4.悪夢
気がつくと、司は少女に手を引かれていた。爆破音や地響き、そして悲鳴が溢れる中、逃げ惑う人々の間を黒いフードを被った影が飛び回っている。
司は思い出した。今体験している非日常を。黒い異次元の扉から突如として現れた白い化物、それと共に出現した者たち。そして、司の目の前で繰り広げられた惨劇。信じがたい事象だが、これは現実だ。
司は少女に手を引かれるまま、一緒に駆けていた。最初は誰か分からなかったが、その見慣れた後ろ姿ですぐに悟った。
「走って!」
振り返った少女は芹奈だった。その表情は真剣そのもので、焦りが浮かび、額には汗が滲んでいた。
――助かった。芹奈が来てくれていなかったら、今頃は群衆と同じようにパニックになり、動くことさえできていなかっただろう。
「――ありがとう芹奈。でも、どうしてここに?」
司と芹奈は幼馴染で、家が隣同士であるため、ほぼ毎日一緒に登校していた。
しかし、今日は芹奈が先に家を出ていたため、司は一人で学校へと向かっていた。そのため、二人がこのタイミングで出会うことはないはずなのだが。
「え?いや、学校に行く途中で忘れ物したことに気づいて、戻ってたらこんなことになってて、司がいたから――って、そんなこと話してる場合じゃないよ!」
「そ、そうだね・・・・・・。ごめん。」
こんなときにどうでもいいことを聞いてしまったと少し反省しつつ、走りながらこれからどうするかを考える。気が付けば手を離して二人で並んでいた。
「ねえ、芹奈、これからどうしよう」
「まずは家に帰ろう!司、おじさんとおばさんが心配でしょ?私もお母さんが……」
芹奈の心配そうな顔を見て、司は返すべき言葉を探すが、適当な言葉が思い浮かばなかった。
「芹奈――――っ!!」
声をかけようとしたその瞬間、今まで経験したことのない激しい揺れが襲いかかった。まるで大地そのものが怒り狂っているかのように。二人ともバランスを崩し、無防備に地面に伏せた。
「地震!?」
「うっ……なによこれ、こんなの地震にしては……」
止まらない地響きと激しい振動が、二人の体の自由を奪い、地面にしがみつくのが精一杯だった。
「――あいつらの仕業だ」
司の脳裏に浮かぶのは、黒いフードを纏った謎の集団。奴らの姿と、この異常な地震の関連が頭をよぎる。振動が続く中、周囲では建物が崩れ落ちる音や、かすかな悲鳴がこだまする。
「こんな地震を起こすなんて……いや、もしかしたら――」
芹奈が何かに気づいたような表情を浮かべた瞬間、地面がさらに割れ、司と芹奈の間に巨大な亀裂が走った。
「芹奈!」
「司……!」
隆起した地面が芹奈の足元を押し上げ、二人の間に大きな溝ができる。ひび割れた地面は、今にも崩れ落ちそうだ。
「くっ……!司!ここにいると危ない!今すぐ離れよう……!」
「うん!先に家に向かってて!僕も遠回りしてすぐ行くから!」
司の周りではアスファルトがひび割れ、後方では大きな陥没が起きている。二人は揺れに逆らって立ち上がり、崩れた足場を慎重に選びながら、その場を後にした。
早く……早く戻らないと!
司は焦っていた。足に自然と力が入り、無意識に速度を上げていた。
家に向かう最短ルートだったはずの道は、地震で壊れてしまい、芹奈とは離れてしまった。彼女のことが気がかりだったが、今はそれよりも――。
「敦おじさん……
司の脳裏に浮かぶのは、亡き両親に代わって彼を育ててくれた二人の優しい顔。この非常事態の中、家にいる二人が無事であるかは不明だ。
周りを見渡せば、倒壊した建物の瓦礫や立ち上る煙、そして炎。地震の揺れは収まったものの、その余波は次々と被害をもたらしていた。
あの揺れなら、僕の家だって……。もし何かあれば、隣に住む芹奈の家も無事では済まないだろう。
司の心には焦燥と不安が渦巻いていた。
「とにかく、急がなきゃ……!」
家はもうすぐだ。既に住宅街に入っている。だが、奇妙なことに、ここでは地震の痕跡がほとんど見られない。建物は無傷で、地面にひび割れすらない。この不可解な状況に一瞬思考が止まったが、答えを出す暇もなく、司は走り続けた。
ここの角を右に曲がれば、家のある道に出る!
家々が連なる一角、左側に司の家、そしてその隣が芹奈の家だ。頭の中に、暖かく迎えてくれるおじさんとおばさんの顔が浮かぶ。胸の中では期待と不安が交錯し、足取りは一層速くなった。
そして、司はついに角を曲がった――。
「っ!!」
最初に視界に飛び込んできたのは、目が焼けるような真っ赤な炎だった。激しく燃え上がるその炎は、ちょうど司たちの家のあたりだ。
「なんで――なんでここだけ……!」
不安が胸の内で一気に膨れ上がる。全身が震えている。動かなくなりそうな足を無理やり動かし、司は家へと全速力で駆けた。
炎に近づくにつれ、熱風が肌に痛みをもたらす。腕で顔を庇うが、走るたびに熱さが増していく。そして、ついに燃えているのが自分の家――そして芹奈の家であることが、はっきりとわかった。
「はっ……!」
その瞬間――目に飛び込んできたのは、燃え上がる家の下に横たわる影。司の心臓が一瞬で凍りつき、呼吸が一気に乱れた。足が鉛のように重くなり、視界が揺らぐ。
あぁ……。あぁ……。嘘……。どうして……。
崩れ落ちた軒先の下、横たわっているのは――間違いない。司の目に飛び込んできたのは、両親に代わって司を育ててくれた、敦おじさんの姿だった。
「敦おじ……さん……?」
ゆっくりと膝をつき、動かないその身体に近づく。絶望が胸を締めつけ、言葉がかすれて出ない。
「ねぇ……敦おじさん……」
司は震える声で呼びかけるが、敦おじさんの体は微動だにしない。息は途絶え、何も返ってこない。その静けさに、全身から力が抜け、崩れ落ちるように座り込んだ。
震える手で敦おじさんの身体に触れると、何かがぬめりとした感触で手にまとわりついた。司は手を顔の前に持ち上げ、確認する。
「――あ」
手のひらに広がっていたのは、真っ赤な液体――血だった。黒みがかった赤が掌から滴り落ちる。
「……っ!」
声にならない叫びが喉の奥から漏れた。おじさんの体には、無数の傷跡が刻まれていた。肉がえぐられたような痕、そのひとつひとつが、まるで銃で撃たれたかのような銃創の形をしている。
抉られた肉からはまだ血が滴り、地面には広がった血溜まりができていた。
「誰が……こんなこと……」
そのとき、不意にずさっという音が正面から聞こえ、司は顔を上げた。
視界に映ったのは、全身を黒で包んだ男の姿だった。深くフードを被っていて顔は見えないが、男であると言う確信があった。
「お前が……」
敦おじさんは、本当に優しい人だった。何度も愛情を注いでくれた。両親を失った自分を、久美子おばさんと一緒にあたたかく迎え入れ、怒ることなど一度もなかった。
両親に代わって、たくさんの愛情を与えてくれたのだ。
今朝も、「いってらっしゃい」と送り出してくれた。帰ったら、いつも通り「おかえり」と優しい笑顔で迎えてくれるはずだった。
なのに――僕の大切な帰る場所を、大切な家族を――
「お前がああああ!!」
喉が張り裂けそうなほどの怒りを、司は叫んだ。
「――してやる」
「殺してやる!!!」
怒り、そして怨嗟――その負の感情を司は全身でぶつけた。だが、男はじっと司を見つめたまま、微動だにしない。
「殺して――――」
心の底から湧き上がる感情を、司はもう抑えきれなかった。だが、その瞬間、頭に靄がかかったように、意識が重く沈んでいく。
「うっ……」
視界が揺れ、男の姿がぼやけて歪む。足元が崩れていくような感覚に襲われる。
そのとき司は思い出した――この光景を、何度も見ていることを。
「そうだ……これは……夢だ」
薄れゆく意識の中で、自分が沈んでいく感覚を感じながら、司はそのまま深い眠りに飲み込まれていった。
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