第19話 選定者とデイモスの過去
プテロンとの【血闘】を経て変わったことは二つ。
一つ目は、天照院に新たな居住者が増えたこと。
「えっと、今日からよろしくお願いします」
「ようこそ天照院へ!」
「わーい! イコねぇ!」
元の家から最低限の荷物を持ってきたイコルは、双子から熱い歓迎を受けていた。フィロスに関しては突進の速度で抱きついている。
距離感に未だ慣れていないイコルは苦笑しているが、決して嫌がってはなさそうだ。
今日はイコルの歓迎会。
豪勢な料理を運びながら、隣のヘリオスに問いかける。
「どんな手を使ったんだ?」
「なぁに、ちょっとした賭博だよ」
どうやら、養母との間で取引があったようだ。
仔細は分からないが、彼女が来てくれて嬉しく思う。そろそろ助け舟を出すかと思案していると、背後からくたびれた声が聞こえる。
「あのー、少し手伝ってくれませんかねぇ……」
「もう音を上げるのかい家出息子」
「まだ出来るよな馬鹿兄貴」
「誠心誠意やらせてもらいまーす……」
なお、準備は全てプテロンがする。
無断の家出、
非常に心が痛むが、絶対に手伝わない。どれだけ心配をかけさせたか、その身で思い知ってもらわねばなるまい。
「賑やかになりそうだね」
「……あぁ、そうだな」
ヘリオスに同意して、双子の勢いに呑まれているイコルを助けに行くのであった。
二つ目は、賢者との修行にプテロンが加わったこと。
「人数も増えたことだし、盛り上がっていこぉー!」
「おー」
「……」
「くわぁ……」
「プテローン? いま欠伸したよね?」
「おう、した」
「少しは申し訳なさそうにしようか!」
腕を上げるレイキに、無言のイコル、堂々と欠伸をするプテロン。主に後ろ二人の反応で賢者は崩れ落ちた。
演技だと分かっているため、誰も助けない。芳しくない生徒の反応に、賢者は口を尖らせる。
「僕への扱いが段々雑になってる気がするんだけど」
「本性が剥がれてきたんでしょ」
「完全無欠の天才先生の本性なんて最高に決まってるじゃないか」
「そーゆーとこだよ」
イコルとプテロンの口撃にも動じず、キメ顔をする賢者。これが【八叛雄】だと世間に告げれば、誰も信じないだろう。
レイキの視線も冷徹さを帯びてきたのを感じ取ったのか、先生は咳払いをして場を仕切り直す。
「さて、今日から始めるのはズバリ、必殺技作りさ!」
「必殺技……?」
「全員基礎は完璧だ。来たる決戦のために、得意を伸ばす修行に移る」
必殺技。
読んで字の如く、戦況を覆す切り札のこと。
【万里一空】や【
「君たちだって、決め手に欠ける部分は自覚してるはず。切り札は持っているほど有利だからね」
「……つまり、個人作業? 二対一でボコボコにされるような状況にはならない……!」
「しっかり
「一人ずつ欲しい必殺技を聞いて、それに応じた修行法を考えるよ。まずはレイキから始めよう」
残った二人は取得したい必殺技を考えておいてくれ、と伝えて、賢者はレイキに向き直る。
「レイキはどんな必殺技を求める?」
問われて考える。
省みれば課題しかない。
イコル戦は初見殺しの恩恵を最大限に行使した辛勝。プテロン戦は勝敗条件が特異でなかったら、かすり傷さえも与えられなかった。
いずれも、
そんなレイキが取得すべき切り札は――
「――一点特化の対人剣」
状況を覆し得る貫穿の一手。
求める必殺技を聞いた賢者は、片頬を釣り上げる。
「ほぅ、【万里一空】じゃ不満かい?」
「……プテロン戦のとき、易々と破られた。あの切り札は広範囲殲滅用に使うべきだと思ったんだ」
赤白い極光の攻撃。上段に構えた【盈月】に【圧縮】を使い最大限の炎を纏わせて、一斉に解き放つ切り札。
だが、プテロン級の相手になると、至近距離でなければ意味を為さない。
だからこそ、一点を穿つ対人最強の技が必要だ。
【万里一空】が極大の焔で闊大に焼き尽くすなら、もう一つの切り札は確実に心臓を穿つ絶死の一撃。
レイキの解答に、賢者は大きく頷いた。
「よく分かってるようで何より。【万里一空】は高威力なぶん、大雑把だからね。一対一でこそ真価を発揮する切り札を習得するために――おいで、
賢者は
色はただの土塊で、背丈はレイキより少し高い。頭と思われる部分には核のような赤玉があり、動力源に似ている。
「これは……?」
「形状は人に近づけた戦闘用ゴーレムに少し手を加えた、賢者お手製の改良品だよ」
「これをどうするんだ?」
「ふふふ、こうするのさ」
賢者は頭部の赤玉に手を翳す。
「駆動せよ」
賢者が魔力を流し、赤玉が紅き輝きを放つ。
特有の機械音と共に、土塊は仮初の生命を持つゴーレムとなったのだ。
呆然と見ていると、微動だにしなかったゴーレムは――唐突にレイキに襲いかかった。
「ちょっ……!」
「そのゴーレムは耐久性特化の仕様で、並大抵の傷は自然回復しちゃう。倒すには確実に一撃で倒さないといけないんだ」
試しに炎を付与した【伊邪宵】で斬りかかるが、斬ったそばから切り口が塞がっていく。
なるほど、これは一撃必殺の技の練習には持ってこいだ。
「機を見計らって最高の一撃を叩き込むのか」
「その通り。だけど、これくらいじゃ面白くないよね」
「え?」
えーい、と賢者は嬉々としてゴーレムに手を翳し、先程の数倍以上の魔力を注ぎ込む。
ギラリと光った赤玉に冷や汗を流れた瞬間、土色の戦士は眼前へと迫っていた。突き出された拳を双剣で防御するが、守りごと吹き飛ばされた。
近辺のボロ屋に背中から突っ込み、土埃を吸い込んでしまう。
「ごほっ! 速さと拳の重さが桁外れだぞ」
「uuuuuu---!」
蒸気音のような音が聞こえ、砂埃の視界で一際輝く赤い兆しが目を刺激する。
「raaaaaaaaaa!」
「光線……!」
赤玉から放たれる
近接戦だけでなく遠距離戦まで兼ね備えている、賢者手製のゴーレム。あまりの万能さに舌を巻いていると、賢者の声が降ってきた。
「
そう言って、残る二人の元へ行く賢者。
遠のく賢者の背を見る暇もなく、ゴーレムは特攻してくる。相手はプテロンとデイモスの長所を備え、自然治癒も持っている。
必死に防ぎながらレイキは思った。
――全然地獄じゃねえか!!
「それじゃ、次はイコルの番だね」
レイキの悲鳴を背景に、賢者は問いかける。
初めての地獄の訓練にプテロンは軽く引いているが、イコルは慣れたので動じない。
「私は、その……」
イコルはプテロンの方を一瞥した後、賢者に近寄って彼の耳に口を寄せた。
どこか恥ずかしがっている様子に、プテロンと賢者は揃って目を丸くする。
「……………………が取得したい」
発達したプテロンの聴力でも聞き取れない、か細い声。言った少女の顔は赤く染まり、プルプルと震えている。
ただ一人彼女の望みを聞いた賢者は――
「ぷっ、あはははははは!!」
大笑いを上げた。
「だから言いたくなかったのよ!」
反応が予測出来ていたのか、イコルは賢者に向けて何発も
「笑って悪かったよ。うん、いいよ、素晴らしい。非常に僕好みの必殺技だ」
「……ふんっ」
「それなら、行使する魔力を清廉する修行に移ろう」
賢者は両手に魔力の玉を作る。
どちらも甘い花のような桜色。しかし、右手の方が色が濃く、それでいて澄んでいる。
「魔力を込める量の相場は決まってるけど、その法則を覆して多めに魔力を込めるんだよ」
一の魔力しか入らないものに、それ以上の魔力を込めれば供給過多で暴発してしまう。
暴発しないよう調整しつつ、十の魔力を注ぐ作業。魔力調整の技能が問われる手法だ。
「レイキが【圧縮】でしてることを、君は何の能力もなしに出来るようにならなきゃいけない」
「清廉……」
「そして、清廉された魔力は相応の威力を伴う」
レイキが闘うゴーレムに、賢者は左手の通常の魔力球を投擲した。耐久力重視のゴーレムに効くはずもなく、桜色の粒子となって霧散した。
しかし、右手の清廉された魔力球を投げる。
着弾したそれは、ゴーレムを弾き飛ばした。
「ほら、全然違うんだよ。君にはレイキの援護に入ってもらう。ゴーレムに損傷を与えるんじゃなく、体勢を崩せるほどの
「使って良いのは
「うん。連携の練習もしておくように」
「……分かった」
大人しくイコルは、急に飛んできた魔力球に驚くレイキの元へ向かう。従うのは癪だが、賢者の言葉に間違えはない。それはここ一週間の修行で分かっていた。
イコルが行ったのを確認し、賢者は最後の一人に向き直る。
「さて、最後はプテロンだね」
「……必殺技か」
「と言っても、プテロンに取得してもらう技は決まってるんだよ」
苦い顔をしているプテロンは首を傾げる。
「【漆黒】の魔術のうち最弱で、最強でもある技」
ニコリと微笑む賢者に背を震わせる。
悪寒が駆け抜け、頬を引き攣らせた。まるで、此処からは地獄の始まりだと告げられたようで。
賢者は【鑑定】を発動させ、プテロンの身体を見回す。
「【漆黒】は死の淵から生還すると強くなる。この理論は少し語弊がある」
「どういうことだ?」
「突き詰めると、瀕死状態の経験値が一番高いってことなんだ」
言われて戸惑う同時に、プテロンの中で納得が生まれた。
一年前のアレスとの闘いを経て、過去最多の成長を遂げれた。それだけ戦闘が濃いものだと思っていたが、半日という長時間で瀕死状態の戦闘。
賢者の論と示し合わせれば、頷けうる。
「死の淵で闘うほど、闇は深くなり、爆発的な成長を生む。だからこそ、やる事は一つさ」
「――――ッ!」
鋭い殺気がプテロンを襲う。
本能に従い、【
眼前に佇むは伝説の英雄が一人。
「君の相手は僕だよ。死闘の果てに研鑽を積みなさい」
賢者の背後に幾重もの魔術陣が展開される。
どれもこれも必殺の気配を宿しており、一秒でも気を抜けば屍を晒すだろう。
「――さぁ、始めようか」
冷や汗を拭い、プテロンは死闘に投じるのであった。
「それにしても、先生の異能はすごいなぁ」
時刻は正午過ぎ。
体勢を崩すどころか、レイキに水弾を当てて、レイキとイコルが軽い喧嘩になったり。プテロンがピクピクと瀕死状態で倒れているのを見て、イコルがガチ泣きしかけたり。様々な状況を経て、四人は昼休憩をとっていた。
ヘリオス手製のお弁当を頬張りながら、レイキは呟いた。
「見ただけで全部理解出来る、反則級の異能」
「ふっふーん。もっと褒めてくれていいよ」
「……以前『選定者』が何たら言ってたけど、それと関係あるのか?」
「華麗なスルーをありがとう。色々と話す前に、選定者についてどれだけ知ってるかい?」
投げかけられた問いに、三人は目を見合わせた。
情報統制が激しく、異国との関わりが希薄なトラキアはそこらの知識に疎いが、名前程度は聞いたことがあった。
「【八叛雄】に続く英雄たちで、世界が選んだ
「公的な書では詳細が明かされていないけど、概ねその通り。
「「「…………」」」
儚さを感じさせる賢者の姿に、三人は押し黙る。
大空を見上げて、遠いものを見ている賢者は哀愁を漂わせていた。
「っと、選定者の話だよね。選定者は【八叛雄】に続く英雄、だと少し解釈が違う。僕だって選定者だし」
「……確かに、【八叛雄】に続く存在なのに、先生が選定者だったら定義がおかしい」
「正しくは、僕以外の選定者が
「選定者が現れる……【八叛雄】が居た時はまだ生まれてなかったってことかしら」
「ううん。選定者っていうのは"異能を進化させた者"を指す言葉なんだ」
賢者の言葉がレイキの頭に反芻した。
異能を進化させた者とは、一体どう言う意味か。隣の兄を見ても、同じように首を捻っている。
「僕の異能は【観察】っていう、対象の状態が分かる程度のものだったんだ。けど、ある時【鑑定】に進化した」
「【鑑定】の
「それに、選定者は覚醒した際、姿形も変わるんだよ」
見せあげるよ、と言って賢者は弁当を置き立ち上がった。賢者の目が閉じられ、辺りを静寂が支配した瞬間――尋常ではない魔力が迸る。
「「「――――ッ!」」」
賢者を起点に砂埃が起こり、漏れ出た緑色の魔力が小さな竜巻を発生させる。
闘いに生きない者であれば、卒倒してもおかしくない魔力の奔流に息を呑んだ。
三人の視線を一心に受けた賢者は、ボソリと一言呟く。
「――人基解放」
小規模な爆発。
一帯を吹き飛ばし、賢者周辺の地面を陥没させる。
溢れる緑の魔力が踊るように漂っている。
真ん中に佇むのは、緑と白を基調にした格好の賢者。
「変わった……」
真っ白なローブが変質し、いかにも"賢者"らしさを感じさせる、黒の下地に青みかがった緑の上着を羽織っている。
長い緑の裾は垂れており、だらしなさを覚える一方、魅惑的な表情が全面に押し出されている。
「驚いてくれて何より――戻れ」
覚醒状態は白い粒子に転じ、空中に霧散していった。賢者に目を向ければ、いつもの白ローブに戻っている。
「凄かったでしょ」
「……種が違うというか、上位の存在みたいな印象を受けたわ」
「すごい……先生、選定者ってどうやったら成れるんだ!?」
イコルは戦慄し、レイキは興奮した様子で賢者に迫る。鼻息を荒げるレイキを宥めつつ、賢者は口を開いた。
「残念ながら選定者にはもうなれないんだ。『世界』は、裏切り者の
「がーん……」
露骨に肩を落とすレイキを慰めるプテロン。
異能の進化といえば、弱い【圧縮】も強くなると薄い考えを抱いたが、現実は甘くなかった。
落ち込むレイキに賢者は儚い視線を送る。
「そんなに万能なものじゃないよ。僕は【八叛雄】の中でも弱い方だったし、今だって、君たちの半年後の決戦に参戦するどころか見届けることも出来ない」
半年後のトラキアを巻き込む大決戦。
それに、賢者は参戦しない。初めて聞いた時は耳を疑ったものだ。
「まさか、かの大賢者は封印されてて、俺たちの目の前にいるのは分身に過ぎない、なんて今でも信じられねえよ」
彼の本体は別の場所に封印されており、レイキたちが師事してるのは、本物が生み出した実像分身。
半年も持たずに魔力が底をつき、自壊を始める。レイキ達との鍛錬で魔力を消費した結果だ。
自分の訓練が師の崩壊に繋がると聞かされた時から、レイキは苦悶を浮かべていた。
「そんな辛そうな顔をしないでおくれよ。僕は次代の種を蒔くための存在。君たちの為に命を削って指導するのは当然なのさ」
元より、本体の彼は後の英雄を産む為に分身を作り、分身もその役目を全うするのに異論はない。
しかし、本人が良くても、外野が納得するかは別の話。レイキはずっと反対していた。
未だ口を尖らせるレイキの頭を、賢者は優しく撫でる。
「その気持ちだけで充分さ。それより、レイキはこれから行くところがあるんじゃない?」
「あっ、もうこんな時間か。急がなきゃ」
「何か用事でもあるのか?」
残りの弁当をかき込み、最後に水を飲んで流したレイキは、喉を詰まらせながらも応えた。
「――フォボスと会ってくる」
「すまない、待たせたか?」
「時間ぴったりだぜェ」
テーブルを挟み、フォボスとレイキは見据え合う。
闘争区の洒落た喫茶店にて、二人は対峙していた。見栄を張り、苦い飲み物を頼んだレイキと盃を傾けるフォボス、この二人がしっかり向き合って話すのは初めてのことだった。
「んで、期待の新星さまはいったいなんの要件だァ?」
フォボスの眼光がレイキを突き刺す。責めるような鋭いそれに、レイキは真っ向から視線を返した。
「半年後の決戦に、俺ら側に着いてほしい」
「まっ、そうだよなァ……」
レイキの言葉は、予想できたものだった。
彼は褒美授与の際、トラキア全土を巻き込む決戦と言った。しかも、
レイキ側の戦力に
「まずは、その決戦とやらの詳細を聞いてからだなァ」
「闘争義務を持つ者全員が参加権を持つ総力戦。今まで通りの闘争国を望む者はアレス側、【血闘】から解放された闘争国を望む者は俺ら側に着いてもらう。もちろん、参加するのは当人の自由だ」
「トラキア全土ってのはそういうことかァ」
「戦場は闘争区全域。普通区には幼子や妊婦の非戦闘員に居てもらう」
「戦争でもおっ始めるつもりかァ?」
「あぁ、闘争を終わらせるための、最後の闘争をする。そうでもしなきゃ、トラキアは納得しない」
「……よく分かってんじゃねえかァ」
仮に、決戦がアレス対レイキの一騎打ちなどであれば、不平不満が飛び交っただろう。
闘争にて彩られた血の歴史、それを打破するのもまた闘争なのだ。終止符を打つのは代表者だけでなく、今を生きる当人達によって打たれることで、トラキアは初めて変われる。
「闘士たちには、決戦の直前に発信しようと思ってる。それから、三日ほど猶予を与えて決めてもらう」
「トラキアには闘争に狂った奴しかいねェ。今さら新体制なんぞ受け入れるはずがねえよォ」
「受け入れるよ。だって、ほら」
レイキが外に目を向ける。
デイモスも釣られて見ると、ガラス越しには活気のある闘争区の闘士たち。いつもの殺伐した雰囲気は薄れていた。
「みんな、怯えてない。少しずつだけど、心からの笑顔を浮かべてる。半年後には、平穏を望む人が増えてるはずだよ」
「……あえて平和を慣れさせて、厳しい現実を厭わせるつもりかァ?」
「厭うべきなんだよ、クソみたいな【血闘】制度なんて」
間髪入れずに、レイキは吐き捨てる。
一片たりともこの国の狂った部分なんて認めたくない。だからこそ、彼は叛逆しているのだ。愚かにも神に楯突き、闘位持ちを二人も下した。
もはや、彼を侮る者はいない。後にも先にも一番の叛逆者と言える。
「平和な未来を勝ち取る為に、フォボスも力を貸して欲しい」
静寂が訪れた。
曇りのない、純粋な瞳がフォボスを射抜く。
その有り様は、大昔に捨てたものだ。
吐き気がするほど、頭が痛くなるほど、眩し過ぎる願いにフォボスは一拍置いて応えを示す。
「断る」
少年に驚きはなかった。
ただ、目を細め、下唇を噛んだだけ。
「理由を聞いてもいいか?」
「単純な話だァ。生き残りたいだけだよォ」
「それなら、平和な方がっ!」
「――私は、デイモスとアレス様が怖い」
盃に満ちた酒が、フォボスを映す。
翳りの見える表情は、酔っ払いの赤面ではなく、麗人の自嘲だった。
麗人の口調で言葉を続ける。
「君は、きっと分かってないよ。あの二人の怖さを」
「……」
「昔話をしてあげる。デイモスは当時の【闘威一黎】を殺して【指名】を得た。そして、当時の【闘威一黎】はデイモスの実の姉だったんだ」
「えっ……?」
形のない呟きが、レイキから落ちた。
天照院のように義理ではなく、血縁の姉をデイモスは殺した。
「名をエニュオ。彼女もまた狂人だった。プテロンが壊れたら、彼女みたいになってただろうね」
「家族愛に狂ってたってことか……?」
「そうだよ。そして、彼女にとって家族はデイモスだけだった」
壊れしまったプテロン。レイキが奮闘せねば、充分にあり得た未来だ。
歪に突き進む家族愛の奴隷。
その愛を一身に受けていたデイモスは、何を思ったのか。
「デイモスが【下剋上】を
「なんて、質問したんだ?」
「遮音結界が張られて詳細は聞こえなかったけど、アレス様に問いかけて、答えを返された後――彼は嗤ってた。初めて笑顔を覚えた赤子みたいに、何処までも無垢に嗤ってんだ」
レイキは思う。
その瞬間こそ、かの狂神者が狂った時であると。
「そこから君たちが知ってる通り、【指名】を手に入れて老若男女問わず殺すようになった。確実に死体は炎槍で焼き尽くしてね」
語られた顛末に、レイキは絶句した。
実の姉を殺して、闘神から何かを聞かされ狂い果てたデイモス、その生涯に戦慄する。
語り終えたフォボスは酒をあおり、麗人の己を封じた。二度と、少年の輝きに呑まれないように。
「加えてアレス様がいるんだァ。てめえらに勝ち目はねえよォ」
そう言って、フォボスは席を立った。
「待て、まだ話は終わってない」
「アタシを味方につけるなら、アタシの
レイキは充分輝いている。
だが、彼の光を闘争国の恐怖が呑み込んだだけ。レイキの手を取るには、フォボスは闇に触れ過ぎた。
レイキ分の料金も店員に渡し、呼び止める声を無視して出口に向かう。
「次会った時は、その首頂くからなァ」
振り向かずに述べて、フォボスは去っていったのだった。
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