第4話 【闘位一黎】



 御伽噺であれば、胸が躍る英雄譚であれば、ここで新たな力に目覚めて、覚醒するなんてことがあったのかもしれない。

 けれど、現実は甘くない。

 

「勢いよく飛び出してきたので、なにかと思えば」

「ッ!」

「ただの無力な子供ではないですか」

 

(格が違いすぎる……!)

 

 想像以上に快調な状態だったのに、少年は膝をついている。

 デイモスを最大限警戒していたのに、気づけば腹を殴られていた。朝食を戻しそうになるが、この男の前でそんな隙を見せるわけにはいかない。

 最低限の構えを作り、再び立ち上がる。

 フォボスの華奢な細腕は並々ならぬ力を有しており、反撃はおろか、防御もする暇さえない。

 

(威力、技術、タイミング、分かってはいたけど強すぎる!)

 

 微かに込み上げた胃酸を無理やり留めて、双剣を逆手に構える。

 レイキから攻め入った場合、目も眩むような技巧に翻弄されアガロス諸共殺される。かと言って、デイモスの反応速度についていける自信がない。攻撃も、防御も、カウンターも無理だ。

 

 ――なら、一発に賭けるしかない。

 

 魔力を細かく散らし、周囲に張り巡らせる。

 

「何を企んでいるかは分かりませんが、私の前で考え事とは……悲しく思いますねぇ」

「ッ!」

 

 デイモスから意識を離した刹那、その一瞬で数メートルあった距離は埋まっていた。

 デイモスにとっては何らおかしい事ではない、

 たった一歩。

 細身でありながらも、重く、大きい踏み込み。

 その歩みは二者の距離を簡単に潰した。

 レイキは視界に迫る拳へと、本能が鳴らす警鐘に従い短剣を二本とも叩きつける。

 

「やりますね。しかし、それでは新たな攻撃に対応できませんよ」

「――――がはッ!」

 

 持ちうる武器を二つにヒビが入る。それでもなお殺しきれなかった衝撃が、鳩尾に突き刺さった。

 点に特化した一撃。

 鳩尾を起点に体を蝕む衝撃は止まることを知らず、口から血が溢れてくる。うずくまるレイキの眼前に映るのは、赤い染みが広がる地面のみ。

 デイモスは少年の頭を鷲掴み、前を向かせた。冷徹な糸目に背筋が凍る。

 

「神聖な祭事の邪魔をして、どう落とし前をつけましょうか」

「がふっ!」

 

 胸に突き刺さる掌底。肺の空気が全て大気に奪われる。

 本能的に呼吸を優先する時間もなく、流れるような脚撃が後頭部を襲った。

 玉のように跳ねていき、会場の真ん中にいたはずが、場外の壁まで体が投げ出される。

 すかさず体勢を立て直そうとするが、緩んでいた短剣を握りしめた時には、デイモスの姿が眼前に迫っていた。

 

「反応が遅い、状況判断が鈍い、実力は目も当てられない。本当に何をしに来たのですか?」

「舐めるな!」

 

 予想通りの構図に舌打ちをして、致命傷以外は防御せずに、攻撃の機を伺う。

 時計の針と共に傷が刻まれていく。

 血が噴き出し、仄かな温かみと細胞が千切れる音を感じながら、アガロスの方へ目を向けた。

 

(アガロスから奴を遠ざけられた)

 

 闘技場フラウィウスの中央に倒れ伏している弟から距離を取ることはできた。

 

(どんなにみっともなくても、アガロスだけは救ってみせる……)

 

 魂を燃やす勢いで左右の短剣に付与魔術エンチャントをかける。攻撃を警戒していると、糸目の男は首を傾げて問いかけてきた。

 

「うーむ、あなたは何がしたいのですか? この国に長らく過ごしていますが、あなたのようなお馬鹿さんは初めてですよ」

 

 狂気者への返答は焔の斬撃を持って応える。

 レイキは最短距離で肉薄し、深紅に燃ゆる短刀で炎の軌跡を描いた。

 大気の酸素を全て奪い、主人の火傷さえも原動力に燃ゆる二振りの短刀は、それでも空を切るのみで、デイモスに当たることはなかった。

 全て紙一重で躱される。

 

付与魔術エンチャントの精度の高さ、それに先程から私の動きを阻害するように現れる空気の壁……さしずめ、対象を一点に集中させる異能でしょうか」

「さぁなっ!」

 

 一瞬で異能を見抜かれる。

 何度目か分からない冷や汗が背中を伝うのを感じながら、体を捻り反撃に転じたデイモスに向かって、深紅の短刀を振るう。

 地面の煉瓦を巻き込んだ炎の双撃に、デイモスは初めて回避をとった。

 

「なるほど、短剣のみでは勝機はないと悟り辺りを巻き込む攻撃にした……」

「線じゃなく面の戦い方だ」

「行幸行幸。しかし、その程度の威力では掠り傷もつきませんよ?」

 

 デイモスはその言葉通りに回避、反撃を取り次々と等身大以上の煉瓦を砕いていった。

 変わらず絶望的な状況であるのに関わらず、レイキは薄く口元に弧を描く。

 溜まってきた瓦礫に遠隔で魔力を旋す。

 ピクリとも動かなかったデイモスの糸目を初めて微かに開いた。

 レイキが拳撃によって吹き飛ばされた際の瓦礫や、地面を巻き込んだ攻撃により生まれた数多の破片、その全てに魔力が施されているからだ。

 

「これは……」

「押し潰されろ!」

 

 大小不揃いの瓦礫や破片が、デイモス目掛けて飛び掛かる。魔力を施したそれらに【圧縮】を付与し、中心地のデイモスに特攻させたのだ。

 デイモスに最初に殴られた時から、闘技場フラウィウス全体に施していた。

 魔力をふんだんに使った瓦礫は、たとえ拳ほどの小さなものであろうとも殺傷力を帯びる。

 

「ふむ」

 

 殺し合いとは思えない気の抜けた表情をしながら、デイモスは全方向から疾駆する瓦礫に一瞥する。

 迫り来る障害の数、威力を正しく認識した上で、デイモスは嘆息した――この程度か、と。


「炎槍よ、薙ぎ払いなさい」


 司令の後、デイモスの周りに炎の槍が顕現する。

 魔力の塊を武器と為し、適正属性を付与する魔術師として定番の技。ここまではいい、異常なのはその数量だ。

 見渡す限り、一面の焔。概算がデイモスを取り囲む。

 主人の号令に従い、百の炎槍は迫り来る障害物を迎え打つ。発せらる巨大な爆音と粉砕音に思わず耳を塞いだ。

 そして、瞠目する。


「化け物が……!」


 全滅。

 圧倒的物量差に、溜めた瓦礫は粉々になっていた。少年の秘策は、百の炎兵によって蹂躙された。

 デイモスには傷一つさえ付いておらず、変わらない嘲笑を浮かべている。

 彼の称号は二つある。

 一つ目は【闘威一黎】。闘神から賜りし強者の証。

 二つ目は【灰燼】。炎槍により、対戦相手を骨さえ残さず灰にする、その凄惨な殺し方から呼ばれた恐怖の象徴。


「さて、おしまいですか?」

 

 これが【闘威一黎】。最も強いトラキアの戦士であり、数多を屠し覇者にして無敗の闘拳士。

 通算勝利数は70。闘争義務免除に最も近い男である。

 埋める想定さえ浮かべられない実力差に、レイキは喉を震わせる。


「戦意が折れましたか。ならば、疾く逝きなさい」

 

 百の炎槍を背後に侍らせながら、デイモスは少年に一歩で肉薄する。

 炎槍はまるで後光のようだと思った。理外の化け物に敵うはずがない、勝てるわけがない。トラキア一番の闘士に喧嘩を売るなど、愚の骨頂でしかない。

 あぁ、その通りだ。

 だが――


「――アガロスを見捨てる理由にはならない」


 デイモスは微かに目を見開く、少年の瞳は未だ不屈の意思を宿していたからだ。

 デイモスの強烈な炎拳に、レイキはひび割れた双剣を投擲する。防ぐのでも、反撃するのでもない、ボロボロの身体に鞭を打ち、ただ投げただけ。


「なっ……!」


 銀色の双剣が、橙赤色の光を発する。

 付与魔術エンチャントにしては、あまりにも煌めく赤の光輝。それはまるで爆発寸前の爆弾の如し。


「あげるよ」


 プテロンに新しいの買って貰うからな。

 拙い双剣の技能では、拳撃も炎槍も対応できない。ならば、双剣はもはや武器ではなく飾り。犠牲にしても惜しくはない。

 瓦礫等の一点凝縮は嘘の切札ブラフ、本命は双剣の爆破こっちだ。


「爆ぜろ」


 【圧縮】によって無理やり閉じ込めていた魔力の封が解かれる。

 剣の腹のヒビから漏れ出る紅き閃光。

 超至近距離の爆発をデイモスは真っ向から喰らう。 爆風によって付近の壁まで弾き飛ばされた。

 威力は然程はない、焦点が置かれているのは広範囲の爆発だ。


(これは、私との距離を離し、砂塵で視界を遮るのが目的ですね)


 長年の経験からデイモスは推論を立てる。

 すなわち、次が少年の『必殺』。今までは全て前座にすぎず、砂塵を開いた先に、特大の一撃が待っているに違いない。


「――――ッ」


 その証拠に、疾駆する足音と気配を隠そうとする息遣い。何かを狙っている様子に、推論が確信に変わる。

 本気でない身とはいえ、己を欺いたことには敬意を表す。それ故、少年の『必殺』を真っ向から潰してみせよう。


「さぁ、来なさい」


 炎槍で砂埃を消し去る。

 魔術か、力任せの特攻か、はたまた予想も付かない何かか。どれであろうと捩じ伏せる。

 しかし、想定と反し眼前には誰もいない。

 少年の行方を推し量ろうとしたデイモスの耳に、背後……闘技場フラウィウスの中央から声が響く。


「プテロン! アガロスを任せた!」


 そして、目にした。

 姿を。


「…………は?」


 一瞬で間合いを詰め、ガラ空きの胴体に剛拳を放つ。弟を託し安心していたのか、レイキは防御が間に合わない。

 再び壁に突っ込んだ少年の頭を鷲掴み、無理やり目を合わさせる。


「ふざけているのですか?」

「……俺にとっての勝利はアガロスを逃がすこと。お前みたいなバケモノと正面からやり合う気はない」


 ボロボロの少年の表情は晴々としていた。

 絶体絶命の状況に陥っているというのに、死の恐怖をまるで感じていない。弟を逃がせた事を誇らしく思っている。

 先の狙いは『必殺』をぶつけることではなく、弟を逃がす時間を作ること。同じ土俵で闘ってると思わせた時点で、レイキの勝ちだったのだ。


「一つ礼を言う。お前のおかげで、大事なモノを取り戻せた気がする」

 

 【血闘】で荒み、摩耗してしまった何かを拾い直すことが出来た。だからこそ、心はこんなにも澄み切っているのだろう。


「……どうして、そこまで傷ついてまで少年を救ったのですか? 死の淵を前にして、自分より他者を優先するなど、正気の沙汰ではありません」

 

 それは純粋な疑問であった。

 全身を殴られ、焼かれ、見るに堪えない様になってまで何故あのような行動をとったのか。【闘威一黎】に上り詰めた男は頭に疑問符を浮かべる。

 問われた少年は虚をつかれたように目を丸くしたのち、微笑を浮かべた。

 理由なんて、考える必要もなく出てくる。


 

「あいつが俺の弟だからに決まってるだろう」


 

 自信に満ち溢れた表情で少年は言い放った。

 理屈などあるはずがない。弟を助けるのは兄として当然の行動だから。

 その曇りも、陰りも、陰影もない澄んだ眼が、どうしようもなくデイモスの苛立ちを扇情した。

 それは、自分が持ち得ない、捨てた余分である。デイモスの中で膨れ上がる懐疑と猜疑、そして果てしない嫌悪。

 

「吐き気のする言い分ですね。弟といえど、血の繋がりはないでしょう。家族ごっこの延長とは、気色が悪い」

「理解出来ないからって、全否定は良くないぞ【闘威一黎】」

「……もう良い。【血闘】に乱入した罪咎、その身で贖いなさい」


 不可解な嫌悪ごと少年を消すため、百の炎槍に迎撃準備をさせる。背後の炎槍に、殲滅の指令オーダーを与えようとした、その瞬間だった。

 

「――合格だ」


 小さいのに、気にならずにはいられない魅惑の中世的な声が聞こえ、むせかえるほどの花の匂いが鼻腔をくすぐった。

 次いで、殺そうとしていた少年が、目の前から消えていた。

 弾かれたように声が聞こえた中央へと体を向けると、深く白いフードを被った男が佇んでいる。側には同じように呆けている少年。


(私が認知できない速度で、奴を攫った……?)


 予備動作どころか、フードの男がいつ来たのかも知覚できなかった。

 久しく現れなかった、己の領域に届き得る強者とデイモスは断ずる。

 

(この圧力は一体……)

 

 掴み所のない儚さと猛獣のような存在感を合わせ持つ男に、デイモスは無意識に後退りをしていた。

 

(まるで、あのお方と同義の……!)

 

 主神を頭に浮かべ、すぐさまかぶりを振って否定する。

 観客の誰もが息を呑むなか、飄々として男は傷だらけのレイキに問いかける。

 

「まだ青き少年よ。英雄になる気はないかい?」



 

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