第11話 決着、そして……
「冗談じゃないぞ……!」
生成された荊槍を目視した瞬間、逃れられない『死』の気配を感じた。
直感に従い横に跳んだ結果、先程まで居た場所は紅き光線に呑まれ
まさに一刀両断。
先生と想定した数十通りの戦い方、どれにも通じない荊槍に冷や汗が止まらない。
「距離を取らなきゃまずい」
詠唱を阻止しようと前進していたため、少女との距離は非常に近い。
至近距離からあの荊槍を喰らえば骨さえ残らない。
そう判断して、退こうと――。
「逃がさない」
「ッ!」
目と鼻の先を鮮やかな紅が支配する。
咽せ返るほどの血の匂いと血走った狂気の瞳に、本能的な恐怖が呼び起こされる。
「【幽囚せよ、荊の囹圄】ーーー【真紅たる
少女の口から紡がれたのは荊棘の監獄。
絶対に逃がさないという意志を表した詠唱は、レイキを少女ごと閉じ込めた。
「なっ、それじゃ、お前も」
「わざわざ自傷しないで
「狂ってる……!」
【真紅たる
そんな魔術に少女は自分ごと閉じ込めた。
すなわち、少女も荊棘から襲われることに他ならない。少女の細足に血の荊が突き刺さるが、ものともせずに荊槍を振るう。少年の視線が戦慄を帯びた。
炎剣を荊棘の防御に使い、短剣でどんどん強化される荊槍を何とか防ぐ。
「どうして、そこまで……!」
「決まってるじゃない――アンタを確実に殺すためよ」
血塗れの少女はどれだけ傷つこうと少年への殺意は忘れない。それだけが彼女の原動力なのだから。
狂気を真正面から受け止め、気迫だけで気絶しそうになるのを必死に堪えた。
少女と初めて目線を合わせて、気づく。
「お前、何で泣いてるんだ……?」
紅髪の少女は殺意に満ちた瞳から絶えず涙を流していた。
「分からないでしょうね! 最初から全部持ってるアンタに、この痛みは!」
熾烈を増す猛攻と連動して、少女の涙は流れゆく。
楽しい家庭も、家族の暖かさも、プテロンの親愛も持ってるレイキには、その涙は分からなかった。
けど、イコルという人間を、初めて真に認識できた気がする。
彼女は子供なんだ。やり場のない想いを抱える子供。ならば、彼女の激情には真っ向から向き合わねばならないと思った。
「炎剣よ、守護はいい、攻撃に移れ!」
「憶病者のくせに防御を捨てる気かしら!」
「ここまできたらとことんやってやる!」
防御を完全に捨てた。
繰り広げられるのは超近接戦闘。
イコルは殺意、レイキは大義をもって武器を握る。
何人たりとも彼らの間に割って入らせない。
それは子供の喧嘩だった。
仮にも【闘威四黎】と【八叛雄】の弟子の戦闘とは思えない泥試合。
「ぉぉぉぉぉぉ!!!」
「はぁぁぁぁぁ!!!」
繰り返される武器の応酬に、互いの咆哮が交わる。
紅と赤の閃光が、血の牢獄でぶつかり合う。
荊棘が四肢を貫くが、すかさず傷口を焼き止血した。
短剣でイコルの腕を切り裂くが、【操血】で塞がれた。
両者の力は拮抗している。
均衡の天秤を崩すには、決定打が必要だ。
だからこそイコルは【真紅たる
「全部壊して! 穿ち壊す渇望の
恋慕の槍が少女の悲鳴をのせる。
彼方に望んでいたのは愛情。今は少年の鏖殺しか願えない。突き進むことしか許されない。
望愛の荊槍は主命に従い少年に向かう。
それが、彼女のためにならないものだとしても。
「お願いだから、死んでよ……!」
失血死してもおかしくない程の出血をしているのに、少女の気迫はいささかも衰えない。才能や技巧ではなく、窮地をものともしないその在り方は凄まじく、痛々しい。
これこそイコル。史上最年少の闘威持ちにして、トラキア一の槍使い。畏怖と敬服がレイキの胸中を染め上げる。
されど。
「――術器転装」
好機を手繰り寄せたのは、彼だった。
最適な瞬間を見極め続け、
一級術器【玉鉤・伊邪宵】の特性。それは構成魔力及び材質の変態による武器の変形。
短剣型の術器が、長剣に変貌する。
長剣の銘は【盈月】。暗澹たる闇夜を照らす、夜の太陽である。
「ッ!」
デイモスが述べたように、一ヶ月で得物以外の戦い方を身に付けるのは不可能に近いが、短剣ではイコルを倒せないのもまた揺るぎない事実だ。
なら、トドメの一撃だけを鍛錬したら?
賢者との訓練、レイキは基本的な長剣の立ち回りは覚えず、至高の一撃を放てる時のみ使うよう指示された。
全てはこの瞬間のために。
「決めろ、我が弟子よ」
賢者の声援が背中を押した。
短剣の間合いを加味して放たれた荊槍では、長剣を防げない。
【盈月】が業火を纏う。
神技が如き魔力操作と【圧縮】を合わせ、
炎熱の剣は伸長し、火の粉が舞い散る。
イコルを倒すために編み出した『必殺』。
両の手で握られ上段に構えられた長剣は、焔の咆哮を放った。
「【万里一空】」
夥しい烈火が、戦場を塗り替える。
極限まで集束した炎熱は、凄まじい衝撃を生む。
恋慕の荊槍ごと切り裂かれたイコルは、爆風に呑まれ
すなわち、場外。
「イコル、ジョウガイ。ヨッテ、チョウセンシャノショウリ――ツウサンショウリスウ:3」
首輪が発光し、戦場は荒野へと戻る。
レイキの勝利を告げる無機質な音声が紡がれた後――――爆音。
「「「「「「「勝ちやがった!!」」」」」」」
大歓声が、
無理もない。何の肩書きもない無名が闘威持ちを倒した、デイモス以来の快挙である。
「おいおい、マジかァ」
麗人は盃を置き、歴史的瞬間を眼に焼き付ける。
「…………」
灰髪の青年は言葉を失い、呆然と勝ち残った少年、そして壁に叩きつけられた少女を見つめていた。
「おめでとう、レイキ」
青年の肩で花の鶯は上機嫌な様子で胸を張り、翼で器用に拍手をする。
「本当に、勝った……」
狂信者は震える声で呟いた。
その隣で、闘神は顔を押さえて玉座から立ち上がる。冷めやらぬ興奮を、今ぶつけなくてはいつぶつける。
特設の観客席から顔を出した闘神に、トラキアの民が一斉に跪いた。
「くくく、くはははは! 素晴らしいぞ、挑戦者よ! 我が御前に躯体を晒すことを許す! 面を上げよ!」
レイキは初めて闘神を見た。
圧倒的なプレッシャー、人智を超えた存在に身体が震える。
種としての格の違いを思い知らされる。
かの神こそ、建国神にして最大の障害だ。
「名を名乗れ、猛き勇士よ」
「……レイキだ」
「アレス様に向かって生意気な口を!」
「一黎、貴様に発言の許可をした覚えはないぞ」
「しかし!」
「二度は言わん、これ以上雑音を聴かせるな」
デイモスを黙らせたアレスはレイキを見つめる。
この瞬間、レイキという人間は初めて認識されたのだ。
「闘威持ち打倒の褒美を取らせる前に。四黎よ、御前に来い」
「……はい」
激痛と火傷に苦しむイコルは瓦礫を押し除けて立ち上がる。視界が明滅し、意識は戻ったばかりであるが、闘神の命令は絶対だ。
レイキは補助をしようとしたが、イコルは睨みをもって拒絶した。
そして、一人でレイキの隣に戻り、跪いた。
「四黎よ。闘威持ちとは穢れなき強者の称号、レイキ《宿命》に負けた貴様にその価値はない」
「その、通りです」
「――故に、我が手によって殺される名誉を噛み締め息絶えよ」
放たれた闘神の神雷がイコルに向かう。
真の雷魔法は音速を超えた速さで、イコルの心臓目掛けて迸る。
闘威持ちでありながら敗北という無様を晒した者に生きる価値はない。
――ああ、死ぬんだな。
少女は掠れた頭で思う。
アレスに呼ばれた時点で始末されるのは分かっていた。隣のレイキが目を見開き守ろうと手を伸ばすが、間に合わない。
元より、あんな醜態を想い人に見られて、見下してた少年に負けて、生きる気なんて残ってなかった。
――さようなら、プテロン様。そっちに行くね、エモニ。
全身から力が抜ける。来る死を受け入れて目を閉じた。
しかし、彼女は一つ忘れている。そんな結末を、優しい青年が許すはずないのだ。
「【
聴こえた大好きな人の声にイコルは目を見開く。
目を開いた先には、獣を宿した闇の青年が神雷を受け止めていた。
「なん、で……」
「はぁっ!」
神雷の軌道を逸らし天空へと放つ。
真っ直ぐ打ち上がる神の裁きは上空にて大爆発を起こし、霧散していった。
大仕事を終えたプテロンは、傷だらけで俯くイコルに近づく。
「や、やだ。見ないでください、わ、わたしは、レイキに負けて」
「――お疲れ様、よく頑張ったな」
「ぁ…………」
自己嫌悪や罪悪感は、想い人に頭を撫でられた瞬間消え去った。
「安心しろ。お前を嫌いになったりしないよ」
「でも、わたし、アイツを殺そうと、」
「許す。全部ひっくるめて許す。だから、顔を見せてくれ」
イコルは顔を上げる。
目の腫れた不細工な顔が見られていることだろう。
されど、プテロンは嬉しそうに笑いイコルの頬を撫でた。
心地よい暖かさに、イコルは思わず頬擦りをしてプテロンの手を受け入れた。
「えぇ……」
突如訪れたイチャイチャオーラに、助けに入ろうとしていたレイキは何とも言えない姿勢で固まる。
苦い表情を浮かべているのは、裁きの雷を防がれた神も同様だった。
「我が御前で睦み合うとは良い度胸だ。貴様に発言の許しは出ていないぞ、三黎よ」
「育ちが悪いものでしてね。素直に従うほど利口じゃないんですわ」
「戯言を。一年前のように調教してやろうか?」
「一年前……?」
レイキが疑問の意を込めてプテロンを見ると、彼は苦虫を噛み潰したような表情をし、傍らのイコルも悲哀に顔を歪める。
一触即発の雰囲気にレイキは生きた心地がしなかったが、思い切って声を出す。
「あの! 褒美を貰いたい、です」
慣れない敬語だったが及第点を得たのか、デイモスは突っかかってこなかった。
アレスは興味を失ったようにプテロンから視線を切り、此度の勝者に応える。
「まぁ、良い。四黎を罰するのは褒美授与の後でも構うまい。望みを述べよ」
闘神からに加えて観客達も瞳に好奇心を宿してレイキを見つめている。
突き刺さる視線に何となく居心地の悪さを感じつつ、レイキは大きく息を吸って望みを告げる。
「――半年間、同意なしの【血闘】の禁止を公布してほしい」
空気が死んだ。
それ程までに闘神アレスの変貌ぶりは凄まじかった。先の喜色とは打って変わり表情が消え失せ、雷が神の周りを漂う。
「【血闘】は天命にして果たさねばならぬ義務だ。されど貴様は【血闘】の阻碍を望むか」
「っ、そう、です」
「その意向は我への叛意か、トラキア根底を揺るがすものだと知っての狼藉か。舐められたものだな」
闘神の憤怒がレイキを貫く。一つでも言葉を間違えれば、赫怒の神雷により焼き尽くされるだろう。
彼我の実力差が否応なく意識され、冷たい汗が滝のように流れる。
「お待ちを、愚弟は事の大きさを分かっておらず、」
「三黎よ。我は宿命に問うている、口を挟むな」
弁明しようとしたプテロンのすぐ隣りを神雷が抉った。プテロンの反射能力をもってしても予備動作さえ掴めない神の雷。
全身を焼き殺される恐怖に震えながら、レイキは重たい口を開いた。
「ですが! 認めてくれたら、半年後に至高の闘争を約束しましょう」
「仔細を述べてみよ、我の気が変わらぬ内にな」
「従来の【血闘】とは違う、トラキア全土を闘争地とした大規模な決戦、多数により鎬を削り合う戦争」
必死に言葉を紡ぐ。僅かにでも取り繕ろったら、憤怒の神雷に焼かれ、焼死体のオブジェが出来上がるのみ。
「その戦争にはあなたも参加してもらいます」
「――ほう」
「我々の戦闘を見るのはもうお飽きでしょう」
確信を込めて言い放った。
その証左に、闘神の頬が僅かに上がる。
イカれた戦闘体系を根付かせた建国神が、民を闘わせるだけで満足するはずがない。
そして、レイキは最大の魅力を解放する。
「その戦争で、俺はあなたを倒し、トラキアを変える」
膝を震わせて、歯を食いしばって、それでも目線は逸らさずに言い切る。もう後戻りは出来ない。
隠す気のない闘神への叛意。
半年後にお前を潰してやる、だから猶予を寄越せ。
なんたる傲慢、なんたる厚顔、かつてない叛意を前にアレスは――。
「ハッ! そう来たか」
高笑いを上げた。
「良かろう。褒美として半年間の不本意な【血闘】停止を宣言する」
「なっ!」
デイモスが信じられないと言いたげな視線をアレスに向けるが、当の本人は叛意を示したレイキしか見ていない。
跪く観客達は静かに混乱し、新体制に対し不明確な感情を持つ。それが歓喜なのか、失望なのかはこれから知ることになる。
しかし、アレスの決断に一番驚いていたのはプテロンだった。
「おい、ふざけるなよ。なんで俺の時は!」
「吠えるな。一年前の貴様の提案はつまらなかった、それだけのことよ」
「バカに、しやがって……!」
怒りに打ち震えるプテロンを早々に無視し、アレスは背を向け神殿に戻ろうとする。
大きな背が見えなくなる寸前、闘神は振り返らずに言い放つ。
「半年後を期待しているぞ」
レイキに向けた一言を残し、闘神は立ち去った。デイモスはレイキを睨みつつ、闘神の後を追う。
アレスの気配が完全に消失したと認識した瞬間、レイキは膝から崩れ落ちた。
「怖かったぁ……」
「お疲れさま、ナイスガッツだったよ」
「っ、先生」
労うように花の鶯がレイキの肩に停まる。
一度気が抜けてしまえば、張り詰めいたものは崩れ去る。イコルとの闘いのダメージが今になって蘇り、全身に激痛が走る、一週間は布団生活になるだろう。
しかし、それらを加味しても得られたものは大きかった。
「これで互いが望まない限り【血闘】は行われない」
闘争義務もなく、【下剋上】もない。
戦闘狂同士が闘わない限り、トラキアに闘いの鐘が鳴ることはなくなるだろう。
「なぁ、レイキ。これからお前はアレスと敵対するんだよな?」
プテロンが唐突に問う。
灰色の前髪の境から、揺れる碧眼が無機質に見つめていた。
見たことのない兄の眼に気圧されつつレイキは答える。
「そのつもりだ。もちろんプテロンにも協力して欲しい」
レイキは協力を求めて手を差し出す。とはいっても、優しい兄なら困ったように笑いながらも受け入れてくれると信じている。
これは形だけのものだ。
半年後に来たる決戦に向けての意思の確認。
拒絶なんてされるはずがないと賢者も思っていた。
だから、直ぐに握ってくれると、思っていたんだ。
「…………え?」
パンっと乾いた音が鳴った。
それが、差し出した手を叩かれた音だと気づいたのは数秒経ってから。
目を見開くレイキが目にしたものは、暖かみなど一切ない凍てついた表情のプテロンだった。
「【血闘】だ。お前が勝ったら協力してやる、俺が勝ったら今回の褒美を取り下げろ」
青年が出した答えは、弟との訣別だった。
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