第10話 イコルという少女



 

 

 少女は孤児だった。

 首に闘争国民の証たる首輪をつけて、闘争区の路地裏に蹲っていた。

 見窄らしい服に、痩せた手足。

 栄養失調が一目で分かる少女は、返り血に染まっていた。

 

『これから、どうしよう』

 

 闘争国トラキアにおいて孤児とは特段珍しいものではない。

 生命を授かれば一時的に闘争義務は停止するため、適当に相手を見繕って産む女性もいる。闘争国法では、生まれた子が異能を発現するまで育てなければならない。

 少女を産んだ女は、平たく言えばクズだった。

 

『このッ! いつもいつもうっさいんだよ!! 帰ってくればギャーギャー泣きやがって、こっちは疲れてんだ!』

 

 刻一刻と迫る【血闘】と死への恐怖を拳に乗せて、抵抗できない幼子にぶつける。

 最初は愛情を持って育てていた。

 しかし、赤子が言語を習得し、補助なしで立てるようになった頃、いずれ【血闘】をしなければならないという現実が襲ってきたのだ。

 母親は腐っても戦士だった。

 故に、幼子が生きるか死ぬかの瀬戸際を見極め、ギリギリ死なないように暴力を振るっていた。

 泣き散らすことしか出来ない哀れな存在を相手にするのは、さぞ機嫌が良かったことだろう。

 擦り切れた心には圧倒的強者の余裕が甘美に思えたことだろう。

 

 ――少女の目線が、獲物を狙う狩人に成長してるとも気付かずに。

 

 唯一誤算があったとすれば、少女は女以上に闘争の才能に秀でていたのだ。

 

『ばいばい』

 

 すっかり武器を使える握力になった十歳の夜、少女は発現した【操血】を無意識に行使して、就寝中の母親の胸に包丁を突き刺した。

 激しい出血と共に女は目を覚ます。

 

『おま、え……! 何でッ』

『だって、けっとーがはじまれば、わたしをころすんでしょ?』

 

 戦闘力が重視されるトラキアにおいて、異能の発現は一種の慶事であり、子供が充分に成長した証である。すなわち、女の【血闘】の義務が発生する頃合いになったということだ。

 己の生存を害する者は削ぎ落とすのがこの国の常識。進んで子供を育てるなどヘリオス《例外》を除いて存在しない。

 少女の言う通り、折をみて女は少女を殺すつもりだった。

 

『育ててやっ、た恩を、仇で返しやがって……!』

『おん? じゃあおんがえしに、らくにころしてあげる』

『待っ――』

 

 少女は【操血】を用いて、女をなるべく苦痛を強いないよう殺害した。

 少女に残った一握りの善性の現れであり、女との完全な訣別を意味していた。

 虐待をしてきた女を殺しても、少女の心は一切揺らがなかった。手に残る肉を貫いた感触と生暖かい血液も気にならない。

 強いて言えば、こんなものかという呆気なさ。

 雑に付着した血を流した後、少女は住んでいたボロ家を女の骸もろとも燃やした。

 

『さようなら』

 

 燃え盛る住居にむけて一礼する。

 少女は一度も女を母と呼ばなかった。

 隠れて読んだ異国の絵本では、母親とは無償の愛をくれる存在。先刻殺した者がそれに値するとは思えない。

 

『これから、どうしよう』

 

 こうして、少女は哀れな虐待児童から孤児になったのだ。

 日の沈みが夜の訪れを告げ、急速に身体が冷えていく。女からの度重なる虐待や栄養不足により、少女の免疫機能は発達していなかった。

 無力な子供の末路といえば、そのまま衰弱死するか、戯れに誰かに拾われるか。

 そんなどこにでも居る内の一人が少女だった。

 唯一彼女が他の孤児と違う点があるとすれば。

 

『あら、こんな所に居たら風邪をひいてしまうわ』

 

 瞳に慈愛を宿した者に拾われた点だった。

 

『とりあえず私の家に行きましょうか』

 

 有無を言わさず担ぎ上げられた。

 少女は悪意を感じず、衰弱していたため抵抗せずに身を委ねた。

 豪華な家の扉をくぐり、お風呂に入れられ、生まれて初めて上等な食事を食べた。

 

『あなた、だれ?』

『私の名前はエモニ。貴女は?』

『わたし、なまえない』

 

 女には、お前としか呼ばれたことはなかった。

 

『それはいけないわ。うーん、異能は何なのかしら』

『ちを、かためたりできる』

『ならイコルはどう? 神の血を意味する言葉、血が沸るほど情熱を抱く子に成長するのを願って』

 

 与えられた三文字を復唱する。

 

『い、こる』

 

 一度目は馴染みのない言語を呟くように。

 

『イコル』

 

 二度目は発音をゆっくり意識するように。

 

『イコル……!』

 

 三度目は身体と心に馴染むよう、微かな笑みを添えて。

 初めて表情を変えた少女にエモニは頬を緩めた。

 

『ねえ、イコル。貴方が良ければ此処で一緒に住まない?』

『いいの……?』

『もちろんよ、こんな幼い子は放っておけないわ』

 

 そこから生活は一変した。

 エモニの提案により、少女は彼女の家に居候することになったのだ。

 少女改めイコルの生活は、生みの親に暴力を振るわれる日々から、普通の生活を過ごすせるようになった。

 舌足らずな口調はエモニとの会話により向上し、病的なまでに痩せ細った体つきはみるみる年相応に成熟した。……エモニはイコルの年齢を勘違いしていたようで、十歳だと告げると驚きに目を見開いていた。

 エモニの家に住んでから約半年、イコルは街を歩けば皆が振り返る美人へと成長を遂げた。

 

『イコルは偉いわねぇ』

 

 褒めてもらうと、得意げな気持ちになった。

 頭を撫でられると、とても嬉しかった。

 抱きしめられると、胸が暖かくなった。

 ある時、イコルはエモニに問いかけた。

 

『どうして私を拾ったの?』

『……私は前に子供を亡くしてるの。愛情をかけて育てた子が亡くなった時は胸が張り裂けそうで、二度と子供の世話なんてするかと思ってた』

 

 だけど、と話を切る。

 不安そうに瞳を揺らすイコルの頭を撫でながら、変わらない慈愛の瞳で言葉を続ける。

 

『路地裏に蹲ってるイコルを見たら、そんな気持ち吹き飛んじゃったのよ』

『……変なの』

『ふふふ。イコルにはまだ早いかもしれないわね』

 

 異国の書物によると親は子が優秀だと喜ぶらしい。自分は本当の子ではないけど、エモニに恥じない人でありたい。

 そう思い、イコルは優秀な子になれるよう努力した。

 それが拾ってくれたエモニへの恩返しになると信じていたから。

 家の手伝いを沢山した。

 覚えるべき教養や座学、礼儀作法も完璧にした。

 寝不足による肌荒れや隈が目立たないよう化粧を学んだ。

 イコルの恩返しの日々に僅かな変化が訪れたのは十一歳の時。……エモニに内緒で家を出て闘争区の店で買い物をした時だった。

 

『おいィ、お前は【殺愛】……エモニのとこの奴かァ?』

『さつあい?』

『……あァ、なるほどなァ。

 

 その麗人は酷く酒臭かったのを覚えている。

 ベロベロに酔っ払ってるくせに、眼だけは真っ直ぐ見据えてきたから、無視するのは憚られた。


『わりぃことは言わねェ――生存を望むならあの家から逃げなさい』

 

 酔いの抜けた真剣な口調に、イコルは強がって返答するしか出来なかった。

 

『……急に何を言い出すの?』

『文字通りだよォ。あいつは【殺愛】、めんどくせェ感情もんったトラキアの闘士だからなァ』

 

 よく分からないが、エモニを悪く言ってることだけ理解した。

 だから路地裏に誘い込んで襲った。

 この麗人はエモニを馬鹿にした、それだけで当時のイコルにとって襲う理由は充分だった。

 

『たくッ、本当に11かよォ。才能の塊だなこりゃァ』

『がはっ……』

 

 惨敗だった。

 路地裏の地面に惨めに叩き伏せられた。

 無意識に築かれていた慢心もろとも完膚なきまでに打ち砕かれた。

 初めての敗北に言葉も出ないイコルに、麗人は近寄り回復魔術セラピアを施す。

 

『何で、私を癒すの』

『闘争義務のねェ子供を痛ぶるほど腐っちゃいねぇよォ』

 

 かすり傷まで丁寧に癒した麗人は、未だショックに立ち直れないイコルを置いて去ろうとした瞬間、足を掴まれる。

 

『あァん?』

『この国では戦闘力が重視されるのよね?』

『おうゥ、強い奴が生きて弱い奴は死ぬ、それだけだ』

『なら、私に闘い方を教えて』

『はァ?』

 

 麗人は掴んだ己の足を離そうとしないイコルに怪訝な視線を向ける。

 泥の付いた綺麗な顔は冗談を言ってるようには見えなかった。

 

『優秀な子になって、エモニの子に相応しくなりたい』

『……だから、死に物狂いで自分を磨くのかァ?』

『うん。良い子になれたら……エモニを"お母さん"って呼べるかもしれないから』

『後悔することになるぞォ?』

『ここで強くなる機会を逃す方が後悔する』

『……はァ、アタシも焼きが回ったかねェ』

 

 その日から、週に三日程の間隔で麗人との鍛錬がイコルの日常に加わった。

 月日は流れる。

 心身ともに成長している実感があった。

 このままいけば優秀な子になれる、そう確信していた。

 麗人との出会いから一年以上経った頃、エモニは深夜に一人で魔石灯のついた部屋にて笑っていた。

 

『イコルはあと少しで13歳、【血闘】が出来る年齢になる……ふふふ』

『エモニ? どうしたの?』

『ッ、イコル。まだ起きてたのね』

『私が13歳になったら、何か良いことでもあるの?』

 

 エモニが笑みを深めていたがための問いだった。

 問われたエモニはきょとんとした後、ますます表情を喜色にする。

 

『ええ。イコルが13歳になったらとっても大事なことをしてもらうわ』

『……それをできたら偉い?』

『すっごく偉いわ!』

 

 イコルは喜んだ。

 もしかしたら、エモニに隠れてしてきた鍛錬の成果を披露できるかと思った。

 【操血】の使い方も上手くなった。

 ハンデありで麗人と試合をし、一本取れた。

 そして迎えた13歳の生誕日。

 二人は仲良く手を繋いで、ある場所に向かっていた。エモニはその場所を知っているようで、着いてからのお楽しみらしい。

 機嫌良くスキップをする様子は、本物の親子と謙遜ない。

 イコルは期待に胸を躍らせていた。

 エモニが首輪で何かを操作していたが、気にならない。

 今日、特別なことがある。

 成し遂げられればエモニは喜ぶ。

 もし出来たらご褒美に言うんだ――《《お母さんって呼んでもいい》? と。

 連れられてきた場所は円形状の建物だった。

 

『ここはどこ?』

闘技場フラウィウスって言うの。トラキアの民なら避けては通れない場所で――――貴方の死に場所よ』

『……………………………………え?』

 

 イコルの疑問の視線に対し、エモニは言葉はなく微笑みをもって応えた。

 闘技場フラウィウスの中央に二人が並んだ瞬間、首輪が淡い光を放ち始める。

 

『ケッチャクホウホウハ、シンセイドオリ、イズレカノシボウ。コレヨリイコルトエモニノ【血闘】ヲハジメル――――――双方、構え』

『ち、ちょっと待って!』

『我が身はトラキアの縁、闘争は選別の機構』

 

 混乱するイコルを置いて、環境は整っていく。

 天空に魔術陣が浮かび、無慈悲に変界魔術は進む。

 

『どうしたの? 口上は教えたでしょう?』

『で、でも……』

『早くしなさい、我が儘を言う子は嫌いよ』

『ッ! あ、遍くを糧に、一が強者を、生み出さん……』

 

 焦った口調で、直前に覚えさせられた口上を告げる。言い切ったイコルを見て、エモニはにこりと微笑んだ。

 いつもは嬉しいはずのその笑顔が、途轍もない恐怖に感じられたのは一生忘れないだろう。

 

『いざ、尋常に勝負』

 

 闘技場フラウィウスが新たな戦場……更地へと変わっていく。

 障害物の少ないステージで最初に動いたのはエモニだった。持ち前の実力で、今まで一度もした事が無い、イコルへの攻撃を行う。

 イコルは防御に徹し、エモニに攻撃を与えられなかった。

 

『な、なんでこんなことするの……?』

『……私は、耐えられないの』

 

 攻撃の手を緩めずに、エモニは独白する。

 

『前に子を亡くして苦しかったって話したでしょ。あれは少しだけ違うの。だって

『は……?』

 

 イコルの脳が理解を拒む。

 告げられた文字の羅列を知りたくない。

 かつてなく胸が痛む。

 

『その子は初めての【血闘】で殺されかけた。その時に思ったのよ、誰かに殺されるくらいなら私が殺したいって』

 

 闘争義務の解放たる通算100勝を成し遂げた者は未だ存在しない。一番近いとされている【闘威一黎デイモス】だって60勝ほど。

 すなわち、愛して育てた子が生き残る確率は限りなく低い。

 

 ――それなら、私が殺しても結果は変わらない。

 

『生きている限り、あの子は苦痛に晒され続ける。なら一思いに殺してあげるのが親の愛だと思わない?』

 

 破綻している。

 最愛を苦痛から解放するために殺害する。

 エモニは最愛を殺すことでしか、子の幸福を叶える術を持ち合わせていなかった。

 彼女は【殺愛】のエモニ。

 狂った感情は子供への慈愛。

 殺害が愛情表現に他ならない。

 歪んだ愛を慈しむ存在に転写する狂人。

 

『だから、私の手で死んでちょうだい』

 

 涙を流して悲しく微笑むエモニは聖母のようで、生命を刈り取ろうとする姿勢は悪魔のようだった。

 苛烈さを増した猛攻をイコルはいなす。

 少女の心には悲哀と虚無感、という想いが飛来していた。

 

『ッ』

 

 違ったんだ。

 彼女が向けてくれてたものは、かつて焦がれた無償の愛では無かったんだ。

 自覚なき悪意が、慈愛に潜む薄汚い感情がエモニの中にあった。

 愛だと思っていたものは、紛い物だった。

 

『嘘つき』

 

 分かっている、見当違いな理想を抱いたのは自分だと。

 しかし、割り切れるほど少女は大人ではなかった。

 眼前の存在を、生命を脅かす敵であると識別するしか少女の心を守れなかった。

 だから、少女は自分の手首を切り裂いて、血槍を生み出した。

 

『こんな形で披露したくなかった』

『え?』

 

 エモニは知らない。

 内緒で修行をつけてもらっていること。

 トラキアでも有数の才能を持っていること。

 修行をつけている者が【闘威二黎】であること。

 子の殺害しか考えられないエモニよりも、既に数段上の実力者なこと。

 

『あ、れ?』

 

 決着は一瞬だった。

 攻撃に転じた少女は、血槍でエモニの頭を揺らし、腕を裂き、腹を貫いた。

 回復魔術セラピアを使う間もなく、瀕死の重症に追い込んだ。エモニの生命は風前の灯火、放っておけば死ぬだろう。

 立つ気力もなく、力無く座り込んでいても、エモニは変わらず微笑んだ。

 

『あは。イコルったら、強かった、のね』

『……』

『これなら、心配ない、わ。もっと、顔を近くで、見せ、てちょうだい』

 

 血を吐きながら、途切れ途切れの言葉を紡ぐエモニは滑稽で、エモニの要求に応える義理はなかった。

 だけど、無意識のうちにエモニの側に寄り添い、身体を近づけた。宝物を扱うように、エモニは可愛い愛娘の頬を撫でる。

 

『ほんとう、に、かわいい子』

 

 口だけでなく至る所から大量の血を流していた。

 平穏そうな様子で、簡易な服装に身を包んでいる女性。

 少女は死にかけのエモニを見ているだけしか出来なかった。

 震える身体を、必死に起こしたエモニに抱きしめられる。

 痛いくらい強く抱きしめられる。

 

『……痛いよ』

『あ、ら。ごめんな、さい』

『あっ……』

 

 エモニはすぐに抱擁をやめてしまった。

 咄嗟に漏れ出た名残惜しさの文字は、どうして出たか分からなかった。

 しっかり目線を合わせて、エモニはゆっくり口を開く。

 

『強くならなくていい。偉業を為さなくていい』

 

 口を開くたびに血を大量に吐いている。

 未熟な身でも分かった、もう少しでエモニは死ぬんだと。

 

『ただ、長生きしてちょうだい』

 

 もう一度、強く抱き締められる。

 今度は反論なんてしない。

 この温もりを、手放したくはないから。

 頬を暖かい何かが伝う。しょっぱくて切ない何かがとどめなく溢れる。

 

『さようなら、可愛い私の愛娘』

『待っ――』

 

 エモニの瞳孔から光が消える。

 伸ばした手は虚しく空を切った。

 心の異常を訴える間もなく、エモニは無慈悲に闘技場フラウィウスに吸収されたのだ。

 

『イコルノショウリ。ツウサンショウリスウ:1』

 

 無機質な声が終わりを告げた。

 次いで弾ける大歓声。

 【殺愛】を打ち倒した若き新人に祝福の言葉が観客から炸裂する。

 

 ――ようこそ、こちら側の世界へ。

 

 新たな闘士の誕生にはち切れんばかりの喝采を。

 そんな大歓声は少女の耳に届いていなかった。

 ただ、エモニが消えた跡を茫然と見つめている。

 

『教えてよ』

 

 こんな感情、知らない。

 

『なんで、胸が痛いの』

 

 溢れる涙が未だ止まらない。

 漏れ出る嗚咽を堪えられない。

 仇なす敵を討ち果たしたはずなのに、心のモヤモヤが晴れない。

 少女は蹲る。

 観客達の喝采に隠れた少女の慟哭は、麗人にしか聞こえなかった。

 それからというもの、少女は荒れた。

 家の物を壊した。

 エモニとの思い出の品を捨てた。

 様子を見にきた麗人を思うがままに罵った。思いの丈をぶちまけて、酷い言葉を沢山浴びせた。

 それでも、心のモヤモヤは晴れなかった。

 過激派を多く返り討ちにしたせいか、名の知れた闘士も少女を襲うようになった。

 

『かはッ』

『手こずらせやがって!』

 

 巨漢の男に腹を蹴られる。

 大人数に人通りの少ない路地裏で襲撃され、膝を屈してしまった。

 気絶させた者たちも起き上がって、皆武器を構えて少女に近づく。

 これから、殺されるのだろう。

 自分がエモニや産んだ女を殺したように。

 そんなことを、他人事のように頭の片隅で思った。

 その時だった。

 

『大人数で取り囲んで、おっさん達恥ずかしくないの?』

 

 運命をぐちゃぐちゃにしてくれた存在に出逢ったのは。

 突如現れた灰髪の青年を過激派の者達は睨みつける。

 

『あん? 何だてめえ、殺されたいのか?』

『女の子一人を虐める奴らには負けんだろ』

『お前ら、やれ』

 

 煽りの返答は多人数での特攻。

 少女は咄嗟に逃げて! と叫ぶが間に合わない。しかし、結果から言えばその叫びは無意味だった。

 

『【暗獣化身ネメア】』

 

 青年の身体が闇に覆われたと認識した瞬間、襲いかかった者達は地に伏していた。

 呆けた声を漏らしたのは少女か、それとも命令した大男か。

 ただ一つ言えることは、青年はこの場の誰よりも強い。

 

『灰色の髪に闇の纏い。お前、まさか闘威持ちに最も近いと呼ばれている、あのッ』

『おおー、俺も有名になったもんだな』

 

 青年は照れたように頭をかくが、碧眼は冷徹に大男を見下していた。

 地面に伏した襲撃者達を踏みながら、恐怖で身体を震わす大男に近づく。

 

『ひぃっ……!』

『――さっさと去れ』

『は、はいぃぃぃぃ!!』

『手下置いてくんじゃねえぞ』

『もちろんですぅぅぅぅ!!』

 

 一人で逃げようとしていた大男は立ち止まり、襲撃者達を背負って大通りの方に消えていった。

 大男の背が完全に見えなくなったことを確認して、青年は傷だらけの少女に回復魔術セラピアを施そうと手を伸ばす。

 しかし、少女のか細い手が振り払った。

 

『……癒さないで』

『そいつは無理だ。淑女の傷を隠すのは紳士の役目だからな』

『変質者の間違いじゃない』

『ははっ、中々肝が据わってるじゃねえか』

 

 少女の言葉を無視して、青年は丁寧に癒していく。

 

『ちゃんと飯食ってるのか? 自傷の痕も多い、さっきの馬鹿どもにやられる前から、体力に限界ガタきてただろ』

『アンタには関係ない』

 

 図星だった。

 エモニを殺して以来、まともな食事を食べておらず、何度も自殺を試みた。

 だけど、【操血】は万能なようで、死のうとしても自動で血液を操作してしまい、死ねなかった。

 傷を全て癒やし終えた青年は何を血迷ったのか、少女の隣に腰掛ける。

 

『なによ』

『吐き出したいもんがあんだろ? 俺はお前さんと無関係の人間、悩みの一つや二つ聞かれて困るこたぁねえよ』

『……馬鹿みたい』

 

 先程から感じていたが、青年は底抜けのお人好しのようだ。

 そんな青年の性根に感化されたのか、少女は少しずつ胸の内を語っていった。

 虐待してきた生みの親を殺して、エモニに拾われて、優秀な子になれるよう頑張って、【血闘】でエモニを殺して、ずっと胸が痛んでいる。

 嗚咽が混ざった独白を青年は黙って聴いていた。

 

『胸が痛い、のか』

『原因は分からない。エモニを殺してから、ぽっかり穴が空いちゃったみたで、エモニを思い出すと痛みが強くなるの』

『……おそらくだが、お前さんはその人を愛していたんじゃないか?』

『え……?』

 

 少女は呆然とする。

 

『私は、エモニを殺したんだよ……! 愛してるなんて、そんなわけない!』

『かもな。だけど、喪失の痛みは相手が大切なほど大きくなる、大切だから痛いんだよ』

『……分かん、ない。分かんないよ、愛なんて! 貰ったこと、ないんだから!!』

『――なら、誰かを愛せる存在になれ』

 

 弾かれたように少女は顔を上げた。

 そして、初めて青年の顔を目視した。

 温和そうな顔に、ヘラヘラとした笑顔、加えて自分を慮る慈愛の瞳。

 奇しくも、その瞳はエモニを彷彿とさせるものだった。

 

『誰かを愛し、誰かに愛される。そうすれば、きっと分かるよ』

『愛して、愛される……』

 

 うわごとのように復唱する。

 分からなかった何かの輪郭を、僅かに捉えられた気がした。

 

『そろそろ時間だ。帰らねえとヘリオスに怒られちまう』

『――ぁ』

 

 気怠そうに立ち上がる青年を、名残惜しく思った。

 青年は振り返ることなく口を開く。

 

『辛くなったら普通区の8番通り、天照院ってボロ屋を訪ねろ。うるせえ奴らばっかりだが、お前さんを拒む奴はいねえよ』

 

 言いたいことを言い切って、青年は大通りの方へ歩みを進める。

 どうにかして引き止めたくて、少女は去りゆく青年の背に言葉を投げる。

 

『あの、貴方の名前は!』

『プテロン。いずれ闘威持ちになって家族を解放する者だ』

 

 そうして、青年……プテロンは一度少女に一瞥を与え、大通りに消えていった。

 残された少女は、プテロンが去っていった方向を見つめる。

 

『プテロン、闘威持ちに最も近い男』

 

 ぽっかり空いた虚無感は消えない。

 だけど、胸の痛みは治っていた。

 代わりに、胸が酷く高鳴り、激しく鼓動を刻む。顔が熱くなって、呼吸が上手くできない。

 

『闘威持ちになれば、あの人の隣に立てるのかなぁ……』

 

 ――この日、初めて私は恋という感情を知った。




 

『ショウシャ、イコル。コレヨリ、イコルヲ【闘威四黎】ニニンメイスル』

 

 それから数年、当時の【闘威四黎】を倒して、闘威持ちへと仲間入りを果たした。

 だけど、私はあの人の愛は得られなかった。

 彼には他者に愛を割くほど余裕がないから。……ううん、違う。強がるのはやめよう。彼の愛情は全て家族に向いているんだ。

 闘威持ちになれた日に、初めて天照院を訪ねようとした。救ってくれた感謝、そして溢れる恋心を伝えるために。

 

『おーい、レイキ、フィロス。ご飯の時間だぞー』

『『はーい』』

 

 庭で遊んでいた家族と思われる子達に語りかける想い人の瞳に目を見開いた。

 その瞳。

 親愛という名の熱が籠った瞳。まるで、菓子のように甘ったるい色。

 自分が渇望したそれ。

 闘威持ちになってまで得たかったそれだ!

 想い人とその家族は、幸福そうに笑いながら孤児院に入っていった。

 

 ああ、ああ、ああ!

 ずるい、ずるいよ!

 

『あんなの、勝てるわけないじゃん……ッ』

 

 涙が漏れる。

 胸が痛む。エモニの時の喪失とは毛色の違う痛み。あえて名前をつけるなら失恋だ。

 

『せめて告白くらいしてから失恋させてよ……!』

 

 欲しかった愛は、既に別の人のものだった。

 だから私は多くを望まない。

 あの人の側に居られれば、それで良い。

 蓋をした欲望がどれだけ声を上げようと関係ない。

 愛を貰うことは出来ないんだから。

 

 なのに。

 

『ここで折れるほど俺の覚悟は柔じゃない』

 

 どうして。

 

『この腐った国を変える』

 

 なんでお前はあの人の愛を手放す!?

 庇護してもらえてるのに、私が心の底から欲しいものを持ってるのに、何故自ら苦境へと飛び込む!?

 その選択に、どれだけあの人が傷ついてるか知らないくせに!!!

 

「悪いことは言わない、降参しろ」

 

 長い夢から醒める。

 眼前には、降参を勧めている憎き黒髪の少年。

 

「降参?」

 

 笑わせるな。

 お前に膝を屈するぐらいなら、死んだほうがマシだ。

 嘆いても、怒っても、憎んでも、あの人の心労は減らない。だからこそ、お前には紅き死が相応しい。

 驕りは捨てた。

 プテロン様からの頼みも忘れた。

 プテロン様に糾弾されても、捨てられても、物言わぬ屍にされても構わない。

 私の全てをもって、お前を殺してやる。

 

「図に乗るなよ、何も見えてないクソガキが」

 

 そう言って、私は血槍で

 夥しい量の血液が溢れ出る。

 意識が飛びかけるが、少年への憎悪で必死に堪えた。

 

「え……?」

 

 度の超えた自傷行為に、レイキは呆けた声を漏らした。

 観客席後ろから大好きな人の、私を案じる声が聞こえたけど、気のせいだろう。あの人は私を愛してなんてくれないんだから。

 

「【内懐に傾慕は満ちた。されど我は封じよう、我が恋ゆえに】」

「動け、レイキ!」

 

 観客席の賢者の声に、レイキはようやく詠唱を止めようと向かってくる。

 この魔術は、決してプテロン様の前では詠唱しなかった。醜悪を撒き散らすだけの、汚い恋慕なんて見せたくはなかったから。

 

「【封解かれし時は、念願の成就か、はたまた地獄の遊行か。我が恋慕は荊の如く、害なす総てを刺し貫かん】」

 

 流れた血液が、血槍に装填される。

 単一で質素な形状が、刺々しい荊棘を添えた禍々しいものへと変貌していく。

 これぞ、我が恋慕の成れの果て。

 蓋をし続けて濁った欲望の末路であり、愛されないなら全て壊したい、そんな破壊衝動の露見。

 完成した私だけの欲望の血槍、その銘は――。

 

「【穿ち壊す渇望の荊槍ドリ・ラフターラ】」

 

 荊槍を掲げて、一閃。

 

「うそ、だろッ!」

 

 赤黒い閃光が、直線上に放たれる。

 縦に振るっただけで闘技場フラウィウスの戦闘地は二つに割れた。

 戦いやすくなったと思い、荊槍の穂先を間一髪で回避したレイキに向ける。

 私の双眸は殺意と憎悪で満ちている。

 もはや言葉は要らない。

 生き残った者が勝者だ。

 

「さぁ、決着をつけましょう」



 

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