第14話 想いを託す









「で、どういうつもりなの?」


 修行を開始してから数時間、夕日が沈む頃に三人は帰路についていた。

 厳しい修行の果てに気絶しているレイキを背負いながら「ヘリオス殿の夕食楽しみだなぁー!」と呑気によだれを垂らす賢者にイコルは問いかけた。


「こんなの修行じゃない、拷問の域よ。プテロン様に勝つには並大抵の努力じゃ無理なのは分かるけど、これは流石にやり過ぎ」


 プテロンは強い。

 同じ闘威持ちでありながら、不意打ちでも一撃も与えられない存在だとイコルは思っている。

 かろうじて末席たる四黎にいた身からして、四黎イコル三黎プテロンの間の実力差は甚大だ。

 一時では、プテロンの実力は一黎デイモス二黎フォボスに並ぶと言われていたほど。彼が三黎になってからも高みを目指し【下剋上】していたら、現在の闘威持ちの面子は変わっていただろう。

 あくまでも修行内容の批判であったが、根底に潜むのはレイキへの配慮だった。態度の軟化に賢者は相好を崩す。

 

「随分優しくなったね。君なりの向き合い方を見出せたようで何よりだ」

「……話を逸らさないで。このままいけばプテロン様との【血闘】の前にアイツの心が壊れるわよ」


 若干息を詰まらせつつ、イコルは確信を持って告げた。

 彼女が目にした修行内容は苛烈の一言に尽きる。瀕死状態はもちろん、腹部に穴が空いたり、四肢のいずれかを機能不全させられたりと、終始その強烈さに息を呑んだ。

 一番驚いたのは、腕が絶たれても即座に立ち直るレイキの不屈さであった。その様子はまるで生き急いでるようで、苦言を呈するのは避けられなかった。


「イコルはさ、レイキの才能って何だと思う?」

「急に何よ」

「良いから良いから」

「……卓越した魔力操作。今までの魔術体系を変える代物で、私が負けた要因の一つ」


 イコルが術器の特性と勘違いした精密な魔力操作、蓋を開けてみれば彼自身の才能に他ならない。

 賢者でさえ、その才能を垣間見た時は震えたものだ。理外のチートと捉えられるそれは、誰にも勝るレイキの優位性に違いないだろう。


「確かに魔力操作それもレイキの才能だ。だけどね、それ以上の才能モノを彼は持っているんだよ」

「……」

「桁外れの成長速度、さ」


 曖昧な答えにイコルは頭を捻った。

 伝説の英雄が師匠とはいえ、一ヶ月で【闘威四黎】を打倒する実力を得たのは確かに偉業だ。

 しかし、魔力操作よりも秀ででいるかと言われれば、首を横に振ることになる。


「君が荊槍切り札を解禁したとき、正直負けたと思ったよ。想定を遥かに超える力、実戦に関して素人に過ぎないレイキには身に余る」

「……そうね。あれを初見で破られるとは思ってなかったわ」

「けれど、彼は乗り越えた。よく思い出してほしい、序盤はあの荊槍に対応できていなかったはずだ」


 イコルは最後の激闘を思い返す。

 黒い感情が混ざり合っていた、少年への殺意しか願えなかったあのとき、最初は此方側が圧倒していた。

 しかし、時が経つにつれ着々と荊槍に追いつき、最終的には【盈月】によって敗北を喫した。

 改めて考えれば、確かにおかしな話だ。

 仮にも【闘威四黎】の切り札にたった数分で対応するなんて。


「レイキはあの【血闘】の中でんだよ。眼前の脅威きみを糧にして、更なる飛躍を遂げた。紛うことなき戦闘の才能」


 全く良い意味で期待を裏切ってくれるよ、と賢者は付け足す。


「アイツの才能は成長速度。だから、負荷が重ければ重いほど強くなるって寸法ね」

「まぁ、レイキが折れづらいっていうのもあるけどね。修行の一番最初に腹を貫いても、泣かないで直ぐに立ち向かってくるあたり、あの子も相当イカれてるし」

「……本当に何者なのよ」


 イコルは若干引いている。愛する人の隣に並ぶ為に【闘威四黎】に成り上がったり、闘神の魔法に飛び込んだりしている彼女も彼女で大概なのだが、そこに触れる者はいない。


「そう言えば、一年前のことを話してくれてありがとね。有効に使わせてもらうよ」

「……使う? どういう意味?」

「決着方法に関してさ。実力はレイキに死ぬ気でつけてもらう。それ以外は先生ぼくが担当しなきゃね」


 無邪気に笑う賢者は、悪戯をする子供のような表情だった。







 闘争国トラキアにおいて、強さとは正義だ。

 強ければ何もかもが通じる。闘威持ちともなれば、得られる恩恵は多大である。

 故に、失墜した際にはかなりの代償を伴う。

 闘威持ちの中では四黎最弱であったイコルは無名のレイキに倒された。

 従来では【血闘】に敗北した闘威持ちは闘神に殺害され、勝者が新たな闘威持ちの座に収まる。しかし、レイキの褒美により有耶無耶となり、イコルは敗北した闘威持ちでありながら存命だ。

 最年少という称号も相まって愚かな考えを持つ者が出始める――今なら闘威持ち《イコル》を倒せるのでは?


「そういうお前らみたいなクズを潰すために、俺がいるってわけ」

「がはっ!」


 そんな考えの元、無人と知らずイコルの家を襲おうとした闘士がまた一人沈められる。

 今は誰もいないイコルの家の周辺には、同じように襲撃しようとして手痛いしっぺ返しをくらった者が多数転がっている。この惨状はある青年によって作り出されていた。

 そもそもお前ら程度がイコルに敵うはずねえだろ、と添えるプテロンは大きなため息をつく。

 イコルがレイキ達と共に天照院に居る間、過激派の連中がやらかさないか危惧していたが、案の定馬鹿な奴らは多かった。


「守護者気取りかァ? 家族の後はイコルとはてめえも隅に置けねえなァ」

「どんな勘違いかは知らねえが、俺は単に恩を返してるだけだつーの。というか、何でお前も此処に居るんだよ」


 築いた過激派の者達の山で一息つく青年の元に、泥酔した麗人がやってきた。

 お決まりの酒を飲みながら、やけに高いテンションでプテロンを指差す。


「ようやくてめぇらも先に進んだか冷やかしに来たに決まってんだろォ!」

「……どういう事だ?」

「……イコル、お前の想いは届いてねえみてぇだァ」


 大空を見上げ、一時期闘い方を教えたイコル《弟子》に憐憫を捧げるフォボスを見て、プテロンはますます首をひねる。

 相変わらずの鈍感さである、そろそろイコルは怒っても良い。


「まぁ、半分冗談だァ」

「半分本気なのかよ」

「――【家族狂い】のお前が、弟と【血闘】とはどういう了見だァ?」


 酔いながらも冷徹な視線はプテロンを射抜いた。

 守護者紛いのことをしている自分に対し、接触を図ってきたのはこれを聞くためかとプテロンは納得した。虚偽を許さない眼に真っ向から向き合い口を開く。


「アレスに叛逆することの無謀さを、俺は誰よりも知ってる。だからこそ、レイキにあんな想いは絶対にさせねえ……」

「……」

「アレスに折られるくらいなら、俺が折ってやる。嫌われる事になってもいい、あいつの理想ユメは此処で止める」


 プテロンは決意を固めていた。

 弟がただの夢見がちな少年であれば良かった。しかし、彼は前評判を覆してイコルに打ち勝った。それのみであればまだ良いが、あろうことか弟は闘神に叛意を示し、その在り方を気に入られた。

 だめだ、それだけは許容出来ない。

 あのクソ野郎に骨の髄まで潰される未来しかないなら、喜んで泥を被ろう。

 決心を表明するプテロンに、フォボスは更なる揺さぶりをかける。


「つーことは、外のてめえを見せんのかァ? 心殺して、気色悪い笑みしか貼り付けねえ【闘威三黎】の姿を」

「……ッ!」


 青年の顔が歪んだ。

 それは是が非でも家族には見せなかった別の自分。

 本当の心を覆う、分厚い漆黒の側面。


「これは忠告だァ。てめえの闘いは家族の守護に起因する、それを弟くんに向けたともなりゃァ――――元に戻れなくなるよ」

「……あぁ、そうだろうな。俺自身、今でもどうにかなりそうだよ」


 麗人の断言を、プテロンは肯定した。

 珍しい素直な態度に麗人は微かに驚き、顔を抑える青年を凝視する。

 そして、瞳に映る仄暗い狂気を、突き詰めて濁った家族への執愛を感じ取る。


「だけどな、レイキは必ず此処で止めなきゃいけない。あんな理想はすぐに捨てさせる、破滅の道なんか歩かせない」

「その果てに、お前が壊れたとしてもかァ?」

「上等だよ。それが、レイキの幸せに繋がると信じてるから」

 

 昏い狂気を宿した青年に、フォボスは哀れみの視線を向けた。


「……大切にしてる割には

「……何が言いたい?」

「いやァ? それよりなァ、初見殺しとは言え弟くんはイコルに勝った、油断してりゃてめえもやられんじゃねえのかァ?」

「あり得ない」


 微笑をたたえてプテロンは断言した。確かにレイキは戦闘の才能に富んでいるが、負ける気は微塵もなかった。

 慢心ともとれるプテロンの発言にフォボスは驚かない。イコルとの【血闘】はレイキの実力の高さを思い知るものだったが、同時に評価する――あの程度では、プテロンに勝てない。


「大層な自信だなァ。決着方法はどうすんだァ?」

「レイキ《あっち》が決める予定だが……と、噂をすればだな」


 プテロンの首輪が淡い光を放つ。

 トラキアの首輪は【血闘】の諸々の準備を仲介する魔道具であり、対戦カードの決定のみならず、決着方法に関する言伝メッセージを魔力を介して伝えられる優れものである。

 レイキの褒美により、【血闘】の頻度がごく僅かになったとはいえトラキアの民には必需品だ。

 レイキからの言伝メッセージを確認するため、首輪を軽く叩き、フォボスにも見えるよう投影魔術の要領で虚空に表示させる。


『【血闘】の決着方法について

 プテロンの敗北条件:【暗獣化身ネメア】の使用。

 レイキの敗北条件:『参った』と降参の意を述べる。

 このくらいのハンデはあって然るべきだよね! 天才先生より』


「……」

「ははっ。こりゃ面白ェ」


 プテロンは無言で首輪の機能を停止させ、虚空に表示された言伝メッセージを消した。


「あの、クソ賢者が……!」


 一年前を彷彿とさせる決着方法に大きな舌打ちを打つ。

 これにより、プテロンはただ単にレイキを倒すのではなく、精神を屈服させなければならなくなった。一年前にアレスにさせられたことの焼き直しである。


「『大嫌いな相手アレスと同じやり方で大事なレイキを潰せ』、【家族狂い】のお前にはさぞ辛い条件だろうなァ」


 弟に完膚なきまでに潰される気持ちを味合わせたくないがために望んだ【血闘】にて、他ならない自分が弟の理想を折る羽目になる。

 意地が悪く、それでいて効率的にプテロンの精神を大いに削る悪魔のような決着方法。

 賢者への殺意を募らせながら、胸中で決意を改めて固める。


「どのみち、レイキには大きな挫折が必要だった。その役目を担うと考えれば良い機会だろう」


 強制的に自分で納得づけた。

 あくまでもスタンスを変えられないプテロンに、フォボスは再び哀れみの視線を向けた。


「てめえにとって弟くんは何処まで行っても"大事な弟"なんだなァ」

「さっきから何が言いたいんだ? 喧嘩売ってるなら買ってやるよ」

「特に意味はねぇよォ。ただこの【血闘】、弟くんが勝つかもなァ」

「何だと?」


 疑惑を持ってプテロンは睨みつける。

 レイキの実力は自分より数段下であると話は終わったはず、なぜ意見を覆すのかプテロンには理解できない。


「てめえと弟くんが闘う土俵は別かもしんねぇからなァ」

「……良い加減煙に巻くのは止めろ。こっちは学がない分すぐに手が出るぞ」

「【血闘】まで残り六日、良く考えるんだなァ」


 【漆黒】を片手に溜め戦闘態勢をとるプテロンに対し、踵を返して去り行くフォボス。

 問い詰める間もなく、フォボスは闘争区の喧騒に消えていった。

 一人残ったプテロンは拳を握り、ゆっくりとフォボスの言葉を咀嚼する。


「レイキを大事に想う気持ち……間違えなんかじゃない、よな……」


 か細い自答の声は風に消えてなくなっていった。






 




「いよいよ明日、か」


 とうとうプテロンとの【血闘】が明日に迫った日の夜。寝室で眠くない目を擦りながらここ一週間を回想する。

 一日目、とてもいたかった。

 二日目、すごくなぐられた。

 三日目、そらがきれいだなぁ。

 四日目、ふたりどうじはむりだよ。

 五日目、あのクソ教師絶対許さない。

 六日目、気付いたら気絶してた。


「ボコボコにされてる記憶しかないんだが!」


 目をかっぴらき理不尽に突っ込む。賢者に斬られ、イコルに貫かれた身体が悲鳴をあげている。

 だめだ、完全に目が覚めてしまった。

 こうなってしまえば、深い眠りにつきずらい。観念して寝台ベッドから身を起こし、毛布をのけて寝室を出た。

 向かう先は屋根上、夜風に当たって星でも眺めれば眠くなるだろうという寸法だ。備え付けの梯子を登ると見覚えのある紅髪が見えた。


「あれ、イコル?」

「……貴方も寝れないの?」


 漆黒を塗り替える、一面の星々の光の元に少女が座っていた。

 一足先に星を眺めていたのはイコルだった。

 物憂げな表情を浮かべる彼女は一週間前と同様に隣を叩き、座るよう促してくる。

 他愛ない話を出来るほど仲は改善したため、今回は気兼ねなく座れた。


「明日のことを思うと、な。死ぬ気で鍛錬したけどプテロンに勝てる未来が見えなくて」

「……たった一週間で私の実力に追いついたくせに、嫌味かしら」

「あれは殆どまぐれだろ」


 何百回もイコルと模擬戦をしたが、最後の一回のみ一本取ることが出来た。俺は随時回復魔術セラピアを施されていたが、イコルは連戦明けであったため疲労が蓄積していたのだろう。

 荊槍切り札も使われていないし、あれで勝ったとは微塵も思わない。


「最後の一瞬、私はアンタの動きに間に合わなかった。誰が何と言おうと、あれはアンタの勝利よ」

「……素直に褒めるなんて、変なものでも食べたのか?」

「はっ倒すわよ」


 飛んできた小型の水弾魔術スフェラを躱し、イコルの方を向くと彼女の頬は僅かに赤みがさしている。


「はっきり言って欲しいんだが、プテロンに勝てると思うか?」

「……勝機はゼロだと思うわ」


 イコルの言葉に大きく頷く。

 というのもプテロン戦に備えた鍛錬を一切行っていないのだ。

 イコル戦に対する鍛錬には槍との闘い方や【万里一空長剣でのトドメ】の練習など、イコルに焦点を当てたものだった。

 しかし、今回は四六時中イコルか先生、はたまた二人同時の模擬戦しかしていない。実力が向上した感覚はあるが現状でプテロンを倒せるほどの力はなく、対プテロン用の鍛錬を積んだわけでもない。

 

「先生に聞いても『今回は如何に我を貫き通せるかが重要さ! 何も考えずにぶち当たろう!』の一点張りだし」


 先生曰く、特に何も考えずに想いを貫くのが大事らしい。正直に言って何を言ってるのか全く理解できなかった。

 首を捻っていると、イコルがぽつりと呟く。


「アンタの勝利条件はプテロン様に【暗獣化身ネメア】を使わせる、それがどういうことを意味するかが鍵よ」

「………………さっぱり分からん」


 俺の敗北条件……『降参の意を述べる』もかなり奇抜だが、プテロンの敗北条件もそれなりに可笑しい。場外や気絶ではなく、特定の魔術の行使が敗北となるのだから、早い話行使しなければ負けない。


「私は、何となくだけど分かる気がするわ。上手くは言えないけど、理論とかそういうものじゃなくて、もっと感情の根本にあるようなもの」

「……曖昧だな」

「確実に言えるのは、プテロン様は


 弾かれたように顔を上げた。彼女の声音が、泣きそうで、罪悪感で押しつぶされそうで、何よりも深い嫉妬の念が込められていたからだ。

 震える瞳が此方を見つめている。

 悲痛に胸を抑えるイコルに、必死に言葉を探す。


「そんなことないだろ。一年前、イコルがいなかったらプテロンはアレスに殺されてた。イコルが乱入してくれたからこそ、プテロンは今も生きてる」

「そう、ね。確かに私はプテロン様を守れたかもしれない。だけど同時に思うの――――プテロン様の叛逆想いにトドメを刺したのも私だって」

「ッ!」

 

 イコルの顔が歪む。

 見慣れたはずの彼女の姿が、泣いている子供と重なった。

 蹲る彼女の膝は震え、瞳は潤み、激しい自己嫌悪に駆られている。


「私がしたことは精々時間稼ぎ。雷竜を斃したのはプテロン様だった、私が手を出さなくても彼は一人で切り抜けたかもしれない」

「そんなことない!」

「あるのよッ……だけど私が乱入したせいで想いを捨てるきっかけを作ってしまった。そして、あの人は変わった。瞳に昏い狂気を宿したトラキアの狂人になった」


 一年前を契機に、プテロンは度の過ぎる家族愛に満ちた少年から、狂愛を糧に生き急ぐ狂人となった。

 原因はアレスによる蹂躙、しかし完全に想いを屠ったのは自分であるとイコルは断じる。

 彼一人であれば突き進めた、お荷物イコルが一緒では立ち止まらなくてはならなかった。彼は優しいから、他者を巻き込むのは本意ではないから。


「一年前のあの日、私は最初からあの人の側で共に戦うべきだった。中途半端に助けて、想いを捨てさせて、アガロス君を直ぐに助けたアンタとは大違いよ」


 彼女の心の内で慟哭を上げる俺への憎悪は、それも含んでいたのかと目を見張る。

 即座に行動した俺と、ボロボロに嬲られる様を見ているだけだったイコル、対照的だからこそ彼女の咎を強く思わせてしまったのかもしれない。

 

「恋なんて清らかな言葉で飾ってるけど、私がプテロン様に向ける感情はただの依存。どこまであの人に迷惑をかければ気が済むのかしら」

 

 自嘲と共に、少女の瞳からは涙が流れる。

 どうして滴が現れるのか、彼女自身だって分からない。

 だけど、それらの言い分は許せなかった。誰よりも外のプテロンを支えてくれた人に、そんなことを思わせたままにはしておけない。


「……悪いけど俺はお前の考えを認めない。イコルがプテロンの助けになってないなんてありえない」

「でもッ」

「だけど、憎い対象おれが言っても説得力がないと思う。――だから、本人に聞こう」


 イコルは顔を上げる。

 真っ赤に泣き腫らし、自己嫌悪に揺れる瞳に宣言する。


「俺がプテロンに勝って元に戻す。それで聞こうよ、プテロンの本心を」


 負けられない理由がまた一つ増えた。

 理想を貫き通すためだけでなく、尽きぬ重荷を自ら背負ってしまう兄の本心を聞くために、そして彼女の勘違いを糾すために。

 夜空が唸り、静寂が場を包むなか、星々は俺たちを照らしていた。

 イコルは大きく息を吐き、涙を拭った。


「私は、アンタが勝てると思わない。プテロン様相手に勝利なんて無謀、三分持てば上出来だと思ってる」

「……」

「――だから、覆して。アナタの理想で、あの人を救ってあげて……!」


 イコルとの【血闘】では、レイキの勝利を信じる者は一人もおらず、誰もが無謀な挑戦だと後ろ指を指した。

 今も状況は変わらない。ゼロどころかマイナスからのスタート、それでも膝を屈するわけにはいかない。

 

 イコルは立ち上がり、気丈に胸を張った。肩は震えており、くぐもった声ではあるが、滴が頬を伝うことはなかった。

 幾分柔らかくなった瞳が俺を射抜く。

 力を込めて拳を握り、俺の胸をどんと叩いた。

 

「――勝ちなさい」


 大嫌いな人おれ大好きな人プテロンを託す。そこにある苦悩や痛心は彼女のみが知るものであり、俺には分かるはずもない。

 だけど、そんな想いを乗り越え、告げてくれた激励に返す言葉は一つだけ。


「任された」


 彼女の拳から伝わる熱が、想いが、身体の隅々まで浸透する。託されたという事実が重くのしかかると共に少量の歓喜を生む。

 イコルはくしゃりと顔を崩し、泣きそうな表情を必死に抑えながらも、微笑みは絶やしていなかった。最初と比べ幾許か憂いの抜けた様子にそっと胸を撫で下ろす。


「もう遅いわ。明日のためにも寝ましょう」


 そう言って、イコルは立ち上がり梯子へと向かう。

 去りゆく背中に、俺はここ一週間でずっと言いたかったことを告げる。


「そうだ、一つ言い忘れたんだけど」

「なによ」


 佇まいを整え、背筋を伸ばす。

 一週間前、イコルの口からプテロンとのあれこれを聞いた時に言うべきだった言葉。

 角ばった態度の俺を怪訝そうに見つめるイコルに向かって、深く頭を下げる。


「――――一年前、兄を助けていただきありがとうございました」


 貴方のおかげで兄と再び暮らせました、と添える。

 イコルが何と言おうと、どれだけ否定しようと、彼女のおかげで今の兄がいる。彼女の献身がプテロンを現世に留め、死別することなく天照院で暮らせている。

 頭上で言葉に詰まる音が聞こえた。

 否定したいが、俺がその考えを認めないのは百も承知だろう。あらゆる葛藤を飲み込んで、イコルは顔を上げるよう指示した。

 顔を上げた先には、困ったように微笑むイコルがいる。


「どういたしまして」


 そこで見せた笑顔は、今まで見てきた笑顔モノの中で一番可憐であったとだけ言っておく。

 







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