第6話 砂漠のような東京で 女はどんな花を咲かせるの

 僕は風邪で休店した翌日、オーナーあてに電話した。

「声が鼻声でなくなってきたようだな」

 このセリフは、僕の病状を心配してくれているのではなく、ただ丈夫になって働かせたいという私欲に満ちていた。

 こりゃダメだ。僕は絶望的な気分になった。

 こんなオーナーの元で働くと、またホースを焦がしただの、トイレの便器に雑巾を突っ込んでつまらせただのと妙な言いがかりをつけられるに決まっている。

 もしかして、反社が控えているのではないかという不安にかられた。


 その瞬時に僕は「せっかくですが、退店させて頂きます」

 するとオーナーは

「そうか、わかったわかった」と言ったきりで電話は切れた。


 その店には、給料明細書はなく、ただ銀行振り込みのみだった。

 僕は、振り込み額を計算してみると、一万三千円も足りないのだった。

 この額は、正規に働いた額の約三分の一にあたるので、僕は早速オーナーに電話で問い詰めた。

 するとまた、信じられない答えが返ってきた。

「まず、三千円はあなたが急に辞めるといったことへのペナルティー、

 そして一万円は、いままでのペナルティーとして引かせて頂きました。

 わかってもらえたかな?」

 何を無茶苦茶なことを言ってるんだ。

「僕は何もしていませんがね。なにか証拠でもあるんですか?」

 そう言った途端に、電話が切れた。

 このオーナーはどこまでインチキなことをして、突っ走るつもりなんだろう。

 いや、こんなことがいつまでも通用する筈がない。


 それから三年後、ネットでオーナーの名前を検索してみると、なんと逮捕されていたのだった。

 逮捕原因は、外国人労働者を不当に雇っていたという。

 要するに、雇ってはならない外国人ばかりを雇い入れていたのだった。

 どうせ、安い賃金で不当にこき使うのが目的だったのであろう。

 僕の二の舞、三の舞が出現してきたに違いない。

 そういえば、僕が働いていたときから、中国人女性がいたが、その女性はまともに仕事をこなしていた。

 その女性も、僕の二代目になり、外国人という弱みに付け込まれ、まともに給料を払ってもらえないに違いない。

 僕は、早く退店してよかったと、胸を撫でおろした。


 話を元に戻そう。

 ゆう子ママは、以前歌った歌謡曲の二番を歌い出した。

 もう半世紀も昔のムードある歌謡曲だが、よほど思い入れがあるのだろう。


♪けっして私は言葉では 愛を語ろうと思わない

 生れながらの純情と この手であなたを受け止める


 砂漠のような東京で あなた一人のしもべとなって

 花になるのよ 枯れ果てるまで

 私は私は 決めたのよ♪

(「砂漠のような東京で」歌 いしだあゆみ)


 要するに、ゆう子ママは、娘のゆあがホストに恋をしていると信じたいのである。

 しかし、現実はそんなに甘いものではない。

「この人だけが、私を真に理解してくれる」というゆあの恋心を利用し、ホストはどこまでも付け上がってくる。

 利用するだけ利用し、あとは結婚どころかボロ雑巾のように捨てられるだけである。女性客を金ヅルとしか思っていない。


 ゆう子ママは、目を細めて語り出した。

「私はゆあに精一杯愛情を注いできたつもりよ。そりゃあ、贅沢はさせてあげることはできなかったけど、しつけは厳しくしてきたわ」

 まあ、たいていの親御さんがそうだろうなあ。

 僕の場合は、中学校まで口うるさかったし、敬語や言葉遣いや目上に対するマナーを注意されたものだ。

 そのときは、ちょっぴり反抗もしたが、これが二十歳過ぎてからどれほど役立ったことか。

 いくら学歴があっても、社会常識のない人は、反抗心を抱かれバイト先でも、つまはじきにされるのがオチである。

 そういえば元ナンバー1ホスト城咲仁曰く

「いくらナンバー1になっても、礼儀を間違えるとその店ではいられなくなる。

 だから僕は、新人に自ら挨拶をし、先輩を立てるようにしてきたつもりです」

 まあ、水商売や芸能界のように弱肉強食の移り変わりの激しい競争世界ほど、礼儀をわきまえなければ、反発されるだけである。


 ゆう子ママは、突然涙を浮かべた。

「私、ひとつだけゆあに対してしくじったことがあったの。

 いわゆる、自分の間違った価値観を押し付けてしまったのよ」

 僕は答えた。

「価値観なんて、時代が変われば人の考えも変わるので、一概に何が正しいとかは、誰にも決められることじゃないですよ。

 しかし、子供には自由を与えるべきですよ。

 そうしないと萎縮してしまってひきこもりになってしまう恐れがある」

 ゆう子ママは、とつぜん顔を上げた。

「そうよ。それそれ、ゆあはそうなる一歩手前だったのよ。

 それは私が間違ったことを、ゆあに教え込んだからよ」


 僕はキョトンとしたような顔をすると、ゆう子ママは話を続けた。

「私は昔、母にこう教えられてきたの。

 まあ、今とは時代が違うけどね『ベッドというものは、身体の大きな人間の寝るものではなく、身体の小さい人間が寝るものである』

 私はその教えを100%信じ込み、守ってもきたわ。

 そしてその教えを、親子三代にわたり、ゆあに教え込んでしまったのよ」

 僕は、ゆう子ママの会話に興味津々に聞き入っていた。

「ゆあは、その教えを実行し、高校の修学旅行のとき、身長160㎝の子がベッドに寝ようとすると『ベッドというものは、身体の小さい子が寝るものよ』と言ってしまい、同じ部屋全員から、総スカンをくらってしまったの」

 なるほど、これがいじめの始まりか。

 まあ、要領のいい子ほどそういったことは口にしない。

「ゆあは私には言わなかったが、多分厄介払いを受けていたと思うの。

 二、三日学校を休んだあと、復帰したけどね」

 僕は胸を撫でおろした。

 こんなこと、学生時代にはよくある話である。

 しかし、この価値観の違いをどう受け止めるかにかかっている。

 いじめをする人、いやグループは、その価値観を受け入れることができなかった、心の狭い人だったのであろう。


 僕はゆう子ママに対して、慰めの言葉を探しあぐねた。

「いろんな人がいるけれど、誰一人として自分と同じ人間はいないですね。

 環境も価値観も違う。

 お互い家庭という違った世界のなかで、各々の教育を受け、しつけを受けながら生活をしていくわけですが、譲り合いの精神は必要ですよ。

 ちょっとしたボタンの掛け違いがトラブルを生むわけですが、ボタンの掛け違いを治すのは、自分が相手に合わせること以外にないですね」

 ゆう子ママは頷いた。

「でも、ゆあさんは二、三日で復帰したんだから、ラッキーじゃないですか。

 かえってこのことが、これからの人生にプラスになる筈ですよ」

 ゆう子ママは、同調したかのように言った。

「まあ、今は登校拒否という言葉は消えて、不登校やひきこもりの生徒が増える一方だというからね。

 ホストも結局は、そういう子がハマるのよね」

 僕は思わず

「いや、本当にハマるのは家庭に恵まれない女性ですよ。

 たとえば、義父にレイプされ、助けてくれる人もいなかったとかね」

 ゆう子ママは途端に真っ青になった。

「私だったら、離婚するしか道はないわ」

 いっけない。また、無神経な会話をしてしまった。

「サバイバル競争のように、淋しがり屋の弱い女性が、ハイエナのようにカモにされるのよね」

 僕は思わず答えた。

「それと借金を抱えた人ですね。これからの時代は、無理なローンを組んだりしないことですよ」

 ゆう子ママは、自虐的に答えた。

「あっ、ホストクラブの売掛金も、借金の一部ですね。

 私はゆあには、借金をしないようにしつけてきたつもりよ」

 

 そのとき、ゆあの担当ホスト拓真は、机に頭をこすりつけ、半ば土下座のポーズをとった。

「元はいえば、僕が悪いんですよ。店の方針とはいえ、未成年の社会経験もないゆあさんに、売掛金をするように仕向けたんだから。

 実をいうと、借金は二百万にふくれあがっていたのですが、僕が弁護士に頼んで百万円に軽減してもらいました。

 いろいろご迷惑をおかけしました。

 これで僕も、今まで通りの人間の心を取り戻せそうな気がします」

 ゆう子ママも僕も、思わずほっとして、頬が緩むのを感じた。

 拓真も救われたような表情で言った。

「まあ、このことはひとつの苦い社会勉強として受け止めるしかないですね。

 僕はホストを辞めて、介護タクシーの運転手になるつもりです。

 幸い、僕の先輩が僕と同じ、ホストで身も心もボロボロになったが、自分で介護タクシーの会社を立ち上げたという、僕と同じ過去の持ち主なんですよ」

 ゆう子ママと僕は、思わず同じタイミングで

「そりゃ良かった」

 三人は、思わずほっとしたような笑顔になった。拓真は

「介護タクシーの会社名は、なんと「オモチリン」というんですよ。

 お持ち帰りの意味もあれば、お餅のように白くフワフワしているという意味もある。またお餅はすぐ固くなってしまうので、なにごとにも迅速でスピーディーに介護者を運ぶという願いを込めて会社名を「オモチリン」にしたというんですよ。

 最後のリンは、風鈴の音色のように涼やかでありたいという願いを込めてみました」

 素敵なハッピーエンドである。

 ゆう子ママの娘ゆあにも、こういったハッピーエンドが用意されていればいいのにとふと思った。


 そのときである。

 店の前で、妙な男のうめき声が聞こえた。

 僕とゆう子ママ、拓真は勘定を済ませ、店を出たところだった。

 なんと茶髪の中年男が、ナイフを直角に、腹に突き立てているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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