第3話 僕はゆあに嫌われても、ゆあを守ってみせる

 僕が行きつけの商店街のカフェで、いつものようにサイフォン珈琲の香りを楽しみながら、モーニングサービスを食べていた。

 ゆあとゆあの母親ーゆう子ーも常連客であり、年配のマスターとも旧知の仲である。

 僕もゆあ親子も、この店の香り高いサイフォン珈琲のファンだった。


 ゆう子ママは、来店するや否や僕の前に座った。

「知紀君。いつもお世話になっています。

 今、ゆあの行方を知りませんか?」

 僕の心に、背筋が凍るような予感が走った。

 担当ホストというのは、女性客をまず友人や家族から離れさせるために、おかしな言動を取らせるという。

 たとえば、二千円相当の金を返さないとか、乱暴な立ち居振る舞いをするとか。

 そうやって、周りから変な目で見られ、孤立させていくという。


 僕は顔が真っ青になるのを、抑えながら

「最後にラインをしたのが、一週間前でしたが、それ以来はなんの連絡もありません。なにかあったんですか?」

 ゆあの母親は、首をかしげながら、

「一週間前、ゆあに言われたの。

『お母さんは、私のこと、認めてくれたことがあった?

 私は、お母さんの代わりに料理を作ったり、掃除をしたりしてるのに、いつも小言ばかりじゃない。

 褒められたことなんか、一度もないじゃない。

 そりゃまあ、私は勉強好きじゃないけどさ、昔は近所の子とよく比較されたものだよね。〇ちゃんは、百点とったとかさ。

 唯一褒めたくれたのは、私が授業料の安い公立高校に入学したときだよね』

 なんて言われたのよ。

 こんな反抗的なゆあを見たのは初めてだった。

 そりゃあ、私はゆあにいい子になってもらいたいばかりに、家事を教えたり、失敗したら叱りつけたりもしたわ。でもそれは、親として当然のことだと思うの」

 僕は同調して答えた。

「この頃のZ世代は、叱られ慣れてないといいますが、親が子を叱るのは、親特有の義務ですよ。

 愛してるから、将来を思うからこそ、叱りつけ、軌道修正させようとする。

 このまま進むと、ロクでもない大人になり、世間の闇に埋もれてしまわないうちに、無理にでも軌道修正してくれるのは、親しかいませんよ」

 ゆう子ママは、涙を浮かべた。

「私は、ゆあを愛していたからこそ、叱りつけたりもしたわ。

 ゆあがいるから、どんなに疲れていても、働くことができた。

 パート仲間の足の引っ張り合いにも、耐えることができた。

 私が今生きているのは、ゆあのお陰よ。

 ゆあがいなかったら、私は酒浸りになっていたかもしれない」

 そういえば、ゆあは酒を飲まない人だった。

 僕は思わず

「愛しているからこそ、厳しいことも言う。

 反対に愛していないからこそ、甘い言葉で女性を誘い、利用した挙句の果て、簡単に捨てるというケースもある。

 まあ、僕はそうはなりたくはないですけどね」


 そのとき、いい香りのサイフォン珈琲が運ばれてきた。

 ゆう子ママは、ようやくほっとしたような表情になった。

 僕は、報道番組でメモした「いのちの電話」の番号を教えた。

「なにかあれば、ここに電話して下さい。

 母親は、我が子を思う余りに、自ら身体を壊してしまい入院するケースが多い。

 そうなれば共倒れになってしまい、ゆあを救うことはできなくなってしまう。

 しかし、僕はゆあを救い出してみせますよ」

 ずいぶん、大言壮語をしてしまったが、僕はゆあを救い出すために、生かされているのではないかという使命にかられていた。


 その気持ちが天に通じたのだろうか。

 母親と別れた帰り、ゆあを見かけたのだ。

 その姿は、もはや僕の知っているゆあではなかった。

 ベージュのスエットスーツのような、地味な服装。

 僕の知っているゆあは、もっとお洒落だった。

 もちろんブランドものを身につけているわけではなかったが、トップスは花柄のブラウスに下は、黒や紺、こげ茶といったトップスにあう服装をしていた。

 ゆあは、ピンクの花柄が似合うアイドルに近い華やかな服装をしていた。

 化粧は、ピンクの薄いリップをつけるだけで、清潔感を醸し出していた。

 あの頃のゆあは、もう戻ってこないのだろうか?

 僕はなんともいえない、悲しさと切なさを感じた。

 

 僕がゆあに声をかけようとすると、なんとゆあは僕に背を向け、向こう側に行ったのだった。

 そこで、黒いスーツの三十前後の男性が、ゆあに手を振った。

 とうもろこし色の髪をした、いかにもホスト稼業が身についたような、世間ずれした男性。

 整った顔立ちのうわっつらには、何人もの女性を口先三寸でだましてきたという、狡猾さが伺える。

 しかし、女性にすればそれが一般人にはない魅力であり、未知の世界へと自分を連れて行ってくれるアドベンチャーのような錯覚を起させるのかもしれない。


 ゆあは「拓真さん」と言って、笑顔で手を振った。

 その表情は、僕が今まで見たこともない色気のある、艶っぽい表情だった。

 拓真と呼ばれた男性は、ゆあに

「お前って、俺に会うたびにいい女になっていくんだな。

 このままだと、お前の言っていた大人の女になって、母親をラクさせてあげることができそうだよ。いや、俺と一緒にいる限りは、それが実現できる。

 確定だよ」

 よくもまあ、ぬけぬけとそんなセリフが吐けるものだ。

 拓真の口のうまさに、僕は開いた口が塞がらなかった。


 ゆあは、拓真と腕を組み、夕闇のネオン街へと消えていった。

 僕は、気づかれないように尾行していた。

 行きつく先は、ビルの一階にある風俗案内所だった。

 

 僕はピンときた。

 やはり、拓真はゆあを風俗で稼がせることが魂胆なんだ。

 そして、ゆあの給料の二割を自分のものにしようとする算段に違いない。

 そうなれば、ゆあは鎖でつながれた奴隷、いやそれ以下の性奴隷に堕ちてしまう。

 性奴隷というのは、身体にも脳にも性病の毒がまわる。

 身体は梅毒に冒されー梅毒は顔や腕、足という目に見える部分に3ミリの赤い腫物ができるので、隠しようがない。

 脳に性病の毒が回ると、いわゆる精神障害者のようになってしまうという。

 また性病にかかった人は体力が無く、2キロ程度のものさえも持ち上げられないし、一度、風邪にかかると一か月くらい完治することはないという。

 ある瞬間に精神が別のところに行き、椅子を振り回して暴力を振るおうとしたり、大声で「あほう」などとわめいたりする。

 このことを年輩男性に話すと

「その女は、瞬間精神分裂症ではないか。現代でいう統合失調症かもしれないな。

 もしその女が、ナイフを振り回したとしても、精神疾患ゆえに思い罰を受けることはない筈だ」

 年配男性のセリフの真偽のほどは定かではないが、一理あるかもしれない。

 統合失調症という言葉は、ときおり耳にする言葉である。

 運よく飲食店などに就職できたとしても、その傾向がでるので長続きはせず、クビを宣告される前に、病気になって辞退するのがオチである。


 僕は昔、チェーン店の飲食店でバイトしているとき、そういった中年女性を見て来たのである。

 手伝いをしてもらっているバイト女性にケンカを売った挙句、ホールで腕をつかんで引きずりだそうとしたり「あほう」などと大声でわめくのだった。

 こうなれば、女性というよりも人間失格だと、僕は痛感した。

 年齢的なことから判断しても、もう完治することはないだろう。


 もしかして、ゆあもそうなるのだろうか?

 そんな危惧感を抱いていると、なんとゆあの母親ゆう子にばったり出会ったのだ。

 僕は思わず

「さっき、ゆあさんが拓真とかいうネット上には売上ナンバー2ホスト宣伝されていたホスト君と、腕を組んで歩いてましたよ。あっ、こんなこと、言っちゃっていいのかな。

 でも正直に言うしかないですよね」

 母親ゆう子は、

「私も見たわよ。一見男前だけど、ずるそうなチャラ男。

 私は思わず、その男をナイフで刺そうと思ったけど、あきらめたわ。

 あっ、私かまぼこをもってるのよ。そうしなければ、ナイフを持ってるところを警察に見られると、傷害罪になりかねないものね」

 なるほど。

 ゆあを思う母親の気持は理解できるが、傷害事件を起こしてはますます、ゆあとの仲がこじれてしまいそうである。

 ゆう子ママは、立ち話をすると長くなりそうだからと言い、カフェに誘った。


 繁華街のど真ん中にあるカフェ132は、いかにも老舗といったムードであり、椅子も古びているが、値段は安い。

「ゆあの通っているホストクラブは、この店の三階にあるの。

 私はいつも、ここの窓から拓真を見張っているのよ」

 店内には、疲れた風情の水商売風の女性が何人かいる。

 上下スエットスーツという、いかにも風俗嬢という感じの女性もいる。

 かと思えば、五十歳過ぎの実年男性も、黙って薄めの珈琲を飲んでいる。

 もしかして、その実年男性も、ゆう子ママと同じ、我が子がホストの被害にあっているのだろうか。

 いや、それとも実子がホストで、金の無心にきたのだろうか?

 僕はそんな勝手な想像を巡らしていた。


 薄暗い店のBGMは、三十年昔に流行ったスローテンポの歌謡曲である。

 水商売の人は、現実を忘れ、昔に戻ってやり直したいという願望があるという。

 だから、あえて現代の曲をかけず、昔の曲ばかりかけるという。

 

 

 


 

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