第18話 通じ合いて
「見知った天井だ」
視界に映るのは自分の部屋の天井。どうやら、
窓から見える漆黒の景色、既に時刻は夜中。レイキは覚醒しきってない頭を動かし、今までの流れを思い出す。
兄と【血闘】し、その心の内に触れ、重傷を負いながらも勝利した。そのまま、兄の元へ身体を引きずり、謝罪を伝えた所で記憶は切れている。
おそらく気絶したのだろう。運んでくれた賢者か養母には感謝しかない。
「うげ、包帯だらけだな」
額の濡れタオルを取ってから起き上がり、自分の身体を眺めてみると、大部分に包帯が巻かれている。
全身火傷に骨折箇所多数。妥当と言えば妥当なのだが、これでは
身体の状態を確認していると、小さな二つの寝息が聞こえてくる。目線をそちらに傾けると、見覚えのある茶髪が並んでいた。
「フィロス、アガロス……」
双子は上半身だけ
なぜ双子が
「目が覚めたかい。十時間も寝てたんだよ」
「そんなに寝てたのか……」
「後で二人にお礼言いなよ。アンタが傷だらけで帰って来たから、夕飯も食べずに看病してたんだから」
ヘリオスは双子に駆け寄り、毛布をかけ直しながら言った。
その言葉を聞き、眠る双子の頭を撫でる。双子は微かに唸り声を上げて、再び深い眠りへと飛び立った。
今度埋め合わせをしなくてはと思いながら、ずっと聞きたかったことを問う。
「イコルとプテロンは大丈夫なのか……?」
「イコルは部屋にいて貰ってるよ。プテロンと話したいことがあるみたいだけど、まずはアンタに譲ってやるそうだ」
脳内に渋々譲るイコルの姿が浮かんだ。
彼女だって言いたいことは山ほどあるはず。その権利を譲るのは、おそらくそれがプテロンにとって最良だから。
気遣いに感謝しつつ、ヘリオスに目線で続きを促す。数時間前に喧嘩した兄のことを。
「プテロンは屋根でずっと星を見てるよ」
だからさっさと言って来な、とヘリオスが添える前に
激痛が全身を支配するが、鞭を打って廊下を突き進む。
言いたいことはまだあるし、怒りたいことだって沢山ある。だけど、今だけは無性に兄の顔が見たかった。
梯子を登り切り、屋根上にあがる。
足を崩して星を眺めているのは、灰髪の青年。
「プテロン!」
大きく名前を呼んだ。
声に反応して、プテロンはゆっくりと身体を俺の方に傾ける。
「よう、レイキ」
「良かった……居なくなっちゃうかと思った」
「ははっ、失踪でもしたらヘリオスの拳骨じゃすまねえからな」
からからとプテロンは笑う。
いつもと同じようで違う笑い方だった。
人生最大の使命が奪われたようで、同時に重すぎる荷物をようやく下ろせた、そんな表情。
プテロンの隣に腰掛ける。言いたいことが沢山あるはずなのに、いざ本人を前にするとうまく言葉が出ない。
「その、あの、えと」
「起きたばっかなんだろ? まだ完全に覚めてないだろうし、ゆっくりでいいよ」
「……プテロンは、その、大丈夫なのか? 実は俺、無我夢中で、【血闘】で何言ったかちゃんと覚えてなくて……」
とりあえず心の内をぶちまけたが、完全に勢いの産物であり、明確な内容は頭から抜けていた。
言うべきことは言えたが、プテロンの中枢を為すものを、ひどく否定したような気がする。
そう言うと、プテロンは目を丸くした後、軽く吹き出した。
「大丈夫だよ。お前の言葉に色々ぶっ壊されたけど」
「うぅ……」
「――それ以上に、色々と救ってもらったからな」
ただ、【血闘】の時の彼は疲弊していて、泣きそうな子供のようだった。
それだけは覚えている。自分の言葉は彼にとって破壊であると同時に救済であったようだ。本意は分からないが、そうであったら嬉しい。
「聞いてくれるか。家族を守るとかほざいて、何も見えてなかった大馬鹿野郎の話を」
プテロンの言葉に、無言で頷いた。
ゆっくりとプテロンは独白を始める。闘争義務を負ってから今日に来るまでの、彼の激闘の歴史を。
俺と同じく……いや、俺以上に【血闘】を嫌悪してて、家族を守りたい想いを基に叛逆を試みて、アレスに潰され、イコルに助けてもらい、感情を殺すようになり、一層
「どうだ、幻滅したか?」
「……するわけないだろ。分かってて聞くな」
「勝手に突っ走って、勝手に潰れて、勝手に狂った馬鹿の末路だよ。仮にも兄がそんなんじゃ恥ずかしいよな」
「――それは違う」
考えるよりも先に、言葉が出ていた。
強い口調で言い切った俺に、プテロンは微かに目を見開く。
「その、あんまり上手くは言えないけど、プテロンは俺の憧れなんだよ。確かに省みる点はあったけど、プテロンの行動があったからこそ、今の俺の根幹があるわけで。絶対的に間違えではなくて、えーと……」
考えが纏まらない。
言葉がうまく紡げない。
だけど、言わなくちゃいけないことは分かる。
「今まで俺たちを守ってくれてありがとう。プテロンのおかげで、天照院は笑顔が絶えないんだよ」
フィロスとアガロスが喧嘩し。
俺が二人を宥めるがさして効果はなく。
見かねたヘリオスが仲裁しにやって来る。
そして、一連の流れを見ていたプテロンが揶揄う。
この狂った国で、平和な生活を送れていたのは、間違えなくプテロンのおかげだ。
だから。
「反省はしても、後悔はしないでほしい。プテロンの行動は、俺たちの幸福に繋がってたから」
言い終えた。
しっかり言えた自信は皆無だが、伝えなければならないことは伝えられた気がする。
目を大きく張ったプテロンは、くしゃりと顔を歪めた。
「……そっか、無駄じゃ、なかったんだな」
兄は星空を見上げる。
少し肩が震えていたのは、気のせいではないだろう。
未だ激痛の走る身体を立ち上がらせ、俺は梯子の方に向かう。
「なんだ、もう行くのか?」
「うん、言いたいことは言ったし」
それに。
「認めるのは悔しいけど、外のプテロンを一番支えたのは、俺でもヘリオスでもないから」
だから、ここから先は彼女の時間だ。
廊下を駆け抜けた際、合図はしておいた。俺と入れ替わるように現れた紅髪の少女の名を、プテロンは小さく呟く。
「イコル……」
「……」
「……」
「えーと」
「ひ、ひゃい!」
ダメだこれ、プテロンは心の中で思う。
レイキに何かを吹き込まれ、顔を上気させて勢いよく隣に座るまでは良かった。
ただ、想い人を隣にして、
一言で言えば、ポンコツになっている。
「あー、イコルもすまなかったな。色々と迷惑かけてみたいだ」
「い、いえ。私は何もしてませんよ、ただアイツが頑張っただけです」
「レイキに、俺を倒すための鍛錬を積ませたんだろ?」
「あっ、いや、それは!」
イコルは狼狽し、弁明しようとプテロンの方を向くと、ニタリと笑った想い人。ここでようやく揶揄われていることに気づいた。
「やっと、こっちを向いてくれたな」
「ぅぅ〜〜!」
向けられる卒倒級の笑顔。
素晴らしい笑顔を脳に焼き付けたいという気持ちと、恥ずかしくて目を逸らしたいという気持ちがぶつかり合う。
勝者は前者。
イコルは逸らさずに見続けた。それが功をなしたのか、プテロンは喋り始める。
「イコルには何度も助けられたからな。何かして欲しいことがあったら、」
「――助けられて、ないですよ」
遮るように放たれた言葉に、プテロンはぐっと詰まる。
視線を向ければ、罪悪感に染まった少女の表情。
「正直に言ってください。一年前、プテロン様がアレスに降伏したのは、私のせい、ですよね。私が乱入してしまったから、プテロン様は引かざるを得なかった」
きっと彼は一人で雷竜剣を退けられた。
彼は最後まで諦めていなかったし、為せるだけの力があった。
それでも降参した理由は、自分に違いない。
「私のせいで、貴方の叛逆を終わらせてしまった。そのことを、ずっと謝りたかったんです」
自然と身体は俯いていた。
頭を上げるのが、怖い。好きな人がどんな顔で見ているのか、知りたくない。
「はぁ……」
「ッ!」
漏れ出たため息に、身体を震わせた。
含まれたのは失望か、怒りか。向き合わねばならない。今まで目を逸らしてきたが、少年が場を用意してくれた。
ならば、罪を清算しなくては。
「本当に、何も見えてなかったんだなぁ」
「え?」
思わず顔を上げた。
彼の言葉は、糾弾でも弾劾でもなく、彼自身に対する呆れだったから。
「俺は、一年前アレスにボコボコにされて、降参した。確かにその理由はイコルだよ」
「っ、ごめん、なさいっ!」
「あー、最後まで聞いてくれ。なんでっかって言うとな、イコルが血盾で守ってくれた時、安心したんだ」
「え……?」
彼は微笑みを浮かべていた。
感情を殺した際の、貼り付けた軽薄な笑みではなく、心の底から出た、儚さを感じさせる笑み。
「ずっと一人で突っ走って、アレスに殺されかけた。でも、イコルが守ってくれた時、『一人じゃないんだな』って思ったら気が抜けちまったんだ」
そのあとすぐにレイキの才能に嫉妬して狂ったんだけどな、とプテロンは添える。
乱入した少女は負荷ではなく、同志であると気が緩んだ。だから、責任を感じる必要はない。
「ありがとう、イコルのおかげで今の俺がいる」
プテロンは心の底から謝意を込めて口にした。
彼女がいなければ、屍になっていたし、闘神から逃げられなかった。彼女がいたからこそ、生きていられるのだ。
言い切ったプテロンを見て、少女は大粒の涙を流す。
「ッ!? 待て、何で泣くんだ。またやらかしちまったか」
「……ず、ずっと、あなたのっ、力になりたくてっ、私をっ、救ってくれたっ、恩を返したくてっ……!」
嗚咽の混じった、途切れ途切れの独白に、プテロンは言葉を詰まらせる。
独白に含まれる悲哀が、罪悪感が、プテロンの胸を押し潰した。
「でもっ、何も出来なくてっ……迷惑ばっかりかけてっ……あなたを救えなかったっ!」
イコルに精々出来たことは、少年に全てを託したこと。言い換えれば、責任を押し付け、己は何も出来なかったに過ぎない。
想い人が苦しんでいるのに、絶望から救えなかった。その罪禍は、イコルの涙を助長する。
「ごめんっ、なさいっ! 醜い想いを抱いてるくせにっ……なにも――ッ!」
「それ以上は、言わせないぞ」
プテロンは、顔を近づけて額を彼女の額と重ねた。
彼女の嗚咽と吐息が伝わってくる至近距離。少し進めば、唇も触れてしまいそうだ。
でも、これだけ近づかなきゃいけないとプテロンは思う。今まで彼女の
そして、知ってもらわねばならない。自分にとって、彼女は大切な存在であると。
「お前がそばに居てくれただけで、俺は何度も救われてたんだよ」
「うそ、ですよ……」
「嘘じゃない。お前が居なきゃ、とっくにどっかで野垂れ死んでる」
どれだけ狂気に堕ちようとも、彼女だけはそばに居てくれた。
その有り難みを、泣いている彼女は理解していない……いや、伝えようとしなかった。無条件に共に居てくれる彼女に甘えていただけだ。
これ程までに想ってくれているのに、察しの悪い自分に嫌気がさす。
「ごめんな、気づいてやれなくて」
「違うんですっ! プテロン様のせいじゃないっ……!」
「それでも、お前の意思を軽んじてた。報いるには遅すぎるけど、望みはないか? 俺にできることなら、何でもするよ」
言葉を尽くしても、彼女の罪は減らせない。返しきれない程の恩を、表現するすべはない。
だけど、その想いに報いたい。
イコルは沈黙し、ごく小さな声で、望みを言った。
「……
「お安い御用だよ」
頬に触れていた両手を、彼女の背中に回す。抱いた彼女の身体は震えていた。イコルの細い腕が腰に添えられ、健康的な体躯が押し付けられる。
「ぅ……もっと、強くぅ……」
「はいはい、仰せのままに」
「へへ……」
甘ったるいほど蕩けた声に苦笑しつつ、両腕に力を込め強く抱き寄せる。満足げな吐息が耳元で聞こえ、思わず頬が緩む。
以前なら考えもしない、少女との抱擁は、ひどく扇情的で心地が良かった。
「もう、少しだけ……」
「何時間だってしてやるさ」
二人は、数分間そのままの状態でいたのだった。
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