒に行くよ!』


 過保護、という言葉では語り尽くせないほど、姉は僕に傾倒してた。

 毎日、血だらけで帰って来て、僕を強く抱き締めては、人が変わったようにご飯を作り始める。


 姉の為に何も出来ない自分が嫌いだった。

 姉の涙を拭う資格さえない自分が大嫌いだった。

 でも、いつか話してくれると信じてた。僕は、たった一人の家族だから。


 闘争義務が発生して、姉が闘威持ちだと知った。

 別に、特に何も思わなかった。

 姉が凄いのは誇らしいし、沢山殺してたところで、姉以外の生命に価値を見出せなかった。

 だから、どうして、姉が僕を化け物のような目で見つめるのか、全く分からなかった。


 姉が【闘威一黎】になった。

 よく分からないが、一番強い闘士らしい。

 自称姉の大親友の人に教えてもらった。姉と一緒の呼び方をして来たので、本当にやめてほしいと頼んだ。

 そして、一番の闘士になってから、姉が僕の前で泣いてくれるようになった。

 嬉しかった。

 ようやく、両肩の重荷を僕に託してくれる時が来たと胸が震えた。

 瞼を腫らしながら、姉は口を開いた。


『――――――い……!』


 それは、最初で最期の懇願だった。

 姉からの初めてのお願いを聞いた時は、よく分からなくて、頭がグルグルして、熱が全身から湧き出て。


 ――気づいたら、【下剋上】を申し込んでた。










『デイモスと交戦する、そっちは頼んだ』


 近しい者のみ送られる通信。

 おそらくプテロンも聞いているであろう簡潔な言葉に、イコルはため息を吐いた。


「……ちゃんと勝ちなさいよ」


 彼の絶望はまだ其処じゃない。

 膝を折る場所は、闘神の前。自分の見ていない所で勝手に死ぬのは許さない。

 お前の無様な泣き顔を見るのが、協力の対価なのだから。


「愛しのプテロン様からの通信?」

「ひゃっ!」


 耳元で発せられた疑問に、思わず変な声を上げる。

 振り向くと、生暖かい笑みを浮かべた長身の女性。


「あらら、ごめんなさいね」

「……私たちは精鋭隊、もっと緊張感を持ちなさい」


 イコルに与えられた部隊は精鋭隊。

 水魔術使いのみで構成された隊、闘神の動向の把握を目的とした別働隊である。

 この戦、闘神が先鋒に突き進んだとしたら終わりだ。敵味方関係なく、沢山の血が闘争区に流れることとなる。

 故に、治癒に長けてかつ勝利数の多い者が十人選出され、北川へと隠れて進んでいる。


「別に私はプテロン様をそういう眼で見てない」

「ここに居る全員イコルちゃんの好意に気づいてるわよ」

「なっ!」


 周りを見渡すと気まずそうに目を逸らす精鋭隊各員。全員にバレていることを悟り、頬が沸騰するほど熱くなる。


「な、なんで……?」

「プテロンと話す時だけ、大好き発情オーラが出てるわよ」

「は、発情!?」


 ガーンと効果音が付きそうなほど、イコルは肩を落とす。確かに抱きしめられたあの夜から、抑えてた欲が漏れている自覚はあったが、発情と評されるとは。

 意気消沈のイコルを、長身の女は笑って慰める。


「良いじゃない、どうせ両思いなんだし」

「どういうこと?」

「……えっ? あー、まじか、そういう感じかー」

「ちょっと、詳しく言いなさいよ」

「聞かなかったことにしてちょうだい。じゃないと私がプテロンに殺されるわ」

「本当に何なのよ!?」


 ため息を吐く女をイコルは問い詰めるが、当の女は困ったように他の隊員に助けを求めるのみ。

 隊員は当然目を逸らす。少女に何かあれば、プテロンに何をされるか分からない。


「ふふ。でも、良いと思うわ、そういうの。この決戦がなきゃ、イコルちゃんとこうして話すなんて考えられなかったし」

「……まぁ、それはそうね」

「だから私は、レイキの思う国に賛成よ。最初は綺麗事だらけの子供だと思ってたけど、あの輝きに当てられたら逸らすことなんて出来ないわ」


 レイキは理想を叫び、裏付ける偉業を成してきた。訓練の中で彼の人格に触れた上で、彼女たちはこの重要な隊に所属した。

 彼は国の在り方を証明し、共に戦いたいと言った。ならば、任せられた仕事はこなさねば。


「もうすぐアレス様の場所、配置について」


 音もなく精鋭隊が散開していく。

 闘神との距離はかろうじて目視できる程であり、仕事は交戦ではなく動きを逐一報告すること。

 精鋭隊の空気は僅かに緩んでいた。だからこそ、闘神の強さを身をもって知っているイコルしか、異変に気付けなかった。


「なにか、呟いてる……?」


 眼を凝らせば、口元が動いている。

 読唇術の要領で解読を試みて、背筋が凍った。


 ――ふむ、十人か。

 

 その言葉を理解した瞬間、イコルは首輪に向かって叫んでいた。


「みんな、飛んで!」

『え?』


 采配に間違えがあったとすれば一つだけ。

 精鋭隊は勝利数の多い実力者ばかり。己の力に自信があるため、他者の助言にすぐ従うという技能が抜けていた。

 故に、全方位に放たれた神の雷閃に、イコル以外は避けられなかった。


「――――ッ!」


 潜んでいた建物ごと、雷の斬撃が消し去る。【飛輪星】の上位互換、殺傷性に特化したそれは、予備動作もなく放たれた。

 爆音と共に周辺の家屋が崩壊し、砂埃が巻き上がる。


「うそ、でしょ……」


 全滅。

 咄嗟に上空に退避したイコルは戦慄と共に呟く。

 イコルを除く精鋭隊九名全員が絶命していた。先程まで揶揄ってきた女は、身体を断絶され、苦痛を感じる暇もなく事切れている。


「ほぅ、一人見所のある者がいると思えば、四黎か」


 イコルは歯噛みする。

 最悪の状況だ。

 レイキは交戦中、プテロンも連絡が取れない。すなわち、数分間、闘神相手に時間を稼がねばならない。

 隠れていても無駄と悟り、アレスの前に降り立つ。


「他の者は弱すぎたな。撫でただけだぞ?」


 女を含め、精鋭隊の者達とは数日の付き合いだ。涙を流すほど悲しみはなく、心は落ち着いている。

 だが、レイキの思想に賛同し、明るい未来を夢見た彼女達に報いるために、闘神に一撃程度はくれてやらねばなるまい。


「普通に殺すわよ、


 湧き上がる怒りを込めて、イコルは睨みをぶつけるのであった。


 




『デイモスと交戦する、そっちは頼んだ』

「おい、レイキ!」


 首輪を何度も叩き、かけ直すが反応しない。完全に遮断された。通信をとる余裕がないのは分かるが、返答くらいは聞けと、弟に吐き捨てる。


「レイキがいたのは南西辺り、今から走れば間に合うか」


 プテロンは隠密隊に属し、連携でも倒しきれない強者を集中して刈り取っていた。

 そのおかげもあってか、戦況は拮抗状態。

 有名な闘士は軒並み倒した。一方的な状況にはならないだろうと思い、弟の援護に向かおうとした時だった。


「なっ――――」


 螺旋状の矢が、本陣に放たれたのは。

 建物を抉りながら進んでいく。抉って出た瓦礫までもを吸収して進む矢は、さながら竜巻の如く。

 本陣にレイキこそいないが、指揮官は多くおり、崩壊状態となれば、戦場の拮抗は瓦解する。


「【暗獣ネメア咆哮フォナゾ】!」


 闇の咆哮が、螺旋矢を呑み込む。

 反射の域で上空に飛び出し、全滅に繋がる一射を食い止める。

 完全に不意をつかれた一撃。空中ということも相まって不完全な体勢での迎撃となった。

 その隙を【闘威ニ黎】は逃さない。


「くっ……!」


 一射目に付随した放たれた二射目が右腕に突き刺さる。痛みは少ない。

 ただ、矢尻に付与された【螺旋】の影響で、魔術式が崩される。身体を覆う闇が一部ほつれ、右腕だけ生身を晒した。


「前のお前ならまだしも、戻ったお前なら守ると思ったぜェ」

「来たか――フォボス」


 夕陽を背に矢をつがえる女は、舌舐めずりをしてプテロンと対峙した。

 【螺旋】

 対象に螺旋を付与できる異能。

 矢全体に付与し擬似的な竜巻の一射にしたり、矢尻のみの螺旋で魔術式を乱すことも出来る。

 これこそ、フォボスの異能。彼女を【闘威ニ黎】たらしめる超常の力。


「アンタの相手はアタシさァ」

「お前、デイモスの邪魔をさせないために……!」

「さぁなァ! そもそも、殺し合いの前に御託はいらねえよォッ!」


 弓を引き絞り、螺旋矢が再び放たれる。

 豪速で放たれた矢を、間一髪の所で回避し――上からの崩壊音に眼を見開いた。


「視野が狭いんじゃねぇかァ?」


 先の矢で狙ったのはプテロンではなく、真上にある家屋の屋根。煉瓦製の瓦礫がプテロンに降り注ぐ。

 ひたすら殴り砕くが、捌けなかった一部が顔に当たり、額から血が流れた。即座に回復をかけつつ、フォボスを睨みつける。

 

 【血闘】を弓矢で挑む者はほぼいない。強者であるほど数多の魔術を編み出しており、一を射抜く弓矢と百を殲滅する魔術、どちらが強いかは明白だ。

 そんな当たり前を壊したのがフォボス。

 トラキア一の弓兵にして、デイモスよりも優れた技巧の戦士。


「わりぃが、付き合ってもらうぜェ!」


 闘争国最高の弓兵に、闘争国最速の青年は向かって行った。











「はぁぁぁ!」

「ラァ!」


 互角。

 炎槍が大群で迫れば、炎剣の爆破が行進を阻む。

 炎爪が心臓を狙えば、炎の双剣が弾き、【盈月】で迎撃に移る。

 対峙してから数分間、二人は一度も休まずに近接戦闘を続けていた。


「【狼化】してる割には冷静だな」

「決戦に備えていたのは、貴方たちだけではないのですよ」


 舞い散る火花の上で、会話が繰り広げられる。

 レイキが賢者の下で必殺技開発に打ち込んでいたように、デイモスも【狼化】の弱点克服に勤しんでいた。


「貴方を、確実に殺すためにね」

「その割には、爪が鈍ってるじゃないかッ!」

「ッ!」


 レイキは炎爪の合間を縫って踏み込んだ。

 狼の懐に潜り込み、【伊邪宵】で横薙ぎする。寸前に身体を逸らされたが、短剣に伝わる確かな感触。

 迎撃に放たれた炎爪を【玉鉤】で防ぎ後退する。眼前には胸部に斬り込みが入った狼の姿。


「半年前は一撃も駄目だったが、先手は貰ったぞ」

 

 膠着状態に一石が投じられた。

 デイモスは胸の斬り込みを触り、傷をなぞる。


「……貴方が命懸けで弟を助けた日から苛立ちが止まらないのですよ」


 なぞる力は段々と強くなり、いつしか傷を掻き始める。


「プテロン戦を経て確信しました。私は、貴方が大嫌いだ」


 掻きむしり、火傷で封じられていた胸から血が溢れる。

 自傷行為ともとれることしておきながら、デイモスの表情は一片たりとも変わっていなかった。


「それは、エニュオという人が関係しているのか?」

「――なぜ、その名を……いや、フォボスですか」


 糸目を見開き、驚愕を露わにするが、姉の名を知る者はデイモスの他に一人しかいなかった。

 明らかな動揺に、レイキは此処が切り口だと当たりをつける。


「前任の【闘威一黎】で実の姉だったそうだな」

「えぇ、そして、私が殺した者でもあります」

「何故だ? 聞く限り関係は良好だったんだろ?」


 殺した手段は【下剋上】、デイモスが殺そうとして殺したに他ならない。

 疑問を投げられたデイモスは一瞬身体を硬直させたのち、高笑いを上げた。


「あははは! 本当に、貴方が嫌いだ」

「ッ!」


 脱力状態からの特攻。

 予備動作のない炎爪での突進を、レイキは防ごうと双剣を構えて――血が目に入った。掻きむしって流れたデイモスの血、それをかけられたのだ。

 視界不良により、双剣を上手く構えられず、炎爪が腹部に突き刺さる。


「がはっ!」

「何故? そんなもの、頼まれたから決まってる!」

「頼まれた、だと……?」

「えぇ、初めての頼みでしたよ!」


 猛攻を続けながら、デイモスは語る。

 初めて頼られたことが嬉しく、嬉々として姉の言葉を待ったと。


「姉は泣きながら言いました!」

『――もう、闘争に狂いたくない……!』

「ッ!」

「だから殺しました! 殺すことが唯一の救いだと信じていたから!」


 デイモスは嗤って、炎爪を薙ぐ。

 今でもあの判断は間違えではない、胸を張ってデイモスは言える。


「姉は死ぬ間際、に『ありがとう』と言った! 安心したよ。僕の選択は過ちではなかった、僕の行動は彼女にとって救いだった!」

「ぐぅっ!」

「なのに、どうしてお前は、狂ったプテロンを殺さずに救えたんだ!?」


 激情と共に、デイモスの脚撃がレイキの顔面に突き刺さった。

 回復をかけると同時にレイキは理解する。

 今の言葉が、己への嫌悪感の根本である、と。


「血の繋がりもないのに、心を通わせ、ぶつかり合い、プテロンを救った。プテロンは輝きを取り戻したのに、僕の姉は骸となった」


 レイキは血縁ではない弟を守り、狂気に堕ちた兄を元に戻した。

 その光景を間近で見続けたデイモスは納得できない。レイキが家族と共に輝くのを見て、自分の判断は間違えでなくとも、最善ではなかったのか、そんな疑惑が膨らみ続ける。


「僕は、狂人じゃない。破綻者だ。誰しもが持つ殺害への忌避感を持ち合わせていなかった」


 ご飯を食べて、歯を磨いて、服を着て、仕事をして、床に就く。

 そんな当たり前の行動に、疑問は抱かない。デイモスの中では、人の殺害もその内に入っていたのだ。

 だから、姉の心に寄り添えても、理解することは出来なかった。【血闘】をするたびに、姉が泣いていた理由が分からなかった。

 

「姉と同じ血が流れていながら、根本的に違っていた」

「デイモス、お前は……」

「同情などしないでください、反吐が出る」


 剣を握る力が緩みそうになったレイキを、デイモスは睨みを持って制する。

 プテロンやイコルが様々な出来事を経て狂ったのなら、デイモスは生まれながらに壊れており、どうしようもなくトラキアに相応しかった。

 だからこそ、今も嗤っている。姉の死の話をしても、悲哀は浮かばず、涙も流さない。


「私は、私の選択が正しいと証明するために、貴方を殺します」

「……押し通るために、お前を倒す」


 お互いの背景なんていらない。

 我を通すなら、己の思想を主張するなら、闘争で決められるべきだ。

 それしか、トラキアでは許されてこなかったのだから。


「私は一秒でも速く貴方をこの世から消し去りたい。貴方はアレス様の元へ向かうために、速く戦いを終わらせたい。そうですね?」

「あぁ」

「ならば、互いの必殺で決めましょう。認めたくありませんが、力は私、魔術は貴方に軍配が上がります。技巧は同等、これ以上戦い続けても決着はつきません」


 レイキは納得する。

 数分間鎬を削り合い、決定打に繋がる攻撃は出来ていない。耐久戦に持ち込めば変わるかもしれないが、連絡の途絶えたイコルのことも気になる。


「自信のある技の撃ち合い、それで決着をつけましょう。搦手も騙し討ちもしないのでご安心を。真っ向から潰すのは簡単だ」

「こっちの台詞だ」

「合図は、ナイフが地についた瞬間です」


 そう言って、デイモスはナイフを上空へと投げた。彼我の距離は十歩程度、ゴーレムとの訓練で編み出した必殺技の出番だ。

 レイキは【盈月】を水平に構え、存在を周囲に溶け込ませる。身体を、動きを、吐息さえ光景の一部とする。

 デイモスは握った左手を後ろに引き、詠唱を口ずさむ。


「【恐怖、悲嘆、苦悶。推し測りても、未だ虚像の感情よ】」


 デイモスの拳に焔が集束する。

 彼が唄うのは未知なる感情。

 欲しいと願った、姉を理解することを望んだ。……そう思う時点で、破綻者である証明になっていたとは知らずに。


「【もはや求めぬ。我は破壊機構、恐怖を賜りし戦士なれば、突き穿つが定め】」


 全てを穿とう。

 それが、破綻者としての天命であるから。

 ナイフが落ちてくる、地面までの距離は残り僅か。

 二人とも確信していた。己が必殺技を放った瞬間、この勝負は終わる。少年の叛逆の根源となった相手との闘いが、一撃で決まる。


「「――――――」」


 感覚が研ぎ澄まされる。全神経が落ちゆくナイフに向かう。

 デイモスは左肩まで浸食した焔を握り締める、少年に焔の風穴を開けるために。

 レイキは最後まで存在を薄くする、破綻者の心臓を穿つために。

 そして――――ナイフが落ちた。


「【穿ち進め、虚像に過ぎずともパラドシィ・フーガ】」


 拳を突き出す。

 闘争国最強の戦士による必滅の炎拳。

 姉を殺して突き進みし破綻者の咆哮が解き放たれる。


「浅身深世」


 焔を突き進む。

 魔術ではなく、技の研鑽にて掴みし対人剣。

 認識を超えて、世界に溶け込んだ片手平刺突が駆け抜ける。


「「…………」」


 予想通り勝負は一瞬だった。

 何かが千切れる音が響いた同時に、レイキは吐血した。全身火傷に加え、拳の衝撃により臓器が内部で暴れ回っている。


「ははっ」


 嗤い声が聞こえた。

 傷みに呻く身体を無視し、振り返る。

 棒立ちで嗤っている狼は、左肩から先が無くなっていた。


「破綻者が羨んだ時点で、僕の負けか」


 狼の変身が解け、元の身体に戻ったデイモスは、ゆっくりと倒れ込んだ。












「心臓を狙ったはずだった。だけど、逸らされた、激しい拳圧のせいで」

「勝者が喚いても、嫌味にしかなりませんよ」


 大空を見上げ、大の字で倒れる男の顔は澄んでいた。肩からの流血は止まらず、身体は冷えていく。

 瀕死状態を見下げながら、レイキは胸で燻り続けていた疑問を投げた。


「お前のことは大っっっ嫌いだ。アガロスを殺そうとしたことは忘れない……だけど、違和感が拭えないんだよ」

「……」

「果てなき闘争を望むなら、他の闘威持ちを【指名】すれば良い。どうしてお前は、歳や強さに拘らず、無作為に相手を【指名】したんだ?」


 ずっと疑問に思っていた。

 【指名】する相手に一貫性はない。強者でも弱者でも灰に変えていた。その場の気分と言われればそれまでだが、どうも法則性があるような気がしてならなかった。


「フォボスから、アレス様への質問したことは聞いていますか?」

「あぁ、そこからお前が狂ったってフォボスは言ってたよ」

「私は問いました『姉は、しっかり天国に行けますか?』と。アレス様の答えは『トラキアの闘士は死してなおトラキアに貢献する』」

「……どういうことだ?」

「【血闘】の敗者は身体が粒子と化して消えます。しかし行き着く先は天ではなく、闘技場フラウィウスなのです」

「っ、まさか……」


 レイキは戦慄する。

 思い浮かべた、最悪の想定に。


「【血闘】に必要な魔力。それは【血闘】の死者で賄われているのです。闘技場フラウィウスは一種の魔道具、死人の魔力を溜め、首輪や変界魔術に充てているのですよ」

「そんな、ことが、あっていいのかよ……!」

「だからこそ、私は意志の弱い者を【指名】した。将来【血闘】で敗れるであろう者達を炎槍で焼き尽くしたのです。死後もトラキアに囚われないように」


 【灰燼】の所以、デイモスが必ず骨さえも残さず焼き殺すのは、闘技場フラウィウスに死者を吸収されないため。

 トラキアに屈する可能性の高い者に、呪縛を与えないように燃やし尽くしていたのだ。


「決して、正義感などではありませんよ。ただ、常人が狂わされて、死後も囚われるなんて間違っている。それは、破綻者わたしだけで充分だ」


 それが、破綻者としての流儀だった。


「他の方法は、無かったのか……?」

「ふふ、破綻者に常識を求めないでください。言ったでしょう、殺しが救いだと」


 言い終えて、デイモスは大量の血を吐き出した。

 もうすぐ、彼の死が近い。そう認識した瞬間、レイキは彼の側に回復薬を置いていた。


「情けを、かけるつもりですか?」

「勘違いするな。此処からは取引だ。アレス相手には人員がいくらいても足りない、もしお前に叛逆の意志があるなら、その回復薬を飲め」

 

 デイモスは目を丸くしたのち、吹き出した。

 最期の力を振り絞って立ち上がり、落ちていた開始のナイフを手に取って――――心臓に突き刺した。


「何をッ!」

「確信しました。貴方は、アレス様に勝てない。その輝きは美徳で、破綻者わたしが持ち得ない煌めきだ。だが、それではダメだ。アレは狂神、常人は勝てませんよ」


 確信をもって告げ、デイモスは己の身体に火を放ち始める。

 瞠目するレイキに対し、ニヤリと顔を歪めた。

 

「灰になって死ぬと決めているのですよ。遺る死体なんて私には似合わない」


 炎の中で、嗤う。

 業火に焼かれながら、嗤う。


「あぁ、でも、奇跡が起こり、アレス様を倒せたなら――――姉の魂を解放してくれ」

「心得た」


 間髪入れずに、レイキは承諾した。

 予想通りの答えに、破綻者はった。


「先に、冥府で待っている」


 【闘威一黎】の男が燃えている。

 恐怖の象徴であった破綻者が、炎に呑まれていく。

 レイキは無言で見続けていた。

 

 炎が勢いを失った。

 遺されたのは、灰燼のみ。

 レイキは振り返り、新たな戦場へと向かう。斯様な事態を、いち早く終わらせるために。











 


  

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