第16話 ただの兄


 六歳の頃、おそらく親に捨てられた。

 親の顔は覚えていないため、確証はない。大方、生まれつきの首の傷を気味悪がったのだろう。

 寒い路地裏に捨てられた。幼いながら、理解していた、もうすぐ死ぬんだ。

 特に拘りのある生でもないため、投げ捨てても構わない。死を受け入れようとした時だった。

 

『だいじょうぶ……?』


 三歳のレイキが拾ってくれたのは。

 俺よりも背が低いのに、手を引いて、天照院まで連れて行ってくれた。

 養母と交渉して、住めるようになり、嬉しそうに駆け寄ってくるお前の笑顔に、こんな可愛いものが世界に存在するのかと思ったよ。

 お前とヘリオスとの日々は楽しかった。数年後に双子も拾ってきて、トラキア一幸福な自信があった。

 だけど、幸福はいつまでも続かなかったんだ。


 一回目の【血闘】は無我夢中だった。殆ど瀕死だったのに、運良く相手を殺せた。

 その日は、養母に抱きしめられながら眠りについた。

 二回目の【血闘】は余裕だった。相手も初心者で、【漆黒】を使えば直ぐに死んだ。

 その日は、吐き気が止まらなかった。

 三回目の【血闘】で向いてないんだって理解した。

 みんな平気な顔して殺してるのに、俺だけ吐き気は止まらない。

 八百屋のジジイが死んだのに、誰も悲しまないことに言いようもない恐怖を抱いた。

 生まれつきの、首の傷が疼く。

 ボロボロの身体を引っ張り、家に帰って弟たちの顔を見ても、絶えず恐怖している。肉を貫いた感触が、顔にかかった返り血が、闘うたびに擦り減る精神こころが、怖くてたまらない。

 だから、怖くて歪な自分を隠すために、真っ黒の外套を羽織るようにした。弱っちい己と訣別するための鎧を着けたのだ。

 

 俺には、才能が無かった。

 【血闘】はいつもギリギリの辛勝。四肢が断絶されない日はなく、わざとやられたフリをして油断を誘い、一息に殺す卑怯者。

 その割には相手を殺すという行為に忌避感を抱いている。耳に残る断末魔が、酷く吐き気を助長する。

 誰かが、俺を泣き虫と謗った。その通りだと頷いてやったよ。

 家族の前では流さないが、闘争区にいるときはずっと泣いてばかりだった。

 致命的に、トラキアと合わなかったんだ。


 【血闘】をし続けて一年程経った頃だろうか。

 天照院が襲撃されかけた。偶然外に出てた俺がぶちのめし、事なきを得た。

 犯人は大男。動機は『ただ暴れたかったから』らしい。

 ふざけるなと思った。

 お前のクソみたいな理由で、俺の家族を傷つけるなと憤慨した。その時に初めて、吐き気が減少した。

 理解したんだ。

 この国では家族が脅威に晒される。何者よりも守るべき人たちが、殺されてしまうかもしれない。

 ずっと目を逸らし続けたことを突きつけられる。もし、弟たちが殺されてしまえば、俺は立ち直れない。

 だから、叛逆する。

 どうなってもいい、何を犠牲にしてもいい、愛する家族だけは守る。

 こうして俺は家族の守護に心血を注いだ《狂った》。


 【漆黒】の恩恵を活かし、瀕死寸前まで自分を痛めつけた。何も奪われないように、家族を掌から溢さないように、己を痛めつけた《強化した》。

 実力が拮抗している相手に【下剋上】を挑み、風前の灯火になろうとも家族への愛は欠かさない。

 家族の前では、絶対に弱音は吐かない。

 弟たちには、辛い表情なんて見せちゃいけない。

 気づけば、泣き虫だった俺は闘威持ちに最も近い者と呼ばれていた。

 勢いのままに当時の【闘威三黎】を殺した。褒美に家族の安全を願えば、血塗られたトラキアの呪いから解放されると信じていたから。




 

 そして――――――アレスに潰された。


 










 

 

「14周目。どうだ、降参する気になったか?」

「……断る」


 上級回復薬ハイ・ポーションをかけられる。

 回復痛のない上質な治癒に晒されながら、変わらず降参を促す兄を睨んだ。


「なぁ、そろそろ終わりにしようぜ。どう足掻いてもお前は勝てないよ」

「やってみなきゃ、分かんないだろ……」

「89、この数字の意味がわかるか?」

「……」

「俺がお前を殺せた数だよ。背後からの斬り上げ、魔術での蹂躙、鉄鋼ワイヤーで絞殺も出来た。対してお前は一撃も与えられない」


 事実だった。

 14回に及んだ兄との攻防、その全てに完全敗北した。姿を捉えられず、気づけば地面に伏している。

 魔術を行使すれば脚撃が来る。長剣に転装しても無数の投げナイフに全身を貫かれる。

 変わったことと言えば、暗闇の剣に斬り刻まれたせいで、周辺の木々が細切れにされていることくらいだ。

 回復薬ポーションは、傷は治せるが疲労までは回復できない。蓄積された疲労により、もはや直立することも難しいが、何とか両足で立ち上がる。

 それよりも危惧すべきことは別だ。


「お前、何があったんだ……?」

「……何って、いつも通りだろ?」

「違うッ、確かにお前はいつも胡散臭い。だけど、今日は違うんだよ。大事なモンが抜けている、その瞳も、声も、態度も、全てが薄っぺらい」


 俺が攻めきれない理由。

 プテロンはどこか別の場所を見ている。それこそ、現世にいないような、眼前の兄が兄でないような錯覚を受ける。

 余所見をしているわけじゃない。ただ、対戦相手の俺ではなく、遠い彼方に意識を飛ばしている。

 今離れてしまえば、何処かに旅立ってしまってもおかしくないと思えるほど。


「お前は本当にプテロンなのか……?」

「ああ、最強無敵のお兄ちゃんだぜ」


 嘘は言ってない。だが、声色に感情がない。

 そのくせ、表情はずっと軽薄な笑顔だ。馴染みのある笑みなはずなのに、恐怖が止まらない。


「やっぱりおかしい、まるで壊れちゃったみたいな――」

「うるせぇな、何が言いたいんだ?」


 聞いたことのない底冷えした声。

 それさえも、中枢をなす芯がない空虚な声だった。


「あー、めんどくせぇ。じゃあ、切り札打ってこい」

「は……?」

「【万里一空】受けてやるよ。そっちの方が実力差理解できんだろ」


 両手を広げて、プテロンは立ち尽くす。

 要求するはずっと機をうかがっていた必殺技。

 イコルをも倒した俺の必殺を軽い様子で受け止めると言った兄に、苛立ちが湧き上がると同時にチャンスであると考える。

 駆け引きなしで必殺を行使出来るのは大きい。先生と共に編み出した必殺なら、一方的な状況を変えられるに違いない。


「術器転装」


 二振りの短剣が、鋭利な長剣へと転ずる。

 一級術器【盈月】が業火を帯び、舞い踊る火の粉が頬に触れた。

 溢れ出る炎熱により伸長する【盈月】を見ても、プテロンの態度は依然として変わらない。侮った様子で佇むのみ。

 油断してくれる分にはいい、その身体にぶち込むだけだ。


「【万里一空】!!」


 全霊をもって【盈月】を振り下ろす。

 繰り出された炎の咆哮。

 赤の光輝はプテロンを含む一切を焼き尽くさんと、木々を燃やし尽くしていった。

 地面に映る焦げた残影が着々とプテロンに迫る。

 不可避の炎熱に対し、頬を釣り上げ、プテロンは黒剣を構えて一言。


「この程度か」

 

 一閃。

 炎の顎門がプテロンを呑み込もうとして、黒き閃光が両断した。

 イコルの荊槍を彷彿とさせる一刀両断。それを詠唱魔術でも、絶技でもなく、ただの一振りで再現する。


「うそ、だろ……?」


 引き攣った笑いさえ浮かべられない。

 俺にとっての必殺は、プテロンにとってはただの薙ぎ払い。技巧を尽くした魔術が赤子の手をひねるように消された。


「その術器は、少し面倒だな」

「――――ッ!」


 プテロンの姿が揺らいだと認識した瞬間、彼は目前まで接近していた。

 すぐに近接戦闘用の【玉鉤・伊邪宵】に戻す。それが、プテロンの狙いとは気付けずに。

 黒剣を携えたプテロンは、俺本体を狙わずに片方の短剣を攻めた。


「狙いは武器か……!」

「分かったところで、対応できねえよ」

「なッ!」


 神速の移動を持って、プテロンは左の短剣【玉鉤】を俺の手ごと蹴り上げた。

 手に走る激痛に、思わず【玉鉤】を手放す。脚撃の威力はとどまること知らず、【玉鉤】は垂直上に大空へと飛んで行った。


「5分くらいで落ちてくんだろ。ともかく、これで長剣にはできねえな」


 上を見上げても【玉鉤】の姿はなく、未だ雲の果てまで上昇を続けているのだろう。

 残る術器は【伊邪宵】のみ。二つ揃ってなければ【盈月】に転装は出来ない。主武装というには心許ない短剣を握りしめ、プテロンを睨みつける。


「20周くらいで終わりそうだな」

「ッ、舐めるなァァァ!!」


 雄叫びと共に、俺は勝ち目のない闘いを続けるのであった。





 


「もう、見てられない。私は行く」

「待つんだ」


 兄による調教が再開するなか、観客席でも動きはあった。【血闘】に乱入しようとするイコルを、賢者が制止していた。

 弟子が痛めつけられているのに顔色一つ変えない賢者に、イコルは怒鳴りつける。


「あのままじゃ、二人とも壊れる! レイキは身体を、プテロン様は心を……手遅れになる前に止めなきゃいけないの!」

「大丈夫。これは

「は……?」


 瞬間、イコルは血槍を賢者の首元に添える。

 眼は血走り、動揺と憤怒の色を濃く映している。


「いま、なんていった……?」

「プテロンがこうなることは想定内さ」


 賢者の首筋を僅かに断つ。

 漏れ出た血液を吸収し、血槍を強化する。いざという時に、確実に賢者の首を穿つために。 


「何で……! プテロン様の心を壊して、レイキの身体を傷つけて何がしたいのよ!?」

「落ち着くんだ。二人を苦しめたいわけじゃない」

「賢者の目は節穴なのね、もういい、あんたを殺して私もあっちに行く」


 首元に添える血槍に力を込める。

 激情のまま横に切り裂こうとして。

 

「――君じゃプテロンを救えない」

「ッ!」


 張り裂けるような胸の痛みが襲う。

 それは、昨夜、少年に託した言葉。


「それは、君自身が一番分かっていることだ」

「……うる、さい。うるさい! 分かってるわよ! 私は適任じゃない、だけどあれはダメなの!」


 視界が歪む。

 涙は溢れかえり、嗚咽を堪えらない。


「私達は狂わなきゃやっていけない、ある一つのために全部削ぎ落とした」


 少女は渇愛に狂い、総てを壊す荊槍を手に入れたように。

 狂気がトラキアを生き抜く最善手だから。


「でも、プテロン様はその一つさえ削ぎ落とそうとしてる! そんなことしたら、もう戻れなくなっちゃう! だから今――ッ!」

「ありがとう、イコル。うちのバカ息子たちを心配してくれて」

「ぁ――――」


 後ろからヘリオスに抱きつかれる。

 前に手を回し、キツく抱きしめてくれるそれは、求めていた母親の渇愛そのもので、身体の芯がドロドロにされる。

 あれほど猛っていた憤怒が、唐突に鳴りを潜めた。


「賢者さんにも考えがある、違うかい?」

「あぁ。プテロンの精神は崩壊寸前だ。今イコルが助けても、その場凌ぎにしかならない」

「じゃあ、どうすれば……!」

「君も分かるだろう。彼の心を救うには僕でも君でもダメだ。ずっと守ってきた家族レイキじゃなきゃ言葉は届かない」


 無力さを思い知らされると同時に、胸のつかえが取れた感覚に陥る。

 部外者ではダメな理由、彼の根本を為したのはどこまで行っても家族の守護だから。

 そして、彼が激情を解放するのは闘争の中だけ。闘えない双子も、ヘリオスさんもダメだ。

 レイキじゃなきゃ、あの人の心の奥底には入れない。

 何も出来ない悔しさに打ちひしがれていると、温かい手に撫でられる。


「私も心配だよ。だけどね、それ以上にレイキを信頼してるんだ。あの子ならバカ息子を取り戻してくれる」

「ヘリオスさん……」

「――とはいえ、何もしないのは私らしくないね」


 ニヤリと勝ち気な笑みを浮かべて、ヘリオスさんは観客席の手すりを両手で掴む。

 何をするのかと私も賢者も不思議に思っていると、彼女は背を向けたまま私に問いかける。


「【血闘】への乱入は厳禁。だけど声をかけるぐらいはしていいんだよね?」

「え、ええ。それくらいなら」

 

 私の言葉を聞いたヘリオスさんは大きく頷き鼻を鳴らす。そして、手すりに身を乗り出し、大きく息を吸い込んで――――。


「レイキィィィィィィィィィィ!!!!」









「どう勝てって言うんだよ、こんな化け物……!」


 【伊邪宵】はもはや飾りとなっていた。

 縦横無尽に木々を駆け回るプテロンを捉えられず、高速で移動されれば炎剣を使う暇もない。かといって雑に大規模攻撃を行おうものなら、死角から恐ろしい威力の強襲が待っている。

 どうにか打開策を見出そうと頭を回しても、思考の隙を縫うように投げナイフが飛んでくる。

 そして、今、20回目の回復薬を浴びさせられていた。


「いい加減『参った』って言えよ。何百回やっても結果は変わんねえ、倒すどころか手も足も出てない。そんなんじゃアレスには勝てねえよ」

「黙れ……!」

「お兄ちゃんに全部任せとけよ。大丈夫、家族お前たちだけは必ず守る」


 俺の肩に手を置き、降参を促すプテロン。

 プテロンの言葉は間違えはない、ただ純然たる事実を述べているだけ。

 しかし、受け入れるわけにはいかない。

 ここで屈してしまえば、何も変わらない。猜疑と怨嗟に塗れた、一生恐怖が付き纏うトラキアの闇は変えられない。

 でも――――勝ち筋が何処にも見当たらない!

 プテロンに勝つのは不可能だ、そんな考えが脳を支配し始めた時だった。



「レイキィィィィィィィィィィ!!!!」



 養母の声が響き渡ったのは。

 目を見開き、俺とプテロンは育ての母の方を向く。


「ビビってんじゃないよ! アンタが闘ってんのは、得体の知れない化け物でも、謎めいた怪人でもなく、ただの馬鹿な兄だよ!!」

「……ッ!」

「外面に惑わされんな! アンタの土俵はそこじゃない! しっかり精神なかの声を聞きな!」


 言いたいことは全て言ったのか、ヘリオスは満足した表情で目を丸くするイコルの隣に腰掛けた。賢者は腹を抱えて笑っている。

 養母の激励にプテロンはうざったそうに眉を顰めた。


「何言ってんだ、アイツ」

「いや、伝わったよ」


 そうだ。

 俺がすべきことはプテロンの打倒じゃない、【暗獣化身ネメア】を使わせること。

 心の異常をプテロンが教えてくれないなら、その剣に問うまで。いくら蓋をしようともこじ開けてやる。

 恐怖なんて抱かなくていい。だって目の前にいるのは――ただのお兄ちゃんなんだから。


「【暴れ果てろ、選伐せしは――ッ」

「使わせねえって言ってんだろ?」


 鳩尾に膝蹴りされる。

 胃をかき混ぜられ、朝食を戻しそうになる。

 今すぐ詠唱を止めなければ、【飛輪星】のために溜めた魔力と炎が暴発し、ただでは済まない。内部の魔力暴走により臓器に損傷をきたす。

 ――あぁ、上等だよ。


「――紅蓮の円環】!」

「なに?」

「【飛輪星】!!」


 微かに吐血しながら詠唱を完成させる。

 イコル戦で行使した真紅の魔術が、全方位の木々に焔を灯す。

 元より威力は弱く、今は片方の剣のみのため全ての木々を焼き尽くすことは不可能。だが、少なくとも近くの木々くらいは焼き尽くせる。


「これは……!」


 出来上がったのは環状の炎に囲まれた決戦場。

 【剣戟地獄ジレンム】によって木々が切り刻まれ、平地となった場所。

 これでプテロンは木の合間を飛び回れない……!


「かくれんぼは終わりだ。ようやく向き合えたな」

「はっ、正面突破なら勝てるってか。舐められたもんだ」

「やってみなきゃ分かんないだろ」


 今までの闘いを思い出す。

 武装は投げナイフと【漆黒】で作った黒剣。

 傾向的に、プテロンが最初にとる行動は機動力を奪うこと。すなわち、次に来る攻撃は、


「足に向けて投げナイフ」

「ッ!」


 プテロンが投げるより先に、足元を炎を付与した【伊邪宵】で薙ぎ払う。予想通り、機動力欠損を狙った投げナイフを弾いた。

 【闘威三黎】の速度に対応できる程の実力は、俺にはない。

 だから、今までの経験を全て活かせ。

 バカ兄貴の心の奥底を暴いてやるために。

 投げナイフを退けた直後、俺は地を蹴り横に飛んだ。


「【咆哮フォナゾ】!」

「防がれたら、様子見の遠距離魔術。想定内だ」

 

 先程まで居た場所を闇の光線が通過する。魔弾魔術スフェラよりも高威力の暗闇の咆哮。それも、この【血闘】で何度もくらった。

 紙一重で躱した俺を、プテロンは呆然と凝視している。

 プテロンに近づくには、今しかない。


「炎剣よ、撹乱しろ!」

 

 差し向けるは六騎の炎兵。

 主人の意向に従い、それぞれ四方八方からプテロンを刺激する。

 イコル戦で活躍した炎剣たちは空中で独自の軌道を描き、プテロンに迫る。そんな炎剣にプテロンは片手を向ける。


「もう一発くれてやるよ。【咆哮フォナゾ】」


 再び闇の咆哮が放たれる。

 先程よりも広範囲に特化した光線は、空中の炎剣を容赦なく消し去る。

 だからこそ、体勢を低くした俺の接近を許してしまう。


「はぁっ!」

「ちっ!」


 交わされる黒剣と短剣の応酬。

 黒髪と灰髪が揺れ、斬り合い度に火花が飛び散る。

 この【血闘】初めての超近接戦闘インファイト。一週間イコルと賢者に付き合ってもらい、何度も繰り返した戦闘だ。

 炎剣も織り交ぜながら【伊邪宵】を振るう。【圧縮】を駆使してプテロンの動きを制限する。鍛錬の全てを注ぎ込んで、奇跡的に拮抗状態を保てていた。

 今までの状況とは違う展開に、プテロンは顔を歪めた。


「お前は、俺に守られてればいいんだよ……!」

「断る。自分の道は自分で切り拓くよ」

「黙れ! そうじゃなきゃ、守れなきゃ俺は……!」


 言葉を交わしながらも攻撃の手は緩めない。

 苛立つプテロンに対し、賢者と会った直後の彼を思い出す。家族を守れない己を執拗に責めてた兄を。

 あの時は触れられなかった、触れる勇気がなく見過ごしてしまった。


「だから、いま真っ向から受け止めてやる!」

「うるせぇ!」


 激化した戦闘を見て、最上階のフォボスは呟く。


「プテロンの強みは俊足、その速さはアタシらよりも上だからなァ。距離詰めちまえば封じられる、中々に英断じゃねぇかァ」


 デイモスがトラキア一の怪力だとしたら、プテロンはトラキア一の俊足。機動力で敵を翻弄し命を刈り取る暗殺者。

 だからこそ、今の状況は最良といえる。


「ですが、プテロンもそれは分かっています。距離を離す手段は確保してあるはず。再び距離をとられれば、レイキは近づけないでしょう」


 デイモスの言う通り、プテロンは距離をとろうと画策していた。

 四方八方に投げナイフを飛ばし、尾についた鉄鋼ワイヤーで俺の四肢を拘束する。


「離れやがれ!」

「がはっ!」


 身動きの取れない俺の腹部目掛けて、強力な薙ぎ蹴り《ハイキック》が放たれる。【飛輪星】を無理やり行使し傷ついた内臓が、更にぐちゃぐちゃになった音が聞こえた。

 血を吐き、吹き飛ばされる躯体。視界がプテロンから遠ざかっていく。だめだ、離されれば二度と近づけない。

 二度と、兄の心に触れられない!


「炎剣よ、爆ぜろ!」


 六つの炎剣、その全てを


「なっ!?」

 

 背中を切り裂く炎の激発。生み出される爆発的な加速。

 内包した神秘を破裂させて作った莫大な推進力で、自傷紛いの特攻を完成させる。向かう先は兄の元のみ。

 プテロンの驚愕を追い越し、俺は初めて懐に潜り込む。

 【伊邪宵】に真っ暗な焔を装填する。双剣状態で最大の火力を誇る魔術、片方の剣のみでも発揮してくれると確信している。


「【片翼・禍津星】!」


 黒き焔が吠える。

 瞠目するプテロンに刻みつける、積み上げた一撃を。

 俺の呼吸は不安定どころか、内臓の損傷により吐血が止まない。背中も焼け焦げて、満身創痍という言葉が似合うだろう。

 対してプテロンは息一つ乱れない、いつも通り佇んでいる。

 だけど、ただ一つ相違点を挙げるとするなら。外套の一部を焼いた、腹部への一閃。


「攻撃が、通った……」


 ボロボロに泣き崩れているイコルから、呟きがこぼれ落ちた。

 短剣に残る確かな感触。

 この瞬間、俺は初めて攻撃に成功したのだ。


「通ったぞ。俺の一撃が、お前に!」

「……はっ、たかが一撃で、調子乗ってんじゃねえよ」


 大したダメージにもならない、小さな一撃だ。

 だけど、兄の心を覗く切り口を見つけられた、大きな一撃でもある。その証拠に、プテロンの表情に亀裂が走った。

 こじ開けるなら今だ。


「刃を交えれば、相手がどんな事を想って闘ってるか伝わってくる」

「……急に何言ってんだ」

「デイモスは懐疑と嫌悪、イコルは憎悪と憤怒だった」


 命を懸けてアガロスを助けた俺を気味悪がったデイモス。

 プテロンの親愛を享受する俺に殺意を抱いたイコル。

 彼の拳から、彼女の槍から、俺への悪感情が伝わってきた。そして、今の攻防で確信した。眼前の兄は、空虚な表情とは裏腹に激情を抱いてるのだと。

 彼の刃から伝わってくる感情、それは――。


「なんでお前からは、悲鳴しか聞こえてこないんだ……!」

「ッ!」


 変化は劇的だった。

 見られたくない、隠していた弱み《もの》を、暴かれた子供のように。

 両の目を見開き動揺する。

 今まで見たことのない、笑みをなくし、瞳に確かな絶望を宿して、そこに。

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