第7話 修行





「さて、修行を始めるぞぉー! えい、えい、おー!」

「お、おー……?」

「声の大きさは及第点だけど認めよう。さぁ、イコルに勝つための修行を始めようか、以後、僕のことは『先生』と呼ぶように」

「……よろしくお願いします、先生」

 

 呼び方の変化に喜ぶ賢者に真正面から見つられる。相変わらず整った顔をしてるなぁ、と思っていると、彼の瞳が薄い光を纏った。

 

「なるほど、ね。プテロンとの鍛錬で基礎は出来ている。うん、これは僥倖だ。すぐにイコルを倒す訓練に入れるね」

「何してるんだ?」

「僕の異能は【鑑定】。認識した対象の特性や異能に加え、弱点や実力も測れちゃう優れものさ」

 

 英雄譚好きの弟の話を思い出す。

 【大輪の賢者】ケイローンの真骨頂はどんな強敵にも対応してのける適応力。

 瞳を媒介として対象を視認し、情報を根こそぎ奪える【鑑定】を基に戦闘を有利に進められる。

 得られる情報には、異能や弱点なども含まれており、彼の前で隠し事は不可能だ。

 その上、重宝されるのは戦闘のみではない。

 迷宮ダンジョンの罠の看破や、回復薬ポーションの薬草の仕分けなど生活面においても幅広く役立つ。

 目に映るもの全てを知り得てしまう、これこそ彼が賢者と呼ばれる由縁なのだ。

 

「先生の異能、万能すぎないか?」

「それは僕がであることに起因してるんだけど、それは追々ね」

 

 話を逸らしつつ、賢者は指を鳴らした。

 小気味良い音が響いた瞬間、レイキの眼前に映像が浮かび上がる。

 無属性に分類される投影魔術、頭の中に浮かべた映像を現実に持ち出せる魔術である。

 虚空に現れたそれが映し出したのは、先日試合が決まった紅髪の少女の【血闘】であった。イコルと、対戦相手であろう魔術師風の男が対峙している。

 

「これは……」

「君たちと別れた後に集めたイコルの【血闘】の記録だよ。幸い保存記録アーカイブが残っててね」

 

 レイキは映像を見つめる。

 映像の少女は試合開始と同時に自ら手首を軽く切り血を流す。そして、

 これこそ彼女の異能【操血】。

 血に凝固性を持たせ意のままに操れる、応用性に富んだ異能だ。

 

「正直、想像以上だよ。彼女は適正魔術と異能の組み合わせ方が群を抜いて上手い」

「水魔術と【操血】か」

 

 賢者は大きく頷いた。

 

「人間は神に対抗する術として異能と適正魔術を持つ。異能は十歳前後に発現する固有の魔術のこと。では、適正魔術とは何でしょう?」

「無属性を除いた【七元魔術】のうち、生来一つだけ使える魔術、だよな」

「正解。花丸の代わりに花束あげよう」

 

 ボフッ、という音が鳴り、気づけばレイキの左手にはオレンジの花束が握られていた。

 内心いらないと思ったのは内緒だ。

 

「炎、水、風、雷、地、草の六属性を人間は一つだけ扱える。異能と同じで魂に根付いたものであり、自分で選択はできない。ここに誰でも扱える無属性を足して【七元魔術】と呼ぶんだ」

「俺とデイモスは炎で、イコルは水、プテロンは……」  

「あれは例外だよ。異能の代償が適正魔術の封印とか本当に面白い性能だよねぇ」

 

 プテロンの異能【漆黒】は行使の代償として適正魔術を失う。異能には何らかの代償を伴うのが常であるが、その中でも極めて重い代償と言えるだろう。

 

「異能と適正魔術を組み合わせたり、それぞれを増強させられる手段として『詠唱』がある。詠唱は魔術を神のみが扱える『魔法』に近づけるためのものさ」

 

 詠唱によって強くなった魔術を総称して詠唱魔術という。魔力を割き、祝詞を唱えることで通常の魔術をより向上させる手段だ。

 詠唱魔術を使いこなせるかどうかが鍵となる。

 

「とりあえず、今はイコルに集中しよう。初めのレッスンだ。君はこの【血闘】を見てどう思う?」

 

 映像に映る二人の男女。

 一方はイコル、もう一方は哀れにもイコルと当たった名も知らぬ男。

 男は魔術師の戦法を取っており、魔力弾を連発している。単純で軌道の分かりやすい攻撃であるが、物量による連撃は脅威であった。

 数多の魔力弾に対し、イコルは禍々しい血槍で悉くを切り裂き、着々と彼我の距離を詰めていた。

 

「彼女の異能は【操血】。血に凝固性を付与することで、武器を作ったり、血のドームで閉じ込めたりできる」

 

 映像のイコルは男に片手をかざして呟いた。

 

『【幽囚せよ、荊の囹圄】ーーー【真紅たる牢獄フィラキ・エリュトロス】』

『なっ!』

 

 男の約半径1メートルを紅い膜が覆う。

 それは、脱出不可能な荊棘の庭園であった。

 全てを傷つけ、拒絶するしか能のない庭園。

 鑑賞物としては三流以下だが、舞台は血を血で洗う闘技場フラウィウス。相手の殺害という観点に関しては、一流の域である。

 

『おい、何なんだよこれ!?』

 

 無数の荊が意思を持ったように男を襲う。

 トゲが肌を切り裂き、蕾が魔力弾を受け止める。抵抗を許さない庭園はまさに荊の牢獄。

 しかし、この程度で膝を屈するほど、男の精神は弱くなかった。

 

『舐めんじゃねえ! 特大威力でぶち壊してやるよ!』

 

 防御を捨てて、攻撃に全てをかける。

 妨害が消えたため、血の荊棘はより苛烈に襲い掛かり重傷を負うが、それでも男が折れることは無かった。


『ぶっ潰れろ!』

 

 全てを一撃にかけて現状の打破を試みる。男は辺り一帯を吹き飛ばす魔術で結界を壊そうとしたのだ。

 そして、膨大な魔力を込めて魔術を行使した結果、荊棘の結界は崩壊した。

 

『やってやった、は……?』

 

 結界は血に戻って辺りに飛び散り、瞬時に再生する。

 イコルのした事は単純である。飛び散った血を水魔術で保護しながら操作し、再び膜を形成しただけだ。蒸発させない限り、彼女にとって血液という水分は永久不滅の武器になる。

 ほとんどの魔力を費やした攻撃が無意味であった、その事実は男の心を蝕み、眼前の光景に瞠目する。

 

『何で成長してるんだよ……!』

 

 荊の硬度、速度、総数は時を追うごとに上昇し、男への殺意を高めている。一種の進化とも言える変化、全ての側面において能力が向上していた。

 砕いても壊しても襲い来る荊棘が、男の心を折るのは早かった。

 

『ようやく折れたみたいね』

『ま、待て』

『さよなら――荊よ、穿ちなさい』

 

 戦意を喪失した男は恐怖で精神を乱した瞬間、荊で腹を貫かれていた。

 無機質な音声が勝敗を告げ、闘技場フラウィウスの変地魔術が解け、元の荒地に戻る。

 観客の喝采を浴びながらイコルは退場した。

 闘技場フラウィウスに吸収されゆく亡骸に目を向けず、孤高に立ち去る様は闘位持ちとして不足なし。

 立ちはだかる壁の大きさを痛感させ、投影魔術は終わりを迎えた。

 

「……強い」

「さすがは【闘威四黎】だ。荊の魔術が進化した絡繰は分かるかな?」

 

 レイキは思索に耽る。

 抵抗するほど強度になっていく血荊の檻。

 考えられる候補としてはイコルが魔術に注ぐ魔力を徐々に大きくしていった可能性。それならあの化け物じみた成長も頷ける。

 しかし、すぐにその可能性は薄いと感じた。

 

「イコルに誰かを痛ぶるような趣味はない。余力があるなら最初に潰すはずだ」

 

 徐々に強めていくなんて面倒くさい事を、彼女がするとは思えない。

 

「一つヒントだ。成長の仕掛けには異能が大きく関係してるよ」

「【操血】?」

 

 己の血を操り、槍にしたり、監獄を作れる。変幻自在で応用の効く異能。

 しかし、あの場面で血を足している様子はなく、流血のための自傷行為も見られなかった。

 むしろ……ッ!

 

「イコルが操れる血は自分のものだけじゃない……」

「その通り。男は荊棘の檻に抵抗しているように見えて、逆に強化を促していたんだ」

 

 【真紅たる牢獄フィラキ・エリュトロス】を壊すために、防御よりも攻撃を優先した結果、より多くの血を流すことになった。

 溢れ出た男の血液はイコルの【操血】によって利用され、驚異的な成長を生み出したのだ。

 極めて合理的で、悪魔のような戦法にレイキは身震いする。

 

「他にも色んなイコルの【血闘】を見たけど、大抵はこの戦法だね。イコルが対戦者の血液を利用していることに気づいた者もいたけど、気づけた所で対応出来ない」

「戦闘が長引びけば消耗するはずなのに、イコルは強くなる。流血に気をつけたとしても、イコルの槍を防ぎきるのは不可能だ」

 

 イコルの脅威は血槍の技術と思われてしまいがちだが、真髄は長期戦の強さ。

 相手を傷つけることで血液武器を確保し攻撃を強化する。

 必死に防御してダメージを与えたとしても、イコルが流した血液でも武装は強くなってしまう。

 

「イコルを倒すには短期決戦が一番ってことか」

「でも、君にイコルを短気で倒せる実力はない」

「……」

「だからこそ、相手を討ち倒す『攻』の戦い方ではなく、両の足で立ち続ける『守』の戦い方を教える」

「『守』の戦い方……」

「耐え忍び、好機まで牙を潜める。致命傷でも悟られないよう誤魔化し、最後の最後で笑う詐欺師となれ」

「詐欺師と、なる」

 

 それは生き残るための闘い方。

 裂傷を刻まれようとも膝を屈さず、虚栄と衒気で塗り固めた表情かおで翻弄する弱者の闘い方。

 王道からは余りにもかけ離れた邪道。

 それでいいとレイキは思う。

 自分が望むことはトラキアの変革、今までのやり方では到底叶うはずがない。

 決意を固めていると、賢者は二振りの短剣と大きな長剣を投げてきた。

 

「これは……」

魂捧鍛冶国アゴラの武器だよ。使ってくれたまえ」

「俺は長剣を使わないんだが」

「色々と事情があるんだけど、理論よりも実戦の方が分かりやすい。まずはいつも通り短剣を使って闘ってみようか」

 

 賢者は収納魔術アルケイオンで取り出した紅い槍の柄を握り、穂先を向けてくる。槍の長さは映像で見たイコルと同等であり、仮想敵になってくれていると冷静に分析した。

 しかし、の目が細められた瞬間、ぞっと冷たいものが全身を駆け巡る。

 咄嗟に投げられた短剣を構えて、臨戦体制をとる。

 

「それでいい。万の言葉よりも一の経験の方が実りある。多くは語らないから戦って学びなさい」

 

 模擬戦を通じて【血闘】に繋がる『守』の戦法を学べと、先生の姿勢は物語っていた。

 

「目標を決めよう。一ヶ月以内にこの紅槍を壊す。それが出来たら合格だよ、おいで」


 体勢を低くして、膝を地面スレスレまで曲げる。

 頬を伝う汗が落ちた瞬間、地面を蹴り上げバネのように先生に迫る。

 

(まずは様子見だ)

 

 地面と並行しながら付与魔術エンチャントで炎魔術を両の短剣に刻んだ。

 

「はぁっ!」

 

 橙赤色に輝く短剣で真下の地面ごと先生を斬り上げる。

 目眩しの意を込め、泥を巻き込んだ双炎撃は狙い通りの軌道を描き――

 

「うーん、3点」

「………………え?」

 

 ――吹き飛ばされた。

 耳を塞ぎたくなるほど鈍い貫穿音が、レイキの身体を押し除けた。

 地面と接吻を交わし、口に入った泥を吐こうとして異変に気づく。迫り上がった物は土ではなく真っ赤に染まった液体だった。

 続いて思うは押し除けられた貫穿音。それは先生の槍が何かを貫いた証左。

 しかし、特攻した短剣には小さな傷こそあれ、穿たれたと思われる穴は空いていなかった。

 

「お腹、見てごらん」

 

 言葉に従い腹部を見下ろす。

 膨大な熱を発しているそこからは、夥しい量の血液が流れていた。

 認識した瞬間に襲い来る激痛をヒントに、ようやく答えを出せた。

 

「腹を、貫かれた、のか……」

 

 恐ろしい速度の刺突がガラ空きの胴体に直撃し、見事貫いた。

 先生にとってはただ突き出しただけであり、工夫もない平凡な貫撃。

 

「癒せ――治癒魔術セラピア

 

 いつの間にか近づいていた先生は、留めなく血が流れる致命傷の腹に手をかざした。

 淡い緑の光が患部を優しく覆ってゆく。

 

「がっ!」

 

 激しい治療痛と共に腹部が塞がってゆき、数秒後には傷ひとつない状態へと戻っていた。

 癒されたといっても疲労と苦痛が完全に消えたわけではない。

 緩慢な動きで再び立ち上がるレイキに対し、先生は再び穂先を向けて戦闘を課す。

 

「人間という種は成功体験に縋る。君は【血闘】に数回勝利し、無意識下で己は強いと思ってしまっている」

「はぁぁぁ!」

 

 雄叫びと共に突っ込む。

 槍を警戒し、ダメージを与えるというよりは槍の間合いの中に入り込むための特攻。

 紅い障害物を超えたと思えば、待っていたと言わんばかりの蹴撃が顔面を襲った。

 受け身を取れず、勢いも殺せないまま不様に吹っ飛ぶ。後頭部に鈍い痛みが走り、熱量を持った液体が吹き出る。再び意識が飛びかけた。

回復魔術セラピア――もう立てるよね?」と冷徹な言葉が鼓膜を伝う。

 返答として、レイキは遠距離で炎弾魔術スフェラを放った。

 

「加えて、糸目くんから弟を助け生き延びた、その功績は甘い悦を与えたことだろう」

「あがッ!」

 

 苦し紛れの炎弾に対し、先生は槍の投擲を持って応えた。展開した魔術式を全て巻き込んだ高速の投擲はレイキの右肩を寸分違わず抉る。

 肩を抑えて蹲ると、ゆっくりと先生は近づいてくる。

 

「分かりやすく言えば、君は調子に乗ってるんだ」

「そんな、こと……!」

「じゃあ何で最初から全力で来なかったの? その時点で『反撃されても何とかなる』という傲慢な自信があったに違いない」

 

 確信に満ちた言葉が胸に突き刺さる。

 ぐうの音も出ない程の正論だった。

 羞恥が込み上げて、みじめな気持ちに駆られる。

 

回復魔術セラピア……だからその自信を砕き、潰し、犯し、毀ち、抉り、穿ち、そして殺す」

「ああああああッ!」

 

 涙が出そうなほどの回復痛を甚大な殺気が打ち消した。弾かれたように距離を取り、呼吸を無理やり安定させる。

 優しく解説してくれた賢者はもういない。

 目の前の怪物は、生徒の成長の為には拷問も厭わない先生。

 

「何かを遂げる方法は二つに別れる。『出来るか、出来ないか』じゃなくて『出来るまでやるか、死ぬか』の二択だ」

 

 弱い現状を受け入れる。

 トラキアを変えるには、この程度では足りない。

 先生との時間は一秒だって無駄にしてはならない。

 震える両膝を黙らせて、再び短剣を強く握りしめる。

 立ち向かう気概を見せるレイキに、先生は口角を上げた。

 

「思考を止めるな。至高の一撃を手繰り寄せろ。そして、殺す気でかかってきなさい、じゃないと死んじゃうよ?」

「ッ、……はぁぁぁ!!」

 

 激しい雄叫びと共に、レイキは何度も勝ち目のない闘いに臨む。

 苦痛と金切り声に満ちた修行は太陽が沈み、様子を見にきたヘリオスが余りの惨状にブチギレるまで続いた。



 



 レイキが地獄の特訓をしている頃、対戦相手の私と言えば、

 

「ん〜〜、おいひぃ……!」

「ははっ、そんだけ喜んでくれるなら誘った甲斐があるってもんよ」

「はっ……わ、忘れてください」

 

 想いプテロン様と一緒に居住区の高級料理屋で舌鼓を打っていた。

 絶えず殺されかけているレイキとは雲泥の差である。

 此処はトラキアでも名高い高級店であり、店主は一流のシェフしか務められない。店主は着任したら弟子をとり、その弟子が料理の腕で己に優ったと感じたら、【下剋上】でわざと殺されるというトラキアらしいイカれた店だ。

 そんな裏事情はいざ知らず、私たちは脂の乗った鹿肉を切り分け口に運ぶ。

 

「美味しすぎますよ、これ」

 

 頬が蕩けそうな感覚に陥る。

 舌の上ですぐに消えてしまう高級肉は私を最高の心地へ誘う。その上プテロン様と一緒に堪能できるとなれば、幸福度は天にも昇る勢いだ。

 お肉を味わっていると、プテロン様がじーっと私を見つめているのに気づく。

 

「何か付いてますか?」

「いーや、本当に美味しそうに食べるなぁって思っただけだよ」

「あ、あんまり見ないでください。恥ずかしいです」

「わりわり。可愛かったもんだからついな」

「っ、むぅ……!」

「あ、ちょ、おい、脛蹴るなっ」

「そーゆーとこですよ!」

 

 ますます不思議そうに首を傾けていたので、蹴る威力を少し強くする。

 いつもそうだ。

 この人は不意に嬉しいことを言ってくれる。

 こっちは全く準備出来ていないのに、その仕草が、その言葉が、その笑顔が、私の心を何度も打ち抜いて激情を強くする。

 

 ――それが、叶わない感情と分かっているのに。

 

「……これ以上、夢中にさせないでください」

「ん、何か言ったか?」

「何でもないです! それよりも話す事があるんじゃないんですか?」

 

 首を振ることで、沈んだ思考を吹き飛ばす。

 こんな素晴らしいお店に誘ってもらった理由はただ一つ、賢者のせいで決められた【血闘】のことだろうと当たりをつけた。

 プテロン様は佇まいを直し、深く頭を下げた。

 

「わりいな、変なのに巻き込んじまって」

「頭を上げてください。了承した私も私ですし、プテロン様に奢ってもらえて結果的には最高です。イコルちゃん大勝利では?」

「そ、そんなに喜ぶことか……?」

 

 鼻息を荒げながら頷くと、プテロン様は困ったような顔をして微笑んだ。その微笑みのせいで心臓の鼓動が更に早くなったのは内緒である。

 しかし、いつまでも喜びに浸っているわけにはいかない。

 

「それで、私に頼み事があるんですよね?」

「やっぱ分かるか……」

「言っておきますけど、わざと負けるのは無理ですよ。アレス様の前で負けたら殺されちゃいますから」

 

 闘位持ちの【血闘】は闘神アレスの拝謁を賜る名誉を得る、すなわち必ずアレスが【血闘】を見るということだ。

 実際狂信者デイモス以外は誰も望んでいないのだが、古くから続くしきたりは変えられない。

 【下剋上】の決着方法がどちらかの死亡でなくとも、アレスの御前で闘位持ちが敗北という無様を晒した瞬間、アレスの手によって直々に殺される。

 それ程までに闘位は重いものなのだ。

 ここだけは譲れないと念を押したが、プテロン様は予想に反して首を横に振った。

 

「逆だ。完膚なきまでに叩き潰してほしい」

「え?」

 

 嘘だ。

 心の中で思う。

 だって貴方は家族の安全を最上と考えている。

 だからこそ【下剋上】を繰り返し、家族を守るために【闘威三黎】にまで登り詰めたのだから。

 未だ困惑から抜け出せない私を置いて、プテロン様は話を続ける。

 

「レイキの願い……トラキアを変えたいっていう想いは捨ててもらわないと困る。初めに大きな挫折を味わった方が良いんだよ」

「……少し意外です。プテロン様はあいつに賛成だと思ってました」

「大切な弟だ。大抵のことは応援するつもりだが、今回のは度を越してる」

 

 疑う自分がいる反面、どこか納得した気持ちも浮かび上がってくるのを実感する。

 

「この国の強大さは身に染みて知ってるからな」

「っ、プテロン様、一年前のことを……」

 

 持ち得る全てを使ってトラキアに抗い、彼なら、レイキの願いを無謀と思うのも頷ける。

 言葉に詰まった私に気を遣って、プテロン様は寂しい笑みを貼り付けた。

 

「特に気にせず戦ってくれ。俺に構わず、レイキを叩いてやってほしい」

 

 申し訳なさそうに顔を歪めるプテロン様に、チクリと胸が痛む。

 その寂寥とした微笑みを変えたい。

 貴方のことを心の底から支え、力となりたい。

 私にしてくれたように、寄り添ってあげたい。

 けど、無理だ。

 私は、彼の"大切"に入れないから。

 

「それは、レイキのためですか……?」

「――ああ、目に入れても痛くないくらい大切な存在だからな。何を犠牲にしても守らなきゃいけない」

 

 ――やめてくれ。

 

 間髪入れずに告げられた言葉に胸が張り裂けそうになる。無意識に唇を噛み口に広がる鉄の味が心に訴える、お前は違う、と。

 

 ああ、私は本当に狂っている。

 

 レイキたちに向けられる親愛の情。それが私に向かないのは当然のこと、それなのに彼らに嫉妬している。

 天照院同じ場所で育っただけであの人の愛を享受できるのが、この上なく羨ましい。

 理解していたはずなのに、現実を受け止められない。分かっていたつもりだったのに、目の当たりにすると涙が溢れそうになる。

 

「ん、大丈夫か?」

「すいません。目にゴミが入って」

 

 立ち上がって隣に来てくれたプテロン様にバレないよう、目を擦って涙を拭う。

 闘争選別国トラキアでは、生き残るほど人間として大事な何かを失い、一つの感情に狂う。

 デイモスは闘争衝動。

 フォボスは生存本能。

 私は醜く意地汚い■■。

 そして、プテロン様は家族の守護に固執している。

 故に【家族狂い】。己の生命を懸けて家族に全てを捧げる献身の青年。

 

 ねぇ、レイキ。

 アンタは知ってるの?

 どれだけプテロン様がアンタのことを大事に思ってるのか。

 

 昨日の闘技場フラウィウスでの一幕、アガロス君を助けられずアンタを危険に遭わせたって、ずっと自分を責めてたんだよ。

 自分をいびり殺したくて堪らない、家族を守れない自分に価値はない、そんな顔をしてたんだよ。

 

「――――ッ」

 

 泣くな、嘆くな、悲しむな。

 分かっていたはずでしょ。

 彼の『大切』の中に私が含まれることはない。

 彼の激情が私に向かれることはない。

 どう足掻いても、私はレイキより大事に思われることはない。

 潤んだ眼を見せないように俯く。それは、これ以上家族レイキのことを嬉しそうに語るプテロン様を見たくないからでもある。

 

「本当に大丈夫なのか? 体調が悪いならすぐに、」

「――だいじょう、ぶです。【血闘】の件、承りました。全力でレイキを倒します」

「……なら良いけどよ。辛い事があったらちゃんと言えよ? 出来る限り力になるからよ」

 

 力無く垂れ下がる紅髪の隙間から、気遣いを含んだ灰色の瞳が覗いていた。

 気持ちを切り替えるよう、私は頭を振り無理やり笑顔を作る。


「それ、よりも、今は目の前のお肉を楽しみましょう! 味わえる機会なんて滅多にないですから!」


 プテロン様は怪訝な表情をしていたけど、お肉を食べ進めるうちに悲哀は消えていった。


 それから、プテロン様といろんな話をした。

 デイモスは【血闘】以降意外にも大人しくしている、三番通りの武器屋の品揃えが良い、本屋に異国の書が大量に加入された。

 そんな、他愛もない話。

 けど、好きな人と居る時間はそれだけで価値があって、気づけば外は暗くなっていた。

 私たちは店を出て、区域別れの門まで来ていた。

 私は闘争区住みで、プテロン様は普通区なので、此処でお別れだ。

 

「そろそろ解散しますか」

「そうだな、あんまり遅くなるとヘリオスにどやされちまう。送らなくて大丈夫か?」

「こう見えても【闘威四黎】ですから、夜道なんてへっちゃらです」

 

 やんわりと断る私に、プテロン様も食い下がることなく受け入れた。

 闘威持ちに夜襲の心配なんて不要だけど、プテロン様は優しいから言ってくれたのだろう。

 そんな些細な気遣いにまた胸が熱くなる。

 

「今日はありがとな」

「いえ、私もすごく楽しかったです…………あの、その、また一緒に行ってくれますか?」

「お前が良いなら俺は大歓迎だよ」

 

 心の中でガッツポーズをする。

 異国の恋愛雑誌教科書の記載通り、次の約束を取り付けられた。

 幸せで頬が緩まないように努めていると、プテロン様は雰囲気を変えて私を見据える。

 

「重ね重ね悪いが、レイキのこと、よろしく頼む」

「――――ッ」

 

 一番予想できた言葉で、一番聞きたくなかった言葉だった。耳を塞ぎたい衝動を必死に押し殺す。

 鈍器で頭を殴られたような気持ちだ。

 せっかく幸福の絶頂に浸っていられたのに。

 否応なしに現実は突きつけてくる、レイキよりも下という揺るぎない事実を。

 

「俺は全てを薪に焚べたとしても、家族アイツらだけは守りたいんだよ」

「そう、ですか」

 

 知っているとも。

 【家族狂い】のプテロン。家族を守るためなら生命を容易く擲てる狂人。

 その領域に、私が踏み入れることはできない。


「なぁ、やっぱ体調悪いんじゃないか? きついなら家まで送る――」

「大丈夫ですッ」


 プテロン様の気遣いを遮るように言った。

 これ以上話されれば、醜い本心を見られてしまう。


「帰りましょう。暗くなると養母の方に怒られてしまいますよ」

「……ああ、そうだな。じゃあ、またな」

「ええ、さようなら」


 強引に話を打ち切り、私は帰路に着く。

 闘争区に向かう私と、普通区に向かう彼は正反対。

 プテロン様が完全に見えなくなったのを確認し、私は涙を隠すのをやめた。


 知ってますか?

 貴方から食事に誘ってもらった時、泣きそうなくらい嬉しかったこと。

 異国の恋愛雑誌を熟読し、来ていく服選びに何時間もかかって少し寝不足なこと。

 それでも、不安になって何度も鏡の前で自分の格好を確認したこと。まるで、穢れを知らない初心な生娘みたいに。

 

「だけど私は貴方の"大切"に入れない」

 

 貴方にとっての絶対は家族の守護なのだから。

 どれだけ距離を縮めようとも、一線を越えることは出来ない。

 

 ――本当にそう?

 

 頭の中で誰かが囁いた。

 彼の"大切"に入れないのなら、"大切"を壊してしまえば、何かが変わるんじゃないか。

 

「ッ! 私は何を……!」

 

 藻搔いても、切望しても変わらない現状の打破を求める自分が囁く。

 【下剋上】において、決着条件が死より軽いものであったとしても、対戦者を殺して構わない。

 弱者に生きる価値はなく、強さこそが尊ばれる。そんな価値観のおかげで、殺害は何ら忌避すべきことではない。

 すなわち、一ヶ月後の【血闘】でレイキを殺害しても問題はないということだ。

 一度蓋が取れてしまえば、どす黒い感情は止まらない。歪な笑みを浮かべて、小さな声で呟く。

 

「ねぇ、プテロン様」

 

 ――レイキを殺せば、私のことを見てくれますか?

 もう止まれない。

 思いついてしまった構想は頭から離れない。

 

「私は【闘威四黎】のイコル」

 

 狂った感情は、濁りきった

 恋心を糧に突き進む諸刃の剣。

 それがイコルという狂人の本質。

 プテロンが家族のために全てを犠牲にするなら、彼女は愛ゆえに全てを壊す。彼女もまたトラキアを生き抜き続けた狂人なのである。

 各々が激情を抱えたまま時は過ぎ、約定の【血闘】の日が訪れたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る