第9話 散り散りになる心
先生が書き殴ったホワイトボードの板書をイレーザーで私は消していく。本当は日直のお仕事で消すんだけど、
「美鳥、ありがとう」
「いいよ、早く帰ってやってね」
家族が夏風邪を引いたということで看病をしなきゃって日直の子が困っていたので、変わってあげた。本当は、授業が終わったら、すぐに一孝さんのところへ行きたかった。
胸の中が乾いている。ひと夏を通して一緒にいる時間が増えた。それで心が充実した生活を送ることができたのよね。おかげで今は胸がいっそう苦しくなるほどの渇望感を感じる。
朝一番から先生からの呼び出しで、彼と一緒に登校できなかった。
それが渇きの始まり、一孝さんに会えない。話もできないの。心がどんどん乾いていくの。
でも、クラス委員として、いえ、クラスメートだもん。手助けしないといけない。
彼女は、自分の持ち物を鞄に詰めると、脱兎の如く教室を出ていった。
よっぽど心配なんだね。私も一孝さんが夏風邪を引いたなんて知ったら、取るものもとりあえず看病に飛んでいったよ。
あの入学式の時に風邪で休んだ生徒がいるって先生に頼まれてプリントを届けた先が彼だった。熱が出て休んだんだって。
それが一孝さんとの再会。もっと早く出会えれば看病できたのに。
それが私の後悔。風邪で熱が上がった時は心細いもの。寄り添ってあげれば良かったのにと。
だから変わってあげたの。
もう少しで板書も、全て消せるかという時に、耳に入ってきた気がする。
『おう、その方が可愛いのに』
『えっ、可愛い。今、可愛いって言いましたよね』
『ちっ、違うからな朝比奈。たまたま見た、お前の笑顔が、そう思えただけなんだからな。違うぞ』
これは私が聞いたものじゃない。
一孝さんの机に取り憑いている、あのフィギュアが聞いたものなの。なぜか私にも同じことが聞こえたように感じるの。
慌てて一孝さんが話しているだろう場所へ振り向くと、女の子の前であたふたしている彼が見えた。
あの子は誰?
お相手の子のことは私は知らない。'朝比奈'なんて名字の子は、このクラスにはいない。
そんな子に一孝さんは’可愛い'なんていった。
なんで?
一孝さんは私を可愛いって言ってくれたの。
でも、それはお世辞で本当はその子みたいなのが好みなの?
私にはおべっかを使ってきたと言うかなあ。そうだとしたら悲しいよお。
彼は、私の笑顔が良いっても言ってくれたの。
でも、それはご機嫌取りで本当はなんとも思っていなかったのかなかあ。
そうだとしたら、お話しできると期待していたのに、頭の中は失望が渦巻いてくる。
『……一緒に来てください。デートしましょう。なんなら夕飯奢りますよ。朝のお礼を含めて』
なんてことを言うの。どうして一孝さんがデートに誘われなきゃいけないの。
コットンから、途切れ途切れでしか、言葉が伝わってこない。
たしかに一孝さんは時間ギリギリに教室に入ってきたのは覚えている。その前に彼女と一体全体何があったというのですか?
お礼にご飯まで'ご一緒'するなんて、よっぽどの事ですよね?
『………だから貴方と行きたいんです。私とじゃダメですか?」
とうとう、こんな言葉が出てきて後ろからどよめきが聞こえてきた。
女の子に、こうまで言わせて、それを断るなんて、なかなかできないよ。
一孝さん、あなたも彼女とゴニョゴニョゴニョ。
自分の気持ちが沈んでいくのがわかる。落ち込んでいるのね。
もう、ダメなのかな。
私は自分の席に戻ると机の横に吊ってある鞄を天板の上に置いて教科書やノートを詰め始める。
散り散りな自分の気持ちを落ち着かせるのに、何か他の事やっていないとできないよ。
私はどうする?
お兄ぃの後ろに隠れていた弱虫の私ならなすすべもなく立ち尽くしすだけじゃないかな。ひとり残されてクヨクヨと泣いているはず。
『煮え切らないですね。そんなならこうだ!』
彼女が一孝さんの手を取って自分の胸を触らせようとした。コットンが見ている情景が私の脳裏に映し出される。
なんて事しようとしているの?
『行くって言ってくれないと、痴漢です。胸を触られましたって大声出しますよ」
なに、一孝さんを脅しているの?
私は自分に発破をかけようとした。
美鳥、貴女は一孝さんの彼女なんだよ。すぐにでも彼のところの行って2人の間に入り、相手を、じっと見つめるの。
自分が一孝さんに選ばれ彼女なんだよって。彼の心は自分に売約済みなんだ。
貴女なんかに一孝さんが絆されるもんか。彼は屈しないよ。
そうか、彼の腕を抱きしめて、教室の外へいっちゃえば良いのよ。
さあ、美鳥、行きなさい。
すると、教室の前の入り口から女子生徒が1人入ってきたの。
「イッコウいる?」
誰とはなしに話をして聞いてきた。そして私を見つけると、知った顔があると安心して、
「あっ、美鳥ちゃん。イッコウいるかなぁ」
私に聞いてきた。彼女は、
高梨明日菜
一孝さんが所属する部活の先輩で、年は同じなの。
バトミントンのミックスダブルスの選手で全日本選抜にもなっている。2年前まで、一孝さんのパートナーだったんだよ。だけど、なんでかな気安く彼をイッコウって呼ぶのよ。
彼女は普段は一纏めにしている髪を解いて髪を下ろしている。背もある関係かな、大人びて見えるのよね。
そんな高梨先輩は、瞼を半眼にさせて、
「部活が始まるって言うのに、来ないから呼びにきたけど、いるかなぁ」
と聞いてきた。なんか眠むたそうにしている。寝不足なの? なんであの朝比奈って子だけじゃなくて高梨先輩まで一孝さんのところへ来るのよ。
私の心が。ざわついた。
朝から色々とあって一孝さんと話もしていないし、遠くから眺めるだけで近くから彼の顔を仰ぎ見るなんてできていないのよ。
神様の意地悪としか言いようがないよう。
「部活が始まるって言うのに、来ないから呼びにきたけど、いるかなぁ」
瞬きも頻繁だし眠気がわかる口調で話しかけてくる。
なら、どっかで寝てしまえは良いのに、
「いますよ。教室の後ろで女の子とイチャイチャしてます」
私の胸の内がムカムカして、喋りが平坦になってしまう。気持ちが乗らないの。
それを聞いた高梨先輩の顔の眠気が吹き飛び、興味深々と喜色が浮かびだした。
「なんと?」
すぐさま、視線を私から外して一孝さんの方へ向けると、早速、教室の後ろへ歩を進めていったわ。あの子と一悶着をしている彼に近づいていく。
「なっ!」
そんな仕草をされて私は気持ち悪くなった。ムカムカがピークに達する。
あっ
これって
これが ’ヤキモチ'
私は、一孝さんが容易に近づけないことを他所に、2人があっさりと絡んでいく。それを羨ましいと嫉妬しているんだわ。
そんな気分に押されるように、自分の机から離れて教室を出た。
『新学期初日に何をやっているのかな………」
教室で高梨先輩が話しいることがコットン経由で感じるけど、途中からどうでもよくなったのね。兎に角、あの教室にはいたくなかった。
廊下をずんずん歩き、一孝さんたちから離れていく。すると激情に駆られた私の心も落ち着いてきた。
凪いでくるの。
一孝さんさんとあの子の絡みを間に入って止めようとしたけど、もう1人高梨先輩が加わっただけで、怯んでしまった私の心。
引っ込み思案な私が表に出てきてしまう。歩きもトボトボとしたものになっていく。
意識せず、知らぬ知らぬうちに廊下を歩き、階段を降り切ってしまった。
ポツネンと立ち止まると、何の気なしに階段下の掃除ロッカーへ意識が向いてしまう。嫉妬したはいいのだけれど、あそこから逃げてしまった。隠れたくなった。
私の胸に去来するは後悔と、彼から捨てられるかもっていう焦りだった。
そんな私に、
「そこにいるのって、もしかして琴守さん?」
聞き覚えのある男の人の声が聞こえてきた。
誰? 私を呼ぶのは、いったい、
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