2-2.デイヴィス家とハーナット家
客人だといっても急いで戻るつもりはない。きっちり水浴びを済ませてから身支度をととのえ戻った先では、ギディオンとエルギスが弟妹達の歓迎を受けている。あたたかみのある家に黒尽くめの男達というのはいまいちおかしい光景だ。
ベルベットは彼らを見るなり「ぐふ」と喉の奥でくぐもった音をあげたものの、一生懸命もてなすリリアナや弟妹の手前笑うことはできない。
ラウラが二人に可愛らしい包みの飴を渡したところで弟妹達を別室に移した。家が広くなったおかげで、小さいながらも応接間ができたのが嬉しいところだ。
しっかりドアを閉じてから二人の向かいに座り、ひとまず上官であるギディオンに話しかける。
「それで、お二人がうちに来られるなんて何事ですか。まさかクビの通達とか?」
「クビでも宣告されるようなことでもしたのか」
「まだしてませんけど」
まだ、の言葉にギディオンは頬をひくつかせたものの、何も言わないことにしたらしい。そんな彼を面白おかしそうにエルギスは見つめつつ、懐から手の平大の包みを取り出した。
机に置かれたのはつるりとした楕円状の石であり、赤く透き通っている。
「グロリア嬢が魔道士へ依頼されたものだが、高値だからな。僕が直に持ってきた」
「その石が?」
「ただの石じゃない、魔石だ。湯を出せるようにしたいんだろ」
「へー……ただの着色した石にしか見えないのに」
家の手押しポンプに組み込むことで自由に湯を出せるようになるらしい。グロリアが依頼したものは特大の魔石で、数年は交換しなくても良いものなのだそう。
仕組みはとんとわからないベルベットだが、それだけですごいものなのは理解できた。
「でもそんなもの家に仕込んで盗まれたりしません?」
「だから僕が来たんだ」
「ってえと?」
「魔石が盗まれないように細工を施すのも魔道士の仕事だ。特にあんたのところなんて泥棒が入りたい放題の立地だから、絶対に取られないようにする必要があるんだ」
「おー頼もしい…………で、隊長は?」
ギディオンが取り出したのは金物の音がする手の平大の袋だ。
「なんです、これ?」
「俺はお前に渡すよう頼まれただけだ。受け取れ」
「いや、誰から……」
「受け取れ」
有無を言わさない圧に粗末な皮袋を開くと、途端ベルベットの表情は強ばった。「うわっ」と叫ぶなり袋を投げると、袋の口から様々な宝石が零れ出る。
「な、なんですかこれっ」
「お前でも怖じ気付くのか?」
ベルベットが恐怖で怯えるのも仕方ない。それはただの宝石ではなく、加工済みのあらゆる宝飾品だ。
彼女には触るのも恐ろしい代物で、つい椅子で丸まり逃げの姿勢すら取る有様なのだが、エルギスは慣れた手つきで宝石を手に取った。
「へえ、すごいな。全部傷物なんかじゃなくて綺麗なやつじゃないか。全部まともに売り払ったら、この家がもう三軒くらい建つんじゃないか」
「隊長、これ、誰からですか!」
「デイヴィス侯爵だ」
告げられた名前に、ベルベットは言葉に詰まらせる。
妹グロリアをハーナット家から養子に出した貴族こそ、サンラニアはデイヴィス侯爵家。その「侯爵」となれば当主本人であるわけで、ギディオンは重々しく告げた。
「今日、わざわざこちらにお出でになられてな、お前に渡せなかったので渡してほしいと頼まれた」
「近衛隊長を使いっ走りにするとは、流石侯爵だな」
エルギスは呑気に感想を漏らすが、それどころじゃないのはベルベットだ。なんとも複雑そうな表情であったが、ギディオンに視線を向けたところで、彼は片手の平を彼女に向け、拒絶のポーズを作った。
「残念ながら、俺は侯爵に頼まれただけに過ぎん、返却したいのなら直に渡せ」
「私のような庶民が簡単に会える方ではないのですが!」
「侯爵の話しぶりでは、そうでもないご様子だったが……」
何を思い返したのだろう。しかし、詮索が過ぎたと思ったのか首を振る。エルギスから宝石を奪うと、袋に戻してベルベットの前に置き直す。
「ともあれ、まともに使い走りすらできんと言われては癪だから、俺は断固として受け取らんぞ」
「そんなー……」
彼女の母・ミシェルは一時デイヴィス侯の愛人だった。グロリアを養子にしてまで引き取るほどだから、たしかにハーナット家、もといベルベットとは浅からぬ縁がある。ベルベットも彼の人柄は知っているものの、かといってこんなものを渡されても困るのだ。
情けない姿を晒すと、エルギスがおかしそうに笑った。
「なんかその様子だと、こうしたらあんたが返せないのをわかっててギディオンを使いっ走りにしたみたいだよな」
「みたい、じゃなくてそうだと思いますよ。あの人、昔からそういうところありますから」
ベルベットは同意を示しただけなのだが、ギディオンやエルギスは意外なものを見たと言わんばかりだ。
「へー」
「へー……って、なんです?」
「意外と忌避なく喋るじゃないか。仲、悪くないんだな」
「そりゃ悪かったら妹を養子に出したりはしないと思うんですが……その顔は隊長も意外に思った口?」
「……まあ、驚きはしたな。俺に袋を託された際も、侯爵はとても穏やかであられたから」
彼らはベルベットの事情を知っている数少ない人間だ。
また彼女も隠している様子がないとみるや、ギディオンは疑問を口にした。
「昨日は珍しく休みを申請したと思っていたが、侯爵に会っていたのか?」
「挨拶ですよ。曲がりなりにも成人前の娘を定期的に預かってるものでね」
「……荒れなかったか?」
ギディオンの言いたいことはわかっている。
ベルベットも重々しく頷いた。
「荒らさないために遅くなったんです」
いまでこそグロリアはデイヴィス家に受け入れられて可愛がられているけれど、あの家にとって、彼女は当主が余所で作った女の子である事実は変わらない。侯爵の奥方はいまだ健在で、長男シモンこそハーナット家の存在を黙認しているけれど、その存在は鬼門そのものだ。
たとえ当時のデイヴィス夫妻に政略婚ゆえの愛情がなかったためであっても……侯爵が母ミシェルに心を奪われた過去は消えない。
一時とはいえ当主の心を奪った女の家族が接触を図るのは気分が良くないから、バレないようにと都合を合わせていたら遅くなってしまった。
接触した理由は先に述べたとおりだ。
成人前の娘を預かると受け入れてしまった以上、ベルベットは彼女の正当な保護者である侯爵に会っておく必要がある。
グロリアは気にしていないようだが、これが大人のけじめというもの。
久方ぶりの再会は悪くない結果に終わったけれど、悩ましい話も聞いてしまったので、疲労困憊で帰ってきた。癒やしを求めてセロと戯れていたら、寝入ってしまったわけだ。
保管場所すら悩ましい状況だが、二人の前で泣き言をはき続けるわけにも行かない。
諦めのため息を吐き顔を上げた。
「で、夕方なんですけれども、お二方はこのあとの予定はおありです?」
「僕はこのまま魔石を埋め込ませてもらう。ただでさえ忙しいのに、明日もまたここに足を運ぶなんてごめんだ」
「俺の用事は終わった。帰らせて――ぐっ!?」
ギディオンは立ち上がりかけたものの、エルギスが人さし指を動かしただけで、まるで後ろから強い力で引っ張られたかのように座り込んだ。
涼しい顔をしたエルギスがベルベットを見る。
「そういうわけだ。もてなしてくれ」
「はいはい、エルギスは人見知りでしたもんね」
「違う」
「でもわたしの弟妹たちなら気にしないと思うんですけど」
「聞けよ、絶対違うからな」
魔道士はすかさず否定するも彼女は聞いておらず、窓の外から微かに響く馬車の音に唇を釣り上げた。
さしものグロリアも、弟妹達の前では悲鳴は上げまい。
実際、客人達を見たグロリアは引きつり笑いを零すだけで大人しかった。
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