第3話 濃厚な日々の始まり、はじまり

濃厚な日々の始まり、はじまり



 通学路を走っている。朝の起き抜けに美鳥からモーニングコールがあったんだ。


『意外と遅くまで寝ているんだ』


 って言われた。寝坊助だと思われたくない一心で走ってきたんだ。

 美鳥からは、朝早くから連絡があったせいで、人の流れは少ない。学校に同じ方向へ進む学生も疎だった。

 その静けさのせいだろうか、微かな声が聞こえた。


「いい加減にしてもらえますか。人を呼びますよ」 


 女性の声だ。若い。多分、美鳥と同じぐらいか? 走っていて通り過ぎた路地から聞こえてきたんだ。


「まだ、早い時間なんだね。表もそんなに人通りなんてないんだよ。よっ、呼んだって来ないよね」


 立ち止まって通りを少し後戻りをしていくと、話している中身がわかってくる。

 こんなに早くに何をしているんだか、呆れてしまう。

 聞こえてしまった以上、通りすぎると良心の呵責に苛まれそうなんで、路地奥へ、


 「誰かいるんですかあ」


 と大声で聞いてみる。すると、路地の奥から、バタバタと1人の男が慌てて、飛び出してきた。俺に目もくれずに一目散に走り去ってしまった。

 本当にあっという間だったよ。呆然と見送るしかなかったね。背丈は、俺よりかなり低かった。ブラウンのチェックのシャツにデニムのパンツ。

 もし、聞かれたら、これで答えるしかないね。


「誰か、いますかぁ」


 もう一度、奥に声をかけてみる。確かに女の子の声が聞こえてきたはずなんだ。


 すると、


「あ、あのぅ」


 か細い声が返ってきた。俺は奥へと入っていく。

 奥は、ビルの並び具合で袋小路になっているところだった。

 表に比べて薄暗く感じられる。暗さに目が慣れてきたんで見ていると、誰かが手をついて、しゃがみ込み横座りをしていた。

 片方の手のシャツの袖が捲れている。転んでしまったのだろうか、スカートから覗く足の白さが目立ってしまって、目の起きところに困ってしまう。


「大丈夫ですか? 怪我とかしてません?」


 できるだけ、捲れて見える脚を見ないようにしながら声をかけていく。

 やはりというか、スカートとかは、どうしても見えてしまう。

 あれ、この柄は? ウチの学校の指定だ。美鳥も同じ柄のスカートだしね。


「おれ、この先にある高等部の学生です。貴女もそうじゃないですか?」

「は、はい」


 力無い返事が返ってきた。まだ、怖くて恐怖感が強いのかな。これは事件だ。


「外へ行って、警官を呼んできますね。確か近くに交番がありましたから」


 俺は踵を返して表通りに、出ようとした。


「まっ、まって、待って。ひとりは嫌。怖いのぉ」


 背中から縋り付くような声で呼び止められる。

「ひとりにはしないで、いっしょにいてぇ、お、願い」


 余程なんだろう、声が震えている。

 俺は表に行くのをやめて、彼女へ近づいて行く。

 そして彼女は面をあげた。顎下からたっぷりとしたレイヤーを入れたセミロングの黒髪、シースーバングの下で、震える唇に重なり、怯える瞳が俺を仰ぎ見てくる。

 

 あれ、この子。


「朝比奈なのか?」


 俺は、この子を知っている。俺と同級の女の子。クラスは違うけど、俺と同じバトミントン部に所属しているんだ。

 俺は彼女の元へ更に寄り付き、腰を落として片膝立ちになって地面についていたて彼女の手の上に自分の手を重ねた。


「わかった。お前ひとりをおいては行かない、落ち着くまで一緒にいてやる」


 そういうと、朝比奈は、


「わあぁっ」


 感極まって涙を流して、俺に抱きついてきた。あまりの勢いで堪えきれずに尻餅をついてしまう。


「怖かったですぅ。怖かったですぅ」


 脚が汚れるのも構わずにひざまづいて、俺の胸に頭を埋めて朝比奈は恐怖を吐露していく。しばらくすると、嗚咽に変わって行く。

 背中とか抱きしめてあげて、慰めることもできたのだけれど、美鳥の顔が浮かんで、胸を貸すだけに留めたよ。


 しばらく、そのままでいてあげた。どれくらい時間が経ったのかな。嗚咽も止まり静かになっていた。

 朝比奈は体をおこし、俺から離れて行く。目元を手で擦りながら、


「見苦しい物を見せてしまいましたね。でも、有難う。なんとか落ち着けたと思う」

「もう、大丈夫か?」

「うん」


 年齢にそぐわ無い、あまりにも幼くみ見える顔で返事をしてきた。

 俺は庇護欲が掻き立てられて、もう一度抱き寄せるのをやめるのにかなりのリソースを消費したよ。

 そうこうしていると


「休みの前から登校するときに変な視線を感じていましてね。なんか嫌だったんでタイミングをずらすつもりで早く家を出たんです」


 ポツポツと顛末を朝比奈は話し始めた。だいぶ落ち着いてきたようだ。


「朝早くて人通りも疎で、丁度、人の流れが切れたところでここに連れ込まれたんです」


 いまだに恐怖感が残っていたのだろう。朝比奈は自分の肩を掻き抱いて、震える体を押さえている。


「腕を引っ張られたから、袖口が捲れているんだ」


 朝比奈は頷く。


「大声で人を呼ぶって言ったら、あなたが来てくれた。声をかけてくれたんです」

「本当にマグレで聞こえたんだ。良かったよ」

「えぇ、本当に良かったわ。風見さん、ありがとう」


 朝比奈が微かに微笑む。



「俺は、何もして無いぞ。誰かいるかって聞いただけなんだけどな」

「そんなことない。おかげで私は、今、無事でいられる」


 だんだんと俺に近づいてくる朝比奈さん。ちょっと近すぎる。


「そうだ。怪我とかは、どうだ? ぶったとか、痛いところないか?」


 彼女は、腕を上げたり下げたり、腰を捻ったりしてみている。

 おかげで距離が取れる。一度は抱きつかれたんだ。これ以上来られたら、俺がもたない。

 この子も可愛さのレベルが高いんだ。美鳥とは違う方向だけどね。


「痛いとかは良さそう。袖口のボタンが飛んだだけみたいだし」

「良かったな。怪我でもしてたら大変だよ」

「うん」


 俺と話をしていて落ち着いたようだ。


「ところで、どうするんだ。交番に行って被害届を出した方がいいよ」

ん、朝比奈が顔を顰めた。


「でも、色々と根掘り葉掘り警察の方に聞かれるのもいやだな」 

「それも、そうだけどなあ」


 彼女は、俺の目をじっとみてきた、


「自分にとって、嫌なことを話さなきゃいけなのって辛いことなのよ」


 朝比奈の目は悲しみに染る。俺の心が鷲掴みされた。


「確かに、そうだね」


 胸が苦しくなって、そう言葉に出すのが精一杯だった。

 しばらくして、苦しみが薄くなって来た。俺の強張って、硬くなった肩から力が抜ける。


「でも、また追っかけられるのも嫌だから、友達と登校するよ。人通りの多い時間を選んで」


 朝比奈も表情が柔らかくなっていく。


「酷くなるようなら兄さんに相談してみるね」

「お兄さん、いるんだね」

「ひとつ上にいるわ。年子なんだよ。私たちの先輩になるの」

「是非、そうしてくれ。ところで、そろそろ校舎に向かわないとヤバイかも」


 朝比奈は手首を返してリスト端末を覗き込む、


「いっけなぁーい。もう、こんな時間。行かなきゃ」


 彼女は立ち上がって、表通りへ出ようと踵を返そうとした。俺は、スラックスのポケットからハンカチを取り出して、彼女を呼び止める。


「ちょっと待って。膝が汚れたままだよ。このハンカチ使ってくれて構わないからね、汚れを拭き取ってからいってくれ。クラスの子になんか気取られて怪しまれずにすむから。遠慮なんかしなくていい」


「ありがと、意外に細かいところまで、気がつくんだね。」


 そりゃあ、口外は、まだしてないけど、美鳥と、おつき合いさせていただいてますから気にはしてるんだよ。嫌われたくないからね。

 朝比奈が、汚れを拭き撮っている間に路地の影から表通りの状況を見ていく。外を歩いている、みんなの視線が俺たちのいる場所から離れたっていうタイミングを図って、


 「ハンカチは後で返してくれれば良いから、先に表へ、出てくれ」


 彼女の背中を押して、眩しい朝日の満ちる世界へ戻してあげた。しばらく時間をおいて、俺も表通りに出て、学校へ向かう。


「しかしな、可愛いのに俺を値踏みでもしている視線を向けてきたっけな。油断ならない子だね」



 校門へ、遅刻寸前で飛び込み教室へ向かう。ドアを開けると、


「キタキタ。風見、おはよう」

「風見さんおはよう。休みは楽しめましたか」

「一孝。宿題できたか。なら、俺に書写させてくれ」

「かずたかっち。どこか遊びに行かれましたか」


 沢山の俺を迎え入れる言葉が俺を迎え入れてきた。


   嬉しいねぇ。



  なんとか、始業のチャイムがなる前に自分の席へと向かう。


 そこには、彼奴がいた。


「おはよう、休みの間に懇ろになって、楽しかったか?」


 机の上に座り込んだ粘土フィギュアが、オレを仰ぎ見て尋ねてきたんだ。


「コットン⁈」





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