第9話 バケモノ





 勝った。

 【血闘】の火蓋が切られ、闘技場フラウィウスの荒野が瞬間、イコルは己の勝利を確信した。

 変界魔術は数ある戦場の中から無作為で選び、それを戦場となす魔術。

 候補は森林、沼地、市街地、凍土など多岐に渡り、適正魔術や戦い方によって有利に働く。森林であれば炎魔術使い、市街地であれば奇襲戦法が取りやすいなどの利点が最たる例だ。

 此度は沼地。

 足首まで浸かる沼に変界していた。所々に高木が点在しており、水面には蓮が浮いている。

 水魔術使い《イコル》にとって理想の戦場であり、炎魔術使い《レイキ》にとっては最悪の戦場だ。

 

「沼地じゃ炎魔術も上手く使えない」

 

 炎魔術使い《レイキ》に有利な森林でも毛頭負ける気はないが。

 足元の水を魔術で操作しながら、数十メートル先のレイキに向けて血槍の穂先を向ける。

 

「すぐに終わらせてあげる」

 

 そして、絶望しろ。

 身の丈に合わぬ理想など捨ててしまえ。

 あの人の激情を得られるんだから、大人しく守られておけ。

 

「私と違ってね……!」

 

 荒れ狂う嫉妬の念と共に一歩を踏み出そうとして――背中に緊張が走った。

 

 緊張?

 

 何を馬鹿なことを。

 イコルは頭を振る。

 相手は血槍で抉るだけで事切れる存在。

 実力差を顧みず挑んできた愚か者。

 なのに、どうしてこれ程にも頭の中で警鐘が鳴り響く。イコルは己の勘に従い、血槍の特攻を止めて様子を伺う。

 結果から言えば、その判断は正解とは言えなかった。

 

「【暴れ果てろ、剪伐せしは深紅の円環】」

「詠唱魔術!?」

 

 二振りの短剣が深紅の光を纏う。

 薄くも力強い魔力の膜が短剣に張り付き、焔へと昇華してゆく。

 賢者との鍛錬で編み出した技、その名は。

 

「――【飛輪星】」

「ちっ……!」

 

 深紅の一閃がに放たれる。

 回転しながら放たれた炎閃は術師レイキを中心に円環となり、闘技場フラウィウス全体を焼き尽くす。

 膝あたりの高さで向かってきた斬撃に、イコルはその場で跳躍して躱した。

 危なげなく躱しつつ、イコルは行使された詠唱魔術について思考を深める。威力は並以下、一撃を貰ったところで大したダメージにはならなかっただろう。

 炎の熱力もさして高くはなく、……ッ!

 

「気づいたか」

「やってくれたわね……!」

「沼地じゃ分が悪いからな。平地の方がやり易い」

 

 イコルはに着地する。

 そして、己の判断ミスを悟った。

 先の瞬間で特攻すべきだったのだ。

 詠唱魔術の目的は沼地の水を蒸発させること。イコルに有利な環境の崩壊が真の狙いだったのだ。

 今や闘技場フラウィウスは何もない平地の状態。搦手は使えない、真っ向勝負の戦場を彼は整えた。

 

「でも、良かっただろ?」

「は?」

「これで、得意な戦場じゃなかったから負けたって言い訳が出来た」

 

 勝気な表情でレイキは片頬を上げた。

 その不適な笑みに、イコルは頭の中で何かがキレる音がした。

 

「師弟揃って馬鹿にして……! 良いでしょう、こうなったらとことん潰してあげる」

「やってみろよ、【闘威四黎】ッ!」

 

 戦場の変界と共に、二度目の【血闘】の火蓋が切られた。



 


「ありゃりゃ、思うように乗せられちまってるなァ」

 

 詠唱魔術に引っかかった少女を肴に、フォボスは酒をあおった。

 焼けるような心地良さが喉を突き抜ける。

 プテロンからの侮蔑の視線を受けながら、人目を憚らずにゲップをした。

 

「初っ端から詠唱魔術をブチ込む当たり、アタシは結構弟くん気に入ったぜェ」

「手出したら殺すからな」

「出さねえよ。青臭いガキは嫌いじゃないが、タイプじゃねェ」

「あん? レイキがかっこよくないって言いてえのか?」

「まじでめんどくせえなお前」

 

 眼前で繰り広げられる死闘とは対照的に、闘威持ちの二人は気の抜けた会話をしていた。

 深掘りし過ぎると【家族狂い】による家族自慢が始まると過去の経験から知っているため、フォボスは話の流れを戻す。

 

「戦闘技能が初心者のそれじゃねェ。弟くんの戦闘の師匠は腕が達者だなァ」

「……認めたくはないが、世界で有数の実力を持つ賢者だよ」

「そこまで評価してもらえるなんて、嬉しいなぁ!」

「「…………は?」」

 

 二人の会話に混ざって中性的な声が響く。

 フォボスは突如現れた声に驚き、プテロンはその声が聞き覚えのある賢者であった事に呆然とした。

 声がした方向を振り向くと、プテロンの右肩にが乗っていた。

 二人の視線を真っ向から受けながら、鶯は片翼をあげて気軽に話しかける。

 

「おいおい、元が美男子だからって鳥になってまで見惚れられるとは、美しいとは罪なことよ」

「呆れてんだよ。アレスの前に姿見せないんじゃなかったのか?」

「僕がいる事を気づかれなければ良いんだ。今の僕は魔術で作った花鳥の視力を共有してるだけ。こうすれば、心置きなく弟子の勇姿を見れるのさ」

「……あァー、そろそろ突っ込んでも良いかァ?」

 

 放心状態から帰還したフォボスは、軽快に動く鶯を指さす。

 

「これが、弟くんの師匠か?」

「本体は別だけどね。初めまして泥酔ちゃん、僕の存在は内緒で頼むよ」

「分かってらァ。アタシは自殺願望持ちじゃないよ」

 

 フォボスは即座に察していた。

 この者こそが一ヶ月前に【闘威一黎デイモス】を下し、観客の記憶を改竄した存在であると。

 己よりも強いデイモスを下したとなれば、その実力は疑う余地もない。

 故にフォボスは口を噤む。

 彼女が狂った感情は生存本能。己の生命を至上に置き謀略をもって死を回避する麗人は、首を突っ込むべきではないと長年の勘が煩く響いていた。

 

「此処であった話はデイモスにもアレス様にも言わねェ。それで良いだろ?」

「話が分かる子は嫌いじゃないよ。僕のことは置いておいて、眼前の【血闘】に集中しよう」

 

 置けるわけねえだろと二人の内心が一致するが、花鳥はマイペースに弟子の勇姿を眺める。

 相性の悪い沼地に対し、水を干からびさせる判断をした弟子に頬を緩めた。

 

「戦闘というのは自分の得意を押し付けること。どんな場所でも最高の闘いをこなすのが一流だけど、君にその境地はまだ遠い。なら、戦場を得意な場所にしてしまえばいいんだ」

「……イコルの攻撃手段を奪ったのは良かったけど、平地は危なくないか?」

 

 平地、何もない平らな空間。

 障害物がない分、搦手や罠などをかけにくく正面から闘わざるを得ない状態となるため、当人の実力がものを言う。基礎的な能力が重視されるのだ。

 だからこそ、プテロンは危惧する。

 闘争経験も実力もイコルに軍配が上がる。

 沼地よりはマシだが、レイキの不利は依然として変わらない。

 闘威持ちとしての見解に賢者は首を振る。

 

「それは攻守の上での話だ。レイキが行うのはその一方のみ」

「防御に専念するってことかァ」

 

 無言で頷いた賢者に、闘威持ちの二人はそれでも納得出来なかった。

 

「防御に徹したとしても、それだけでイコルの猛攻は止めらんねェ」

「概ね同意だな。防御の鍛錬をどれだけ積んでも一月じゃ【闘威四黎】の攻撃は守りきれない。イコルを舐めすぎじゃないか?」

 

 もし恋する少女イコルが聞けば頬をだらしなく緩ませ喜ぶであろう。プテロンは間近で見てきたイコルの実力を信頼しており、いくら賢者が指導しても無理だと断言する。

 レイキの勝利は限りなく無いに等しいと主張する二人に対し、花の鶯は揶揄うように嘴を開く。

 

「大丈夫だよ――――あの子はバケモノだ。僕が指導してきたどの子よりもね」




 




 

「アンタ、勝つ気あるの?」

「負ける気は無い!」

 

 困惑が混ざった問いかけに、レイキは迫った血槍を受け流しながら大声で応える。猛々しい宣言とは裏腹に頑なに攻撃に転じることは無かった。

 漂う砂塵を切り裂き、血槍はレイキの心臓目掛けて突き抉ろうとするが、レイキは短剣を巧みに駆使して俊速の槍撃を受け止めていた。

 二本の短剣使いの戦い方としては、片方を守備に使い、もう片方を攻撃に使う。しかし、レイキはどちらも守備に用いていたのだ。

 

「ああもう、やりにくい……!」

 

 攻め辛い。

 イコルは舌打ちを隠すことなく、苛立ちを血槍に乗せて再び穿とうとするが、【伊邪宵】が受け止め【玉鉤】が弾く。

 反撃をする余裕もあるはずなのに、全神経を血槍の防衛に注いでいる。

 しかも、イコルの心を乱すのはそれだけではない。

 

「はぁ!」

「ぐっ……!」

 

 防ぎきれずに槍がレイキの身体を抉り、血が流れる。イコルはレイキの血を異能で取り込み、武装の強化を図るはずであった。

 

「焼き塞げ」

「……頭イカれてるでしょ、アンタ」

 

 微かな戦慄と共にイコルは呟いた。

 レイキのした事は単純明快だ。怪我した部位からの流血を防ぐため、その場所を

 赤黒く塞がれた火傷は、イコルの武器血液を与えることを許さない。血を傷ごと焼かれてしまう。

 ここまで徹底されれば切り札の【真紅たる牢獄フィラキ・エリュトロス】も使えない。

 自分で火傷を負う行為は側から見れば恐怖以外の何物でもなく、その上動揺の一つも浮かべないのもイコルが攻めあぐねている要因だった。

 

(なら、わざと隙を作ってあげるわよ)

 

 血槍を弾かれた瞬間、故意に足を滑らせる。

 今まで守護にしか使わなかった短剣を攻撃手段として用いる最大のチャンスを作った。

 

(この状態でも、短剣程度の間合いなら避けられる)

 

 そして、避けた後に特大の槍撃を見舞ってやろう。

 イコルはこの後の流れを想定しながら、レイキの反撃を待つ。

 しかし、想定の未来は訪れなかった。

 

「穿て――炎弾魔術スフェラ!」

「なっ!」

 

 叩けつけられるは、無属性の魔弾魔術。誰もが扱える基礎中の基礎の魔術で、其処に付与魔術エンチャントで炎を添えたにすぎない。

 炎の弾丸が予想外の反撃に混乱するイコルの胴体に炸裂する。

 【圧縮】で密度を増した炎弾は寸分違わず着弾し、イコルを一時撤退に追い込む。

 すぐに態勢を立て直したイコルは思いのままに疑問を投げた。

 

「なんで、短剣で反撃しなかったの……?」

「狙いがバレバレだ。お前程の戦士が隙なんて作るはずないだろ」

「……でも、今のは短剣の特攻が最適な間合いだった! なのに、どうして」

「認められないのか? 俺が単に読み合いに勝っただけだ」

「――――私を、馬鹿にするなッ!」

 

 嘲笑と共に向けられた言葉がイコルの矜持を揺さぶる。嫉妬の念を向ける者に化かされたと分かれば、その憤怒は格別である。

 血槍を構えて疾駆するイコルを冷めた表情で見つめるレイキの内心と言えば、

 

(イコル強すぎだろ!!)

 

 めちゃくちゃ焦っていた。

 先生との鍛錬で表に出さないでいられてるが、内部は荒れ狂っている。

 尋常でない速度で迫る血槍の猛攻に何度肝を冷やしたか分からない。完全に『守』の型に徹さなければ、すぐに敗北する自信があった。

 戦法上、イコルを煽るような言い回しではあるが内心は敬服しかない。

 

(無理やり傷を焼くのも痛いし、先生との鍛錬がなかったら終わってたな)

 

 遠い目をしながら地獄の時間を思い出す。

 流血させられるなら塞いじゃえば問題ないね! と先生が宣った際には、レイキは本気で死を覚悟した。

 傷を焼き続ける羽目になり、あまりの痛みに本気で泣きかけたのは苦い記憶だ。

 

(そもそも、さっきの囮に引っ掛からなかったのも俺の力じゃないしな)

 

 あらかじめ賢者から助言を貰っていたのだ。イコルが攻撃を思うように決められない場合、罠を張ってくる、と。

 それ故に、短剣で飛び込みたい衝動を必死に抑えて炎弾魔術スフェラで反撃したのだ。

 そして、策を看破され激昂した者がとる行動と考えれば――

 

「――力任せの大振り」

「ッ!」

 

 大気を切り裂き、激情を乗せた血槍を躱して、レイキは無慈悲に焔双撃を繰り出した。

 

「【禍津星】!」

 

 炎の付与魔術エンチャントが禍々しい黒に染まり、剣身を喰らい尽くす。

 現状放てる短剣最大の火力がイコルに激突しようとして――。

 

「荊よ、防壁となれ」

 

 血の荊棘が立ち塞がる。

 目を凝らせば、イコルの手首からは再び血が流れており、レイキが最大を見舞うあの一瞬で切り裂いたことが分かる。

 理由は明白、【禍津星】を受け止める防壁を作るためだ。

 

「この程度の強度なら、いける――!」

 

 即席の魔術であったためか、血壁の硬度はいまひとつ。

 【禍津星】の威力への絶対的信頼がレイキを突き動かし、そのまま特攻しようと足を進める。

 

「――罠だレイキ!!」

 

 その行進を客席の賢者の叫びが阻んだ。

 血壁が蒸発し、開けた視界に余裕のイコルが掌を向けているのを目視して、レイキは己の失態を自覚した。

 

「お返しよ――水弾魔術スフェラ

「がっ!」

 

 先程の光景が焼き直されるように、水弾がレイキの胴体に激突する。

 レイキの炎弾が攻撃力と爆発性に優れたものだとすれば、イコルの水弾は速度と突貫性に秀でたもの。

 澄んだ水弾はレイキを場外ギリギリまで弾き飛ばす。賢者の助言が無ければ、踏み込んだ身体はなす術なく場外に落ちていただろう。

 

「あの澄ました賢者も来てるのね、忌々しい」

 

 不満を吐き捨てるイコルは賢者への侮蔑を隠そうともしない。

 

「わざと耐久性の低い血壁を作ったのか」

「ええ。結構良い作戦だと思ったんだけどね」

 

 槍の大振りに対応され致命的な隙を晒したにも関わらず、逆境を利用して討ち取りに出た。

 イコルの機転の良さに舌を巻く。

 これでお互いダメージは同程度。

 火傷を多々負っている分、レイキの方が押されているように思えるが、攻撃に全振りしてきたイコルの魔力消費も激しい。

 しかし、イコルは着々とレイキの『守』に対応しつつあった。順当にいけばイコルの勝利は揺るがない、そのため一石を投じる必要があった。

 

「――炎剣、駆動」

「……デイモスの真似事?」

「デイモスみたいに沢山は出来ないけどな」

 

 レイキの背後に魔力で製錬された六本の炎の短剣が浮かび上がる。一ヶ月前のデイモスとの一戦で編み出した技であるが、デイモスが顕現させた量には到底及ばない。

 六本しかない炎剣を見て、イコルは嘲笑を浮かべた。

 

「オリジナルよりも劣った技で私を倒せると思ってるの?」

「劣っているかどうかはその身で確かめろ――」

 

 言葉を終えた刹那、六本の炎剣が火の粉を散らしながら飛翔しイコルに襲いかかる。迫る炎剣を、イコルは難なく上体を反らすだけで躱していった。

 

「一つ教えてあげる。基本的にこういう魔術は同じ軌道しか描けない、時間差で射出できても来る場所がわかってれば――」

 

 先行した五本に隠れるように射出された最後の炎剣が血槍に弾かれる。

 

「――簡単に無力化できるのよ」

 

 血槍を大きく振るい、顕現させた炎剣を全て掻き消した。血槍のダメージに耐えられずに炎剣が自壊したのだ。

 

「こういう魔術は数で攻めるのが定石。両手にも満たない数じゃ話にならないわ」

 

 加えて、使い捨ての魔術であるため大した耐久性もない。

 魔力消費が少ない分、威力も今一つであり撹乱や陽動に使われる魔術だ。デイモスの炎槍は圧倒的な数量で主力攻撃の一つに加えられているが、レイキの数ではそこまでの境地には至らない。

 

「で、もう終わりかしら」

 

 血槍で空気を裂きながらイコルは気怠げに言葉を投げる。

 晴れた砂塵、開けた視界に悠々と槍を構えるイコルの姿は、終わらせると告げんばかりの様子だった。

 

「わるいが、こっちにも負けられない理由がある」

「また繰り返すの? 芸がないわね」

 

 再度顕現した六本の炎剣にイコルは深いため息を吐いた。

 もういい、終わりにしよう。

 全部消滅させて、トドメを指す。

 分不相応な理想を砕くために、そして、あの人の心を二度と煩わせないために。

 イコルは血槍を水平に構え、同じ軌道、直線で迫る炎剣らを薙ぎ払おうとして。

 

(待って)

 

 ――違和感。

 

 こんな弱い戦法をあの賢者が容認するのだろうか。

 仮にも伝説の英雄【八叛雄】たる賢者が助言しないはずがない。

 

(いや、これで良い)

 

 そんな疑惑を強引に打ち払う。

 どんな小細工を弄されても負ける気はない。

 心に抱いた一握の疑念を握り潰し、迫り来る炎剣目掛けて血槍を振る、異変が訪れたのはその時だった。

 

「避けろ、炎剣」

「……え?」

 

 

 理外の光景にイコルは呆然とする。まるで全ての炎剣が意志を持っているようで、鶯を除き闘技場フラウィウスの者は驚愕する。

 泥酔の麗人は引き攣った笑みを浮かべ。

 灰髪の青年はどんなカラクリだと肩の鶯を問い詰め。

 狂信者は闘神の隣で声にならない叫びを上げ。

 そんな狂信者を横目に闘神はこれでもかと顔を喜色に歪める。

 

「一斉攻撃」

「――――ちっ!」

 

 全方位から異なる軌道で炎剣がイコルを強襲する。

 ある剣は螺旋を描き、ある剣は直進し、ある剣は屈曲しながら虚空を裂く。

 それでも驚異的な血槍の技術により五本は叩き落としたが、測ったように死角から迫った最後の炎剣がイコルの背に炸裂する。

 

「ガッ!」

 

 着弾と同時に発火。対抗属性の水魔術で相殺しきれなかった威力は軽い火傷を負わせた。

 しかし、イコルにとって背中の火傷などどうでも良かった。脳内を占めるのは先程目にした常識を易々と超えた六本の炎剣だった。

 

「どういうこと、あれは、一体何なの!?」

 

 イコルは声を荒げて問いかけた。

 イコルのみならず、闘技場フラウィウスの者全てがその答えを求めている。

 多方向から突き刺さる視線を感じながらレイキは口を開いた。

 

「この類いの魔術は数がものを言うが、いくら炎剣を浮かべてもデイモスの炎槍には敵わないと思った。だから、数を減少させて、少ない炎剣にそれぞれ違う動きを司令したんだ」


 総量を減らすことで、数少ない精鋭を生み出す。

 量より質の戦法であり、理論だけで聞けば分からないことでもない。

 そう、理論だけで考えればの話だ。

 

「無理だ!! それぞれに別の動きをさせるなど脳が焼き切れるでしょう!?」

 

 闘神の隣でデイモスは叫ぶ。離れた位置に居るレイキには届くはずもないが、叫ばずにはいられなかった。

 同じ系統の魔術を使う一人として、あたかも容易なもののと断じるレイキを肯定できない。

 

「方向性を与えるのは一種の魔術であり、当てる脳の容量は普通の魔術とさして変わりはありません。だから数量を増やし、同期させることで圧倒する。六本全て別の動きを与えるなんて――」

 

 ――バケモノの思考に、違いない。

 

 喉まで出かかった言葉をデイモスは飲み込んだ。続きを発してしまえば、魔術師の格がレイキよりも劣っている事実を容認することになる。

 レイキのした事は、右手と左手に加え右足と左足でも別の動作をしつつ、頭の中ではチェスをしているようなものだ。

 そんな精密な魔力操作が出来るはずもない。

 

「六本に全く違う軌道を指定できるなら――」

「――挑戦者は最低でも六つの魔術を同時展開できるという事になる。ふっ、何とも面妖な才能よ」

 

 デイモスの言葉をアレスは引き継いだ。

 金の玉座に肘をつき、端正な顔立ちを悦に染める。

 

「奴の魔力操作の精密さは【紅蓮の聖女アリアドネ】や【千剣の支配者ペレウス】に通ずるものがある」

「【八叛雄】のレベルに達しているのですか……?」

 

 震えた声でデイモスはアレスに問いかけた。

 引き攣った顔の狂信者に一瞥を与え、アレスは微かに首を横に振る。

 

「だが、その能が挑戦者由来であると決めつけるのは早計であろう」

「どういうことでしょうか……?」

「貴様の眼は節穴か? 挑戦者の武装を見よ。四黎の猛槍を幾度も防ぎ、刃こぼれ一つしないあの短剣をな。おそらく魂捧鍛治国アゴラの逸品」

「……あれは、魔術武器マジックウエポン。それもかなり質の良いもの、ならばもしや――」

 

 アレスの導きによりデイモスが立てた推論、イコルが思ったものと同じだった。

 

「――魔力操作効率の大幅上昇。それがアンタの術器の特性ね」

「……」

 

 ある特性を帯び、魔術で編まれた武器。それも高品質のものともなれば、先程の化け物じみた炎槍も頷けるとイコルはあたりをつける。

 確信を込めて告げられた言葉にレイキは無言を貫いた。その様子を肯定と見做したのか、イコルは言葉を続ける。

 

「魔術の同時展開なんて【八叛雄】でも出来るか定かじゃない。見る限り等級は一級。どうせ、あの賢者に恵んでもらったんでしょ」

「……仮に一連の魔術が術器のおかげだったする。だけど――」

 

 言葉を切り、再び背後に六本の炎剣を顕現させる。

 狙いは少女ただ一人。

 六つの剣先が少女に標準を合わせた。

 

「――理解したところで、対応できるのか?」

「馬鹿にすんなって何度言ったら分かるのかしらっ!」

 

 三度目の炎剣と血槍の応酬。

 四方八方から襲い来る炎の無機生命を、イコルは雄叫びを上げて振り落としていく。

 時間の経過と比例して、一層苛烈さを増す戦場に観客たちは歓喜した。

 類いない戦法を生み出した無名の少年は、真の強者たる【闘威四黎】を押している。

 打って変わってひっくり返った戦況に皆一様に胸を熱くしていた。

 

「おい、これ、もしかして……」

「あるぞ、無名が闘威持ちに勝つかもしれない!」

「いける。ぶちかませ坊主!!」

 

 観客はドラマを求める。

 勝率は皆無に等しいと思われた無名が、闘威持ちを討ち果たす逆転劇を。

 手のひらを返した観客達にプテロンは大きな舌打ちをした。漏れ出た黒い殺意にも、熱狂した観客は気づかない。

 相変わらず弟狂い《ブラコン》を拗らせている青年を賢者はやんわり宥める。

 

「まあまあ落ち着いてくれよ。レイキの実力が認められたのは喜ぶべきことじゃないか」

「……」

「無視は酷くないかな」

 

 片翼でプテロンの頬をペチペチと叩くが、観客達を本気で半殺しにしようか迷っている彼には届かない。

 芝居のような一幕を横目にフォボスは燻っていた疑問を吐き出した。

 

「なァ、賢者さんよ」

「何だい?」

魔術武器マジックウエポンは万能だが、あくまでも補助のためのものだァ。その特性は異能には遠く及ばねェ」

「……」

 

 賢者は目線で続きを促す。

 癇癪を起こしていたプテロンも静かにフォボスの話に耳を傾けていた。

 

「一級術器だとしても、魔力操作効率の大幅上昇は異能の域。本当の特性は別にあるんじゃねえのかァ?」

「ふふ、君は観察力に優れているみたいだね。これまでの生き方に由来するものかな」

「……何でもねェ、忘れろ」

 

 否定はしないが肯定もしない。

 どちらともとれる賢者の返答にフォボスは口を噤んだ。

 疑問の答えは試合を観ていれば分かる。それよりも、全てを見透かす賢者の瞳に耐えきれなかった。

 

「それより、弟くんはいいのかァ?」

「現状は優勢だけど、何か心配事でもあるのかい?」

「ハッ、分かってねえな。彼が相手にしてるのは、憧憬と恋慕だけで成り上がった狂人、史上最年少の闘威持ちだぜェ」

 

 告げられた言葉にプテロンも深く頷く……憧憬と恋慕一部だけよく分からなかったが、この程度の苦難を乗り越えられないほど闘威持ちは柔ではない。

 両側から迫る視線に、賢者はいつも通り温和な口調で告げる。

 

「確かにイコルは強いよ。けど、君たちこそレイキを分かってない。何たって僕の弟子だよ? あの程度で終わる子じゃないさ」

 

 期待を宿した賢者の瞳は、額に汗を浮かべるレイキに注がれていた。

 





 


(対応され始めてるな)

 

 レイキはもう何度目か分からない炎剣を顕現させた。

 血槍を一度振るえば炎剣の半分は消え失せ、一歩踏み込めば術師レイキに肉薄する。炎剣の操作と並行してイコルと近接戦をするのは至難の業だが、ここで気を抜けば一瞬で終わる。

 炎剣に囲まれた状態でありながらも、反撃を織り交ぜてくるイコルに戦慄していた。

 

「はぁっ!」

「……ッ!」

 

 避けきれなかった血槍が頬を抉る。

 垂れてきた血を拭い取る暇もなく、双剣と空中の炎剣を駆使してイコルを後退させた。

 再度訪れた膠着状態。

 イコルは炎剣の攻撃に慣れ始め、余裕を取り戻している。

 

「仕掛けるなら今しかない」

 

 映像で何度も見た【闘威四黎】。相手の血液さえ利用して勝利を手にする傑物に、元より炎剣だけで勝てるとは思っていない。

 

「炎剣よ、穿て」

「そう何度も通じると思わないでよね」

 

 多方向から迫る炎剣を紙一重で躱そうとして――。

 

「爆ぜろ!」

「ッ!」

 

 大きな爆裂にすかさず受け身をとった。

 焼き切れる程の爆風と衝撃に血槍は壊れ、炎の勢いは留まらず、両腕に火傷をする。

 治癒魔術を即座に行使しながら、イコルはこれらの状況に既視感を覚えた。一ヶ月前、レイキがデイモスの虚をついた故意の武器爆発。

 【闘威一黎】に傷を負わせた弱者の一撃。それに酷似していたのだ。

 

「視界がッ」

 

 辺り一面の煙幕に舌打ちを打つ。

 煙幕を晴らすために、血槍を再構成して横向きに一閃。ある推論がイコルの脳に浮かんだ。

 さっきの爆発は炎剣一本のみだった。

 そして、奴が操れる炎剣は六本。まだ五本残っている。もし――!

 

「気づいたか」

「なっ!」

 

 晴れた視界に飛び込んできたのは、冷静な様子のレイキと

 思い描いた最悪が目の前にあった。

 イコルは咄嗟に回避しようと、唯一の逃げ場である上空に跳ぼうとする。

 

「っ、これは、空気の壁……?」

 

 上空の空気は【圧縮】により固まっていた。閉じ込められたと認識した時には、もう手遅れ。

 発光する炎剣達に、術者レイキは号令を下す。

 

「爆ぜろ」

 

 眩い閃光とともにイコル一帯は大爆発を起こす。

 内包する魔力を【圧縮】の応用で無理やり暴発させる荒技にして、一本でデイモスを退けた一撃。

 それが五本あれば?

 答えは決まってる。

 

「勝負あったな」

 

 片膝のまま荒い息を吐いている紅髪の少女を見て、レイキは勝ちを確信した。


 

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