第12話 一人目の協力者





「あぁー! アガロス好き嫌いしてるぅー! いけないんだぁ!」

「ち、違う。レイキ兄さんがどうしても食べたいって言うから」

「一言も言ってない。バランスよく食べないと背が伸びなくなっちゃうぞ」

「アンタもイコルの皿に苦手なやつ入れようとしてんじゃないよ」

「それはいけないね。弟子の成長を願って栄養満点の野菜を贈呈しよう」

「げっ、一番嫌いなやつ……イコル、野菜好きそうな顔してるからあげる」

「馬鹿にしてる?」

 

 食品の好き嫌いに関して揉める双子に、その二人を宥めつつ野菜をイコルの皿に入れようとしてくるレイキ。静かに食べれないのかと溜息をつくヘリオスと、一連の光景を見て笑う賢者。

 そして、賑やかな食卓についていけないイコル。

 

 姉弟の懇願に負けて、苦い野菜を全部食べる羽目になったレイキに同情の視線を投げつつ、イコルは思う……どうしてこうなった。



 

 レイキとイコルの【血闘】が終わり、レイキの褒美が聞き届けられた後、プテロンはレイキに【血闘】を申し込んだ。

 

「日時は一週間後、決着方法はお前が決めろ」

「まっ、ちょっと待て! いきなり【血闘】って、どうしたんだよ」

「さっき言ったろ? 俺はアレスと敵対するのは反対だ。それでも我を押し通すなら俺を倒せ。【闘威三黎】を倒せないようじゃ、闘神の打倒なんて夢のまた夢だ」

「いくら何でも急過ぎる。もっと話し合いとか出来ることがあるだろ!?」

「……一週間は天照院に帰らないから、ヘリオスにうまく言っといてくれ」


 一度も振り返らず、プテロンは闘技場フラウィウスを後にした。

 灰髪を揺らして消えゆく背中は儚くも力強い雰囲気で、誰も声をかけられなかった。


「……見誤ったな。ここまでの執愛ものだったか」

「先生……?」

「おーと、ごめんごめん。ちょっと考え事をね。とりあえず天照院に戻ろうか」

「はい……」


 明らかに落ち込んだ様子のレイキを花鶯が慰める。無理もないとイコルは同情した。激戦を乗り越え、闘神から褒美をもぎ取った後、兄に拒絶される。

 慕っていた分、拒絶された衝撃は大きいはずだ。

 

 かといって彼女にレイキを慰める気はない。

 黒い感情は抑えられたが、それでもレイキに対する悪感情が消えたわけではなくて。軽く視線を伏せ闘技場フラウィウスの出口に向かおうとする。


「どこへ行くんだい? 君も天照院に帰るんだよ」

「え?」

「は……?」


 去っていく背中に賢者の声が投げかけられ、呆けた声が二人の口から漏れた。

 レイキは動揺、イコルは困惑をもって呟いた。

 二人の内心は露知らず、賢者はマイペースに話を続ける。


「プテロンとの【血闘】は一週間後。時間が少なすぎる、本当は三日くらい休養するつもりだったけど、対プテロン用の修行をすぐに始めなきゃいけない」

「……私が天照院に行かなきゃいけない理由と関係あるの?」

「『アンタが勝ったらいくらでも協力してあげるわよ』だったかな?」

「……ッ」


 地味に上手な声真似にイコルは青筋を立てた。

 【血闘】が決定した際にイコルが放った言葉、惚けることは可能だが口八丁の賢者に言いくるめられるに違いない。

 せめてもの抵抗で賢者を強く睨んだ。


「対プテロン用の修行にはイコルに手伝ってもらう予定だからね。二人の身体を癒すためにも、同じ場所で固まってもらった方が都合いいのさ。一週間、天照院に泊まってもらうよ」

「……ちっ」

「じゃあ、僕は先に行ってヘリオス殿に事情を説明するから、二人で仲良く来るんだよ」

「えっ」


 バイバーイと言いながら、鶯の姿をした賢者は天空に飛び立った。

 残されたのは先刻まで殺し合った二人のみ。

 イコルは涼しい顔をしているが、レイキの胸中は穏やかとはかけ離れた状態だった。


 ――き、気まずい……!


 闘技場フラウィウスを退場し、お互い無言で天照院への道のりを歩む。

 感情の機微に疎いレイキでも、自分がイコルにめちゃくちゃ嫌われていることは分かっている。

 一緒に歩いてくれるだけでも御の字なのだが、修行を手伝ってもらうならそれなりの関係性を築いておきたい。そんな想いを胸に、レイキは意を決して口を開いた。

 

「今日は天気が良いな」

「うるさい」


 ――無理だよ!

 

 心の中でレイキは叫んだ。仲良くしたいという理想に対する壁が高過ぎる。

 膝から崩れ落ちそうになったが何とか耐えた。

 話を広げようにも最初から拒絶されたらなすすべもない。……天気の話題を提示するあたりレイキも対話能力雑魚なのだが、其処に触れる者はいなかった。

 たった四文字に心を抉られたレイキは、もう何も言うまいと口を閉じる。

 どんよりとした雰囲気を漂わせるレイキに、イコルはぼそっと呟く。


「……なんで、言い返してこないのよ」

「え、何て言った?」

「うっさいだまれ」

「がはっ!」


 あっちから話してくれた、話題を広げられると意気込んだのも束の間、返ってきた七文字にボコボコにされる。

 心も身体も滅多打ちにされ、レイキは割と本気で泣きそうだった。

 

 そこから会話は一つもなく、二人は天照院に到着したのだった。

 玄関には腕を組んで不機嫌そうにしている橙髪の女性と、人の状態に戻った賢者が話していた。


「ふん、プテロンが家出とはねぇ」

「少し語弊がある気はするけど、概ねその通りさ」

「ヘリオス、それに先生」

「おかえりレイキ、そっちの子がイコルかい?」

「……短い間ですがお世話になります」


 イコルは頭を下げる。

 天照院は彼女にとって嫉妬の権化、プテロンの寵愛を賜る憎き者どもの集まりであるが、不思議と黒い感情は湧いてこなかった。

 

 ただ、少しだけ胸が痛む。


「ッ」

「大丈夫か?」

「……何でもないわ」


 異変に気づいたレイキが小声で話しかけるが、イコルは取り繕った。心配そうに此方を見つめるレイキを横目に、微かな胸の痛みは何だろうと考える。

 頬を釣り上げたヘリオスはレイキに近づき、乱暴に頭を撫でた。


「にしても、随分やんちゃしたみたいだね。傷だらけじゃないか」

「頭撫でんな、ボサボサになる」


 不満気にしているレイキを撫で続けるヘリオスを見て納得した。

 彼女は似てるんだ。

 慈愛を注いでくれたエモニに。

 性格は似ても似つかないが、根本の部分が一緒だと感じた。

 今も渇望している愛、この場所にはそれが満ち溢れている。


「いいなぁ……」


 漏れてしまった言葉を必死に飲み込み、口を押さえる。

 幸い誰にも聞かれていない。

 イコルは感情に固く蓋をしようと決意した。そうでもしないと、また嫉妬に狂ってしまいそうだから。

 イコルが決意をした時には、ヘリオスは撫でるのをやめていた。そして、ニヤリとした表情でイコルを射抜く。


「じゃあ、始めようか」

「始めるって、何を?」

「決まってるじゃないか――歓迎会だ」


 

 

 物語は冒頭に戻る。豪華な食卓に、騒がしい天照院の者たち。

 エモニを殺して以来、永らく賑やかな食事とは無縁だったイコルは圧倒されていた。


「イコねぇ! これ美味しいよ!」

「イコル姉さん、こっちもどうぞ!」

「あ、ありがとう」


 なぜか双子からは慕われている。

 聞くところによれば、二人を救出し、天照院まで送り届けたことを覚えているようで、天照院に入った瞬間キラキラした目を向けられてかなり困惑した。

 

 ちなみにだが、二人にはプテロンの家出の詳細は伝えていない。忙しいから家を空けるとだけ伝えた。

 少し寂しそうにしていたが、それよりも助けてくれたイコルが来た喜びが勝っている。


「ヘリオス殿の食事は相変わらず絶品だね」

「あなたはなんでそんなに馴染んでるの?」


 食事を口に運んでは嬉しそうに破顔する賢者に対し、イコルは疑問の視線を向けた。

 頬のソースを拭いながら賢者は答える。


「レイキの修行は過酷でね。毎回気絶するレイキを送っていたら、夕食の誘いを受けたんだよ」

「まぁ、一人増えようが大して負担はないからね」

「賢者さん! また英雄譚聞かせてください!」

「ふはは、一時は吟遊詩人で生計を立てていた僕にお任せあれ」


 賢者の参戦に最後までプテロンは嫌そうにしていたが、夕食を共にし語りが上手いともなれば、本好きのアガロスから好かれるのは自明の理であった。

 かと言って賢者は泊まっているわけではなく、深夜になると突然姿を消す。聞けば、修行に必要なものを揃えているとのこと。

 

 もちろん、賢者が生ける伝説の【八叛雄】であることは伏せており、あくまでもレイキの先生という体で通っていた。


「では、今日は【蒼炎の拳聖】と呼ばれた男について話そうじゃないか!」


 賢者は高らかに英雄譚を話し始める。

 イコルはさわりだけ聞いて納得した。間の使い方、強調する箇所の出し方、何より内容の面白さ、本職の吟遊詩人と大差ないと感じる。

 皆が賢者の話に夢中になる中、フィロスだけは頬を膨らませていた。


「ぶー、みんな賢者さんの話ばっかり。いーもん、イコねぇ! 一緒にお風呂入ろ!」

「へ、え、ちょっと」

「もう沸かしてあるよ、着替えは置いとくから行ってきな」

「はーい!」


 フィロスに連行されるイコルを見て、レイキは心の中で合掌する。

 ああなればフィロスは止められない。

 高揚した状態でイコルの手を引き、風呂場へ直行していった。

 英雄譚に夢中のアガロスを横目に、レイキは袖を捲って台所のヘリオスに近づく。


「皿洗い手伝う」

「英雄譚は良いのかい?」

「ここでも聞こえるから」


 レイキも英雄譚を好むことを配慮した言葉だったが、レイキはやんわりと断った。

 賢者の英雄譚を背景に二人は皿洗いを続ける。

 ヘリオスが機敏に皿を洗い、レイキが受け取って手拭いで水気を取る。

 一連の作業には長年してきた故の手際の良さが垣間見えていたが、レイキは細かなミスが多く、チラチラと繰り返しヘリオスに視線を送っていた。


「で、何に悩んでんだい?」

「えっ――」

「何年母親やってると思ってんだ。いい加減取り繕った顔はやめな。心配しなくても、フィロスとアガロスには聞こえないよ」


 ヘリオスは簡易的な遮音性結界を張り、呆然としているレイキに話を促す。

 頼れる兄がいない今、下の子達に情けない姿を見せるわけにはいかない、そんな無意識の想いを考慮した行動だった。

 思いやりに富んだ行動に、レイキは頬を緩める。


「すごいな、ヘリオスは」

「なんだ急に」

「俺は感情の機微が分からない。イコルに嫌われてる理由も、プテロンに拒絶された訳も分からないんだよ」


 イコルには殺気に似た嫉妬を向けられ、プテロンには理想を拒絶された。心のどこかで、何で理由もなく否定されなきゃいけないんだと思う自分もいる。

 だけど、泣きながら荊槍を振るうイコルと、寂しそうに闘技場フラウィウスを去るプテロンを見てると、単純な癇癪では済ませていけないと感じた。


「イコルに勝って、ようやく最初の一歩に立てたんだって思った。プテロンは無条件で協力してくれると思ってたから……うん、結構きつい」

「はぁ……」

「わっ、頭撫でるな」


 頭をぐしゃぐしゃと掻き回される。

 水に濡れた大きな手に撫でられ、弾けた雫が首元に当たりヒンヤリとする。

 抗議の意味を込めた視線をヘリオスに送ると、彼女は微笑を浮かべているのみ。


「プテロンに関して言えば、レイキがプテロンとどういう関係性でありたいかを明確にするべきだと思うよ」

「関係性……?」

「残念なことに、あの全部抱え込むバカが考えるレイキとの関係性は、レイキが望むものと違うんじゃないかって話だ」


 ヘリオスに問われて考える。

 プテロンとの関係性。かけがえのない家族であり、色々なことを教えてくれる兄。

 その関係性は変えたいと思わないし、プテロンも望んでないだろう。

 なら、別の視点から考えてみる。

 戦闘面での関係性はどうだ。

 脳裏に浮かぶのは一ヶ月前、アガロスを助けて賢者への師事を決めた後の帰り道。


『家族を守れない俺に、価値なんてないんだよ……!』


「あっ」

「なにか掴んだようだね」

「……うん。朧げだけど何となくは」


 自信なさげにレイキは答える。

 あれがプテロンの本質なら、彼の眼に自分はどう写っているのだろうか。

 思考の沼に沈もうとしたレイキは、無造作に強く撫でられたことで引き上げれる。

 

「とにかく、全力でぶつかってみな。そしたら見えてくるもんがあるはずだよ」

「……」

「あとイコルに関しては、難しく考える必要はないんじゃないか」

「えっ?」


 難しく考えなくていい……?

 容量を得ない回答に頭を捻る。


「自己肯定感の低い子ほど、向けられた好意に対して反発しちまう。加えて、あの子は愛に飢えてる。だからフィロスとアガロスからの敬慕に混乱しちまうんだよ」


 確かに、二人から曇りなき敬愛の眼差しを受けていたイコルは、少し心地が悪そうだった。

 決して悪感情に起因するものではなく、戸惑いや動揺から来るものだったが、あれはどう応えていいか分からなかったのか。


「イコルはアンタを殺そうとした。それなのに家に招かれ、双子には慕われ、色々と複雑なんだろうね。根が優しい子だから」

「……でも、俺が嫌われてる事実は変わらない」

「そこも含めて、腰を据えて話し合ったらどうだい? 言葉にして初めて伝わることもある」


 時間の流れは早く、いつの間にか六人分の食器は片付いていた。

 肩を回しながら、ヘリオスは風呂場の方角を指さす。其処にはフィロスに熱風を出す魔道具ドライヤをしてあげてるイコルがいた。


「二人とも上がったみたいだから、アガロスと風呂行ってきな」

「……はーい。アガロス、お風呂行くぞ」


 先生に断りを入れ、英雄譚に鼻息を荒げるアガロスを抱えて風呂場に向かう。


「今日は【蒼炎の拳聖】テセウスの話を聞いたんだ! 大英雄で賢者さんと親友だったんだって! 昨日のドワーフの英雄、【孤高の勇者王】アンドレイオスも良かったけど、テセウスもかっこいい!」

「そうなのか」


 熱が冷めやらないアガロスは、意気揚々と今日の英雄譚を事細かに教えてくれるが、全く耳に入ってこなかった。

 申し訳ないとは思うが、頭を占めるのはプテロンとイコルのことばかり。ヘリオスに助言を貰っても、モヤモヤとしたものが心に燻っている。

 

 しかし、プテロンはさておき、イコルとは明日から修行を共にする。お互い緊張関係では色々と支障が出るだろう。

 少しの期待を込めて、フィロスの髪を乾かすイコルに視線を送った。


「……(ぷいっ)」

「……無理だろこれ」


 見事に視線を逸らされる。

 アガロスに聞こえないよう小声で弱音を吐きながら、風呂場に到着した。


「…………ふーん」


 唸り続ける背中を、ある賢者が見つめていたのには気付かずに。






『明日の鍛錬について伝えたいことがあるから、深夜に天照院の屋根に来てくれ。天才先生より』

「自分で天才って言うなよ……」


 まぁ、実際天才なのだが。

 一ヶ月間先生と鍛錬して、己の非才は嫌というほど思い知らされた。【八叛雄】としての実力に的確な指導、後にも先にも彼以上の指導者には巡り会えないだろう。

 そんなことを思いながら、天照院の屋根に登る。

 風呂を上がり、自室に戻ると、机の上に置いてあった文に深夜の呼び出しが記されていた。

 対プテロン用の戦術でも考えるのだろうとあたりをつけて、屋根への梯子を登り切った。

 そして、数時間前に殺し合った紅髪が目に入る。


「え……?」

「……なんで、アンタが来るのよ」


 イコルが先客として屋根に腰掛けていた。

 風呂上がりの彼女は、寝巻きの代わりにプテロンの服を着ており、ブカブカなそれは目のやり場に困る。……ちなみにイコルはプテロンの服を着る際、顔を赤くしていたが、誰も触れなかった。


「先生に呼び出されたんだよ」

「あぁ、アンタもなのね」

「てことは、イコルもなのかッ……何だこれ」


 イコルに問いかけようとして、俺たちの周りに花吹雪が現れる。一瞬身構えたが、見慣れた賢者なものだと理解し、顕現させた術器を収納魔術アルケイオンに戻した。

 舞っていた花吹雪は落ち着き、虚空で文字を描く。


『今日呼び出した理由は他でもない、君たちの仲についてさ! 明日から一緒に修行するんだから、ちゃんと仲良くなっておくように!』

「あのクソ教師!」


 炎弾魔術スフェラを使って花を焼き尽くした。確かにイコルと話す空間を求めてはいたが、このやり方はあまりにも雑である。

 魔力を多めに込めて賢者の痕跡を消し去った後、視界に入ったのは無表情で座っているイコルだった。


「……えーと、なんか話でもするか?」

「……」


 イコルが無言で隣を叩いた。

 座れ、ということなのだろうか。意図を測りかねていると、イコルは強く睨みつけてくる。


「し、失礼します」

「……なんで、何も言い返さないのよ。殺そうとしてきた奴に、罵倒の一つや二つでもしたらどうなの」

「なんでって……」


 そして訪れる無言の間。

 何か言い返そうにも、言葉が見つからなかった。

 問いかける彼女の表情は罪悪感や嫉妬など様々な想いが混ざったもので、安易な返答は出来なかった。

 何とかして言葉を探すが、学のない頭では浮かんでこない。

 

「……ごめんなさい」

「え?」


 勇気を振り絞り話しかけようとすると、イコルが急に謝ってくる。

 予想外の言葉にイコルの方を向くと、彼女は膝に頭を埋めていた。


「頭では分かってるの。アンタは善人で、こんな私と仲良くしようとしてくれるお人好しだって。だけど私は抑えられない、プテロン様の愛を受けてるアンタを、殺したいほど憎い」


 それは独白だった。

 罪を告白する咎人のようで、口を挟む気にはなれなかった。


「アンタが歩みよろうとしてくれる度に、アンタを殺したくなる。天照院に来て確信したわ。やっぱりアンタは私が欲しかったものを全部持ってる」

「……」

「アンタにとってはいい迷惑よね。勝手に憎まれて、殺されかけて、なのに憎まれ口一つも叩かない」


 打ち明けるイコルに納得する。

 彼女もまた、自分との距離を計りかねていたのだと。

 歩み寄られても拒絶してしまう罪悪感と、見る度に沸いてしまう嫉妬の板挟みに彼女は苦しんでいる。


「……本当に、悪いと思ってる。アンタといると自分の醜さが浮き彫りになって嫌になるわ」


 イコルは自嘲気味に吐き捨てる。

 彼女の本質に潜む自己嫌悪、母親エモニを殺して根付いたそれは彼女を蝕み続ける。

 そんなイコルを見て、俺は思った。


「お前、真面目すぎないか」

「……うん?」


 予期しない返答だったのかイコルは顔を上げる。目元が腫れており、涙を流していたと思われる瞳は困惑の色を宿していた。


「要するに、殺そうとして、酷い態度をとって、仲良く出来ない自分に嫌気がさしてるってことだろ」

「……そうね」

「別に無理に仲良くしようとしなくていい。親愛は打算とか義務感が無いものだし、俺が言うのも何だが――憎んだままでいいんだよ」


 イコルは目をあらん限りに広げて縋るような視線を向ける。

 困惑、恐怖、そして期待。彼女を苦しめていた感情の構成に、一握りの光が差した。

 長い沈黙。

 夜風が俺たちの間を通り抜け、寒さに鳥肌が立つ。

 夜空の星が照らす屋根で、彼女はゆっくりと口を開いた。


「いい、の? 憎んだままでも、本当にいいの……?」

「おう、憎んだまま俺の理想に協力してくれ」

「……あは。それなら割り切りがつく」


 イコルは薄ら笑いを浮かべる。

 自己嫌悪の嘲笑は鳴りをひそめ、憑き物が落ちた微笑みだった。

 おそらく、俺の前でイコルは初めて心からの笑顔を浮かべた。


「私は、アンタが嫌い。憎くて、殺したい。叶うはずのない理想を持ってる哀れな奴」

「……」

「あぁ、私は。アレスの前で敗北して、全部失って、ボロボロに泣き崩れて、絶望の淵で無力を呪ってほしい」


 変えられなかった現実に挫折してほしい。

 

 喪失の痛みに涙を枯らしてほしい。

 

 何も失っていない俺が、全てを失う様を見たい。

 

 取り繕うことなく、イコルは真の望みを言い放つ。


「決めたわ。アンタの無様な泣き顔を特等席で見るために、アンタに協力してあげる。手を貸す理由は、それでいい」

「……なら、俺が中途半端な所で膝を屈したら、叱責してくれよ。お前の絶望はこんなとこじゃないってな」

「ぷっ……あははは! なに、それ! 良いわよ、その時には頬を引っ叩いてあげる」


 笑いのツボに入ったのか、イコルは目尻に涙を浮かべるほど笑い続けた。

 彼女は、中途半端な絶望を許さない。

 アレス以前に膝を折ったら、キツイ平手が飛んでくるだろう。

 それがイコルと俺を結ぶ共闘関係。

 名前をつけようとも、相当する言葉がない歪なものだけど、これが俺たちの中では最善なのだと思う。


「これからよろしく、イコル」

「簡単に折れないでよね」

「もちろん」


 差し出した手を、イコルの細い手が握った。

 此処に協力は成った。

 俺はようやく理想への一歩を踏み出せたのだ。


「そうと決まれば、イコルのことを教えてくれよ。特にプテロンとの馴れ初めとか」

「……長くなるわよ」


 それから、先程までの気まずさが嘘だったのように色んなことを教えてくれた。

 生みの親と愛をくれた母を殺したこと。

 プテロンとは定期的に食事に行く関係性であること。

 プテロンに救ってもらったこと。


「そっか。それなら惚れちゃうのも無理ないよな」

「えぇ、助けられた日から胸が熱くて……………………………………なんて?」


 イコルは頬を赤くしながら、話を止めて壊れた人形のように震えながらこちらを向く。

 突如焦り始めたイコルに、出会った当初からずっと思っていたことを告げる。


「プテロンのこと、好きなんだろ?」

「ぁ、あぅ、ぇと、そのぉ……………………そんなに、分かりやすい……?」

「可愛いかよ」


 毛先を弄り、頬を蒸気させるイコルに胸がきゅっとなる。決してイコルに惚れたわけではなく、異国の書物の言葉を借りるなら『エモい』であろうか。

 恋する乙女は最強と聞くが、実物を見て納得した。

 顔を真っ赤にするイコルは、誰がどう見てもベタ惚れである。

 温かい目で見てくる俺に痺れを切らし、イコルは大きく息を吸って言い放つ。


「……好きですけどなにか!」

「全力で応援することを誓うよ」


 元から仲は取り持とうとしていたが、これでは協力の必要はないかと思う。無意識に上目遣いを習得しているあたり、もはや敵無しではないだろうか。

 恥ずかしさが最高潮に達したのか、イコルは立ち上がり下り用の梯子へと向かった。


「終わりよ終わり! もう寝るわよ、明日から修行が始めるんだから!」

「逃げたな」

「そこ! うるさい!」


 言い合う姿は姉弟のように見えるかもしれない。

 しかし、俺たちの関係はそんな清らかなものじゃない。だけど、歪つで偽りのものだったとしても、この温もりは虚構ではないと思う。

 殺し合った少女と笑い合えているんだ。

 きっと、間違いなんかじゃないはず。

 こうして、俺とイコルは共闘関係を築いたのであった。






【おまけ】

 

「一つ気になってたんだけど」

「なによ」

「イコルは当時の【闘威四黎】を倒したんだよな。なら、褒美は何を望んだんだ?」

「……笑わない?」

「笑わない」

「…………異国の恋愛雑誌の取り寄せ」

「………………………………ぷっ」

「笑うなぁァァァァ!!!」


 そんな会話が、あったとかなかったと

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