第7話 ホストクラブのオーナーが折れた
僕はこの中年男性に見覚えがあった。
報道番組で、国会でホスト問題が取り上げられたときに、出席していたホストクラブのオーナーのうちの一人だった。
なんとなく、胡散臭い匂いの漂う男性だった。
その男性が、今、僕達の前で、なんと自らの腹をナイフで刺し、うずくまっている。
誰かに刺されたのだろうか? それとも自殺行為なのだろうか?
その瞬間、ゆあの担当ホスト拓真が、ホストクラブオーナーに駆け寄った。
「オーナー、どうしたんですか」
するとオーナーは、
「拓真、これで完結した」
と言って、ばったりと路上でうずくまって倒れた。
救急車のピーポーパーポーというサイレンが聞こえてきて、夕暮れの繁華街の裏通りに、たちまち人だかりができた。
翌日の朝、たちまちこの一件は報道された。
ホストクラブなおんのオーナーは、十三年前まではごく普通のホストクラブだった。
当時は、マスメディアに登場するほどホストブームであったのだから、そう悪辣なことができなかった古き良き時代であった。
写真付き身分証明証の提示が必要で、未成年者出入り禁止であった。
当時は百五十万円もするシャンパンタワーもなく、最低料金六千円で楽しんでもらうという、今から思えばずいぶん健全な経営方法だった。
ホストになる男性は、家庭に恵まれない人がいた。
客のなかには、1%くらいの確率で水商売ではない、ズボンをはいた水商売とは程遠い地味な服装の中年女性がいた。
いつも注文するのはウーロン茶。喫煙の習慣もない。
すると、ホストは、なんとその中年女性に、母親に甘えるように悩み相談をするのだった。
様々な事情を抱えているホストは、いくらもいた。
一、中学二年のとき、自営業をしていた父親が、保証人になったばかりに蒸発し、本人は高校卒業後、美容学校を卒業する予定であるが、美容師の初任給は安いので、今のうちに貯金をするためにホストになったという一例。
一、母親が十七歳のとき、産んだ子供で、中学は半分くらいしか通えず、土方仕事をしながら家庭を支えていたという若者。
しかし、健気にも母親には感謝しているという。
一、三十歳くらいの男性で、引っ越しの仕事をしていたが、警察沙汰になることをしでかしてから離婚し、子供にも合わせてもらえないという哀れな男性。
先月の給料袋には、現金の代わりに赤字の借金明細書が入っていたと、涙ながらに語っていた。
勿論、その女性はホストになにかをしてやるわけにはいかない。
高価なシャンパンを注文できるような、甲斐性のある女性にはとうてい見えない。
しかし、母親的なものがあったのだろう。
まるで、パート帰りの母親に愚痴をぶちまけるように、その中年女性に深刻な悩みを相談するのだった。
ふと見上げれば、ゆあの担当ホスト拓真の顔写真が大きな看板として、飾られてあった。
ということは、拓真は売上ナンバー3以内に入っていると推測できる。
この看板に釣られて来店する女性客は、あとを絶たない。
現在は、女性客が来店すると店ぐるみで、この女性を風俗で金にすることを算段するという。
だから最初は、女性客に優しくして、肉体関係を持ち、高価なシャンパンやシャンパンタワーを注文させて売掛金をつくらせる。
そうなると、夜の街のネオンの下に輝く拓真の看板は、そのための宣伝材料にしか過ぎない。
ルックスを誇示するタレントのグラビアとは、違った意味をもっているのである。
しかし、看板にのったことで有名スターになったような錯覚を起させる。
女性客のなかには「私が、いや私こそが、担当ホストを看板に乗せてみせる」と意気込んで、大金を使うケースもある。
家族など身近な人を愛せない人が、誰かを愛するという夢を、金銭に託すことで、愛が報われるに違いないという幻想にとらわれているのだろうか?
しかし、その大きなホストの顔写真看板も、法律違反として警察の手が介入するという噂が飛び交っている。
ふと我に帰ると、拓真とホストクラブなおんのオーナーはパトカーに乗せられて行った。
もちろん拓真は無罪放免であるが、警察側にしてみたら、ホストクラブなおんの実情を知る必要があるのだろう。
マスメディアが騒ぎ出す予感がしていた。
それから三日後、朝の報道番組でホストクラブなおんの事件が三十分にわたり、報道特集されていた。
オーナーのバックには、やはり反社まがいの悪党がついているということ。
初めは、悪党を売掛金を残して飛んだ(行方不明になった)ホストの行方を探すために利用し、その代償として金銭を支払っていた。
悪党の調査力は警察に勝るほど強く、飛んだホストの行方探しは成功した。
しかし、悪党はそんなことで終わるほど、甘い組織ではない。
一度でも関わり合いをもつと、蛇のように執念深くまとわりつくのが、悪党である。
今度は立場が逆転し、ホストクラブが悪党に大金を支払うようになってしまった。
こうなればもう、素人は悪党の言いなりになるしかない。
大金を払うための、もっとも有効で確実な手段は、やはり女性客を金にするしかないのである。
オーナーは、自殺を図る一週間前に、元女性客から刃物を振り回されていたのだった。
その女性客は、お定まり通り売掛金の代償に風俗に売られた女性だったが、長年の風俗勤めで、性病の毒が梅毒として身体に回ったのち、風俗勤務もできなくなり、立ちんぼになってしまったのである。
立ちんぼは風俗店と違って不衛生で、客に暴力を振るわれることもあり、店側が守ってくれることは一切ない。
そんな状況のなかで、その女性は性病の毒が脳に回り、その原因をつくったオーナーに、復讐の刃物を突き付けたのだった。
幸い一命はとりとめたものの、オーナーはこのまま生きていては、命を狙われることは確実である。
しかし、訓練を受けた悪党のように、そんな切羽詰まった状況のなかで生き抜いていけるほど、素人でしかないオーナーは心身共に丈夫にはできていない。
悪党は誰しもがなれるものではない。
悪党独自の修行というものがあり、それに合格した者しかなれやしない。
修行のひとつとして、二十四時間正座をさせられ、頭から氷水をかけられるが、声ひとつあげてはならず、微動だにしてはならない。
二つ目は、一秒たりとも遅刻してはならないほどの、時間励行である。
先輩が一秒でも遅れると、日本刀で切りつけられるという惨事を、みせつけられるというが、これは後輩にたいする見せしめである。
三つめは、良心を捨てよという教えである。
しかし、この良心を捨てることは、まさに心苦しいことなのであるが、良心をもったままでは、悪党としての活動はできない。
悪党というのは、いつ後ろからグサリとやられても不思議はない。
だから、悪党のなかにはわざと顔を売る者もある。
まあ、顔さえ売っておけば、敵方もそう滅多なことはできないだろうという、慰めにも似た算段である。
しかし伝説の有名反社でも、公共の場で射殺されかかったのだから、襲われることはないという確証などどこにもありやしない。
話を元に戻そう。
オーナーは、悪党と接するたびに、今までの人生には体験しなかった恐怖感と縛りを覚えるようになった。
逃げ出したい。売掛金をためてとんだ(行方不明になること)ホストのように、別世界に逃避することができたら。
しかし、それは到底かなわないことだった。
悪党というのは、利用価値がある限り、どこまでもまとわりついてくる執念深さがある。
オーナーは、ついに禁断のドラッグに手をだしてしまった。
ホストクラブはいや、一般世界でもそうであるが、ドラッグは絶対御法度。
いくらナンバー1の稼ぎ頭でも、ドラッグに手をだしたことがわかった途端に、退店を強要される。
警察にマークされると、悪党から攻められるという二重の苦しみが待ち受けている。
そんな恐怖心と縛りから解放されるためには、酒だけではなく、ドラッグが必要になってくる。
オーナーは初め、チューハイにドラッグをほんの少量、混ぜて飲んでいたが、すぐ辞められなくなり、今度はドラッグからも縛られるようになってしまった。
しかし、ドラッグの縛りは頭がボーっとして、身体全身がフワフワと宙に浮いているような心地よさがあった。
ドラッグをしているときだけは、このままこの世から離脱し、雲の上まで飛んでいけるのではないかという、心地よい錯覚にとらわれるようになった。
オーナーは失いかけていた良心のかけらを取り戻すようになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます