8.人間

 「――んなわけねぇだろ!適当なこと言ってんじゃねえ!」


 司は阿崎の発言を瞬時に否定した。しかし、その言葉にはどこか説得力を欠いていた。自然と額ににじむ汗、隠しきれない動揺。それを無理に隠そうと、司は言葉を強く放つ。


 「俺は人間だ……!人に生まれた。人に育てられた!優しさの中で愛された……!お前らみたいな人の心を簡単に踏み躙り、その温もりを容赦なく嘲るような奴らとはちげぇ!!」


 司の声は怒気を帯び、さらに強い調子で言葉が続く。


 阿崎はため息を深くつき、不敵な笑みを浮かべて口を開いた。


 「はいはい、そうかよ。それなら、どうして――」


 阿崎が次に何を言おうとしているのかが分かり、司の体が小さく震える。


 「――どうしてお前は、今そこに――平然と立ってられてんだよ……?」


 聞きたくなかった。頭では理解していても、思い出したくない、あの不可解な出来事を。神にのみ許された奇跡を。


 「なぁ、聞かせてくれよ。あのとき、落ちて死んだはずのお前が、どうしてそんなにピンピンしてんだ?どうして生きてんだ?どうしてそんなに人間らしくねぇんだぁ?教えてくれよ――人間サマぁ……?」


 畳み掛けてくる阿崎に、司は返す事ができず、顔を歪ませた。


 「そういや、あん時もだよなぁ?俺と、お前の居た教室の間には、結構な距離があったのに、お前は軽々と飛んできやがった。それも、一瞬でだ」


 否定することができない。思い返される、自らの身に起こった非現実的な現象。人間として生きてきた証拠の数々が、今日のうちに、無意味と化してしまったのだ。


 ――これの……せい……なのか……?


 司は首から下げているペンダントに触れる。

 敦さんの形見――ずっと常に自分を守ってくれているものだとそう思っていた。

 だが、予期せぬ形で訪れた水晶による奇跡の影響で、いつも触れると安心できたはずのペンダントの宝石が、今は逆に、自分を人間以外の何かに変えかねないものとして恐ろしく感じられる。自然と石に触れる手が震えた


 「回復とか、俺だってできねぇぞ?だいたい、落ちて即死してねぇ時点で、お前の体はもう人間のそれじゃねぇんだよ」


 刻一刻と告げられる現実が司を蝕む。しかし、それが事実であるがゆえに、耳を塞ぐ気力さえ湧かない。


 

 「なぁ。お前は――いつからなんだぁ……?」


 「――黙れ!!」


 続けてくる阿崎を一蹴するように言葉を放ち、司は拳銃を構えた。


 「おいおい、怒んなよ。本当のことなんだから。そんな玩具おもちゃで何ができんだぁ?さっきだって当てらんなかったくせによお」


 銃を向けられても態度一つ変えない阿崎に、司は容赦なく引き金を引いた。

 しかし――頭部めがけて放たれた弾丸は、阿崎に届くことなく弾かれてしまった。


 「だぁから言ってんだろ。そんなんで何ができんだ?って」


 そう言いながら阿崎は司の方へと躙り寄った。

 司は諦めることなく、迫りくる阿崎に向けて後退りしつつも次々に弾丸を撃ち込んだ。しかし、当たる気配もなく、ただ弾が無為に消費されていく。

 そして――


 「おっ。ついに弾切れか。つーか、お前もこっち側なら、なんかできんだろ?隠してんじゃねえよ。出し惜しみかぁ?」


 カチッと、引き金を引いた事実を嘲笑うかのように、弾切れの合図が響く。


 「お前と一緒にすんなよ……!俺は……人間……だ……」


 司は左手で自分の胸を叩き、睨みつけながら言い放ったが、その声にはもはや気力がなかった。


 「まーだ言ってんのかよ気持ち悪りぃ。お前が出し惜しむってんなら、こっちからいかせてもらうぜ!」


 問答に飽きた阿崎がついに動いた。手にした大剣を大きく振り上げ、空を切るように振り下ろした。


 来る……!


 すかさず司は風に備えたが、襲いかかってきたのは今までとは比べものにならないほどの強烈な突風。生身で耐えられるはずがなく、あっけなく後方に吹き飛ばされてしまった。


 「ガハッ……!」


 壁に勢いよく叩きつけられた衝撃で、大量の血が口から溢れた。

痛い。目が霞む。頭がクラクラする。

 意識が飛びかける司だったが、目の前で続けて剣を振り下ろそうとする阿崎を見て、意識を引き戻し、迫りくる風をギリギリで回避した。

 凄まじい轟音が周囲に響き渡る。振り返ると、司が先ほどまで叩きつけられていた建物が壁ごと崩壊し、瓦礫の山と化していた。


 「おいおい、早く本気出さねぇと死ぬぞ?」


 嘲笑を浮かべる阿崎を睨みつけ、司は反撃に出ようとするが、さきほどのダメージが体を襲い、膝をつく。

 身体中が悲鳴を上げている。

 その時、気配を感じて顔を上げたが、遅かった――

 すでに振り終えていた阿崎の剣から、さきほどと同じ突風が再び司を襲い、なす術もなく吹き飛ばされた司は、道路の真ん中に叩きつけられ、回転を繰り返して最後にはうつ伏せに倒れ込んだ。

 天と地がひっくり返ったような感覚に襲われた。体全体に鈍い痛みが広がる。額からは血が流れていた。

 降り続けている雨でさえ、司を容赦なく襲い、笑うように体温を奪っていく。

 司がゆっくり顔を上げると、阿崎は微笑を浮かべながら剣を肩に乗せ、ゆっくりと歩み寄ってきていた。

 すぐに動こうとするが、体は思うように動かない。打ち付けられた衝撃で呼吸もままならなかった。


 「なんだぁ?もうしまいか?」


 満身創痍の司にがっかりしたような表情を阿崎は浮かべた。


 「はぁ……俺も暇じゃねぇんだ。この目のツケは払ってもらうぜ。終われよ、クソガキ――」


 阿崎はそう言いながら、剣を大きく上げた。


 「じゃねえ――勝手に終わらせてんじゃねぇ……!」


 司は両手をつき、必死に体を起こした。

 こんなところで終わるわけにはいかない。決意は――既に固めてある……!


 傷だらけの体を引き起こし、完全に立ち上がった司に、阿崎は一瞬驚きの表情を見せた。


 「おうおう。そうこなくっちゃなぁ……!この目の代償は高くんだ、お前が死ぬだけじゃ割に合わねぇんだよ!だぁからその分、死ぬその瞬間まで存分に嬲ってやるよクソガキ……!」


 「高くつく?こっちとしては、随分と安い買いもんだったけどな……!」


 「言うじゃねぇか。で?今のお前に何ができんだよ」


 傷ついた体を無理やり動かして、余裕の表情を作る司に、阿崎は現実を突きつけた。


 「そう思うか?」


 司は懐に手を忍ばせて、そこから取り出したものを阿崎に構えた。

 それは――先ほどSAD隊員の死体から、拳銃と一緒に拝借した銃――のようなものだった。


 「はぁ……。何かと思えば、まーた玩具おもちゃかよ。ガッカリだぜ。」


 阿崎はため息をついて明らかに残念そうにした。

 そんな目の前の男に、司は照準を合わせる。

 何が起こるか分からない。というか何も起こらない可能性だってある。これは、賭けだ。これでどうにもならなかったら、俺はそこまでだ――


 司は、防御姿勢さえ取らない阿崎に向けて、引き金を引いた。その時――

 引いたと同時に、目にはハッキリとは見えないものの、何か透明な波動のようなものが阿崎目掛けて広がり、体に当たったようにみえると、何かが壊れるような音が響いた。

 阿崎は自分の身に何が起こったのかと、体を見回すが、外傷さえ見当たらず、唖然とした。


 「……」


 二人の間に静寂が訪れる。


 「おいおい、なんだよ今の。見掛け倒しでなんにも起きねえじゃねえか。びっくりさせやがって。」


 確かに、今理解できない事象が起きた。しかし、その相手は何事もなかったかのように、平然と立っている。


 その姿を見て、司も唖然とする他なかった。


 「期待させんじゃねえよ。もういいぜ、お前」


 阿崎はそう言うと、先ほどと同じ構えを取り、豪風を放とうとしている。


 まずい――次食らったら、確実に死ぬ……!


 司はどうにか受け身をとろうと準備をするも、遅かった。


 「あばよ……!クソガキ……!!」


 阿崎は横に構えた大きな剣を豪快に払い、そこから放たれた豪風が、司を――

 ――襲わなかった。

 振るわれた剣からは、一切の風が吹かなかったのだ。


 「――な」


 阿崎は起こるはずのことが、起きなかったことに対して、唖然として固まった。


 「ばかな……!」


 阿崎は諦めずに、その場で何度も剣を振るうが、そこからは風が出ることはなかった。


 そんな光景を前に、司も固まっていた。


 な、何が起きた――?

 目の前の男は剣を振り続けている。

 もしかして、これが……?

 司は手に持った一風変わった銃を眺めた。司は自分さえ予期していなかった状況に、目を擦りたくなった。


 阿崎は剣を振るのを止めて、司を鬼のような形相で睨みつけた。


 「お前――何しやがった……!!」


 自分でも何が起こったのか分からない。ただ、予想だけど、今、きっとあいつは力を使えない

 だとしたら、今があいつを倒す絶好のチャンスだ……!


 「クッ……ッハハハハ!」


 「あぁ?てめぇ、何笑ってやがる……!」


 阿崎の問いに、司は嘲笑で返した。


 「いやいや、お得意の風が出なくて慌ててる様子が余りにもおかしくってさ」


 「ハッ!。図に乗ってんじゃねえぞ!どんな手品か知らねぇがなぁ、それで?お前に俺が殺れんのかよ……?」


 「ああ。殺れるね。もう片方の眼球も潰して、その呆れるほど狭いお前の視野を完全に塞いでやるよ……!」


 阿崎の返答にふっと笑い、口角を上げて司は答える。


 「随分と生意気なこと言うじゃねえか。――いいぜ、殺れんなら殺ってみろよ、クソガキ……!」


 二人はお互いに距離を取った状態で構えた。睨み合いが続き、空気が静寂に包まれる中、緊張感が張り詰める――


 最初に動いたのは、司だった。

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