第5話 賢者
「お前は、異国人……?」
「やあ! 次代の英雄候補よ。清冽の魔女の導に従い、優しいお兄さんが助けに来たよ」
その男は、『自然』だった。
物事がその通りであるさま、当然の意とは違う。
何物にも染まることのない清廉無垢。
誰の手も加わらない、他の力に依存しない、自らの内に生成から消滅を行う流転そのもの。
ほぅ、と思わず唇から感嘆の吐息が漏れた。
「おやおや〜、もしかして僕に見惚れてるのかい?」
全身を覆い尽くす白のフードに隠れた美貌は弧を描き、この上ない好奇心を表している。
キラキラと目を輝かせる男を、レイキは睨みつけた。
「そんな敵を見るような目で見ないでくれ。僕は君に危害を加える気はないよ」
「……じゃあ、なんで今出てきた?」
レイキが虫の息になったタイミングで現れた男を睨みつける。密入国した罪人ともなれば、その警戒は並一通りではない。
男は人差し指を唇にあて、うーん、と唸り、閃いたように手を叩いた。
「君の魂に可能性を見出した、からだね!」
「……訳が分からない。お前が敵でないことの証明にはならないだろ」
「信頼ないなぁ。こんなにも誠実さが溢れるお兄さん、ほかにいないよ?」
レイキが無言で短剣を構えたのを横目に、男は大きくため息をついた。
しかし、直ぐに気を取り直して、未だに動揺から脱していないデイモスへと身体を向ける。
外見は砂埃で汚れているが、ギラギラと主張する狂人の眼は顕在である。
「まあ、誠意は行動で示すとしよう。糸目くん、ここは僕に免じて引いてくれないかな?」
「……可笑しいことを仰りますね。【血闘】に乱入したのなら、殺さなくては生きて帰れません。それがトラキアの常識です」
一呼吸置いて、デイモスは糸目を微かに開き、前髪をかきあげる。
「まあ、頭の悪い乱入者が一人増えた所で、大した脅威にはなり得ませんがね」
「……っ!」
悔しさに顔を歪める少年に、侮蔑の視線を投げかける。
元より【闘威一黎】たる存在に抗うことが間違い。
トラキアでは強さが全て。
強きは善、弱きは悪、闘技場で殺されたとしてもそれは殺された者が悪い。
身の程知らずの分際で乱入した愚か者が一人増えたと、デイモスは鬱陶しくも二人目の
「さぁ、少しは楽しませてくださいよ」
大気が嘆き、魔力が喝采をあげる。
トラキア随一の炎魔術使いの証左にして、レイキを圧倒した炎槍がローブの男を囲むように展開される。
「おい、あの数って……」
「百五十槍……デイモスは本気だ!」
レイキとの闘いなど遊戯かのように、デイモスは百五十の炎槍を一瞬で出現させた。
【闘威一黎】の油断を許さない姿勢に、観客の熱意はどんどん高まっていく。
「私の魔術は『魔法』にも負けずとも劣らない! 一片残らず灰になりなさい、愚かしくも私に立ち向かった罪人よ」
穂先の向く男は動こうともせず、ただ無表情でデイモスを見つめている。
「おい、炎槍が来るぞ! 何を呆けて……っ!」
「……『魔法』、ね」
火傷を無視して助力しようとした少年は背に冷や汗を流す。焼き尽くそうと顎門を向ける炎槍に対してではなく、冷静に魔力を滾らせるローブの男に恐怖を抱いた。
高まる温度と熱意とは裏腹に、男の声は氷点下に達するほど冷めていた。
少し未来の光景を思い浮かべて破顔するデイモスは気づかない。
魔力を肌で感じたレイキだけが、男の湧き上がる怒りを感じ取った。
「君程度の
「…………っ!」
「笑わせるな」
底冷えた声にレイキは背筋を凍らせる。
本能的恐怖から、無意識に短剣を強く握った。
「その余裕もいつまで続きますかね。さぁ、死になさい!」
デイモスの号令により、全方位から死を告げる業火の槍が一斉に放たれる。一糸乱れぬ姿は生命を持つ群体のようで、逃げれる場所はない。
絶体絶命の窮地に立っているレイキの心は不思議と凪いでいた。ローブの男がいるなら、あれほど厄介だった炎槍が脅威に感じない。
ローブの男は微笑を浮かべ、言葉を紡いだ。
「【此の世は幻想なり。因果よ、縁起よ、運命よ、遍く全ては夢想の御伽話】」
引き伸ばされた時の中で、淡い光粒が男の両手に収束する。
収束した粒子を全方位に散りばめて、一言。
「【幻花万象】」
「…………………………は?」
呆けた声を漏らしたのは誰であったのだろうか。レイキの救出を試みようとしていた青年か、はたまた青年の隣で目を見開く少女か。
もしくは、全力の炎槍が一瞬にして消失し、
「これは、一体……?」
「危ない槍は純潔のバラ、怖い闘技場は熱愛のカーネーション。森羅万象に存在する魔力を全て無害な花に変える魔術、それが【幻花万象】さ」
草木さえなかった荒野が、生命豊かな花畑へと変貌した。
甘ったるい香りが立ちこめるの花畑の中央でフードの男はえっへん、と胸を張る。
彼がした事は至って単純だ。
デイモスが放った炎槍や
しかし、この男の異質さは全く別の魔術に変えてしまったことだ。
「一瞬にして大量の炎槍、そして
「出来るんだよね、僕は天才だから」
「ちっ……全魔力を攻撃に転換、対象座標指定、出力最大。燃え尽きなさい――【
デイモスは目視できる範囲全てに魔術陣を展開させ、魔力を流す。異常という言葉では語り尽くせない眼前の男を殺すために。デイモスの戦闘スタイルは魔術師であるからこそ、フードの男がした事の異常さを理解していた。
研鑽、努力、才能……そんな陳腐な言葉では片付けられない男の技術、一介の魔術師としてデイモスは認められない。
全方位から炎の奔流が迫るが、フードの男に近づいた瞬間、全てが花びらへと転じる。
「何が起こっているんだ……?」
レイキにはさっぱり分からないが、デイモスが追い詰められていることだけは理解出来た。
闘士たちを燃やし殺してきた炎弾が、数多の勇士に敗北の土を味合わせてきた炎槍が、全て花びらに変わってゆく。
「花ばかりでは飽きてしまうね。少し趣向を変えてみようか」
「何を……っ!」
軽やかに花畑を歩みながら、フードの男は指を鳴らした。
すると、花に変わっていたデイモスの魔術が、今度は鳥や兎に変化する。
鳥は
いっそう理解が及ばないレイキは、兎に触れてあることに気づいた。
「この兎、花びらで出来ている……?」
「大正解! その生命は偽りなれど、花畑に動物たちが駆け回る……平和でのどかな世界だと思わない?」
「ふざけるのも大概にしなさい! 私の魔術を乗っ取るどころか、魔力操作を介して擬似生命を作り出すなんて……」
「もっと魅せてあげたいところだけど、そろそろアレスが来ちゃいそうだからね。お暇させてもらうよ」
「逃げれるとお思いですか……!?」
「うん。僕、強いから」
「なっ――――!」
フードの男が初めて攻勢に転じた。
レイキの視覚を超えた速度でデイモスに迫り、彼の腹に拳をのめり込ませる。
口から血を吐き、地から離れ、身体を宙に浮かせる細身の肉体。
続いて、格好の的となった胸部に炸裂する蹴撃。
抵抗できぬまま、デイモスは
壁に亀裂が走り、砂埃が観客を襲った。
「舐めるな!!」
「おー、意外と根性あるんだね」
取り繕った丁寧語も破り去り、砂埃を切り裂くようにデイモスが特攻する。
フードの男に切迫する殴打、蹴撃、炎魔術。【闘威一黎】に恥じぬ実力を全て叩き込んでゆく。
その姿は彼の矜持の証明。
数多の勇士を屠った技倆の高さを見せつける。
しかし、
「なんで、」
今回ばかりは、
「どうして……!」
相手が悪かった。
「なぜ一撃も当たらない!?」
「僕が強いからって言ってるじゃないか」
デイモスの攻撃をいなしながら、フードの男は着実にダメージを与えていく。
「こんなに強かったのか……」
レイキは一方的な蹂躙を見せているフードの男に引き攣った笑みを浮かべた。
観客席で野次を飛ばしていた勇士達も同様だ。
【血闘】で対戦者全てを灰にしてきたデイモスが、圧倒されている。その状況が、彼等には信じられなかった。
壁に打ち付けられたデイモスは口から大量の血を流す。ボロボロの身体とは裏腹に、その眼光は険しくフードの男を貫いていた。
片腕を突き出し、魔力を激らせる。
赤黒く染まった魔力が片腕を起点に細身のデイモスに纏わり、全身を飲み込んでゆく。
「異能、発動」
細い身体が、見上げるほどの巨体へと変貌する。
噛み締めていた奥歯は犬歯となり、獲物を目にした歓喜に唾液が垂れる。
ゴキゴキ、と筋肉が作り変わる……進化する音がした。
冷徹無慈悲な糸目の優男は、この数瞬のみ、獣の本能を想起する。変態を終えて佇むのは人間ではなく、一匹の狼だった。
「graaaaaaaaa!!!」
「プテロン様。あれは、もしかして……」
「ああ、正真正銘デイモスの本気だ」
「へぇ……君の異能は【狼化】といったところか」
プテロンとイコルは久方ぶりに見るフォボスの姿に瞠目し、フードの男は指を唇に当て、興味深そうに観察をする。
「身体能力及び五感の爆発的な上昇、しかし発動時には
「garuuuuuuu……!」
狂気の眼光は敵を射抜き、畏怖させる。
トラキアで孤高を貫くデイモスの有様は狼と表裏一体。
呼応するようにフードの男が、初めて攻撃の構えをとった。
「――ッ!」
カウンター特化の攻撃体制。
狼化したデイモスは圧倒的強者の
拳を握り締め、喉の奥から唸り声を上げる。
それでもフードの男は変わらない。片手を掲げ、憎たらしい顔で、それでいて無機質な瞳で一言。
「来い」
底冷えした声に突き動かされるように、全身から恐怖を振り払うように、デイモスは吠えるしかなかった。
「――graaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!」
狼の猛進。
鋭利な鉤爪に炎魔術を刻み、今日一の速度で切迫する。
あるゆる勇士を焼き割いた【闘威一黎】の炎爪は、
「――弱い」
一突きで砕かれた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
速度、技術、膂力、持ち得る全てを乗せた一撃は、たった一突きで終わりを迎えた。
炎爪を砕いた拳は勢いを失うことなくデイモスの腹部を穿つ。
明滅する意識のなかでデイモスは絶望的な実力差を思い知らされる。魔力を回す余裕もなく、人に戻っていった。
「一定のダメージを超えると【狼化】は解けるみたいだね」
地に倒れ伏したデイモスは、薄れる視界でフードの男を睨みつけた。
「なに、ものだ。貴方、は一体……!」
損傷により、舌っ足らずな口調で言葉を紡ぐ。
辛うじて残る意識は男の正体を求めていた。
「良いだろう。今の一撃に敬意を評し、特別に教えてあげる」
鷹揚に男はフードを脱ぎ、手袋を外した。
緑がかった白髪に、同性でも見惚れてしまう妖艶な美貌。
御伽話に出てくる妖精を連想させる、溢れ出す高潔さ。にっこりと微笑むその表情は、誰も彼も魅了されるだろう。
しかし、一番目を引いたのはそこでは無かった。
「おいおい、そんな事があるのか……?」
「……嘘」
プテロンは冷や汗を流し、イコルは静かに瞠目する。
「その右手……!」
間近で目撃したレイキは目を見開いた。
男の右手に刻まれた、鳥模様の魔術刻印。
それは、叛逆の証にして、自由の象徴。
偉大な神々に立ち向かった、叛逆者たちの愚行。
多くの者に勇気を齎した、英雄たちの軌跡。
「貴方は、伝説の……!」
誇りを示すように、宝物を見せつけるように、男は右手を掲げ、高らかに宣言した。
「――【八叛雄】が一人、ケイローン」
身の毛がよだつ。
心臓が激しく鼓動する。
吐いた息が熱を帯びる。
レイキは、眼前の男――ケイローンに呑まれていた。
本物の英雄に目を奪われていた。
「我が真名、【大輪の賢者】ケイローン。親友たちと共に叛逆の軌跡を記した英雄である」
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