第3話 叛逆の一歩


「帰ろうよぉ、姉さん」

「アガロスはビビリすぎ! いざとなったらプテにぃ達に連絡できるから大丈夫!」


 兄達の後をつけて、闘争区に侵入した二人は、身を潜めながら初めての光景に目を輝かせていた。

 だからだろうか、後ろをつけていた闘士に気付けなかった。


「なぁ、お嬢ちゃんたち。こっちに来いよ」


 そこからは早かった。

 路地裏に連れ込まれ、二人は一発ずつ殴打をくらう。

 闘士には、慰み者にしようとか、下衆な考えはない。ただ、【血闘】の恐怖を、自分よりも弱い存在にぶつけたいだけ。


「おや、いけませんね」


 そんな闘士の耳に、軽快な声が入った。


「あぁん、何だ――【闘威一黎】ッ!」

「炎槍よ、焼き尽くしなさい」


 闘士は振り返り、声の正体を目視して絶句した。息を呑んでいるうちに、展開された炎の槍に焼き尽くされる。


「いけない、また殺してしまった。アレス様に怒られてしまう」


 燃えゆく死体を見ながら、少しも悪びれず糸目の男は嗤った。

 助けてくれたはずなのに、双子は震えが止まらない。目の前で人が死んだことよりも、薄寒い男の微笑みに恐怖していた。

 恐れを飲み込んで、フィロスは礼を述べる。

 

「あ、あの、ありがとうございました」

「これはご丁寧に。では、対価をください」

「え?」


 頭を上げる。

 変わらず男は嗤っていた。


「対価として、どちらかを差し出せば、もう片方は生かしてあげましょう」

「っ、それは、差し出した方は、殺すんですか……?」

「その子次第ですね。運が良ければ生きられます」


 フィロスは絶句する。

 本気だ。この人は本気で言っている。

 人の生死を心の底からどうでもいいと思ってる。だから、人の命を軽んじられる。

 腰を抜かしている弟を横目に、気丈に胸を張る。


「私が、行きます。アガロスは逃がしてください」

「何言ってるの!」

「黙ってなさい!!」


 弟を怒鳴りつける。元はと言えば、弟は巻き込まれただけだ。

 最後まで止めていたのを、無理やり連れて来たのは自分。なら、自分が犠牲になるのが道理というもの。

 震える拳を握って、男を睨みつける。

 ふむ、と右手を顎あてた男は微笑んで口を開いた。


「では――そちらの弟くんを頂きます」

「――ふぐっ」

「姉さん!?」


 男の拳が、フィロスの胴体に捩じ込まれる。

 灰の空気が全て出され、あまりの痛みに蹲った。

 吐き気を堪えて顔を上げると、肩に担がれ連れ去られる弟の姿。


「まっ、て――!」

「これに懲りたら、二度と子供だけで来てはいけませんよ」


 こうして、アガロスは私のせいで攫われた。









 ファロスの涙ながらの懇願に、レイキ達は一様に顔を青くしていた。

 レイキは弟が攫われたという事実に、プテロンとイコルは攫った者の強さに慄く。


「よりにもよって、デイモスの野郎か……!」


 プテロンは歯噛みした。

 考えうる限り最悪の状況。【闘威一黎】に攫われる、トラキアでも有数の惨事に頭を回す。

 

「早く、アガロスを助けないと!」

「分かってる。イコル、悪いがレイキと一緒にデイモスを追ってくれないか。まだ闘技場フラウィウスに入る前かもしれねぇ」

「任せてください、プテロン様は……」

「俺はフィロスを天照院まで送る。この中じゃ、俺が一番早い――【暗獣化身ネメア】」


 攫われたアガロスも心配だが、ボロボロのファロスを闘争区に一人きりにするわけにもいかない。常時強化魔術を発動し、プテロンは屋根を伝ってフィロスの方角へ駆け抜けていった。

 言われた通り、イコルについていき、闘技場フラウィウスへの道を進む。先行するイコルの背中に問いかけた。


「デイモスって一体何なんだよ! アガロスは何で攫われたんだ!?」

「説明してあげるから黙って! デイモスは【闘威一黎】で闘神アレスの次に強い奴よ。あいつがアガロス君を攫った理由は、無理やり【血闘】するため!」


 プテロンがいなくなったからか、イコルはぞんざいな口調で喋り始めた。

 アガロスを攫った奴は闘威持ち最強の人間で、攫った理由は【血闘】するため……?


「アガロスは六歳、【血闘】の義務はない!」

「デイモスには【闘威一黎】として【指名】の権利を得てるのよ! 内容は選んだ相手と強制的に【血闘】を組めること! 性別、年齢関係なしに【血闘】をさせられるの!」

「なんだよ、それ……!」


 身を千切るような怒りが支配し、歯を食いしばる。

 六歳のアガロスと【血闘】をし、何が生まれるというのか。デイモスという者の気持ちが理解出来なかった。


「デイモスは【血闘】を生き甲斐にする狂人。常識では測れない男と思いなさい」


 断言したイコルに何も言えなくなる。

 常識の外いる男のことを考えても仕方がない。今は、弟の無事を願うだけ。


「着いた」

「中に入るわよ」

 

 闘技場フラウィウスの入り口を突き抜け、戦場へと足を進める。

 観客席から身を乗り出して見えた光景は……。



「ぁ――――」



 ボロボロになって嬲られたアガロスの姿だった。


「ちょっと良いかしら」

「あん? なんだよ……って【闘威四黎】ッ!?」

「デイモスは、いつからあれを?」

「ついさっきからしております!」


 イコルを見た瞬間、従順になった観客は口々に流れを説明していった。

 元から【血闘】していた二人を殺したデイモスは、アガロスと共に入場した。一撃でも与えられたら解放するという条件の下で、彼らは闘っている。

 その結果は、論ずるよりも見た方が理解し易い。


「アガ、ロス……!」

「やめなさい」

「なんで、弟が苦しんでるんだよ!」

「あなたが行ったところで犬死によ。プテロン様を待つわ」


 思わず乱入しようとしたレイキの手を掴んで、イコルは諌める。

 【闘威一黎】、人間の中で最強の男。そんな傑物に初心者の少年が立ち向かったところで、何の意味にはならない。何も出来ない無力さに、レイキは膝から崩れ落ちた。


「イコル!」

「プテロン様! すみません、間に合いませんでした」

「ちっ、やっぱりか……!」


 フィロスを天照院に帰し、暗獣を纏ったプテロンが追いついた。

 だが、無力さに打ち震える身には、二人の会話は入ってこない。観客の熱狂が、デイモスを扇情する声が、弟を殺そうとする悪意だけが、耳に入ってくる。

 

「……俺は行こうと思う」

「っ、だめです! いくらプテロン様でもデイモス相手じゃ……!」


 熱気に満ちた観客が、愉悦をこぼすデイモスが、そして、殺されかけている弟が、世界が遅く見えた。


「大丈夫だよ。いざという時のために力は隠してた。今ならデイモスとやりあえる」

「でも、乱入なんてしたら、闘神アレスに殺されちゃいますよっ!」

「弟のために身体張るんだ。命の一つや二つ、惜しんでられねえよ」

「……なら、私も……!」

 

 音さえもなくなり、引き伸ばされた時間のなかで、他人事のように思考する。

 

 ――弟が殺されかけているのに立ち止まっているだけか?


 そうだ、俺は助けにいかなきゃいけない。


 ――お前が行ったところで何になる?


 だけど、このままみすみす見殺しになんてッ!


 ――相手は【闘威一黎】、お前では勝てないよ。


「レイキ、お前は何があっても此処にいろ」


 デイモスが倒れているアガロスの頭に足を乗せる。あのまま力をこめれば、小さな頭は簡単に砕けるだろう。

 そんな刹那の一瞬、アガロスと目があった気がした。偶然かもしれない、弱さが見せた幻想かもしれない。

 けれど、確かに、大事な弟は助けを求めてた。



『もっと、頭を空っぽにして行動しなさい』



 白ローブの男の言葉が、脳を反芻した。

 身体が焼ける。

 心臓が燃える。

 思考は捨てろ。

 可能か不可能かは関係ない。

 俺は、あの子の兄なんだ。

 そして、踏み潰される寸前の弟の瞳から、一粒の涙が流れた瞬間――――




「――その汚い足をどけろ」


 

 

 気付けば、身体が動いていた。

 弟を傷つけたデイモスを前に、理性は仕事をしなかった。

 ガラ空きの胴体に脚撃を放ち、場外の壁まで吹き飛ばす。

 

「レイキ、兄さん……?」

「ごめんな、アガロス。遅くなった」

 

 弟を優しく抱きしめて、回復魔術セラピアを施す。水魔術の適正があれば完全に回復させられるだらうが、俺は炎。この子を充分に癒せない自分に腹が立つ。

 だから、せめて心が落ち着くよう頭を撫で続ける。

 アガロスは震えながら少しずつ言葉を溢していった。

 

「ぼく、すごく、怖くて」

「ああ」

「攫われて、殴られて、泣きそうだったけど、絶対、兄さんたちが、助けてくれるって信じて」

「アガロスのおかげでフィロスは無事だよ」

「そっ、か。良かったぁ」

「だから、泣いてもいいんだ」

「……ううん、レイキ兄さんが来てくれたから、もう泣かない」

「そうか、よく頑張ったな。あとはお兄ちゃんに任せとけ」

「うん。レイキ兄さんが居るなら、安心……」

「……おやすみ」

 

 疲労が限界に達し、安心しきった表情でアガロスは眠りについた。安らかに寝息を立てる弟に頬の緩みが抑えられない。

 しかし、いつまでもこうしてはいられない。

 アガロスを地面に寝かせて、背後から迫る強大な存在と対峙する。

 

「何なのですか、貴方は」

「こっちのセリフだよ、クソ野郎」

 

 意味がわからないと言いたげな表情で、瓦礫から立ち上がるデイモスに向けて、本能のまま怒鳴る。


  

「俺の弟に何をしている!」


 

 誰も予想できない、闘争規約にも書かれていない。

 観客たちは驚愕に染まり、灰髪の青年は焦燥に駆られ、紅髪の少女は息を呑み、白衣の旅人は胸を躍らせる。

 という前代未聞の所業をし、俺を再び闘技場フラウィウスの土を踏んだ。

 

「あの子……面白すぎるっ!」

 

 闘技場フラウィウスの人々全員が動揺するなか、白いフードを深く被った男は興奮を隠しきれていなかった。

 

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