第4話 ゆあは地獄の二丁目に堕ちる真っ最中

 カフェ132という名前は、もしかしたら三歩進んで二歩下がるという意味もあるかもしれない。

 ゆう子ママは、口を開いた。

「私は、ゆあが外国の風俗に売られるのではないかという危惧感にかられているの」

 えっ、まあ日本の風俗よりも、過激だから金になることは必須であるが、そこまでゆあは、ホストに金を使うとは到底思えない。

というよりも、ゆあにはそんな大金などないはずだ。


 ホストクラブは、シャンパンが一本最低十万という世界である。

 ゆあは基本的には酒が飲めない。乾杯のときのビールが精一杯である。

 焼酎など、匂いだけでダウンだと言っていた。


 僕は話を切り出した。

「ゆあさんは、今でも白い花が好きなんですか?

 いつも、食卓には白い花が飾っていると聞いていたが」

 ゆう子ママは誇らしげに答えた。

「実は私は小堀遠州流という華道を習っていて、ゆあに教えていたのよ。

 その名残りで、ゆあは上から三角形に見えるように、花を活けていたわ」

 ようやく、ゆう子ママの頬には、笑顔が感じられた。

 しかしそれも束の間のことだった。

「ゆあは、なぜか白い花を飾らなくなってしまったわ。

 もしかしたら、担当ホストの拓真がそうさせてしまったのかもしれない」

 そういえば、担当ホストは女性客の今までの連絡先を断たせようとし、趣味も奪ってしまうという。

 まるで、奴隷と主人、いや反社組長と子分との関係である。


 僕の中で悪寒が走った。

 そして、思わず感情がむき出しなり、言葉が出てしまった。

「ゆあさんとは、連絡が取れてますか?」

 途端に、ゆう子ママは顔が曇った。

「それがね、昨日からLINE連絡が取れなくなってしまったのよ」

 ギョギョギョエー!!

 これはいよいよ、やばい状況に堕ちていこうとしている。

 地獄の一丁目ということか。


 悪党が被害者に対してすることは、まず被害者の身近な家族や友人から引き離すことだという。

 共通の趣味も奪い、わざと友人から嫌われるように仕向けるという。

 僕の予感は当たっていた。

 

 ゆう子ママが、深刻な表情で口を開いた。

「それがね、昨日、信じられないことが起ったの。

 ゆあが、親戚の理子ちゃんに恐喝まがいのことをしたというのよ」

 やっぱり。僕の予感はまさにビンゴ真っ最中である。

「まあしかし、身近な人を恐喝するということは、よほど金に困っている証拠ですよ」

 いけない。また僕は感情の赴くままに、真実とはいえゆう子ママの気持も考えずに、ヤバイことを口走ってしまった。

 ゆう子ママは、半分同調したように言った。

「そうね。ゆあは根は悪い子じゃない。恐喝なんてするような子じゃない筈よ。

 しかしね、親戚の理子に対して、カバンを貸してやると持ち掛けたの。

 理子が翌日、そのカバンをゆあに返すと、

『カバンに傷がついた。五万円支払ってくれないか』などと言ったというのよ。

 もちろん、理子が払わないというと、頬を二回ビンタした挙句

『私は少年院出身だ。このことは誰にも言うな。もしこのことが、広まったら、お前を待ち伏せしてしばきあげるぞ』

などと踊り文句を言ったというのよ。

 私には信じられない。理子がフェイクを言ったとしか思えないのよ」

 

 僕はピーンときた。

 これは、末端チンピラの脅し文句である。

 ということは、ゆあはそのチンピラと関係があるのだろうか。

 いや、ああいう輩は一度カモの女性をものにすると、もう離すことなく、どこまでも執念深くつきまとうという。

 ゆあは悪の手先になっているに違いない。

 嗚呼、僕は絶望的な気分になった。

 いや、その瞬時、そんな弱気になっているヒマはない。

 僕はゆあを救い出してみせると決心したんだ。

 このことは、ゆあ個人のためだけではなく、社会のため、人権を守るためでもあるんだ。

 決して対岸の火事ではなく、ぼやぼやしていると自分の身近にも降りかかってきそうな問題である。

 

 ゆう子ママは、幾分ホッとしたような表情で話を続けた。

「まあ、理子はゆあの親戚であり、幼馴染みでもあるの。

 だから、ゆあが恐喝をするような悪党でないことを、重々承知の上、今回だけはなかったことにする。

 まあ、ゆあのことは心配だけど、関わりたくはないと絶縁状を渡されたわ。

 理子や理子家族からしたら、無理もないことよね」

 そりゃそうだろう。

 誰だって、悪党とは関わりたくはない。

 もう現代は、反社と関りがあると言った時点で営業停止、いや、そういった噂がたった時点で、一か月後、取引先がみな、辞退してきて倒産という時代である。


 悪党は、まずカモにした女性の身内とのつながりを断たそうとする。

 僕は思わず、ゆう子ママに聞いた。

「ゆあちゃんとは、連絡がとれている状態ですか?」

 すると、急にゆう子ママの顔が真っ青になり、こわばっていくのが感じられた。

「それがね、今まではLINEで連絡をとっていたが、今日の朝から急につながらなくなったのよ」

 もしかして、ゆあは悪党に拉致監禁されているに違いない。


 ゆう子ママは、怒りに燃えたような表情で言った。

「ゆあの担当ホスト拓真は、最初はゆあに優しかったし、LINEでも即答してくれたの。しかし、ゆあが支払いをしないとなると、態度が急変したの。

 店ぐるみで、外国に行って臓器売買をして借金返済をしろと言ったというのよ。

 お前の身体が五体不満足になっても、俺たちは知ったことじゃあない。

 ゆあは、気が弱いから、そう言われればその通りになるしかないと思い込むタイプなのよ」

 僕はまた、真実とはいえ無神経な言葉を吐いてしまった。

「まるで獲物にたかるハイエナですね。すべてを奪っていく。

 しかし、弱気になったら負けですよ。

 僕が弁護士を紹介しましょうか?」


 僕はテレビ出演もしている弁護士のURLを教えた。

 しかしすぐ、接見できる筈がない。

 それより先に、ゆあに会うことが先決である。


 なんとそのとき、ゆあの担当ホスト拓真が入ってきた。

 いきなり、ゆう子ママの向かいに座り、テーブルに頭をこすりつけた。

「僕は、ご存じの通りゆあさんの担当ホストの拓真です。

 確かに僕は、ゆあさんの百万円の借金のかたに、半分脅しまがいで、海外への臓器売買の話をしました。

 でも、このことは僕個人でできることではない。

 もちろん店ぐるみであり、僕はオーナーから命令されてやらされているだけです。そういう意味では、僕も被害者なんですよ」

 まあ確かに、素人が海外への臓器売買や風俗出張などできる筈がない。

 やはり、報道番組の通り、そこには暗黒のソーシャルワークに携わる流動型犯罪があるに違いない。

 ということは、やはり反社が糸を引いているのである。


 ゆう子ママは、拓真にとびかかるような剣幕で尋ねた。

「ゆあは今、どこにいるの? 場合によっては承知しないからね」

 拓真は、救われたような表情で答えた。

「心配ありませんよ。ゆあさんは元気にしています。

 といっても、外国風俗にいく一歩手前でしたが、僕が弁護士を紹介し、借金は五十万に軽減しました。

 この借金は、ゆあさんの貯金で支払ってもらいましたよ。

 一応、領収書もありますよ」

 ホスト拓真は、領収書のコピーを机の上に置いた。

 僕とゆう子ママは、安心してため息をついた。


 目の前にいる拓真は、どうみても悪辣なチンピラといった風情ではない。

 むしろ、おとなしめのいかにも地方出身者といった若者である。

 しかし、繁華街ではこういった若者が悪の道に堕とす狙い目だという。

 

 拓真がホットミルクを注文した。

 少し落ち着いた雰囲気になってきたので、僕は思わず、拓真に尋ねた。

「君はなぜ、ホストという道を選んだの?」

 拓真は、淡々と答えた。

「大学の奨学金返済のためですよ。ホストクラブによっては、奨学金を貸し付けてくれる店もあるんですよ。

 しかし、僕はオーナーと先輩二人に囲まれ、店ぐるみで『あのおとなしめの地方出身者のイモ女を狙え。ああいうのは、方言が抜けきれないから、ネガティブである。お前にうってつけの相手だよ』

 そう言われたときは、僕は嫌な予感がしました」

 そんな僕の不安げな表情をかき消すように、先輩は

『ああいう女は、風俗で高く売れるんだよ。あどけない顔で、ぽっちゃり目の女が、一番人気なんだよ』

 僕はゆあさんのことだと、思いました」


 ゆう子ママが奇声をあげそうになったので、僕は思わず、ゆう子ママの口をお手拭きで押えた。

 拓真は、うつむきながら話を続けた。

「僕はそんな人身売買のようなことを、したくなかった。

 しかし、借金返済のためには、僕は自分の良心を殺すしかなかった。

 良心を殺すと決心したときから、僕は人に対する羞恥心とかは消えました。

 これまでは、こういう言動をとると、人から嫌われるのではないかという、不安と恐れがありましたが、もうそんな人間らしい恥じらいは、なくなりました」

 僕はなんだか辛い気分になった。

 拓真は真の悪者ではなかったのだ。


 ゆう子ママは少し安心したように言った。

「まるで反社の修行みたいね。反社というのは、まず良心を捨てることから始まるというわ。

 あなたの話が本当なら、あなたも一種の被害者若者ね」

 拓真はうめくように言った。

「そうでしょうね。まさに飛んで火に入る夏の虫ならぬ、飛んで借金に入るホスト業界ですよ。

 僕は店側から、女性客の趣味も友人も奪うように教育されてきました」

 僕とゆう子ママとは、半ば感心したように聞いていた。


 拓真は淡々と話を続けた。

「そうすると、自然と周りに人が集まらなくなる。

 しかし、心配してくれる友人や親せきに、恐喝まがいのことをして、完全に嫌われるように仕向けるんですよ」

 ゆう子ママは、思わず、

「あっ、ゆあが親戚の理子に恐喝まがいのことをしたのも、そのせいね」

 拓真は納得したように、頷いた。

「僕は、芝居の一貫として、恐喝まがいのことを教えたんですよ。

 そして、最後には

『あっ、本気にした? このことは劇団の稽古ですよ。

 私、実は劇団に入っていて、今度恐喝をテーマとした公演があるから、その稽古の一貫として、あなたを相手役にさせてもらったの。

 どう? 私の恐喝まがいの演技、迫真の危機に迫ってたでしょう。チャンチャン』

 こう言えば、相手も恐怖心から逃れられ、ゆあを恨まなくなる。

 このことは、僕が知恵を振り絞って考えたことですがね」

 僕は思わず

「なーるほど。よく考えたものだ。

 こうすれば無罪放免になりそうですね。

 でも、こんなことはあくまで一回きりですよ。

 これに味をしめて、こんなことが長続きするなんであり得ない。

 それほど、世間は甘くないことを、頭に叩き込んでおくことですね」


 拓真は不安に満ちた表情で、話を続けた。

「オーナーは、いずれは女性客の家の鍵を奪ってしまい、自分のマンションに住まわせ、同棲まがいのことをさせ、完全に自分の女にすべきである」

 僕は、聖書の十戒に「あなたは姦淫してはならない」という箇所を思い出した。

 クリスチャンの友人から、同棲も含めて、結婚以外のセックスは姦淫にあたると、教えられたこともある。

 最初は、なにを、今更時代遅れなと思ったが、同棲というのは結婚と違って、相手の女性が妊娠したとわかった十五分後に、荷物をまとめて去っていけばそれで終わりである。

 結婚のように法で守られているわけではないので、男性はなんの責任も負わないし、負う必要がないのである。

 

 


 

 

 


 


 

 

 

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