Hさんの話

「一人っ子だった私は幸せな両親の姿をずっと見てきたので、小さい時から結婚に対して憧れが強かったです。就職した先で出会った、同じく一人っ子の主人と結婚をして翌年に一人目、三年後に二人目を授かって四人で慎ましく暮らしておりました。」


このHさんは失礼だが年齢の割にはシミやシワが多く、これまで歩んできた人生を物語っている気がした。


「主人の母は私たちが定年を迎えたり病気をしたら同居は当たり前!介護も全部お願いね!と会うたびにシラフで言ってくるような人で、私は正直いうとそんな主人の母のことが苦手でしたが、嫁に行くってそういうことだから仕方ないのよ、と自分の母に言われたこともあって、いつか来るその日のために子供を育てながらパートに出て、少しでも助けられるように、と思ってお金を貯めてきました。

そして数年後、主人の父の急逝に続いて主人の母に病気が見つかり家族介護のために同居生活が始まりました。子供達に介護を手伝わせるのが申し訳ないので主人に手伝ってほしいとお願いしたのですが、仕事が忙しい、母さんの介護ができないならパートをやめろ!と言われ、連日の睡眠不足で介護とパートの両立も難しくなってしまったので退職してからは貯金を少しずつ切り崩す日々でした。

そしてある日、父さん浮気してるよ。と子供の口から出てきた言葉でプツリと何かが切れてしまったんですよね。私が介護をしてる間に主人は浮気をしていた、ということは頭では理解できたのですが、その浮気の事実に対して、怒りや悲しみもなく何というか…無になってしまったんですよ。主人に対する愛情や主人の母の介護の義務感も全て無くなってしまって…。子供たちだけ守れたらそれでいいや、と思ったんです。」


あっけらかんとそう話した後に少し薄まったアイスコーヒーを一気に飲んで立ち上がり、


「…確か失踪宣告されるのって七年ですよね。七年間、何も見つからずに隠し通すことができたらいいんですけど。それでは。」


と、大きなボストンバッグを片手に持ち、これからホームセンターでお買い物して帰ります、という言葉と共に笑顔を残してHさんは店を後にした。

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