第14話 木綿の願い

 夕日が差してくる教室から、一人また一人と生徒が居なくなる。 

 虎の刻、七つの時間って言うところか。ジャリどもの喧騒もなくなり、静かな刻が始まる。

 いつもなら、一人、夕日が落ちて夜の帳が下りるのを、ただひとり眺めていくのだが、今は違う。我の隣には此奴がおる。魂の無い。人の手によって作られた粘土の人形。ジャリどもはフィギュアと申しておったな。

 物言わず、じっとして動く気配の無い人型。しかし、此奴の顔の造作、体の作りには、我の記憶の奥底に引っ掛かる。懐かしいのだ。何かを思い出されるのだ。胸の奥が騒つく。


「三七郎に、似ておるのかの」


 思わず、口に出してしまう。誰ともなく聞くこともないのに話してしまった。

 こんな、ワラシという妖のような我ではあるが、ただの人であった時があったのだ。悠久の刻の先、我は人の名を持っていた。木綿という。

 ここら一帯の農地の庄屋の末娘。家がそこそこ豊かであったから、ひもじい思いをすることもなく、すくすくと育ったものだ。

 ある時、やはり、ここら一体を収める領主の次男坊と仲良くなったのよ。お互い幼く、一日中田畑を駆け回り、遊んでおったわ。彼は三七郎という。

 月日が立ち、年頃になった我らは懇ろな仲となっていった。


「あのことが、切っ掛けだったのだろうな」


 山に近い、自然な中で育ったせいかわからぬが、我には不思議な力があったのだ。

 他のものには見えないものが見える。多少の意思疎通が出来た。後になって、そこに座す精霊とも土着の神という存在と話ができた。

 周りのものに、その事を言っても見えぬ聞こえぬ、知らぬ存ぜぬと取り合ってもらえずに気味悪らがれておったわ。

 そんな我を三七郎は気味わるがるでもなく、


「もしかしたら、木綿の中に神様でもいるんじゃね」


 とか言って笑い飛ばしてくれておったわ。彼奴のおかげて、周りからの排斥や軋轢から気が触れる事もなかったと感謝している。

 そんな時だった。三七郎が崖から落ちる事故があった。戸板に乗せられ屋敷に連れ戻された奴は手足の骨が折れ、耳や鼻からほ血が流れ、虫の息になっていた。誰が見ても助からんと言われていた。話を聞き、急いで屋敷に駆け込んだ儂は、血まみれの彼にしがみ付いた。


「死ぬな。我をおいて先に死ぬのではない。行く時は一緒に行こうと言ったではないか。約束を違えるつもりか、三七郎」


 目から涙も溢れ、鼻からも汁が出っ放し、彼奴の服にしがみ付き、染みを作ってしまう。

 その時、我は願ったのだ。三千世界に座す、全ての神に願ったのだ。此奴を助けてくれ、命を救ってくれと。

 すると、どうだろう。あやつの体が光に包まれた。あれだけ流れていた血が止まり、曲がっていた手足が元に戻り、息も元に戻ったのだ。


「木綿、なんで泣いてるんだ。おめえの顔、ぐずぐずで、すごいことになってるぞ」


 死にかけから、戻っての第一声がこれであった。

 全く、酷い話であろう。折角、我が魂から生き返りを願って、これである。情けないやら、嬉しいやらで、周りの目も気にせず、ワンワン泣いたものよ。

 しかし、周りは違った。棺桶に片足はおろか、腰ぐらいまで突っ込んいる死に行くものが蘇りを見せたのだ。

 我は神憑きだ。神通力持ちだと持ち上げられ、持て囃され、屋敷の奥の結界に閉じ込められて生き神だと祭り上げられたしまう。

 それ以来、三七郎からも引き離されて会うこともできなくなった。ついには我自身に神格でも顕現したのか、年を取ることもなく、若い姿のまま、過ごすようになっていく。

 日々、好奇の目にさらされ、生きることへの欲望を隠そうともせず、ただひたすらに儂に縋ってくるものたちばかりが集まって来たものよ。

 そのうちに朝、夕と贄を運ぶ女たちの話から三七郎は生きながらえ、遂には家の当主になったそうな、我と違う女と夫婦になり子供も産まれた。

 で、周りからはうつけと呼ばれた若殿に支え、あれよ、あれよと出世して更に城普請に冴えを見せて名君主と呼ばれるようになったという。

 我に関わると吉事が続き、幸せになるという逸話が世間に流れ、尚更、屋敷の奥に秘められるようになっての。住まう家が富むように祀られるようになったわ。

 我は三七郎と添い遂げられればよかっただけなのにな。儂以外の周りのものは、年をとり、我を置いて老いさらばえていきおった。

 代が変わって諸々の奴らの子孫をを看取ったわ。皆、それなりに幸せな顔をしておったぞ。

 我には、好いた男がいない寂しさばかり、積もっていたがの。

 

 だがな、どれくらい、刻が過ぎかも忘れていたおりに、


『お兄ぃのバァかあ』


 諸々の軋轢で擦り切れ、消える寸前だった我の魂が一瞬の意識の発露を感じたのじゃ。

 どうやら、好いた男に剣もほろろな対応をされたようでな、悲しいやら、嬉しいやら、悔しいやらとぐちゃぐちゃになって爆ぜたようだ。

 この娘が幼い時、凍てつき動こうとしない心を溶かした男らしいんだ。だが、何ということか、娘からホンの僅かであるが三四郎の香りがしているのだ。我は思わず、それに縋った。

 もしかして三七郎が幾百年の時を超え、会いにきてくれたのかもという妄想に囚われたんだの。だから、この娘の魂と我を繋げて、見てみることにしたんじゃ。

 さすがに今どきの若者たちに我の姿を晒すには気が引ける。だから、娘の記憶にあるフィギュアというものの形にしてみた。

 そして、いろいろと紆余曲折があって


「せめて、可愛く『コットン』ぐらいにして」


 と、我の名が決まった。なんという偶然、異国の言葉で綿のことを指すらしい。我の名じゃな。

 そして男の側にいて此奴らをみているのだが、確かに三四郎の気配を感じる。しかし男の意識は娘しか見ていない。我を見てくれなんだ。再び、我の中に寂しさが募る。そんなときじゃった。


「クリフェス会場で、これを見かけた時に頭に閃いたんです。これを風見くんにあげないといけないって」


 男の友人とやらが、ワシの座る机の上に一つの人型を置いたんじゃ。


『三七郎ににておるかの』


 髪型というか、目の形、鼻の筋、唇の厚さ、顎の線といい、三七郎そっくりなのだ。ワシにはわかった。


『やはり、お主は!』


 此奴は、三七郎なのだ。思わず、誰もおらぬ、聞くものもないというのに声をあげてしまった。

 なんという偶然。いや、天の采配。それとも頂神の戯れか。そんな事はどうでも良い。やはり彼奴は我を追いかけて来てくれたのだ。儂の心は舞い上がってしまう。

 此奴に囁き、今までの思いを吐露していく。なぜ、儂から離れた。儂を見捨てて、他のもの夫婦になってそいつと添い遂げたのじゃ。儂がどれほど寂ししい思いをしたのかを切々と語ってしまう。己のうちの寂寥感をぶつけてしまった。

 しかし、此奴に微動だにしない。見開いたむ目を瞑るでなし、薄く開いた唇が動くでなし、体がビクリとでもするでなし。この人形の中には魂は入って居らんのだろう。

 儚い希望に縋ってしまって、この体たらく余計に気分が沈んでしまった。


「三四、儂はお前の側に居られれば良いだけなのじゃ。お前と添い遂げられればよかったのだ」


 彼奴の魂は、他の娘を見ている。人型の此奴は空っぽで、中には何も無い………。


「ん?」



 何もない………、

 何もないなら、

 そうか、何もないなら、やれるかもしれん。

 我の中の魂とも呼べるブラーナを此奴のの中に満たせば良い。そして、我の中にある彼奴の記憶を流し込み、移せば、もしかして………。妄執と言って差し支えない。

 どうせ、我の浅はかな願望よ。でもな、やってみなけりゃ、わからんだろ。我の体の朽ちるは間際、魂も、いずれ、消え去る定めなはず、戯れかにやってみて何んあるわけではあるまいて。


 我は、此奴のほうへ顔を向けた。決意も固まり見てみあみるとホンに、そっくりに見えてくる。


『木綿』


 三七郎は我を呼ぶ時はどんな声だったか、我の耳が覚えておる。

 三七郎が笑った時、どんな表情だったか、我の目に映し出される。

 三七郎が我の手を握った時の暖かさを肌が思い出す。

 三七郎が我を抱きしめてくれた時の奴の汗の匂いを覚えておる。

 三七郎が口付けをしてくれた時の唾液の味を思い起こす。

 そして、三七郎と一つになった時の体が裂かれるかという痛みの記憶も。全て我の中にあるんじゃ。


 それら全部を我の魂の坩堝に充していき、練り上げていく。我は立ち上がり、此奴ってに覆い被さり押し倒した。

 上になり、此奴の顔をまざまざと見る。


「三四郎、再び、我の名を呼んでたもれ」


 そして我の唇で此奴の口を塞ぐ。薄く開いた唇の隙間から我の中で渦巻くブラーナを流し込んでいく。

 我の一部、違うな、半分が此奴の中に入り込む。そう、我の半身を此奴に移すのだ。そして…………


 この人型は三七郎になる。


 誰もいない教室に差し込む夕陽が机を照らしての床に影が伸びる。儂は暫しの逢瀬の後、目を開けるとそれが見えた。本当なら、天板の部分にはなんの影も出来ないはず、しかしその部分に何かの影が黒く描かれていく。初めはひとつ、しばらくしてもうひとつ、重なるように現れていく。


「ひとつは儂じゃな。もうひとつは彼奴か?」


 なんとなく確証はないのだが、そう感じられた。あやふやな話で申し訳ない。

 奴に我のプラーナを与えるという事は、魂をふたつに割って開け渡すと同じ事、力をごっそりと持っていかれる。意識も希薄になってしまうのじゃ。まあ、時間が経てば元に戻るかの。

 その間、暫し休むとしよう。ひと眠りじゃ。目を覚ませば命を吹き込まれた三七郎が我を優しく起こしてくれるだろうと願って我は瞼を閉じた。


『木綿』


 意識が閉ざされる寸前、彼奴の声で呼ばれた気がした。嬉しいのぉ………



何やら、瞼越しに光を感じる。虚虚ろながら意識が戻ってくる。目を開けると、そこには、娘の顔が見えた…




 私は、朝日が入り込む自分の部屋のドレッサーにある鏡を覗き込んでいる。制服の夏服の袖に腕を通しスカートも穿いた。靴下も履いている。

 そしてお肌の手入れも終わり、最後に髪の毛をどうするか迷ってしまった。

 私は今日から、正確には昨日の夜から違うんだよ。相思相愛、お兄ぃの彼女になったんだもん。頼んでお兄ぃが胸にマーキングをしてくれた。

 私がウジウジとしていた悩みというか迷いもなくなったんだ。これからは、胸を張ってお兄ぃの横に立てるんだよ。

 だから変な髪型や着こなしをして、お兄ぃに恥をかかせるわけにはいかない。悩みどころなのよね。

 でも、どうにも前髪が気に入らないのね。今までも、しっかりと櫛で解かしていたんだけどー。前髪を全部あげて、おでこを全部見せるのは、なんか恥ずかしい。勇気が足りないの。

 かと言って今まで通りじゃ、意味がない。ファッション雑誌の特集に載っていたのにしてみようか、考え中なんです。


「じゃあ、この透け感が特徴のにしてみよう」


 決心が揺らがないように口に出してみます。

 鏡の前にある霧吹きを取り上げて前髪の根元あたりに水を吹きかけます。そして生え際を指で揺らしながらドライヤーを上から下へ風を向けて乾かしていく。

 その後、少しだけクルンとカールをつけるのにヘアーアイロンを使うの。形ができたら軽めのワックスをほんの少し手のひらに髪の内側から伸ばして、前髪の内側から手櫛を通す感じで馴染ませていく。 

 そして軽く束間を出しながら指先で前髪全体にサッと馴染ませていくのね。でもっておでこの肌見せを7割ぐらいにして隙間を作るように櫛を通してコントロールしていく。

「良かったぁ、うまい具合にバランスよくできた。これなら、お兄ぃも気に入ってくれるよ」


 髪のセットの出来に満足して、鏡の中の私は満足そうに微笑んでいる。


 そんなところへ、


   ビンボーン


 ドアホーンがなるのが聞こえた。すぐさま、


「美鳥ちゃん。玄関を見てもらえるかなあ。ママ、手が離せないの」

「はーい」


 こんな朝の早い時間から誰だろう。お隣の斉藤さんが回覧板届けにきたのかな。ポストインしてくれれば良いのにね。

 私はパタパタとスリッパの音を立てて階段を下り、玄関へ向かう。外履きに履き変えてドアに近づくとドアスコープを覗いて外を見る。


「えっ」


 私は目を見開く。あまりにも、意外な人が立っているのが見えた。驚き、一度、体を引く。

 夢かと思った。もう一度、覗き込んで確認してから急いでドアを開ける。


「お兄ぃ」

「よっ! 美鳥、おはよう」



 私の想い人が笑顔で挨拶してくれた。


「迎えに来たよ。一緒に学校へ行こう」


 驚きと嬉しさで、一瞬、ポカンとして固まってしまった。

 そして動きの止まった私へお兄が心配してくるたのか顔を近づけて、じっと見つめてきてから、


「あれ、いつもと髪型違うね」


 早速、髪型を変えてくれたことに気づいてくれた。


「すっきりしていて、結構、似合うよ」


 いきなり、私が聞きたかった言葉をプレゼントしてくれたの。


「えー」


 私の心は、喜びで爆発しちゃった。


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