第2話 崩壊の音
闘争区に入った瞬間、雰囲気が変わったのを肌で感じる。
突き刺すような視線に所々で聞こえる罵声。耳を傾けても、品性のない言葉ばかり。
誰もが、殺気だって日々を過ごしていた。
「あの坊主、慣れてなさそうだな」
「おいばかやめとけ! 【闘威三黎】がそばに居る、手出したら殺されるぞ!」
侮るように俺を見ていた男達は、隣のプテロンの存在に気づき、尻尾を巻いて逃げて行った。
当の兄の方を向くと、逃げ去った男達の方へガンを飛ばしている。
「逃げるなら喧嘩売ろうとすんなよ」
「やっぱり闘威持ちだとすごいな」
「まっ、こういう時には楽だな」
闘威持ちとは、トラキアの闘士たちの中で上位四名に与えられる称号である。
プテロンは【闘威三黎】。すなわちこの国で三番目に強い戦士であり、その名は国中に轟いている。
「たしか、これから会う人も闘威持ちなんだよな?」
「あぁ、【闘威四黎】で俺の戦友だよ」
プテロンだけでは心許ないので、もう一人加えて武器屋に行くと聞いていた。
闘争区に入ってから数分、噴水のある広場に着くと、紅髪の少女がソワソワしながら待っていた。
「もうすぐ、待ち合わせ場所……と。おーい、イコルー!」
「プテロン様! ……え?」
兄の声を聞いた少女は顔を綻ばせ、次いで後ろにいた自分に気付き言葉を失う。
「どうした?」
「もしかして、二人っきりじゃ、ない……?」
(やりやがったなクソ兄貴!)
少女の表情を見れば、兄に並々ならぬ好意を抱いてることは分かる。兄は少女を誘い、俺のことは明細に語らなかったのだろう。
彼女は
「紹介するぜ、【闘威四黎】で戦友のイコルだ」
「いつまでも友達のイコルです……」
(もう止めろプテロン!)
戦友と呼ばれた瞬間、イコルの機嫌はどん底に沈む。プテロンは好意に気づいておらず、本気で戦友だと思っているあたり、尚更タチが悪い。
雰囲気が地獄にも関わらず、プテロンは歩みを進めようとする。
「それじゃ、武器屋に――」
「プテロン殿ォ! うちの本屋寄ってけよ! 新しいやつ入荷したんだ!」
出鼻を挫くように、中年の男の声が遮った。
視線を向けれは、嬉々として本屋の店主が手招きしている。
「ほら来いって! イコルちゃんも一緒によ!」
「あー……」
「二人で行ってこいよ。ここで待ってるから」
「意外と良い奴……?」
断りにくそうにしているプテロンに、向かうよう促す。武器屋は差し迫った用事ではないし、イコルも二人っきりの方が良いだろう。
思いが通じたのか、イコルの眼力は僅かに緩和する。
俺に断りを入れ、二人は招かれた本屋に入っていったのだった。
プテロンとイコルを待ちながら、闘争区の人々を眺める。
八百屋の婆さんが死んだ。あの武器屋は信用できねえ。ムカつく野郎に【下剋上】した…………耳をすませば沢山の言葉が聞こえてきた。
一つ言えるのは、皆一様に恐怖している。
顔には出していないが、何となく理解できた。強い言葉で飾り立てて、来たる【血闘】への恐怖を覆い隠している。
「こんなのが、本当に生きてるって言えるのかよ」
独り言を吐き捨てた。
兄がそばに居れば、また異端だと言われてしまうだろう。それでも言わずにはいられない。
仮初の平穏を享受し、生き残る方法は相手の殺害。
それは、本物の生と称していいものか。
「そこの少年、ちょっと良いかな」
「っ、どうした?」
考え事をしていたら、声をかけられた。
顔を上げると、真っ白のローブを被った男が申し訳なさそうに手を合わせている。
「悪いんだけど、道を教えてくれないかな。この国に来たのは久しぶりでね」
「久しぶりって、まさかあんた異国人――」
「しーっ、それ以上はだめ」
声色は中世的で、心地よさを感じさせるものだったが、言った内容はぶっとんでいる。
トラキアは大壁で囲まれており、人の出入りは交易以外にない。例外は、国主である神アレスに認められるか、門番の隙をついて侵入するかだが、この男は確実に後者だろう。
「密入国がバレてしまうと少しまずくてね。内緒にしてもらえると助かるよ」
「……分かった」
「うん、いい子いい子」
言いふらすような趣味もないし、告発する理由もない。幸い、聞きたかったことは
ありがとう! と感謝を述べた白衣の男に、疑問を投げかける。
「色んな国に行ったことがあるのか?」
「もちろん、僕は旅人だからね。この世界を全て視てきた、と言っても過言じゃないよ」
なら、一つだけ聞きたいことがあった。
【血闘】する前じゃ、絶対に聞かなかったこと。
「あんたにとって、この国はどう見える?」
強さが全ての国は、外から見たらどんな風に映るのか。
ヘリオスでも、プテロンでもなく、唯一無二の視点を持つこの男に、漠然と問いかけたかった。
男は少し考える素振りを見せて、ゆっくりと応える。
「『鳥籠』かな」
「鳥籠?」
返答の意図が分からず首を捻る。
「それはどういう、」
「ねぇ、どうして君はそんなことを聞くんだい?」
「っ!」
背筋に悪寒が走った。本能的な恐怖に襲われる。
一点の曇りもない無垢な瞳に気圧される。
何もおかしいことは言われていないのに、体の震えが止まらない。
「一瞬にして戦闘態勢への切り替え、いいね。君のことは小石程度の認識だったけど改めよう」
「何を、言って」
「教えておくれ。なぜ、君はこの国でそのような疑問を抱いたのかを」
頬に手を添えられる。
至近距離で見た男の顔は極めて整っており、同性のレイキでも見惚れてしまうほどのものだった。
一点の曇りのない翡翠色の瞳から目が離せない。
「……分かんないんだよ。おかしいと思ってる現実は、皆んなにとっては普通のことで。でもおかしいものを普通だと受け入れられなくて」
気付けば、兄にも言わない奥底の本音まで吐露していた。
白衣の男は共感も、反発もせず、ただ黙って聞いてるだけ。一通り話し終えると、男は口を開いた。
「つまり、現状は不満だけど、行動するような勇気はないってことかな」
「そうだな……」
「そんな君にアドバイスだよ――もっと頭を空っぽにして行動しなさい」
「え?」
「考えすぎなんだよ。どんな行動にも後悔は付き纏う、なら想いに従うのも一手さ」
「想いに、従う……」
告げられた言葉を噛み締める。
余計なことを考えず、想いのままに行動する。
「僕はそろそろお暇するよ。君の道行きに光あれ!」
「あっ、ちょ、」
呼び止める間もなく、白ローブの男は去ってしまった。
「……ーい、おーい! レイキぃ!」
「っ、プテロン、どうした」
冷め切らぬ興奮の最中、プテロンの声で現実に引き戻される。軽い興奮状態だった自分に驚き、呼吸を軽く整えた。
プテロンは心配そうに覗き込み、イコルは遠巻きに様子を伺っている。
「どうしたもこうしたも、帰ってきたらお前がアホづらしてたんだよ」
「……帰ってくるの速くないか? まだ三分も経ってないだろ」
そう言うと、プテリュクスはやばい奴を蔑視する目で見てくる。
「あれから十分は経ってるぞ。ついに腹時計もポンコツになったか?」
「元からポンコツじゃない!」
「はいはいそうだな。それよりも、随分顔色が良くなったんじゃねぇか」
言われてみれば、怠かった体が思うように動かせる気がする。
背中の筋を伸ばして状態を確認していると、プテロンがニヤニヤしているのに気づいた。嫌な予感が背筋を駆け巡る。
「可愛い子でもいたんだろ」
「違う」
「いーや、みなまで言うな。お前もそういうのに興味を持つ年頃だもんなぁ」
「だから、違うって」
「ド淫乱性獣が」
「言い過ぎだろ」
何度否定しても、「俺は分かるぜ」という態度を崩さないプテロンと、ゴミを見るような目で見てくるイコル。
たしかに闘争区に女性はいるが、どの人も肉食獣のような目つきをしている。一般的な感性からかけ離れている自覚はあるが、さすがに恋心は湧かない。
必死に弁明しているその時だった。
『プテにぃ、レイにぃ!』
通信用の魔道具から、鬼気迫るフィロスの声が響いたのは。
涙の混じった声色に思わず身構える。
『アガロスが、攫われちゃった……!』
崩壊の音色は、すぐそこまで迫っていた。
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